精華 3
温室内に響く手拍子に合わせて、セリアは懸命に足を動かしていた。
「ほら。右、左」
「くっ!」
歯を食いしばって次の動きに対応しようとするが、どうしても手を握る相手との呼吸が合わない。
「あっ!!」
「っ!」
声を上げた時には既に遅く、パートナーの足に自らのそれを引っ掛け、激しく転倒していた。しかしザウルがそのまま何もしない筈もなく、器用に重心を動かし難を逃れる。一瞬襲われた浮遊感の後に、元の位置に戻っているのにも、もう慣れてしまった。
「ご、ごめんなさい」
「いえ。お気になさらず」
というより、一々気にしていては、身が持たないだろう。
本日何度目かになる転倒に、セリアは重いため息を吐いた。本番を一週間後に控えた今、こうして毎日練習に付き合って貰っているのだが、未だに失敗が耐えない。流石に、男用のステップを踏むということはしなくなったが。
「でも上達したよね。もう合格点は出せてると思うよ」
ルネの意見には大いに賛成である。セリアなりにかなり努力したのだろう。優勝には程遠いが、なんとか最低限は踊れていると思う。ただ、一つの点を除いては。
「しかし、パートナーと息が合わないのは致命的だな」
ここ数日は運良く女生徒方の猛攻から逃れられているランが指摘した。
あれから何度もこうして二人で練習しているが、どうしてもずれが生じてしまうのだ。セリア一人の時は何とか失敗もなく、最後まで押し通せた。それでもまだ不恰好な部分はあるので、テストはぎりぎりだろうが。
しかし、二人で手を取って動こうとする度に、セリアが力みすぎる所為か先ほどの様に転倒を繰り返している。
「その…合わせようとはしてるんだけど」
「…………」
ザウルにとっても、これはあまり嬉しい事ではない。想いを寄せている相手が、自分とは相性が合わない、と言われている様で、少しキツイものがある。
実際、相性が悪いという問題ではないのだが。
逞しい腕に身を委ねた女性と、それを支える男性。この二つが優雅な男女のダンスを生み出す。つまり、お互いが多少は相手に身を任せなければ成り立たない行為なのだ。しかし、いまいちそれが理解出来ないらしいセリアは、一人で踊っている時と何ら変わりない動きをするので、相手との間にずれが生じるのも当然といえる。
練習と回数で何とかしようと試みた候補生達だったが、どうも上手くいかない。彼等にとっても初めての事態なので、どうしようかと考えを巡らせていた。
うーんと、イアン達も思考を回転させるが、上手い方法が思い浮かばない。それに、練習続きでセリアの疲れがたまっているのも気になる。それならば、ここでこうしているのも無意味に思えてきた。
「よしっ!たまには気分転換しに行かないか?」
「へっ!?」
唐突なイアンの申し出に、一瞬理解が遅れた。この状況で、今の現状で、どうしてそうなるのだろうか。
「あんまり気を張ったって仕方ないだろう」
「それもそうですね。セリア殿もお疲れでしょうし」
なんだかもの凄く気を使わせてしまったらしい。その事に気づくと、彼等の申し出を断る訳にも行かず、結局その日は街へ出かける事になった。
学園都市はいつでも人で賑わっている。それなりに大きな都市でもあるし、王都から馬車で一時間と距離も近い為だろう。行きかう人々で賑わった通りは、見ているだけでも十分楽しめる。
普段は用事が無い為、外には滅多に出ないがたまには良いかもしれない。とセリアは思っていた。候補生達にとってこの場は庭も同然で、通行人も彼等を認識しているのか、少し視線が痛いが。それでも、一人で来た時よりも断然楽しいだろう。
セリアにとって、何処へ行くでもなく、ただブラブラと街を歩くのは初めての経験だ。前は気付かなかった物を見つける度に瞳を輝かせる栗毛の地味な後ろ姿を、候補生達は微笑ましく付いて行った。特に目的は無いが、とりあえずは街の広場を目指している。その間も行き交う人の好機と敵意の視線を集めている訳だが。
今彼等は商業区を通っていた。人々の生活の一部とも言える店が立ち並ぶ通りでは、人の出入りが一層激しい。人が増えれば、賑やかになる反面問題も多く発生する。時には窃盗や喧嘩も起こるらしいこの場所だが、そんな雰囲気を見せず、活気で溢れていた。
「楽しそうだな」
「よかったんじゃない。あんまり根を詰めても疲れるだけだし」
イアンが見詰める先では、セリアが店の中を興味深げに覗いている。あちこちの店の窓に、まるで引き寄せられるよう張り付く様は、さながら子供のようだ。
