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大地の宝石  作者: 森宮 スミレ
〜第一章 埋もれた小石〜
19/171

隔意 1

 華やかなドレスに豪華なアクセサリー。自らを飾り立てるそれらを纏って、貴婦人達は香水の香りをまき散らしながら、しとやかに笑う。流れる円舞曲の音色に酔いしれ、目当ての男性を見つけては熱い視線を向けるのが常。今日のこのパーティーの場では、その視線の殆どが静かに佇む一人に集中していた。

 会場内では貴族達が、我こそが一番だとばかりにめかし込み、自分の自慢話に花を咲かせる。高い天井から吊るされたシャンデリアが放つ光に反射されるのは、人々が身につけた貴金属。それが、クルダス国内の貴族の中でも五本の指に入る中心的存在、ローゼンタール公爵家のパーティーともなれば、皆が一層派手に着飾る訳で、笑い声も話し声も他の倍は大きく響いている。パーティーに招待されただけで十分誇りに思って良いのだから。

 そんな中で、カールは普段の冷淡な瞳を意識的に抑えようとして、失敗していた。パーティーの前に、自分の母親が言っていた言葉を思い出す。

『もう少し優しい顔をして頂戴。今日は大切なお客様がいらっしゃるのだから』

 その要望に答えようと何度か試みているが、無駄に濃厚な香水の香りを嗅ぐ度に、どうしても穏やかな心情にはなれない。早々に退散したいが、そういう訳にもいかないので仕方なくこの場に留まっている。

 少し離れた場所で、他の有力貴族との話が終わったのだろう、父が目配せをして自分を呼んだのでそれに従う。

 カールが足を向けた先では、カールに似た冷たさをヴァイオレットの瞳に宿した男が立っていた。しかし、その表情には穏やかな笑みが浮かんでいる事から、カールと違いそれなりの愛想を備えている様だ。彼こそがローゼンタール公爵家当主であり、カールの実の父である。

「カールハインツ。フロース学園での生活はどうだ?」

「なんでも、マリオス候補生に選ばれたそうではないですか。いや、優秀な跡取りがいらしてローゼンタール家も安泰ですな」

 カールが父の問いに答える暇も与えず、先程まで公爵と会話していた男性が上辺だけの言葉を並べた。手に握られているワイングラスを煽っている様が、どうにも癇に障る。その後も、意味の無い言葉を並べる輩が数名居たが、そんな話を聞きに来た訳ではない。

「父上」

 カールが呼ぶと、公爵も察した様にその輪から一歩離れる。公爵が去った後も、他の貴族を褒めたたえる声が聞こえたが、無視である。この世界では、決して珍しい事ではない。

「今日はお前に紹介したい方がいるのだ。こちらへ」

 そう言った公爵が顔を向けた先には、ブロンドの髪をサラリと伸ばし、上品な笑みをこちらに向ける少女が立っていた。カールが目を向けると、彼女は頭を軽く下げて、見事な一礼をして見せる。

「パンデラス公爵家令嬢、リディアーヌだ」

「…………」

 自分の父の意図を理解すると同時に、カールの瞳が一瞬冷たさを増した様な気がした。







「アシリアには、なんて言ったんだ?」

 答えなど分かり切っている質問を今更ながらイアンがランに訪ねた。ただ、それは最終確認の様な物で、嫌味の積もりはない。

「……気持ちには、答えられないと」

「そうか。でも、なんでだ。いつものお前ならもう少し気の利いた事くらい言えただろう」

 涙を滲ませ、目を腫らして出て来たアシリアを見た時、イアンは多少の違和感を覚えた。女性からの好意など、星の数程向けられてきた彼が、相手を泣かせるような断り方しか出来ない筈はない。以前にも、自分との事より、相手にもっと相応しい男がいる筈だとか言って、夢を持たせたまま告白を躱した事もあった。それは、ラン自身、相手が望む物を与えられないと分かっている故の言葉だ。今回も、アシリアには似た様な対応を取るだろうと予想していたのだが。

 ランは俯いたままイアンの問いに答えられないでいた。

 イアンの言う通り、普段なら気持ちを撥ね除けるだけの事はしない。しかし、今回アシリアに対しては、その様な言葉が思いつかなかった。何故かは分からない。アシリアが嫌いだからとか憎いからとかそんな理由ではない。例え誰であろうと、平等に、誠実に接してきたランなのだから。

