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大地の宝石  作者: 森宮 スミレ
〜第一章 埋もれた小石〜
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出会い 2


 陽が昇り、学園の広い敷地を照らしている。生徒は皆、今日も自分の教室を目指し、他愛の無い話に花を咲かせていた。


 そんな中を、一際目立って歩く人物達がいた。


 その人物の姿を目に留めると、どの生徒も脇にそれて、道を作る。その間を歩く人物を目にしては、憧れや、尊敬の眼差しを送る者が殆どだ。

 宝石が輝くように自信を主張する彼等の美貌に、振り向かない生徒はいないであろう。


 いつもの光景を、普段は気にせず歩き続けるラン、イアン、ザウルだったが、今日はある人物がいないかと、その集団に少し目を向けていた。

 その人物とは、間違いなく昨日乱入した少女である。


 何故そこまで気にするのかというと、学園内でも、ランとカールの間に入れる程の剣術の持ち主は、今までいなかったからだ。しかもそれが女生徒ならば、尚更興味を引かれても仕方がない。


 自分達に、熱い視線を送ってくる女生徒は、今この場にも大勢いるが、その中の何処にも彼女はいない。

 すこしがっかりした顔で、ラン達は大きな校舎へ入って行った。




「わっ!まずい」


 朝日が眩しい朝、寝過ごしてしまった少女は、今まで微睡んでいたベッドから跳ね起きた。


 急いで身支度を始める彼女の風貌は、はっきり言って「地味」である。背中に届く長い栗毛は何の飾り気も無い紐で、後ろで一つに纏められている。

 顔の造りも、別段美少女という事はなく、平均並である。街を歩いても、まず間違いなく目立つ事はないであろう。


 転入初日から遅刻はまずい、と思いながら、鞄を引っ掴み寮から飛び出た。

 周りに生徒は殆ど残っておらず、セリアが寝坊した事実を突き付ける。学園内にある寮とはいえ、校舎からはそれなりに距離があるのだ。


 昨日、教師であり、女性口調のクルーセル先生に教室の場所は教えられていたので、校内で迷う事は無いだろうが、それでも果たして間に合うだろうか。


 全速力で駆けて行くと、教室の前に、丁度入ろうとしている教師の姿があった。彼がこちらに気付くと、すこし驚いたように目を見開いたが、直ぐに優しい顔になった。

「転入生の……セリア・ベアリットさんですね」

「は……はい」

 息を切らして目の前に来たセリアを、彼は少し困り顔で見ている。

「貴方の担任の、ヨーク・バルディです。宜しく」

「よ…宜しく、お願いします」

 まだ息の整わないセリアは、なんとかそれだけ言った。


「慣れない環境で、戸惑う事もあるでしょう。何かあれば、遠慮せずに言って下さい。では、クラスに貴方を紹介するので、付いて来て下さい」


 穏やかに言われ、優しい人だなあ。と思いながら、セリアは、乱れた髪を治しながらヨークに続いた。






「……ふぅ。終わった」


 あの後席に付いたセリアは、授業が全て終わったと同時に溜め息を零した。他の生徒も授業が終わった事に安堵したのか、教室内はすぐに騒がしくなる。


 授業を受けて何とか付いて行けそうだな、と判断するとセリアはスッと立ち上がり、校内を散策する事にした。

 何しろ敷地が広い為、色々と面白い場所がありそうなのだ。

 ふむふむ、と辺りを見回しながら一つ一つ教室を覗いていく。授業はもう終わっているので、残っているのは雑談している生徒達ばかりだ。

 何処にでもありそうな風景だが、新しい場所というのは、それだけで新鮮さがある。ジロジロと周りを観察しながら廊下を進んで行った。


 上の階まで来るとさすがに生徒の数も減り、シンと静まり返っている。

 誰もいない廊下というのは、それだけで不気味だ。普通の生徒ならばここで引き返すのであろうが、冒険心に火が付いたセリアは、そのまま進んで行ってしまった。


 その内、歩き疲れたセリアは、少し休もうと一番近くにあった教室の扉を開いた。殆ど同一の造りである教室を一つ一つ覗いていけばそれは疲れるであろう。