そんな風に楽しい時間を過ごしていた候補生達だが、突然響いた悲鳴に何事かと振り向いた。
「誰か!捕まえて!!」
女性の訴えが響いたかと思えば、何者かの影が人混みから飛び出して来た。そして、見事な具合でセリアに衝突する。
「へぅ!!」
可愛らしさも色気も、女らしさの欠片も無い悲鳴を上げると、セリアは大いに弾き飛ばされ盛大な尻餅をついた。セリアにぶつかった男も、一瞬よろけたがそんな事に構ってはいられない。すぐに体制を立て直しつつ走り去ろうとしたのだが、ぶつかった相手が悪かった。というより、ぶつかった相手と共に居た者が悪かった。
「させるかよ!!」
「っ!!」
セリアの周りにいた候補生が、窃盗犯(女性の悲鳴から推測するに)、尚かつセリアに危害を加えた者を逃がす訳もなく、強行突破しようと突っ込んで来た男をイアンが殴り飛ばし、蹌踉けた所をがザウルが思い切り放り投げた。続いてランが起き上がった男の腕を捻り上げる。途端に男は痛みで小さなうめき声を洩らした。
「盗みを働いた上に、女性に怪我をさせるとは、許されざる行為だ」
「ひっ!お、お許しを!!」
ギリリッと捻る力を強めたランに、男はぞっと青ざめた。セリアを弾き飛ばした男を許す積もりは毛頭なく、本当ならこのまま腕の一本折っても構わなかったのだが、人混みから警官が慌てて駆け付けた事により、仕方なく手を離した。
「こ、これは、フロース学園の…」
駆け付けた現場で窃盗犯を取り押さえたのが、自分達より格段に身分が上である貴族、しかもフロース学園の生徒であると知って、警官は捉えられた男以上に顔を青ざめた。
「ご、ご協力感謝します!!」
妙に緊張した状態で敬礼すると、そのまま男を引き摺って野次馬の中へ消えてしまった。その一連の様子を呆然と眺めていたセリアに、ルネが慌てて駆け寄る。
「セリア。大丈夫?」
「えっと。全然、大丈夫だよ」
急な展開に呆気に取られていたが、ルネの言葉で正気に戻る。しかし、セリアが立ち上がろうとした瞬間、足首に「ぎくっ」とした痛みが走り、気付かれない程度に眉をひそめた。どうやら転んだ時に捻ってしまった様だ。まあ歩けない程ではないし、放って置けば治るだろう。
そのような事があったので、外出はこのくらいにして学園に戻ろう、という事になった。セリアも、今日はもう寮で休んだ方が良いと言われ、今は自室にいる。そんなに大した事ではないのだが、彼等が余りにも心配するので大人しく従う事にした。
しかし、まだ寝るには早い時間の為、もう少し練習はしておこうと一度立ち上がる。図書室から借りた本を頼りに、身体を動かそうとしたのだが、その途端に再び足首に「ビリッ」とした痛みが走った。昼間よりも酷いその痛みに思わずうっ、と声を上げる。恐る恐る靴下を下げて見れば、その箇所は紫色に腫れていた。
「うわぁ」
やってしまった。こんな時に怪我をするなど、あり得ない。踊れない程ではないと思うが、明らかにそれなりの支障が出るだろう。万が一大会に出れなくなってしまえば、自分の成績だけでなくザウルにも迷惑が掛かってしまうし、ここまで付き合ってくれた候補生達にも申し訳ない。
「う、ん………」
暫く考えた後、明日になれば大丈夫だろう。と、根拠も何も無い結論を出して、その日は早めに寝る事にした。
しかし、足の怪我は一晩経っても治る気配は全く無い。それでも、その日の授業は何とか気力で乗り切った。まだ多少痛みは残っているものの、まあなんとかなるだろう。何より、まだ練習が必要なのだ。怪我をしたからといって休んではいられない。
そう思って、痛む足を温室へ向ける。
「セリア、どうかしたのか?顔色が優れないようだが」
覗かせたセリアの顔が多少青ざめている事にいち早く気付いたランがそう尋ねたが、セリアはブンブンと首を振った。ここで足の怪我の事を知られる訳には行かない。心配性の彼等の事だ。きっと練習を中止されてしまう。せめて最低限ザウルと踊れる様になるまで頑張りたい。
必要以上に否定してくるセリアを多少不審に思いながらも、見た所何処にも異常は無いので取り敢えずランも頷いた。
それから少しの間雑談になったのだが、その後は当然の様に特訓が開始される。ザウルの手を取ってセリアは気合いを入れるが、やはりというかすぐにまた足を引っ掛けてしまった。その途端にかなりの痛みが足首に響き、セリアは顔を歪める。
「いっ!!」
「セ、セリア殿!?」
ちょっとシャレにならない程の痛みが走り、セリアはヨロリと椅子に腰掛けた。今も不自然な熱を持った足がジンジンとその異常を知らせてくる。
