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大地の宝石  作者: 森宮 スミレ
〜第一章 埋もれた小石〜
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過去の 3

 馬車が到着したとの知らせが届いたので、セリア達は一度屋敷の外に出た。入り口のすぐ前に止められている馬車では、逞しい馬が鼻息荒く出発の時を待っている。それとは対照的に黒い帽子を深く被った御者は、先ほどから微動だにしない。

「道中では気をつけてくれ」

「うん。ありがとう。じゃあまた学園で」

 その言葉を最後にランが馬車の扉を閉めれば、カタカタと揺れる音と共に静かにその場から離れていく。その姿を心配そうに見送るランの瞳には、再び寂しそうな色が戻っていた。

「そう落ち込むなって。明日までの辛抱だろ」

「………別に、そういう積もりでは…」

 イアンに後ろから背中を軽く叩かれランは我に返る。

「やはり、お一人で帰したのは良くなかったのでは?」

「大丈夫じゃないかな。そんなに遠い距離じゃないし」

 セリアを心配する気持ちは多分にあるが、ランと一緒にいて欲しいとセリア自身に押し切られてしまったのだ。

「そういうことだ。心配するなよラン」

「それは、分かってはいるが……」

 セリアの存在が、ランに安らぎを与えているのは疑いようがない。正直、この時期にランとこんな会話が出来るとは思っていなかった。出来たとしても、まだ随分先になるだろうと思っていたのだから。


 そうしてセリアの乗った馬車が完全に見えなくなった頃、屋敷の中へ戻ろうとしたラン達の視界に、遠くの門から入ってくる別の馬車が映った。そして、随分と急いで近づいてくる馬車に乗った御者が目の前で深々と頭を下げたのだ。

「お時間を取らせてしまい申し訳ありません。途中車輪に不具合がありまして」

「はっ!?」

「あっ、いえ。馬車をご所望だと………」

 目を見開くラン達に御者がビクリと怯む。しかし、候補生達はそんな事気にしていられなかった。

「ラン!?」

「いや。呼んだ馬車は一つの筈だ」

 何が起きているのか分からない、といった風のラン達だったが、すぐに屋敷の中へ足早に戻っていった。

「ジャクソン!!」

「は、はい!坊ちゃま、どうされました?」

「他に馬車を呼んだか?」

「い、いえ。先ほど坊ちゃまがお呼びした他は……」

 その言葉に候補生達の背中を冷たいものが流れる。

 では、今セリアが乗った馬車はいったい……

「ジャクソン!馬を頼む!!」

「はっ!?」

「急いでくれ!!」

「は、はいぃぃぃ」

 そういって駆けて行く執事の後ろ姿を見ながら、ランは急き立てられる思いで外へ飛び出す。他の候補生達も、何が起きているのかは分からないが、一つだけ確信していた。

 今この場に居ない友人の身に迫る危機を。







 オルブライン家の屋敷を離れた馬車は、夜の道を静かに通っていた。周りには家らしい家も無く、かなり暗い。しかし、もう少し進んだ所には街がある筈である。ランの姉が亡くなったのもその街であった。御者台に取り付けられたランプの僅かな明かりを頼りに、馬車は迷い無く進む。

 心地良く揺れる馬車の中で、セリアは襲い来る眠気と格闘していた。頭は船を漕ぎながら、瞼はトロンとして今にも閉じそうだ。少なくともあと三時間は馬車の中なのだから、寝てしまおうか。

 ふと窓に目を向ければ、木々が通り過ぎる情景が飛び込んでくる。学園都市や王都の周りとは違い、都市と都市との間はまだ未開発の土地が多い。近年では開拓がかなり盛んに進んでいるので、それもあと僅かの間かもしれないが。

 そんな事を考えている間にも眠気が再び押し返して来て、もう寝てしまえ、と思ったセリアは、馬車がゆっくりと止まるのを感じた。おや?と思って外を見てみるが、何も変わった様子は無い。特に急に停止した訳ではないので、意図的に止まったのだろうが。

 しかし、それならそれで御者が何か声を掛けるものだ。サッと窓の外に視線を走らせたが、他に明かりは無く不気味な程暗闇が広がっている。他に人の姿は見えず、動物の気配すら無い。

