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大地の宝石  作者: 森宮 スミレ
番外編
170/171

公爵家への招待 3

『カール、セリアさん。折角今夜は月が綺麗だし、まだ休むには時間が早いわ』


 と庭園に追い出された形のセリアは、カールに導かれた東屋の長椅子に座りながら思わずため息を漏らした。


「ふぅ、なんだか圧倒されちゃった」

「……思いついたら行動せずにはいられない人だからな」

「フフフ。でも、凄くありがたいし、嬉しいよ」


 イレーネの勢いには気圧されてしまう部分があるが、それでも歓迎して貰えるのはやはり嬉しい。彼女の行動は全てその優しさや明るさからきているのが分かるから、決して嫌な気分にはならない。むしろ、胸をくすぐられるようだ。


 とはいえ、その思い切った言葉の数々には気まずさを覚えずにはいられないが。庭園へ送り出される時も……


『とてもロマンチックな月夜ですもの。きっと素敵なキスをして貰えるわ」


 イレーネはこっそりセリアだけに耳打ちした積もりだったのかもしれないが、あの距離ではカールにも聞こえていただろう。その後にセリアの襲われた羞恥心は、きっとイレーネには理解して貰えない。


「その、もっとそういうこと喋った方がいいのかな?」

「なに?」

「だから、あの、イレーネ様が望まれるような……」


 キスの件は置いておくとしても、またイレーネにカールとの時間の過ごし方を聞かれた時に答えに困るのは避けたい。彼女のがっかりした顔も、出来れば見たくないものだ。

 だから、少しでもそういったイレーネ曰く、ロマンチックな会話の事実を作っておいても損は無いのでは。と思っての言葉だったのだが。


 すると、それまでセリアの座る長椅子の前で腕を組んでいたカールが徐に振り向いた。


「ほぉ。ならばお前は、母に言われたから私と過ごしている、と?」

「えっ!?ち、違う!!」


 冷たい一瞥と共に向けられた言葉に、セリアは思わず声を上げる。とんでもない誤解だ、と顔を青くして立ち上がりながら、数歩分開いているカールとの距離を一歩詰めた。


「そんな積もりで言ったんじゃない!カールと一緒に居るのは私が、私自身が望んでいるからで」


 自分の言葉を誤ったか、と後悔が湧き上がる。が、必死の弁明にもカールの瞳は冷たいままで、セリアは血の気が引く思いでフラフラと覚束ない足取りのまま更に数歩、手を伸ばせばカールに届く距離まで近付いた。


「だから、ただ、私は、その……そういう、その、恋人らしい会話は私があんまり出来てないから。でも、イレーネ様のお話聞くと、もっとそういう言葉を使った方がいいのかって気がして。ただ……」

「…………」

「でも、だからってカールと一緒に居るのも、イレーネ様の言葉が理由じゃない。私が望んでるから……一緒に時間を過ごすのもそうだし。その、キスだって……私が……」


 混乱で頭が上手く回らない所為か、セリア自身自分で何を言っているのか解らなくなってきた。ただ、カールに誤解させてはならないと、必死に自分が望んでいることだと伝える。が、あまりに素直になりすぎて、要らないことまで口走った様な気がするが。


 けれどそのことに気を回す前に、急に腕を取られて思い切り引かれたセリアはバランスを崩し、それどころではなくなった。


「わっ!」

「……何をそこまで慌てている」

「え?」


 気付けばすぐ頭上からカールの視線が降り注ぎ、腰に回った腕に引き寄せられた状態だった。


「だって、だからカールと……」

「お前は好きにしていろ」

「え、えっ?」

「私も好きにする。それで不満があるのか?」

「……ううん。それがいい」


 どうやら誤解を与えた訳では無かったらしい、とカールの言葉に思わず力が抜けた。

 ホッと安堵したように頬を緩めたセリアに、カールも僅かに表情を崩す。カールにとってもオロオロと慣れぬことをしようと目を泳がせて怯える姿より、貴重な資料や議論に嬉しそうに頬を紅潮させる姿を見ている方が……


「好きにしているお前を見ているのは、悪くない」

「っ!?」


 耳元でそんな風に恥ずかしいことを言われ、そこで漸く抱きしめられている状況を思い出しセリアは咄嗟に赤面した。それまでカールの傍は心地よかった筈が、途端に心臓が暴れ始め胸が痛くなる。