 中は静かなので落ち着きそうだ。そう思いながら中を見回すと、思わぬ所に先客がいた。


 その人物は、机に腰を降ろし、壁に凭れ掛かって、目を閉じている。寝ているのだろうか。

 穏やかな顔で目を閉じている顔は、驚く程整っている。それでも淡い感じはせず、どこか頼りになる、凛とした顔だ。

 窓から入る光を受け、その存在そのものが輝いている様にも錯覚する。


 その人物に見覚えがあったセリアは、あっと声を挙げた。

 咄嗟に口を抑えたが既に遅い。その声に、ピクッと眉が上がると、瞼がゆっくりと開いて、その赤みがかった瞳に、しっかりと自分が映ってしまった。

 向こうも、セリアが誰であるか気付いたようで、驚いたように瞳を見開いている。


 しばらく二人で驚いていたのだが、やがて黒髪の青年、イアンが笑い出した。いきなり笑い出されたので、セリアもどうしたら良いか分からなく、困惑して見つめていた。

「ああ、悪い。いや、他の奴と、昨日の勇ましいお嬢さんに会えるかどうか話してたもんだからさ」

 しばらく笑って気がすんだのか、イアンは立ち上がりながら言った。お互い、昨日顔を見ているからか、初対面の様な気がしない。

「俺はイアンだ。昨日は二人を止めてくれて、ありがとな」

「あ、いえ。そんな」


 勇ましいと言われた事に多少複雑な気持ちだが、一応貴族の礼儀として、丁寧にお辞儀をして自己紹介した。相手が、それを重んじるような人物かは怪しいが、それでもだ。


「セリア・ベアリットです。昨日はいきなり失礼しました」

「……あんた、見た事無い顔だけど、転入生か?」

「はい。今日からこのフロース学園に通う事になりました」

「時期外れになんて珍しいな」

 言われてセリアは、うっと唸った。確かに周りから見れば不自然だろうが、こちらもそうれなりの事情があるので、仕方が無い。それをいきなり会った人物に話そうとは思わないが。

「それに、剣術も凄い腕前してるな。結構面白い」

「最初は内緒で習ってたんです。伯父に。家族に反対されるのは目に見えてたので。それより、イアン様はここで何を?」

「ん、ちょっと休憩をな。ここは静かで良い」

 うーん、と一度大きく伸びをすると、イアンは壁に掛かっている時計に目を向けた。セリアもそちらを見ると、授業が終了してから三十分程が過ぎた所だった。


「おっと。そろそろ、時間かな」

 そう言ったイアンは、何をしようというのか窓に近寄り、開け放つとその縁に足を掛けた。

「えっ!そ、そこから飛び降りるつもり!?」


 いきなりのイアンの行動を慌てて静止したセリアだが、自分の失態に気付き、はっと我に帰り、途端に後悔した。急な事だったので、言葉遣いを考えず、素で聞いてしまったのだ。

 父はそうでもなかったが、母は礼儀に厳しい人で、一応それなりの教育を受けた。それに相手は貴族の子息。貴族同士での礼儀は当たり前であって、いくら突然とはいえ、言葉を誤ればまずい事に変わりはない。


 セリアがどんどん青ざめているのを見ながら、イアンも少し驚いた。

 今まで、女性から気さくに話しかけられた事が無いイアンにとって、セリアの反応はかなり新鮮だった。大抵のお嬢様方は、とにかく体面を気にして、妙に上品ぶった者が殆どだ。

 別にそれを悪いと思っているわけではない。ただ、何となく自分とは合わないな、と感じていた。


「えっと……そこから、飛び降りるおつもりですか?」

 もう遅いとは思いながらも、取り敢えず言い直しておく。何をしようと飛び出た言葉は帰っては来ないのだから、本当に悪あがきだ。


「んー、聞こえない」

「へっ!?」

 何を言われるかと、びくびくしていたが、聞こえた言葉は思いもしない物だった。

「さっきの言い方なら、多分聞こえるんだけどな」

 殆ど初めてていってもいい女性の砕けた口調は、親近感があって面白い。出来れば、ずっとそんな風が良いなとも思い、少しからかうように言ってみた。

「そんな事言ってる場合では無くて、ここ五階ですよ!」


 やはり、まずかったと思うが、ここで負ける訳にも行かず、相変わらずの仰々しい物言いで食い下がる。それに、こんな場所から飛び降りるなんて、正気とは思えない。どんなに身軽でも、無事ではすまない高さだ。