 一瞬嫌な予感が脳の隅を通り過ぎた。何となく本能的にこの場は危ない、と思ったのだ。

 緊張から無意識に息を殺していると、前に乗っていた御者が御者台から降りたのが分かった。



 ランプの僅かな明かりでは、その顔は完全には見えない。帽子を深く被った御者は、馬車の扉にゆっくりと手を掛けた。そしてそのまま勢いよく開ける。しかし中を覗くと、先程までそこに居た筈の少女の姿が無い。サッと振り返ると、道を走る小さな後ろ姿があった。



「ハァ、ハァ!!」

 何が何やら分からないが、今は逃げるしかないだろう。明らかに、あれはただの御者ではない。ほんの僅かだったが、セリアは確かに殺気を感じた。普段から剣などを握っていたりすると、そういったものを感じる感覚も、自然と研ぎすまされるものである。そういう意味で、剣術は貴族男子の嗜みの一つともされているのだが。

 咄嗟に反対側の扉から逃げ出したセリアは、息を切らしながら走っていた。 暗い中、何度も転びそうにはなるものの、火事場の馬鹿力という奴で何とか踏み堪えている。

 しかし、いくら逃げ出したといっても所詮は人の足。背後から聞こえる馬の足音と馬車の車輪の音は大きくなってきていた。

「くっ!!」

 すぐ後ろまで迫った馬車を、咄嗟に横に身を投げて避ける。躱した事にホッとしたセリアが顔を上げると、丁度馬車がこちらへ向き直っている所だった。夜の闇ではっきりとは見えないが、ランプの明かりがぼうぅと照らす馬の姿は確認出来る。

 それを見てセリアも慌てて立ち上がり、再び足を動かす。何度か同じ事を繰り返したが、向こうもこちらの動きが読めて来たのか、躱すのも段々とギリギリになって来た。

 背後を振り返れば、すぐ傍に迫る影。馬の嘶きが妙に近く感じるのは、気のせいではないだろう。馬を急かすムチの音も、段々と聡明に聞こえて来るようになった。それだけ距離が近づいたという事だ。

 しかし、幾ら走る早さを上げようとしても、段々と足が言う事を聞かなくなってきた。

「あっ!!」

 走るのに夢中で行く先まで意識していなかったセリアは、気付けば崖際へ出て来てしまっていた。

 しまった。追い込まれたか。

 背後に迫る馬車の音を聞きながら、セリアは悔しさと絶望に顔を歪めた。




「畜生、なんだってこんなことに」

「とにかく、急ぎましょう!!」

 馬の背に飛び乗った候補生達は、力一杯馬車の後を追っていた。

「あれを狙ったのは偶然ではないのかもしれんな」

「だからって、何でセリアを狙う必要があるんだよ」

「自分で考えろ」

「俺が知るかよ!!」

 考えても出ない答えに、苛立ちは募るばかりだ。

 少女一人を連れ去るのに、こんな手の込んだ事をするだろうか。 貴族を誘拐しようという輩は少なからず居る。かといって、実際に行動に出る例は少ない。それは、現国王が市民から得ている信頼と支持によるものだろう。

 候補生達の言い合いを聞きながら、ランは胸に焦りを広がらせていた。

 やっと、やっと現れた存在を、再び失うのか。それも、また自分の失態が生んだ結果で。

「ラン!」

 横から聞こえた声に、知らぬ間に俯いていたランは顔を上げた。声の主、ザウルを見れば自分を強く見据えている。

「セリア殿はお強い方です。どんな時でも最後まで抗う様な」

「……」

「彼女が持ちこたえている間に我々が行くべき時なのに、貴方が俯いていてどうするのですか!」

「っ!!」

 セリアは、女らしく大人しく護られているだけの存在ではない。どんな時でも自分で剣を振り回して相手に向かって行く。ならば、その場に一刻も早く辿り着く事が、自分達がすべきことだ。

 今、この場で誰よりもセリアの身に何かが起こる事を恐れているのはランである。勿論他の候補生達も、彼女の身を案じてはいる。しかし、恐れる事と身を案じる事は違う。俯いて震えているだけでは、セリアは救えない。ランもそれを分かってはいても、心に植え付けられた恐怖が邪魔をしていた。

 ザウルの言っている事は分かってはいる。今度こそ、自分は護りたいのだ。大切な存在を。しかし、それを失ってしまったらと思うと、どうしても背中を悪寒が走ってしまう。セリアの元へ行く事よりも、もし手遅れであったら、と考えてしまう。

