焦燥 4
候補生達が弁明したことによって、セリアへの強い追求は無かったものの、やはり疑いは拭いきれないようだ。といってもあのマリオス候補生が言うならば、と彼等の言葉に大半は納得していた。それに、今回の事は候補生が自ら解決すると申し出た事で、その勇士が見れると喜ぶ者も居る程だ。
しかし、セリアが窃盗犯ではないと証明出来ていないのも事実。セリアは、立場的に非常に微妙な位置に立たされていた。
そんな状況の下、セリアは言われた通り、出来るだけ周りに気を配りながら生活していた。のだが、変化などは微々たるもので、警戒心がこちらに伝わって来ない。警戒している積もりなのか、時折思い出したように周りをキョロキョロと伺う様は、どちらかといえば迷子の姿に近かった。
そんな、用心しているのかいないのか分からない様な状態が続いて三日。治まりかけていた窃盗事件の騒ぎがぶり返す事態が起きた。また数名の女生徒の私物が紛失したのだ。今回盗まれたのは指輪やブレスレットなど、小さいが高価な物ばかり。前回に比べて数は少ないが、価値は同等になる。
当然、クラスから疑惑の目を向けられたのはセリア。事件を知って即座に自分の鞄や机の中身を確認したが、何も入ってはいない様なので取り敢えず一安心である。
しかし、ぼんやりとしている訳にもいかず、セリアはクラスの視線から隠れる様に急いで教室を出た。
教室から少し離れた所で、一人になれた事に安堵し、ホッと胸を撫で下ろしたセリアの肩を誰かがトンと突いた。
「セリアさん…」
こちらを心配げに見るアシリアに、セリアも困り顔を向ける。生徒達が常に注目していた窃盗事件の噂が広まるのは早く、当然の様にその話はアシリアにも届いていた。
「また大変な事が…」
「そうみたいですね」
まるで他人事の様に話すセリアは、何処か遠くを見詰めている。これから起こる厄介事を考えると、一気に脱力感が襲う。何かが起こっても、また彼等に甘えるのもどうかと思い出来るだけ一人で解決しようと考えた。しかし、候補生達にその事を話した途端、キツく睨まれ却下された。その上、何かあれば必ず報告する事を約束させられてしまい、結局また彼等を頼る羽目になってしまったのだ。勿論、自分一人で解決出来る自信など微塵も無いセリアにとっては有り難いのだが、こんなに彼等に甘えても良いのだろうかと疑問にも思う。
「候補生様方にお知らせした方が良いのでは」
「……はい」
「……………」
温室にセリアが足を踏み入れた途端、聞こえたのは大きなため息。恐る恐る顔を覗かせれば漂ってくる重苦しい空気に一瞬怯んだ。あれだけ注意するように言われていたにも関わらず今回の様な事態になったのは自分にも責任があるので、申し訳ない気持ちで一杯になる。
「取り敢えず、鞄の中身は確かめたんだよな」
「うん。さっき見た時は大丈夫だった」
一番肝心な事は、これ以上セリアの立場が危うくならない事である。再びセリアに疑惑が向けられる様な事態はを避けるため、そこだけはしっかり確認する必要があるのだ。先程教室では、鞄にも机にも何も入ってはいなかった。それを聞いて他の者も幾分安堵した顔を見せる。
「本当に大丈夫ですか?」
そんな中で、不安を抱えた顔のままアシリアが呟いた。
「前回もセリアさんの知らない間に入っていたのですよね。今回も気付いていないだけかも」
そう言われてしまえば不安がぶり返してくる。まさかと思っても、もう一度確認した方が良いだろうか。
そう思ってセリアが立ち上がり鞄に手を伸ばす。が、その手を遮るようにアシリアがセリアの鞄を取った。
「私が確認します」
「えっ!?ちょっ…!」
突然の事にセリアが唖然としている間にも、アシリアはセリアの鞄を開け中に手を突っ込んだ。静止するのも忘れてセリアがその様子を伺っていると、アシリアが即座に驚いた様な顔をする。ゆっくりとアシリアが鞄から手を出しセリアに向かって伸ばした。
伸ばされた手の中に握られていたのは小さな指輪。
「…!?」
慌ててセリアが鞄の中の物をテーブルに広げ確認すると、出て来たのはブレスレットやイヤリング。それを見てセリアの顔からは血の気がサアッと引いていく。