「お前、この間セリアとアシリアじゃあ気持ちが違うって言ってたよな。ありゃ、どう違うんだ」

「…………アシリアが上着を直してくれた時、セリアはこういった事はしないだろうなと思ったんだ」

 自分でも何故そう思ったかは分からない。ただ、まるでセリアに直してもらいたいと言っている様な気がして、自分でも驚いたのだ。今まで、女性から何かを求めた事など無かったのに。

 イアンはランの言葉を聞くと、そうか、と言葉を吐いた。

 これで確認は終わった。それまでのランなら、アシリアが何をしようと丁寧に対応しただろう。しかし、そうしなかったのは、あの少女が関わっていたからに違いない。どうもセリアの事になると、自分の思い通りに行かない事が多いらしい。ランまで加わるとは、

「………厄介だな」

「どういう意味だ?」

 イアンの言葉の意味を理解しきれなかったランは、訝しげな顔で聞き返した。自分にとっては未知な感情を、まるで分かり切っているとでもいいそうな様を少し不審に思う。

「お前、セリアがアシリアの背中押したの見た時、不機嫌だったろ」

「いや、そうかもしれないが……」

 どうも納得出来ない様子のランに、イアンもどう切り出そうかと迷う。明らかにセリアを意識しているのに、それがどういうことなのかを全く理解していないのだ。

だが、何時までも煮え切らない会話を繰り返すのも面倒である。結論を出したイアンは強行手段に出る事にした。

「俺は、アイツが好きだ」

 静かな談話室に、その言葉が響いた。何故自分はこの告白を何度も他人にしなければならないのだ。本来ならセリア自身に伝えたい言葉なのに。

 イアンが内心で涙を流しながらも言い終えた瞬間、ランが息を呑むのがこちらにまで聞こえた。

「お前はどうなんだ?」

「私は………」

 全くの予想外な展開に困惑したランはその決定的な問いになんと答えて良いか分からない。イアンとは数々の場面を共にしてきたが、こんな状況は初めてだ。いきなりの質問は全く脈絡の無いように思えるが、だからといって容易に答えるのが躊躇われた。

「私は……………」

 言い淀むランにイアンは苦笑する。彼自身も分かっていないのだろう。無理もない。

 相手が年頃の娘らしい普通の娘だったなら、素直に恋でも何でも語れただろう。だが、相手はあのセリアだ。芽生えた感情が、興味や仲間意識なのか、異性として見ているのか、将又はたまた心配で目が離せないだけなのか、どうにも判断を付け難い相手である。

イアンは確認する積もりで聞いたが、ランが比較として出したのはアシリアだった。それは、セリアを異性として見ている事に他ならない。友人や仲間として特別ならば、比較するのは他の生徒でも良かった筈だ。何なら、自分達の名を出しても良かったのだ。しかし、実際に出たのは非の打ち所の無い令嬢。意識しなければ比べようなどとは思いもしなかっただろうに。

「言いたいのはそれだけだ」

 これ以上追求した所で、今のランは何も言えないだろう。そう判断したイアンは、自分の思考に集中し始めたランを残し、静かに談話室を出た。







 学園での窃盗事件は、犯人が結局見つからないまま未だ保留となっていた。しかし、噂とは何処からでも立つものである。いつの間にか、リンドロース家の令嬢とマリオス候補生の誰かとの間で愛憎劇があり、それが窃盗事件と関係している、という話は学園中の生徒の知る所となった。候補生も、勿論セリアも噂の発信源は分からない。しかし、所詮は噂。教師達も、物的証拠が何も無い以上、強く追求は出来なかった。