 苦悩する思考を何とか押さえ込んだランが視線を前に向けると、仄かな明かりが映った。

あれだ。と確信すると同時に一気に馬の腹を蹴る。大声でその名前を呼んでみるが、返事は無かった。

 それでも、あと少し、もう少しだ。と思った矢先、漸く栗毛の少女の姿を捉えた。

「セリア!」

 彼女が無事だった事への安堵からもう一度名前を呼んだラン達の目に次の瞬間、信じられないものが映った。

 馬車に撥ねられた少女の体が、崖下へ消えていくのが。最後に見たのは、驚きの表情でこちらに向けられる茶色がかった瞳。

「っ!!セリアーー!!」




 落ちて行く少女を確認して満足したのか、馬車はそのまま御者と共に闇に消えて行く。その後を追わねば、と理性では分かっていても、その場に居た全員が崖の傍で馬から飛び降りた。

「セリア!!」

「………オーイ」

「はっ!?」

 非常に場違いな間延びした様な声が聞こえ、下を覗き見れば、上手い具合に伸びている枝にぶら下がった栗毛の地味な少女。

「皆、ごめん。その……助けてもらっても良い?」

「な、何やってんだ!!」

 急いで小さな身体を引き上げるが、枝は以外とがっちりしていて、何の問題も無く少女は引き上げられた。

 ふぅ、とセリアがため息すれば、未だに信じられないといった候補生達の視線に気付く。

「セリア。一体何が……」

「いや。その……私にも何がなんだか。でも、逃げてたらこの崖まで追い込まれて」

「…………」

「下を見たら太い枝が伸びてたから、一か八かで……わっ!!」

 飛び降りたのだ、と説明しようとした言葉は、視界が暗転したことで遮られた。途端に感じるふわりとした温もり。ランに抱きしめられているのだ、と理解するのに、少々時間がかかった。

「よかった。無事で本当に」

「ラン……」

 セリア自身、何事もなくて良かったと思っていた。ランにとって姉上を亡くしたこの時期に、更にまた身近な人間にもしもの事があれば、傷をより深く抉ることに他ならない。そうならないで、本当に良かったと思う。

「ラン、あのね…私、やっぱり約束は出来ない」

「…………」

「今日みたいな事は、そう何度もあるとは思えないけど……でも、この先何が起こるか分からないから」

 出来れば、そんな事にはなって欲しくはないのだが。というより、先程の馬車は一体なんだったのだ。自分の生きて来た人生の中でも、まだ経験のしたことのない事態だぞ。

「でも、私は今ちゃんとここに居るし、学園に通ってる間は、皆と一緒にいたいと思ってる」

「…………」

「ラン達には迷惑ばっかりかけてるけど……」

 それは非常に申し訳ないのだが。

「もし良ければ、なんだけど……」

 これから先の約束は出来なくとも、今共に居る事は許して貰いたい。ランにとって苦痛になるかもしれないのなら、突き放してもらって構わないのだ。しかし、出来る事なら、これからも友人として一緒に居る事を許して欲しい。

「セリア………」




 ランからの答えは無いまま、セリアはその場を離れる事になった。これ以上この場に留まっていても意味が無い上に、暗い夜に崖の傍は危険だという事になったのだ。その後セリアは、近くの街から別の馬車で学園まで戻る事にした。それにはザウルとルネ、それにイアンも同行する。

 今はとにかく学園に戻らねばならなかった。もう予定ならば学園都市に入っていても可笑しくない時間だ。馬車に襲われたと話しても、現実味が無い上に証拠も無い。無断外泊の言い訳だと思われては適わないからだ。

 ランとカールはオルブライン家に戻り、今回の事を少し調べる積もりだった。ランが呼び寄せた馬車の御者が、車輪に不具合が生じた為遅れた事も気になるし、なによりどうやってセリアの事を知ったかが気がかりだった。

 セリアがザウル達と共に馬に乗って闇に消えて行く姿を目で追うランの後ろ姿に、カールの冷たい声が投げかけられた。

「貴様は何時まで過去に縋り付いている積もりだ」

「なに?」

「手を伸ばす事を恐れるなら、始めから焦がれるな。その方がこちらにとっても好都合だ」

「…………」

 冷ややかな視線でこちらを見据えるカールに、何か言い返してやりたかったが、言葉が見つからなかった。

「しかし、感情があれを望むなら、それなりの覚悟を決めろ」

「それは……」

「揺るがない存在など何処にある。ありもしない幻影を求める暇があるなら、今あれが実在していることを認めたらどうだ」

 その言葉と共に、先程のセリアの表情が思い起こされた。申し訳ない、と言った風に自分を見上げる、いつものオロオロとした表情。あんな事があったにも関わらず、普段と何ら変わりなかった彼女を思い出すと、今まで自分が悩んで来た事が無意味だったのでは、と思えて来た。