つい先程は確かに無かった筈なのに、何故。そんな疑問が浮かび、呆然とする。これではもう言い逃れ出来ないだろう。二度も自分の鞄から盗品が見つかったのだ。犯人と確定されても可笑しくない。
「セリアさん……」
呆然と自分の鞄とその中身を見つめるセリアにアシリアが向き直った。
「セリアさんではないんですよね」
「も、勿論です!!」
「分かりました」
セリアの答えに納得したような顔を見せたアシリアは、盗品と思われる物を掻き集めてそのまま背を向けた。
「これは、私の鞄に混じっていた事にします」
「ええ!!ちょっ!いけませんよ、そんなの!」
「いいえ。そうさせてください」
セリアの静止も聞かずにアシリアは温室を走り出て行ってしまった。しかし、それをセリアが黙って見送る筈も無く、慌てて後を追う。
温室から離れた場所で何とか追いつき、アシリアの説得を試みた。いくら自分の為とはいえ、それでは今度はアシリアが疑われてしまうではないか。そんなことをアシリアにさせる訳にも行かず、セリアは必死にアシリアを納得させようとした。その甲斐あってか、最初はかなり渋っていたアシリアも遂に根負けした。そして躊躇い勝ちにセリアに持っていた物を渡す。セリアはそれを受け取り、よしっ、と気合を入れた。
今回は数が少ないので返すのは直ぐに終わりそうだ。が、これらの持ち主の説得に時間が掛かるだろうな、と考えると肩に重荷が乗る様な気がする。
セリアとアシリアが去った温室内では、候補生達が頭を抱えていた。あれほど注意しろと言ったし、自分達もそれなりに気を配ってもいた。にも関わらず、この様な事態に陥ってしまったのは、少なからず彼等の自尊心を傷つけた様だ。
とにかく、戦況は頗る悪い。セリアは当然学園側からも疑われるだろう。仮にもプライドが高く、品行方正を望む貴族達が通うフロース学園である。最悪の場合、即刻実家へ送り返されてしまうかもしれない。勿論候補生達も弁明はする積りだが、それも二度目となれば何処まで通用するか。
いよいよ、盗人を生徒と教師の前に突き出す以外方法が無いかもしれない。
候補生達が真剣な顔で考えていると、今までただ状況を見ているだけだったカールが徐に立ち上がった。どうしたのか、と他の者が彼の様子を伺っていると、カールが手を伸ばした先はテーブルの上に乱雑に広げられたセリアの鞄の中身。迷い無くその中にあった一つの物を掴み上げるとカールは無言のままそれを見詰めた。候補生達がカールの手に視線を向けるとそこにあったのは金色に輝く小さな輪。大きさ的に腕輪だろうそれは、幾つかの小さな宝石があしらわれれていて、いかにも高級感が漂っている。
絶対にセリアの私物では無いだろうそれを、カールのいつも以上に冷ややかな目が睨んでいた。
「あいつら、一つ忘れていったのか?」
だとすれば、セリアに届ける必要があるだろう。今の状態では、返す物が一つでも紛失していればそこに漬け込まれかねない。
そんなイアン達の思いとは別に、カールはその腕輪をあろうことか自分の制服のポケットに入れてしまった。
「お、おい。返さないのか」
「その必要は無い。これは元々私の私物だ」
「!?」
驚いた表情を見せる候補生達を尻目にカールは尚も続ける。
「大方の見当は付いていたが、これで確証を得た」
「ちょっと待て……どういうことだ」
「この事は誰にも話すなと、あれには言ってあった」
「……?」
どう考えても言葉が少ない説明に候補生達が分からない、といった表情をすると呆れたような視線を向けたカールが答えた。
「気付かないのか。アシリアという娘はこれが盗品に含まれていないと知っていたのだぞ」
それを聞いた瞬間、候補生達も何かを察したように目を見開いた。
明らかにセリアの物では無い腕輪を、アシリアは手に取らなかった。どちらかというと質素で地味な物で統一されているセリアの持ち物に紛れていたにも関わらず。あれだけ目立つ物を見落としたとは考えにくい。ならば盗品ではないと分かっていて、意図して返す物には含まなかったのだ。