 だが、この噂も長くは続かない。というのも、生徒達は、より刺激的な報を得たからである。





「こ、婚約!?」

「お前が!?」

 いつもの温室では、和やかな空気など何処かへ吹っ飛び、驚きに目を見開いたセリア達が一人に視線を集中させていた。

「もしかして、昨日実家へ帰っていたのはそれ?」

 ルネの問いにカールは無言で頷く。未だに驚きを沈めないセリアやイアンに鬱陶しそうな瞳を向けるが、そんな事気にしている暇など彼等には無い。

「ちょっと待って。婚約ってそんな急に」

「相手と引き合わせる為に呼び出されたらしい。近々正式な発表があるだろうな」

 まるで他人事の様に答えるカールに、セリアは増々混乱した顔をする。そんな一生ものの大事な決断を、そんなサラリと何でも無い事の様に言うのもどうかと思う。カールが感情を表に出して何かを語る事の方が珍しいのだが。

「それで、お相手の方は?」

 ザウルもまだ戸惑っている様子だが、いつもの落ち着き払った空気がそれを周りに感づかせない。その点は、流石と言っても良いだろう。少なくとも、今この場ではカールの次に冷静を保っている様に見える。

「……リディアーヌ・パンデラス公爵令嬢だ」






 本来、クルダス王国には国事決定権を持つものが二つある。一つは国王、もう一つは百二十名程の貴族出身者によって形成される王宮議会だ。国王の言葉には必ずと言ってよいほどマリオスの意見も取り入れられているので、彼等にも国事決定権があると言っていい。国政に関する決議は必ず議会の賛成も得なければならず、議会の三分の二以上の反対意見が出れば、たとえ国王であっても強引にそれを押し進める事は出来ない。逆もまた然り。議会で決定された事でも、王の拒否権を用いれば成立しないのである。

 そうして、正式に決定された事項を各方面へ通達し、実際に取り仕切るのはマリオスに任される。

 その議会の中でも重要議席を占めるのが、三名の議会長と、一名の総議会長である。定められた期間、議会で決議が出されない場合、彼等にその決定権が委ねられるので圧倒的な権力を保持しているといっても過言では無い。毎三年ごとに議会内での投票によって選出されるのであるが、パンデラス公爵は次期議会長の呼び声も高い実力者であった。

 そのパンデラス公爵の令嬢が、王国内では確固たる力を誇り、王陛下の信頼も厚いとされている名家、ローゼンタール家の跡取り、しかもあのマリオス候補生にまで選ばれたカールハインツと婚約したと言うのだ。学園内に止まらず、噂話に盛り上がる貴族の婦人達までがその事を話の種にするのは決して不思議ではない。


 パンデラス公爵は王宮議会の一員ではあるが、王宮での力は無い。ローゼンタール公爵は、王宮内でその力を絶大に振るえるが、議会には何の口も出せない。

 もし、この二つの家が縁故関係で結ばれれば、パンデラス公爵はローゼンタール家の後ろ盾を得た事で更にその立場を強固な物にし、ローゼンタール家は現在の影響力の上に議会にまでその手が届く所になる。

 お互いの腹の底が透けて見えるほど、なんともまあ明確な政略結婚である。別に珍しい事では無いのだが、こうもあからさまにされては、逆に戸惑ってしまうというもの。本来結婚とは、お互いを最愛とした者同士が永遠を誓い合う物の筈が……

「でも……私達はまだ学生で、そういうのは早いんじゃ」

「年齢の問題では無く、国政においての時期が重要だ」

 いやいや。そんないかにも政略結婚をします、みたいな言い方。もう少し、相手の女性を労わってお互いが同意しているから、とか彼女に惹かれた、とか気の利いた台詞の一つでも出ないのか。と、そこまで思ったセリアだが、いつもと変わらず冷めた表情をするカールを見て諦めた。彼に『気の利いた台詞』を求めるなど、怖いもの知らずもいいところである。

「相手の女性に敬意を払わず、剰え政略の為に利用するなど。お前に心は無いのか!」

 つい数秒前にセリアが考えるのを放棄したのに、ランはあっさりと怖いもの知らずだと宣言した。セリアにしてみれば、何もそこまで核心を突く様な言い方しなくても良いではないか、と冷や汗物だ。しかし、ランに臆する事なくカールは淡々と答える。

「特別な事では無い。遅かれ早かれ、この場に居る全員に持ち上がる話だ」

 確かにそうだろう。学生だ何だと言っても、ラン達はマリオス候補生になれるだけの身分を持っている。セリアも、主立った貴族に入るだけの権威を持った家に生まれているのだ。それを了承するしないはさておき、政略結婚の話の一つや二つ、持ち上がっても可笑しくは無い者達なのである。それをカールが承諾しただけの事。考えてみれば不自然な事では無い。しかし、それでも他の者達は渋った表情を和らげないでいる。