「聞こえねぇな。じゃあ急いでるんで、このまま行くかなっと」


 そう言って、本気で身を乗り出すイアンに、セリアはもう降参した。

「ああ、もう、分かった、分かったから。そこから、飛び降りるつもり?これで良いでしょう」

 最初から、飛び降りるつもりだったのだから、飛び降りようとするのが脅しにはならないのだが、今のセリアにそんな冷静な考え方は出来なかった。


 しかし、イアンはそう言ったセリアに、ニヤリと笑いかけると、足を窓に掛けたまま言った。

「そう。その『おつもり』。あと俺はイアンだ。『イアン様』じゃない。じゃあまたな」

 それだけ言い残すと、イアンは強く窓枠を蹴って、近くにあった木の枝に飛び移った。そして、そのまま木を伝って地面に下り立つ。

 呆然と自分を見下ろしてくるセリアにヒラヒラと手を振ると、イアンはそのまま歩いて行ってしまった。




 いきなり現れ、そのまま去ったイアンに、セリアは呆気に取られていた。


 彼は今まで出会った貴族達とは違うようだった。貴族と言えば、変にプライドが高くて、形式に拘る者が多かったからだ。勿論、例外もいたが。

 貴族同士ではそれが当たり前なのだから、最低でも礼儀として不足の無い程度には気を使っていたつもりだ。

 そして、自分が女性という事も、礼儀を意識しなければならない理由の一つでもあった。女性というだけで、男性の殆どがこちらを下に見る。なので、気さくに話そうとすれば、すぐに礼儀知らずだと言われてきたのだ。