これがセリアならば、カールから預かっている本人なのだから知っていても当然である。しかし、アシリアは違う。セリアが話していなければ知り得ない事実を彼女が知っていたのは何故だ。答えは一つ。どれが盗品かそうではないかを把握していたから。そして、それが分かっているのは盗んだ本人のみ。
「まさか、アシリアが?」
「お前達も感づいていなかったわけではあるまい」
冷たく言われて候補生達も言葉に詰まった。カールの言う通りだったからだ。
確かに、アシリアの動向や言葉には何処か陰が見え隠れしていた。気位の高い令嬢達には珍しく無い事かもしれないが、思うところが全くなかったわけではない。しかし、セリアの友人という事で無意識にもその考えから目を逸らしていたのだ。揉め事になれば、セリアが自分達とアシリアの間で板挟みになっただろうから。
しかし、セリアの為にも、そうするべきではなかったのかもしれない。
「でも、こんな事をする理由が……」
「大方の予想は付いているだろう」
冷たく言われたカールの言葉に候補生達は自然とランに視線を送る。
アシリアは、自分達候補生に対して丁寧な態度を貫いていた。まさに候補生を尊敬しています、と言わんばかりに。そこまでなら他の生徒達と同様だ。しかし、一人だけ、他の候補生とは接し方が違う者が居た。それがランである。瞳に何処か熱を持ってランを見つめるアシリアの様子に、気付かなかった訳では無い。当の本人以外は……
何故自分に視線が集中するのか分からないランは、困惑した表情を見せた。アシリアの一連の行動の動機に思い当たる節が無いランは、他の者が行き着いた答えを聞きたい様子だったが、彼等にそれをわざわざ説明してやる気は無い様だ。
「……セリアにはなんて?」
「ありのままを話せば良い」
「…………」
セリアの私物はまだここにある為、盗品を返し終わればここへ戻ってくるだろう。伝えるのはその時になる。
今は待てば良いのだが、真相を知った時のセリアを思うと、気持ちが重くなった。
全ての物を返し終えたセリアは、背を流れる冷や汗を感じながら、今の現状からどう抜け出そうかと思案していた。
「やはり貴方だったのね」
「もう我慢も限界です」
「学園側に突き出してやりましょう」
案の定、被害にあった盗品の持ち主達に、セリアは盗人と確定付けられていた。先程から 何度も否定はしているのだが、全く聞き入れて貰える様子がない。まぁ、当たり前かもしれないが。
「貴方もなんとか言ったらどうなの!?」
「ですから、私ではありませんと……」
「そんな事聞き飽きたわ!!」
そう言われても、何か言えと言ったのは向こうではないか。このまま水掛け論を繰り返しても何にもならないのだが、だからといって話し合いなどする気の無い彼女達が、このまま引き下がるとは思えない。
どうしたものか、とセリアが内心考えていると、緊迫した空気に似つかわしくない穏やかな声が響いた。
「どうしました?」
その場にいた全員が弾かれたように振り向いた先では、声の主のヨークがニコニコとこちらに向かって近付いて来る。
突然の教師の登場に女生徒達は盗人を突き出すのに好都合だとばかりに詰め寄った。
「ヨーク先生。紛失した私達の私物が、またセリアさんの鞄から見つかったんです」
「その件でしたら、マリオス候補生達から報告がありましたよ。なんでも、じきに解決しそうだとか」
思ってもいなかったヨークの言葉にセリアも目を見開く。ついさっきまで温室に居た彼等が何時そんな報告をしたのだろうか。それに温室で会った時には、そんな話を聞いていない。
そんな疑問を思い浮かべているセリアの周りでは、先程まで彼女を取り囲んでいた生徒達が動揺を見せていた。いくらセリアをこの場で突き出したいといっても、候補生が解決したとなれば自分達が出しゃばる訳にも行かない。そうは思ってもやはり納得出来ない生徒もいるようで、尚も食い下がる。
「ですけど、こちらには証拠が…」
「今はまだ詳しい事は分かりませんが、彼等に任せようと思っています」