「でも、その人の事、良く知らないのでしょう?」

 ルネの問いに、カールは意味の無い質問だという目を向けただけで答えず、それ以上追及されるのは面倒だとばかりにその場を立ち上がり、足早に温室を出て行ってしまった。



当の本人が去った後も、温室内では問答が続けられていた。

「やっぱり、まだ早いと思う。まずはお互いを良く知り合って、それなりのお付き合いをして、って順序があるでしょう」

 何もそこまで堅くて古臭い関係をカールに期待している訳ではないのだが。しかし、当たらずとも遠からずなので、一応候補生達は頷いておく。

「あれだろ。心の伴わない夫婦仲は上手くいかないって」

「それ以前に、カールが女性を政略の道具として見ているのが許せない。相手に対して不誠実だ」

 やはりランが拘るのはその一点らしい。普段から女性に対しては人一倍敬意を尽くす彼だからこそ気になるのだろう。それとも、他に何か理由があるのか。

 その後も熱い会話は繰り広げられたが、一向に前進しない。全員が同じ意見であっても、当の本人の意思が決まっている様なのでどうしようもないのである。しかし候補生達が、友人を心配しているのも事実。

「どれだけ政略的に有利な位置に着けるからといって、彼が心からこの結婚を望んでいるとは思えません」

 伊達に長い間友人をやってはいないのだ。カール自身がどんなに心の内を見せなくとも、彼が何時でも己の利益の為だけに動くような人間かどうかは分かる。

 しかし、幾らザウルの意見に賛成したとはいえ、部外者である自分達に出来る事は、見守る事くらいである。その事に落胆を隠せないセリアであった。







 候補生達の心配を他所に、学園内は既にカールの婚約の噂で持ちきりになっていた。

「本当なの?婚約されるって」

「まだ正式な発表はされていない見たいだけどね」

「そんな。ショックだわ」

「悔しいわよね。折角同じ学園に居るのに、私達は殆どお会いする機会すら無いんだもの」

 この時ばかりは、女生徒方もセリアの存在を、それは綺麗さっぱりと忘れ去ってくれた様だ。しかし、カールハインツの婚約に落胆する者は多く、ハンカチを噛んで涙を堪える者が居るほどだ。ランやイアン等、比較的他の候補生に熱を上げている女生徒方にすら、候補生の一人が婚約した、というのは辛いものがあるらしい。


 そんな女生徒達とは変わって、多くの男子生徒はこの報を歓迎していた。その殆どは、自分達を勝手にカールハインツの部下と呼び、彼を称えている生徒なのだが。

「パンデラス公爵といえば、議会でも名のある実力者」

「カールハインツ様の立場が、より強固な物になるに違いない」

「公爵令嬢も、気立てのよい美人だと評判が高いそうだ」

「正に、カールハインツ様に相応しい」

「やはり、我等のカールハインツ様は、人の上に立つお方だ」

 彼等がちょっと危ない一線を今にも越えそうな目で見る先には、涼しげな顔で手元の本を見下ろすカールハインツの姿。まるで何も聞こえていないかの様に読書に専念する指先は、次の頁を静かに捲る。まるで、婚約するのは自分ではありません、といった態度だ。しかし、それの何が好かったのか、男子生徒達はその姿に新たな賞賛を送っている。ここでお得意の睨みでもお見舞いしてやれば静かになるのだろうが、カールは自分の部下を全く相手にしていない様だ。殆ど空気と同一の扱いらしい。










 学園中が今カールの話で盛り上がっており、それは何処でも同じなのだが、ここでは少し他とは雰囲気が違っていた。寮への道をスタスタと歩くランと、その隣を歩くイアンである。

「やはり納得いかない」

 同じことを繰り返すランに、イアンは苦笑しながら頷く以外出来ないでいた。彼がカールのやり方に反対するのは珍しい事ではない。むしろ、賛同する事の方が少ないだろう。それはいつもの事なのだが、今回は普段と理由が違う。それを、イアンは目敏く見抜いていた。