 だが彼、イアンはそんな素振りを全く見せず、何となく対等に話そうとしてくれた気がする。ほんの少し話しただけで、分かる訳は無いのだが、少なくとも自分はそう感じた。


 セリアが学園に転入して、初めてまともに話した生徒は、かなり好感の持てる人物だった。






 校内を散策していたセリアだが、校舎はあまりにも広い為、全てを見る前に途中で断念した。もう何度か迷いかけた所なので、得策といえるだろう。

 これからどうしようかと悩みながら、ふらふらと校舎を出たセリアに、声を掛ける者がいた。

「あら、セリアちゃんじゃない」

 聞き覚えのある、女口調。声のした方を振り向けば、案の定クルーセルがいた。

「学校の中を探検?」

「はい。色々見て回ろうと……」

「ふーん。じゃあ、あっちに行くと良いわ。面白い物があるかも」

 クルーセルは悪戯を思いついた子供の様に、クスクスと笑いながら学園の一角の方を指した。

「ところで、学校はどう?馴染めそう?」

「あ、はい。親しみやすい人にも会いましたし」

「そう。それはよかった」


「クルーセル・ブロシェ!」


 いきなり、の大声にセリアがビクッと肩を振るわせると、クルーセルの後ろから影が飛び出した。その人物は、黒縁の眼鏡を正すと、ジロッと睨みつけてくる。

「まったく貴方は。仕事をサボって何を遊んでいるのです」

「あら、ハンスちゃん。そんなに怒らないでよ。授業は終わったんだし、良いじゃない」

「授業が終わって緊張を解いて良いのは生徒達です。貴方は教師でしょう。早急に仕事に戻って下さい」

 ハンスは、逃げようとするクルーセルを引きずると、そのままずるずると校舎へ連行していった。

 置き去りにされる形で残されたセリアに、クルーセルは引きずられながらも手を振っている。


 二人のやりとりを微笑ましく思いながら見ていたセリアは、教えられた方角に向かって歩き出した。

 その先に、セリアが温室を見つけるのにそう時間は掛からなかった。

 そして、それを見たセリアは、瞳を輝かせて早速中へ入ろうとする。ちょっとした好奇心という物だ。子供の頃に憧れた、秘密基地にでも来たような気がして、自然と顔が綻ぶ。

 実際はそんなに、秘密でも何でもないのだが、そこはまあ気分の問題である。


 流石に誰かいるかもしれないと思い、そっと足音を忍ばせて入る。端から見れば何処かへ不法に侵入しているようしか見えない。

 コソコソと隠れるようにして入った場所には、ありとあらゆる草花が、それは色鮮やかに咲き誇っている。まるで楽園にでも来たようだと、セリアは思った。


「綺麗……」

「あれ?…君は……」

 後ろから声が聞こえた途端、セリアの肩がビクッと揺れた。つい花に見入ってしまい、背後から近付いて来た人物に気付かなかったのだ。

「たしか、昨日の……」

「あっ、えっと……」


 目の前に現れた、肩に届く長さのふわふわした水色の髪をした少年は、少し驚いたようにこちらを見てくる。

 そして、何を言われているのかもすぐに察した。そして、彼もあの場所に居たな、と思い出す。


「こんにちは。君は、昨日助けてくれた人だよね。どうもありがとう」

 ふわっと優しく笑って言う様は、まるで天使のようだとセリアは思った。ガラスから光が透けているような透明な雰囲気も、深緑の瞳も、丁寧で端麗な顔にとても似合っている。

「いえ、そんな。こちらこそ、昨日はすみませんでした。私は、セリアと申します、」

 会ってすぐの自己紹介は、貴族間の礼儀の一つだ。

「僕は、ルネ。花が好きなの?」

「…はい………まぁ」


 この場所には好奇心で入っただけなのだが、実際花は好きだし、ここの花に見とれたのも本当だ。

「僕もだよ」

 少年はそう言うと、手に持っていたじょうろを近くの植木鉢に向け、水を掛け始めた。


 室内に降り注ぐ温かい日差しの下、花に優しく水を与える様は、それだけでまた絵になっている。

「ここのお花は全部ルネ様が?」

 先程のイアンとの過ちを繰り返すまいと、自分の言葉に気を配りながら聞く。

「うん。大体は僕が世話をしてるよ。花を見てると心が休まるから」


「ルネ。いるか?昨日のお嬢さん見つけたぜ」

 いきなり声がしてそちらを向き、温室に入って来た人物を見ると、セリアは目を見開いた。

 それは、入って来たのがイアンだからではない。イアンと共に入って来たのが、昨日決闘をしていた青年本人だったからだ。

「おっ!なんだ。セリアも一緒か」

「…セリア?……君は…」


 イアンの横にいた、ダークブロンドの少年がこちらに目を向けて来た。まるで彫刻のように繊細な顔が、驚きで目を見開いている。セリアも、少年に負けない程驚き、彼を見返していた。

「セリア、こいつはランだ。見覚えあるだろう」

 二人の驚きようを見てからかっているのか、イアンは必死で笑いを堪えるように肩を揺らしている。

「ランスロット・オルブラインだ。昨日は仲裁に入ってくれたこと感謝する」

 余計な事をした、と責められると思い身構えていたセリアは、覚悟していた言葉が来ず、尚かつ丁寧にお辞儀までされて、呆気に取られた。

「いえ。その、私こそ。昨日は大変失礼しました」

 今日三度目になる謝罪をする。


 自分でも、少し出過ぎた真似をしたのでは、と不安に思っていたのだ。それを、感謝されたのだから、まるで肩透かしをくらったような気分である。

 それでも、どうやら反感は買っていないようだ、と少しホッとした。目の前の相手も何かすっきりしたような顔をしている。


「出来れば、昨日のお礼に何かしたいのだが」

 いきなり感謝されたと思えば、今度はお礼と来た。そんなに凄い事をした訳でもないのに、しかも会って早々これである。律儀というか大胆というか。


 思っても見なかった申し出にセリアは目を白黒させる。その反応が面白いのか、後ろで見ているイアンは先程から笑いっぱなしだ。隣のルネも、どことなく頬が緩んでいるように見える。