笑顔で言われてしまえば、生徒達も口を噤むしか無くなる。分が悪いと判断した彼女達は、挨拶もそこそこにその場を去って行った。足音がその場から消えた頃、取り残されたセリアが恐る恐るヨークに聞く。
「あの…ヨーク先生」
「はい?」
「候補生の方達は、本当に解決出来たと…?」
「はい。自分達で是非解決したいと、先日報告を受けましたよ」
「え?…えええ!!」
大袈裟な程声をあげたセリアを気にせず、ヨークは絶えず笑みを振りまいている。清々しい笑顔を向けられたが、そんな事気にしている暇は無い。予想していた答えから大きく離れた言葉にセリアは混乱した思考を必死に纏めようとしたが、更に混乱してしまう。
確かに、自分達が解決したいと彼等は申し出た。その影響力は凄まじく、流石はマリオス候補生と賞賛の声も上がるほどだ。しかし、先ほどは解決した、と言った。いや。彼等が解決すると言ったなら、それはもう解決したと教師達は取っているのだろうか。所詮は生徒間のいざこざだ。マリオス候補生にかかれば朝飯前、と思われているのかもしれない。
グルグルと回る思考を追いかけるセリアを観察しながら、ヨークは穏やかな声を発した。
「色々とあるとは思いますが、今は頑張って下さい」
それだけ言うと、またヨークはのんびりと廊下を歩き出した。なんだかお年寄りが散歩をしている様な雰囲気は、この場には全く似つかわしく無いが、先程の現状から抜け出せた事にセリアはホッとする。
少し落ち着いてヨークを見送っていると、後ろからまた声を掛けられた。
「セリアさん」
「あっ!アシリアさん」
ここ数日でよく見るようになった心配気な顔を向け、アシリアは立ち尽くしていた。緊張しているのか、スカートを握る手に汗が滲んでいるようにも見える。どことなく普段とは違った空気を纏ったアシリアに、どうしたのか、と訪ねると一呼吸置いてゆっくりと口を開いた。
「あの………今回の事で少しお話ししたいことが……」
「あっ!なら温室に行きましょう。皆も待っているでしょうし」
窃盗事件の事を言っているのだな、と察したセリアの言葉にアシリアは首を横に振った。事件の事で何か分かれば必ず知らせろ、とキツく言われているセリアは首を傾げる。アシリアならば、何か気がついた事があれば真っ先に候補生達に相談するだろうと思っていたからだ。
「出来れば、二人でお話したいんです」
「はあ。でも……」
「私!!」
何かを言いかけたセリアの言葉を遮ってアシリアが続ける。今までに聞いた事のない程大声を発したアシリアにセリアも驚いた。
アシリアは、何度か口を開けたり閉じたりを繰り返しながら懸命に言葉を出そうとしている。それをセリアも黙って見守っていると、漸く決心がついたのか、アシリアが言った。
「この件で、盗んだかもしれない人を知っているです」
「ええ!!」
また再び大袈裟に声をあげて、飛び上がって驚くセリアに、アシリアはまるでとんでもない事を言ってしまったかの様な顔を向けた。
「それじゃあラン達に言わないと…」
「でも!もしかしたら違うかも知れないし。間違っていたら、私とても失礼な事をした事になって。でも、セリアさんが疑われる様な状況をなんとかしたくて」
一気に捲し立てる様にして言ったアシリアの言葉をセリアはゆっくりと理解する。
犯人だと思っていた人物が全くの無実の人間だったとしたら、それはお互い気分の良いものではないだろう。でも、アシリアとしては、一刻も早く事件を解決したい訳で、怪しいと思った者を放っておくのも憚られるのだ。しかし、確証も無いのに大きな影響力を持っている候補生達に告げるのにも戸惑いを覚える。なので、事件の当事者であり、友人でもあるセリアに相談して判断を仰ごうと思ったのだ。
「分かりました。それで、その人というのは?」
「その……ここでは誰が聞いているか分からないので、出来れば二人っきりになれる所へ行きたいのですが」
学園では誰が何処で聞き耳を立てているか分からないものである。アシリアの意見ももっともなので、セリアは思い当たる場所を頭の中に描いていく。
「じゃあ、少し待っていて下さい。鞄を取ってきますから」
「ああ。それでしたら、先ほど候補生様方が寮まで届けて下さると言っていましたよ」