 ああ、自分はなんて愚かだったのだろうかと。失う事ばかり考えて、大事な所を見逃していた。彼女は今ここに居るではないかと。消えるのではと自分が恐れている間も、ちゃんとこの時に存在しているではないか。

 自分が幾ら彼女が消える事を恐れようと、そんな事には左右されはしない。護りたければ手を伸ばさねば。

「それは、分かっている積もりだ」

「フン……ならば、これ以上は何も言うまい」

 しっかりと言い切ったランに、カールは興味を無くしたかの様に背を向けた。






 セリア達は街で馬車を借り、急いで学園を目指していた。しかし、明らかに予定を大幅に遅れている。もしかしなくとも、無断外泊と見なされてしまうのでは……

 漸く見えて来た学園の門に、セリアはルネが持っていた懐中時計にサッと目を落とす。時刻は午前四時。実際の時刻は言い渡されていないが、戻っていなければならない時間は過ぎているだろう。しかし、運が良ければギリギリ見逃して貰える可能性もある。せめて校則破りにならないように、あわよくば教師に見つからない様にセリアは祈りながら門を走り抜けた。

「よかった。間に合った」

「……間に合ってなどいません」

 聞こえた声は、よりにもよって一番見逃してくれなさそうな人物のものだった。なぜ彼がここにいるんだ、とか。これは絶対になにかしらのお咎めを食らうだろう、とか。胸に過ったそんな考えや不満が、ものすごく率直に言葉に出てしまい。

「げっ!」

 セリアは思わずそんな声を出していた。

 言われた方は途端にピクリ、と片眉を上げる。なんだその猫を踏みつぶした様な「げっ」という声は。自分は珍獣かなにかか。

「良家の子女がそんな声を出すものではありません」

「うっ…」

 黒縁眼鏡の奥の瞳がギロリと睨んだので、セリアは内心でひぃっ!と悲鳴を上げた。

あくまで冷静に、教師として最も適切な言葉で注意したハンスは、かなり冷ややかな目で縮こまる少女を見下ろしていた。

「ハ、ハンス先生」

「君達は、今夜は外泊ではなかったのですか?」

 セリアに一歩遅れて入ってきた候補生達も、内心で舌打ちした。この場に居た教師が、不運にも規律に人一倍厳しいハンスであったのだ。どうしてこんな時間に校門でまるで待ち構えていた様に登場するのだ、と疑問が過るがそんな事気にしている場合ではない。

「その…ハンス先生。これには、色々と事情がありましてでして……」

「何がどうであれ、十分外泊したと見なされる時間帯ですが」

「いえ、でも……一応外出届は出したのですが」

「外泊の許可は下りていない筈です」

 セリアが必死に並べる言い訳も、瞬時に返されてしまう。

 さて、どうしようか。乗った馬車の御者に襲われたのだと、正直に言おうか。しかし、彼がそれを信用する可能性は、極めて低い。

「ハンス先生。これは我々にも責任が……」

「その事は後ほどゆっくり聞きましょう。しかし、理由がどうあれ、セリア君が無断で朝まで学園を離れていた事に変わりはありません」

「しかし、それには理由が……」

「ならば話して下さい。それで君達にとって事態が好転する事は無いでしょうが」

 候補生達も弁明するが、ハンスは考えを変えようとはしない。取りつく島も無い状態に、セリアを絶望感が包み始めた。

 無断外泊の場合、最悪停学もあり得る。そうでなくともそれなりの処分は下る訳で、どうしても歓迎できる状態ではない。もしもこれが問題になれば、家の恥を晒す事を恐れた親に呼び戻されてしまう可能性も……

 考えただけで頭が痛くなる。しかしそんなセリアに後ろから声が掛けられた。


「あらぁ。どうしたの、セリアちゃん」

 場にそぐわない、なんとも気の抜けた声が響いたと思えば、門の外からクルーセルがヒョコリと顔を覗かせた。

「クルーセル!貴方はこんな時間まで何処へ行っていたのですか!?」

「あらやだ。見つかっちゃった」

「この様な時間に無断で校外を出歩くなど、 教師にあるまじき行為です!!」

「そんな怒らないでよ。ちょっと野暮用よ」

 パチン、とウィンクを飛ばすクルーセルは、まるで反省した様子が無い。その事にハンスは増々怒りを募らせる。普段は冷静沈着なハンスも、クルーセルが相手だとどうしても声を荒げてしまう。