今までに無い悲痛な声を上げたセリアに、ザウルは驚いた。いつもの様に体制を立て直してセリアを元の位置に立たせたのだが、顔を歪ませて椅子へ向かうセリアの様子は可笑しかった。どうも足を気にしているようだが。
「セリア殿、どうなされました?」
「え、ううん。ごめん、なんでもな…わっ!!」
いきなり自分の前に膝を付いてしゃがみ込んだザウルが何をするかと思えば、何といきなり足を掴んだのだ。突然の痛みに再び表情を歪める。
「…失礼します」
セリアの様子にザウルも眉を潜めると、一言断りをいれて靴を丁寧に、だが素早く脱がせていった。
「えっ!?いや、ちょっ!!」
まずい。明らかにバレている。とセリアの顔が青ざめる間にも靴下まで取り外され、あっという間に素足がザウルの前に露にされた。
「なんだこれ!?」
覗き込んだイアンとランが見たのは、紫色に腫れ上がった足首。ジロリとセリアを睨めば途端に逸らされる目線。一体何時からこんな状態になっていたのだ。しかも、そんな事微塵も見せず、何の相談もせずに練習などしようとしたいたのか。呆れて何も言う気が起きない。
「あの、そんな見た目程酷くはないし、別に大丈……っ!!」
言葉の終わりを待つ事なく、浮遊感に襲われたセリアは一瞬でザウルに抱き上げられていた。いわゆる、お姫様抱っこである。
「彼女を医務室まで連れて行きます」
「ああ、頼む」
脇目も振らず歩き出すザウルに、セリアは焦った。そんな急に、しかもこの体制のまま行こうというのか。
「ちょっ!ザウル、降ろして!!」
「お断りします」
きっぱりと言われてしまってセリアはうっ、と押し黙った。しかし、この体制と、行き交う生徒(主に女性)が飛ばしてくる敵意の視線に落ち着かないのも事実であって、出来れば是非とも降ろして貰いたい。そんな事をセリアが内心で願っても、ザウルは歩調を緩める事無く、驚愕の表情を向ける生徒達のど真ん中を真っ直ぐに進んで行った。
セリアを抱えたまま医務室に飛び込んだザウルを迎えた養護教諭は、一瞬驚いた表情を見せたが丁寧に対応してくれた。数分絶った今、セリアの足首は包帯でグルグル巻きにされている。
「でも貴方も女性なのだから、もっと自分の身体を大事にして下さいね」
肩を打撲してこの医務室に来たのも、そんなに昔の事ではない。それに、階段から落ちたといってこの場に現れたのもつい最近だ。いずれも同じ少年に付き添われて来ていた。こうも何度も医務室に赴き、しかもそのいずれもが比較的大きな怪我を持ってくる女生徒は珍しい。
「では、三日間は安静にしていて下さいね」
「みっ、三日!?」
そんな、ダンス大会まで一週間を切っているのだ。しかも、まだろくに踊れていない。貴重な練習時間を三日も潰さなければならないのは、正直厳しいものがある。
「セリア殿」
「ひっ!!」
聞いた事の無い、低い声で言われて、物思いに耽っていたセリアはビクリと反応した。声のした方向を見れば、明らかに不機嫌顔のザウル。それを見てセリアは更に縮こまった。
何があっても殆ど物怖じせず、いつでも穏やかな雰囲気を纏うあのザウルが、これほどまでに苛つきを露にしているのだ。やはり、こんな時に怪我を負ってしまったのは拙かっただろう。自分だけでなく、ザウルにまで迷惑が掛かってしまうのだから。
「ご、ごめんなさい。その、大丈夫だから。練習はするから」
「いいえ。練習は禁止します」
「え、えええ!」
練習を中止ではなく「禁止」と言ったザウルはそのまま屈んで、椅子に座ったセリアに目線を合わせた。
「貴方は怪我を治して下さい。最悪の場合は、大会も諦めましょう」
「ええ!そんな気にしなくても、平気よ。少しくらい動いても、全然」
「いけません」
「でも、…」
必死で説得しようとするが、ザウルは首を縦には振らない。しかし、セリアにしてみたらそれはとんでもない事だ。幾ら何でも、それは心苦しすぎる。それでは、ザウルまで成績に支障が出てしまうではないか。自分と違って彼はマリオス候補生だ。責任が大きい分、不相応な行いを見せればその地位から落とされる可能性だってある。
「それじゃあザウルが…」
「自分の事はお気になさらないで下さい」
「でも……じゃあザウルは別の人と…」
言った途端、ザウルの表情が苛立ちに染まっていくので、セリアは口を閉ざした。
「自分はセリア殿以外の方をお誘いする積もりはありませんよ」
「だって、それじゃあ……」
「セリア殿」
ザウルの強い口調にセリアも背筋が伸びてしまう。
「貴方はもっとご自分の事を労って下さい」
「…………」
「またそうして無茶をなさるおつもりですか」