 いきなりの事で、頭が回らず困惑していたセリアだが、その内はっと思いついた。

「じゃあ、学園の案内を頼めますか?」

 とにかくこの学園は広い。一人で探検するよりも、学園の生徒に聞いた方が、色々と面白い物があったりするものだ。

 昨日、必要最低限の教室は幾つか教えられたが、まだまだ分からない場所は沢山ある。後々誰かに頼むつもりだったが、今はまだそんなに親しい人物はいない。

 それに、これからの学園生活、友人は多い方が良い。案内を頼めれば、彼等とも親しくなれるかもしれない。一石二鳥という奴だ。


「君は転入生か?」

「はい。今日からここに通います」

「では、分からない事も多いだろう。案内くらいならば、お安いご用だ」

 本当に彫刻か、描いた絵のように、にこりと微笑むとランは快く了承してくれた。

「それじゃあ行くか」

 やる気満々のイアンは心底楽しそうにしている。

「ルネはどうする?」

「僕は、まだ、花の世話が残ってるから」

「そうか。ではまた後で」

「うん。セリアまた来てね」

 軽く手を振るルネと別れると、三人は温室を出た。









「イアン。さっきから随分楽しそうね」

 横で、今も笑い続けているイアンを軽く睨むと、セリアは責めるように言った。すぐ横にいるランに聞こえないよう声は抑えている。

「そりゃあ、ラン見た時のお前の顔。ホントに面食らってたからな。思い出すだけで笑える」

 今にも大声で笑い出しそうなイアンに、セリアは頬を膨らませた。それを見て、イアンも更に面白がる。


 短時間でこれだけ打ち解けるのも、イアンの気取らない性格からだろう。親しく出来るのは嬉しいが、からかわれるのは何となく面白くない。


 セリアは最後の抵抗とばかりに、そっぽを向いた。すると、横でこちらをじっと見ていたランと目がばっちり合ってしまったのでたじろいでしまう。


「一つ聞いても良いだろうか?」

「あ、はい」


「君はどうしてイアンとは親しげに話すのに、私に対しては少し控えめなのだろうか」

 昨日、イアンも彼女を知っている風ではなかったので、今日初めて会ったのは明らかだ。それなのに、明らかにイアンの方に打ち解けている。

 イアンの飾り気のない性格が理由なのは分かるが、自分との対応があまりにも違うと、少し複雑だ。それに、イアンの方が明らかに素なのだから、何となく気を使わせた感じになる。


 セリアはランの質問に、氷のように固まってしまった。

 彼には聞こえないように用心していたつもりだが、聞こえてしまったらしい。イアンに続いてランにまで失態を晒してしまったのだから、衝撃はかなりの物だった。

 今まで、こういった事が全く無かったのかと聞かれればそうでもない。が、ここまで酷い過ちをした事はなかった。元々、形式に拘った貴族の礼儀事は苦手だったのだが、だからといって素を見せる訳にもいかず、セリアは懸命にそれを貫いて来たのだ。それが当たり前の世なのだから、文句は無いが。


 何故、ここへ来てこんな失敗を繰り返すのか分からない。がそれよりも、今この状況をどうするかだ。

 ランの場合、イアンのように笑ってそのまま、という訳にはいかないだろう。彼自身、礼儀正しい人間の代表のような人物だ。優雅な物腰に丁寧な口調。彼が、自分の態度を不愉快に感じるのも無理は無い。

 と、内心グルグル考えているセリアに、ランが言った言葉は予測出来ない物だった。

「出来れば、私にも親しくして貰えると、嬉しいのだが」

 先程のように、彫刻のような端麗な顔で、微笑みながら彼は言った。


 その言葉に、セリアはまた面食らってしまった。今日は何度も驚かされてばかりだ。

 予想だにしていなかったランの申し入れに、セリアは思考が一瞬停止しそうになった。

 どうやら彼等は、他の貴族方とは器が違うようだ。さすが、名門校と名高い学園の生徒なだけはあるなあ。等と、頭の隅で考えてしまった。

「どうだろうか。君さえ良ければなのだが」

「えっと……」

 何と答えれば良い物か、考えたセリアは、迷った末、

「これから宜しくね、ラン。…で良いのかなぁ」

 確認するように少し遠慮気味にこちらを見てくるセリアに、ランはやんわりと笑いかけた。



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