「一体貴方達は、校則を何だと思っているのですか!!」

 ビシッと突き出された指が自分にも向いているのでセリアは大いに戸惑った。

 急なクルーセルの登場にセリアだけでなく、他の候補生も狼狽えてしまう。ハンスは一人で怒りを増長させているし、クルーセルはクスクスと笑い声を上げている。ハンスがセリアの事を報告する積もりなら、これは非常にまずい状況なのではないだろうか。

「それで、どうしたの?」

「あ、その……」

 クルーセルがハンスから視線を外して問いかけたので、セリアは戻るのが予定よりも遅れてしまった事を話した。遅れた理由は、話すのもどうかと思ったので伝えていない。

セリアの話を聞くと、クルーセルはなるほど、と一人納得した。そしてニコリと笑ってハンスを見る。

「まあ良いじゃない。実際に何処かに泊まって来た訳じゃないんだし、ちゃんと帰って来たでしょ。そんなに怒らないでよ」

「ですが、今は既に朝の時間帯です。認める訳にはいきません」

「そんなに固い事ばかり言ってると、老けるわよ」

「そういう事を言っているのではありません。貴方はもう少し規律を守って下さい!!」

 まるでからかうようなクルーセルの口調にハンスの声は怒を増している。そこへ、また新たな声が割り込んできた。

「どうかしたのですか?」

 門の傍から怒鳴り声が聞こえ、明かりを持ったヨークが気になって顔を出したのだ。

「ヨーク。セリア・ベアリット君が無断で外泊した様なので」

「外泊……?」

 ヨークがセリアをまじまじと見ると、オロオロと自分を見上げる茶色がかった瞳。状況から察するに、今戻ったのだろう。時刻は既に夜間外出には遅すぎる時間帯。ハンスの言う様に無断外泊として校則違反にも成り得るが、今回はそういう訳にもいかない。

「それでしたら私からもお願いします。この件は不問にして戴けませんでしょうか?」

「なっ!」

「元々セリアさんからは外泊の申し出があったのです。しかしこちらで手違いがあったらしく、仕方無く夜間のみの外出になってしまったので」

「そ、それは……」

「何か問題があるようでしたら、私が責任を取ります。ですから、どうか今回はお聞き戴けないでしょうか?」

 唯一この場で味方になってくれそうな人物の当ても外れてしまい、完全に孤立したハンスはうっ、と怯んだ。多方面から同じ様な視線を向けられてしまえば、これ以上咎めるのも無理というもの。不満は残るが、この件はお咎め無しにする以外ないだろう。

 ふぅ、と息を吐くと、ハンスは渋々頷いた。

「分かりました。しかし、クルーセル!貴方の行動は教師として見逃せません」

「ええっ!?ちょっ……」

 むしろそちらの方が重要だ。とハンスはクルーセルを引き摺り、その場から足早に離れて行った。


「今回の事は私にも非があります。すみませんでした」

「い、いえいえそんな」

「では、私はこれで。それとセリアさん。明日の授業が辛いようなら、欠席でも構いませんので」

 こんな時間まで外出していたとなれば、その疲労は当然明日の授業にも響いてくるだろう。育ち盛りの学生に、それは酷だと思ったのだ。今回彼女がこうして戻らなければ行けなくなった事には、自分にも少なからず責任がある。

心底申し訳無さそうにヨークはもう一度頭を下げると、再びのんびりと校門から校舎へ向かって歩き出した。

 なんだか知らぬ間に色々と話が進められていたが、取り敢えず無断外泊にはならずに済んだようだ。その事にセリアも候補生達もホッと胸を撫で下ろす。




 誰が誰に対して放った言葉かは分からないが、セリアがホッと胸を撫で下ろしたと同時に、ある人物は確かにこう思った。


 余計な事を……



また、何か不穏な空気が近づいている様に感じます。何故、平穏を望んでいる時に限って、こうも色々と起こるのでしょうか。セリア殿に被害が及ばないか心配です。敢えて首を挟まなければ巻き込まれる事は無いのでしょうが、やはり不安は拭いきれません。


そういえば、あの方がセリア殿にお会いしたいとか。こうして呼ばれるのは久しぶりですね。それは嬉しいのですが、彼はどうお考えなのでしょうか。



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