 頬が赤くなっているのが自覚できるほど身体が熱い。そんな顔をカールに見られることが恥ずかしくて、思わず抱き留めてくれているカールの胸板に顔を埋めた。


 ひとたび目の前の男への恋心を思い出せば途端にこうなってしまうのだから。やはりイレーネの望むような甘い会話なんて無理だ。


 とセリアは思っていたのだが、クッと顎に指を掛けられ視線を上げさせられる。すると当然カールの紫の瞳と向き合わされた。


「しかし……」

「えっ?」

「お前が望むというのなら、叶えてやらねばな」

「あ、え、あの……ンッ」


 望むという言葉に、そういえば恥ずかしいことを口にしてしまったのは自分だったと思い出す。が、抗議する暇などなく、唇を重ねられていて言葉を飲み込まざるを得なくなかった。


「ンンッ、ふぅ」


 重ねられた唇は当然すぐに離れる筈もなく、足りなくなる酸素に胸が苦しくなっても続けられた。時折与えられる隙間で息継ぎをするような浅い呼吸を繰り返すが、それでは足りずに苦しさから抜け出せない。けれど、それでもセリアは、今だけは離れたいとは思わなかった。むしろこのままが良い、と息苦しさにぼんやりしてくる思考を支えるようにカールの肩に縋り付く。


 それ以上まともに考えることも出来ず、セリアの体からフッと力が抜けると、その途端に開いた唇の間から差し入れられた舌に思わず喉の奥から声が漏れた。


「ん、うむぅぅ……」


 押し入ってきた舌にスルリと自分のものを絡まされ、訳の解らない感覚が背筋をゾクゾクと駆け上がる。セリアは衝撃に引き戻された思考で少しでも逃れようと一歩下がるが、その分カールが踏み出してきて意味を成さない。

 更に一歩、もう二歩と下がるが、その度に同じだけ歩み寄ってくるカールに、元の長椅子まで追い詰められていた。ここまで来ても解放されない束縛に、セリアの胸が締め付けられるような焦りを覚える。その間にも、差し入れられたカールの舌がセリアとの口付けを深いものにしていた。

 

 長椅子の示す行き止まりの気配に思わずギクリと肩が跳ねるが、交わらされる舌に弄ばれ意識がまともに定まらない。


 そのままセリアの考えがぼんやりと朧げになっている間に、フワリと腰に回された腕に抱き上げられ長椅子の上に降ろされる。が、それだけでは終わらず上から掛けられた体重に、セリアはそのまま姿勢を崩し気づけば押し倒されていた。


「っ!?」


 硬い石の長椅子に背中を預けた所で漸く口付けからは解放されたが、理解の追いつかない体勢に息を飲む。

 セリアが見上げる先には、自分を見下ろしてくるカールの視線。サラサラと零れ落ちてくる銀髪に、拘束をされている訳でもないのに動けなくなった。髪の隙間から月の光が優しく透けて、綺麗だなと目を奪われる。

 が、ふいにカールが伸ばした指先が、自分の髪を一房撫でたことで、意識がハッと引き戻された。


「女神の色だな」

「……え?」


 相手の髪を賞賛していたのは自分の筈なのだが、カールにそんな風に言われてセリアは何の事だと僅かに首を傾げた。


「女神が初代国王の側室、リンダ様の説?でも、女神のモデルの有力説は国王の御母堂エニシダ妃か、元々独立前のこの土地の民族宗教の神の一人で、どちらも金髪だよ。クラウディア王女は黒髪だし」


 クルダス建国の逸話の重要な登場人物の一人、女神フィシタル。そのモデルだとされている人物は複数あり、未だはっきり誰かという確証は無い。初代国王の母や元々この地に根付いていた宗教の神だという説の他に、初代国王の正妃や側室、そして娘であるクラウディア王女等、様々な説が唱えられている。


 その中で、カールの言ったようにセリアと同じ髪色を持つのは、国王の側室であった女性だけだ。けれど彼女が後宮に輿入れした時期は遅く、建国に関わる女神伝説とは合わない。彼女を女神の様だと国王が自ら詠った詩と、数枚の女神を模した彼女の肖像画が残っているからこそある説である。

 セリアの言った通り、有力説として最も挙げられる人物は、栗色の髪を持たない。


 カールも、推奨するならもっと有力な説を選ぶのでは、とセリアは思ったのだが。


「“ユスタフ・グヌー”」

「……あっ」


 そこで漸く、カールの言う女神の色の意味に思い至った。

 ユスタフとは著名な詩人の一人である。彼の詩の多くはそれ以前の時代の物とは違い、女神を自分の妻や恋人に置き換え彼女達に愛を唱えている。ユスタフの登場で多くの詩人や作家の間で、女神やマリオスを自分自身や恋人に置き換える手法が多用されるようになった。

 それは、伝承や著作物を史実から遠ざけ検証を難しくすることになったが、同時に物語性や一般性が出たことで多くの庶民に親しまれることになり、結果的に女神信仰やマリオスや国王の英雄性を人々に広めることに貢献した。