「自分が愛情を抱いた異性とこそ結ばれる事を願うべきであって、カールも……」

「お前、それ自分に言ってないか……?」

 遂に痺れを切らしたイアンが足を止めてランに言い聞かせる様に言葉を発した。その瞬間に、ランも足を止める。瞬間息が止まり、言われた言葉に心臓がドクンと早鐘を打つ。

イアンの三歩前で立ち止まったランが振り向くと、その顔からは明らかな狼狽えの色が見て取れた。

「セリアの事だろ」

「ちが……」

「違わねぇ」

 否定の言葉を出させる前に、イアンがきっぱりと言い切った。

「セリアの事を認めようとしない自分を、カールに置き換えて言ってるだけだ」

「………」

 ぐぅ、と押し黙ってしまったランに、言っては不味かったかとも思ったが、言わないのは我慢ならなかった。ランが己の気持ちを受け入れられない理由が分かるだけに、余計に彼には認めて欲しい。

「お前は怖がってるだけだ。弱い存在を特別に思っちまう事が」

「…………」

 ランに言い寄る娘は多かった。それこそ、数え切れない程。しかしランは、常に一線引いた態度で接して、決して特別を作る事だけはしなかった。それは、自分よりも遥かに弱い、男よりも弱い存在である、女という存在を大切に思う事を無意識の内に恐れていたから。

 女と男の違いにどんな理屈をつけようと、突き詰めてしまえば結論は同じ。女は非力な存在であるということ。あくまでも肉体的に、という意味だが。しかし、自分達にしてみれば、少し力加減を間違えれば簡単に折れてしまいそうな存在である。

 それを、ランは特に意識してきた。だから、女性に対して常に紳士的な態度を貫き通して来たのだ。

「だけど、セリアは違うだろう。そんなに簡単に失っちまう様な存在じゃない」

「……それは」

「あいつは強い。だからこそ、お前も惹かれたんだ」

「…………」

 俯いて何も言わないランに、苛立ちは更に増す。ここまで言ってやっても、まだ抗うか。別に、ランを後押ししてやりたいという訳では無い。もし、彼が抱く感情が少しでも違っていたならさっさと切り捨てている。こちらもセリアに惚れているのだ。わざわざ敵を増やしたくは無い。

 しかし、そうでは無い。ランはセリアを好いている。友人というのは厄介で、長く付き合ってきた分、お互いの感情の揺れにも敏感になってしまう。ザウルもルネも薄々気付いている筈だ。そんな状態で本人が自覚していないのは、こちらとしても非常に居心地が悪い。自分は正々堂々と、精一杯セリアが欲しいのだ。対戦者が対戦している事を自覚していない内から叩くのは趣味では無い。



「お~い」

 緊張で張り詰めた空気を割る様に、なんとも間の抜けた声が対峙している二人の耳に届いた。緊張感の欠片も感じられない声を発したのは、案の定ザウルと共にこちらへ向かって手を振るセリアである。話の中心人物が来た筈なのに、何故こうも肩透かしを食らった気分になるのだ。言い知れない脱力感に、イアンは今頭を掻き毟りたい気持ちで一杯であった。「お二人共、先に食堂へ向かわれたのでは?」

「どうしたの?難しい顔して」

 追いついて来たセリアを、暫くの間ジッとランが見つめるので、その場の空気が複雑な物になる。それにセリア自身は全く気付いていないが。

 やがてランが、女生徒が見れば失神しそうな程穏やかにフッと笑うと、セリアの頭に手を乗せた。

「いや。少し自分の気持ちと向き合う事が出来ただけだ」

「……?」

 何の事か、とセリアはキョトンとした顔を見せたが、ランが余りにも穏やかな顔をして笑うので、まあいいか、と呑気に納得していた。

 ランの言葉に反応したザウルがチラリとイアンを伺うと、目配せと共に静かに頷いたので何があったか一瞬で悟る。そして、二人同時に短く息を吐いた。




納得も賛成も出来ないけど、でもカールが本当に意思を変える気が無いなら、やっぱり祝福するべきなのかな。


今回の婚約、成立するとしたら、それまで何も起こらなければ良いけど。でも、それは難しいんじゃ……。カールなら分かってる筈なのに。この婚約に、どれだけの危険があるか。




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