「え、いや、その……」
「何故、今日も何も仰って下さらなかったのですか」
「えっと……」
何故いきなりこんな会話になっているのか理解出来ず、セリアも口籠る。つい先刻まで大会の事を話していたのではなかったのか。
「自分は、そんなに頼りないでしょうか」
「そ、そんな事ない!!」
いやいや、何を言い出すのだいきなり。そんな頼りにならないなんて、どうしてそうなるのだ。全くそんな事は思っていないし、むしろいつも頼りまくっているではないか。段々話しが可笑しな方向へ傾いているのを、どう修正しようかと悩むが、どうすれば良いのか分からない。
「では何故、何もご自分から話しては下さらないのですか」
いつもいつもセリア自身から頼まれたり、弱音を聞いたが無い。どんな時でも、自分達が気付くか、他の誰かが言うかだ。目が離せない程危なっかしいくせに、なんの相談もしてこない。それが、どれほど自分を苛立たせているのか、この少女は何故理解しないのだろうか。
「その……」
「とにかく、練習は禁止です。最低でも三日は安静にしていただきます」
言いよどむセリアに、ザウルは言付ける形で会話を中断させた。元々答えなど望んでいない。それでも、自分達を少しは頼れと、遠回しにでも言わなければ気が済まなかった。その意図は、少しでも伝わったのだろうか。
内心で焦りまくり、ザウルの心など欠片も理解していないセリアは、考え込みながら難しい顔をしていた。
先程の問いはどういう意味だろうか。自分にしてみれば、彼等には出会ってから今まで迷惑を掛けっぱなしなのである。だから、必要以上に心配を掛けたくないと思っていたのだが、それも迷惑だったのだろうか。なんだか理由は分からないが、非常に申し訳ない気持ちになり、居心地が悪くなりセリアは俯いた。
しかしそれも一瞬で、再びあの浮遊感に襲われる。
「わっ!!」
「とにかく、今日はお休み下さい」
「えっ!?あの……」
再びセリアを抱きかかえると、ザウルは医務室の扉を出た。今度は何処へ連れて行かれるのか、と焦ったセリアは必死に降りようともがいてみるが、ザウルに取ってそんな抵抗意味を成さない。暴れるだけ無駄なのだが、混乱したセリアにそれが分かる筈もなく、無駄な足掻きを続けていた。
「ザウル、降ろして」
「いいえ。足を怪我されているのですから、このまま寮まで送ります」
「い、いえいえいえいえ。そんなことなさらずでも、よろしいともうしましょうか」
この体制のまま、多くの女生徒の中へ突っ込んで行こうというのか。本当に勘弁してくれ。とセリアが内心悲鳴を上げても、ザウルがセリアを降ろす事なく、寮への道を確実に進んで行く。
まずい。このままでは、もしかしなくとも相当の嫉妬を買ってしまう。
いくらセリアが鈍くとも、ザウルと自分の体制が多くの女性が永遠に憧れる姿勢である事は分かる。自分に取っては出来れば遠慮したい状態であるが。とにかく、そんな姿を見れば、今度こそ確実に殺されるかもしれない。と、冗談ではなく、本気で思ってしまう。
というより、自分は歩けるのだから運んでもらう必要は無いのだ。と言っても、ザウルが降ろす気配は無い。そんな問答を続けている内も、女子寮は近づいて来ている訳で、女生徒の目も増えて来ている。なんだか遠くで怒りの奇声が聞こえるのは気のせいであると信じたい。
「自分はここまでしかお送り出来ませんが」
そう言ってやっと降ろされたのは、女子寮の目の前。針の筵に放り込まれる気分だが、わざわざここまで運んでくれたザウルにそんな事言える筈もない。入り口の所まで連れて来られたセリアは、漸く解放された事にホッと安堵する。
「部屋では絶対に安静にしていて下さい。よろしいですね」
「でも……」
なんだか子供に言い聞かせる母親みたいだな。と若干ずれた思考でセリアがザウルを見上げると、その表情が真剣そのものだったので再び俯いた。
その後も、ひどく心配するザウルが、繰り返し無理をするなとか、足を出来るだけ動かすな、とか言い聞かせていたが、セリアの中では怪我の事より、禁止されてしまった練習の事の方が頭を多く占めていた。
安静にしていて下さいとは言いましたが、今までの行動から察するに、彼女がそれを守る事はあまり期待できないでしょう。どうしていつも一人でどうにかしようとされるのか。
どうも自分達が迷惑がっていると思っている様ですが、まだ理解して戴けてないようです。彼女の為なら、自分はどんな事でもしたいと、望んでいることを。
その想いが、この花と一緒に届けばよいのですが。