 そのユスタフの名を出したということはつまり、セリアを女神の様に愛しい女性だと、カールが思っていると受け取って良いのだろうか。


「……『甘い思いに浸るなら、その髪を思うであろう。苦痛を覚えるなら、去りゆく背中を眺めるであろう。この国を潤す女神の姿は、この胸を支配する楔となるだろう。朝日がこの大地をくすぐる様に、我の瞳をその微笑が撫でる時を今日も待つ』」

「あ、えっと……ユスタフの詩文“我と女神”第5節」


 降ってくる甘やかな言葉に、セリアはうっと赤面する。

 女神をまるで自分の恋人の様に詠う彼の詩は、ユスタフが女神と呼ぶ女性が近しい人間をモデルにしていることを示唆するものだ。そしてその内容はとても甘く、今の時代も歴史を学ぶ者達に彼の抱く慈しみを感じさせる。


 熱くなる頬に羞恥を覚えながらセリアが見上げた先のカールの視線が、詩の先を促してきてセリアは必死に思考を回す。

 確か、5節の続きは……


「えっ、あの……『けれど、微笑よりも何よりも、この胸に喜びも苦しみも全てを与えるのは、そのく、唇であり』んむッ!」


 途端に開いていた筈のカールとの距離がなくなり、覆いかぶさられながら唇を塞がれた。


「ンッ、うぅ…あっ」

「どうした。続けろ」

「そんな、だって……ふぅっ」


 唇を合わせるだけで、細かく食むような動きのそれは、先ほどの深い口付けよりも言葉を挟む余裕はあるだろう。けれどだからといってそれは、カールの言う通りに出来るほどではない。それでも、セリアは必死に詩の続きを思い出した。


「あむぅ、ンッ…『過ぎた口付けの余韻に胸を痛め、ふあッ!…次なる口付けを待つ、幸福に埋もれる』んんぁ……もっ、もう無理!」


 もう勘弁してくれ、とセリアはゾクゾクと背筋を這い上がる奇妙な感覚から逃れたい一心でカールの胸板を押した。そこで見たカールの表情は若干眉が寄っていたがそんなことに構っている余裕など無く、生まれた僅かな隙間に安堵し思い切りセリアは顔を逸らす。


「フン、お前の望んだことだろう」

「も、もういい。今は、もう十分だからぁ」


 自分でも情けない声だとは思うが、羞恥で顔が燃えそうな今の状況ではそれを省みる暇はない。むしろ顔が燃えていないのが不思議な程の熱だ。

 カールの言葉通り、口付けも甘い言葉も、先ほど自分の望みだと言ってしまったものである。しかし、一度に受け止めるには十分過ぎだ。これ以上は、あの奇妙な感覚のまま気が触れてしまうかもしれない。


 顔を赤くしたままフルフルと首を振るセリアに、カールはまた呆れたように短く息を吐くと、ゆっくりとセリアの上から退いた。離れた体の間を夜風がすり抜けていくが、今のセリアには発火しそうな熱を冷ましてくれるようで心地よい。

 これで自分の動きを阻むものは何も無いと起き上がろうとしたのだが。途端に襲い来る非常事態に、セリアはどうすれば良いのだと顔を青くした。


「……あの、カール」

「今度はなんだ」

「こ、腰が、抜けちゃって。動けない」


 まるでこの世の終わりかのような絶望の色を浮かべた表情でカールを見上げたセリア。今の今まで甘い言葉と口付けを交わしていたなどと、信じられない状況だ。


 途端にカールが眉を思い切り歪めて鋭く睨んできた。ヒィッ、と内心で悲鳴を上げるセリアだが、他にどうしようもない。足はこの通りガクガクと震えて力が入らず、逃げることも出来ないのだから。

 その冷たい視線に射殺されるのでは、と怯えるセリアが肩を竦めて身構えていたのだが、横から降ってきたのは嫌味ではなく深いため息。

 次の瞬間にはフワリと抱き上げられていた。


「わっ!」

「部屋まで送る」

「あ、ありがとう」


 途端に襲った浮遊感に咄嗟に側にあるカールの首に縋ってしまう。当然セリアとしてはここまで面倒を掛けるつもりでは無かったのだが、と気まずさに襲われた。


「…チッ」


 ただでさえ顔を上げられないのに、更に短く舌打ちまでされてしまい、セリアの罪悪感が増す。


「あ、あの、ごめんなさい」

「黙っていろ」

「うっ、はい……」


 冷たく睨まれ身を竦ませるセリアを抱えながら、カールはまた出そうになる舌打ちを押し殺した。同時に、セリアに制止されてしまった所為で、より深い触れ合いを望んでいるのは自分だと自覚させられ苦い思いを嚙み殺す。それが、また柔らかな身体を屋敷まで運ぶ羽目になれば、飲み込んだ筈の舌打ちを堪えきれずに再び漏らした。


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