「へっ!……そうですか」
なんとも用意周到のアシリアに、セリアから乾いた笑いが溢れる。まさかそこまで先を考えていたとは。というより、彼等に鞄を届けてほしいだなんて、頼んでも良いのだろうか。ここまでしてくれるのは有り難いのだが、候補生達にもアシリアにもなんだか申し訳無い気持ちになる。
「それじゃあ、行きましょう」
「はい!」
二人きりになれる場所、と聞いてセリアは思い浮かんだある場所へ向かうべく足を動かした。
「……遅い」
温室では真相を伝えるべくセリアを待っていたのだが、何時まで経っても気配すら見せない少女に候補生達は痺れを切らしていた。
「何時まで掛かってるんだ。返す数は少なかったはずだろ」
「もしや、何かまた揉め事に巻き込まれているのでは……」
「だとしたら、さっき様子を見に行ったルネがなんか聞いた筈だ。何も無かったんだろ」
苛立ったイアンが確認する様にルネを見れば、彼も心配した様に頷いた。
「特に問題が起こってる様子は無かったよ。セリアの姿も見なかったけど」
あまりに遅いセリアを心配してルネが一度学園へ探しに行ったのだが、結局見つける事は出来ずに終わった。
セリア達が出て行ってから軽く三時間は経過している。鞄がここに置きっぱなしになっているのだから、そのまま寮へ戻ったとは考え難い。一緒に行ったアシリアも気になったが、直ぐに大きな行動を起こす事はしないだろうと思い安心していたが、その考えは間違いだったのだろうか。
時刻は夕食時に迫り、もう校舎に残っている生徒も殆ど居ない。
「先に寮に戻られたのでは」
この場所は候補生とセリア、最近ではアシリアもだが、以外が使う事は滅多に無く、一晩くらい私物を置いていても平気だろう。そう思ってそのまま鞄を残して寮へ戻ったのかもしれない。
「とにかく、様子だけでも見に行った方が良さそうだ」
ランの言葉に他の者も頷くと、全員がゆっくりと立ち上がった。
すっかり夕食時になり殆どの生徒は食堂に入っている。セリアが居る場所としては一番可能性が高いので、まずはそこを覗く事にした。食堂へ向かう間も、ちらほらと見える生徒の中にセリアの姿が無いかと探したが、とうとう見つからずに食堂まで着いてしまった。
仕方が無いのでそのまま中へ入ろうとした候補生達に突然後ろから声が掛かった。
「失礼します。イアン・オズワルト様」
「あっ!アンタは……」
呼ばれたイアンが振り向けば、何時か見たセリアの隣室の主であるアンナがこちらを見ていた。癖なのだろうか、青い髪を弄りながらこちらをじっと見ているアンナに近寄ればすぐに用件が伝えられた。
「セリア・ベアリットさんですが、まだ寮に戻っていないんです。食堂にも居ませんでしたし。何か面倒な事に巻き込まれているのではありませんよね」
面倒な事も連帯責任も御免だ、とばかりに発せられたアンナの言葉に、イアンはしまったと焦りを見せた。
まさか、こんなに早く行動に出るとは。やはりアシリアと二人きりにするべきではなかったのだ。
「分かった。この事は俺達が何とかする。知らせてくれて助かった」
早口で言うと、イアンは急いで自分を待つ候補生達の下へ駆け出した。
その姿を見てアンナは、はっと短く息を吐く。何とかすると言っていたが、彼女が巻き込まれる面倒事の根源は少なからず彼等にあるのだと、少しでも理解しているのだろうか。
それに、隣人の行動にも疑問が湧く。彼女に対する風当たりは、やはりどう考えても良いものではない。自分には関係の無い事だが。しかし折角、影響力も大きく、実力も備わった候補生達と共にいるのだから、彼等に相談するでも泣きつくでも出来るだろうに。そうすれば、自分まで厄介な事に首を突っ込む必要も減るだろう。しかし、そんな気配は全く無い。恐らく、隣人の中にそういう考えは存在していないのだろうな。
という結論に達したアンナは、もうこの場に用は無い、と自分の部屋へと戻って行った。
「いない!?」
「ああ。寮にも戻ってないらしい」
イアンの言葉に候補生達の間に緊迫した空気が流れた。
「とにかく探そう。学園内にはいるはずだ」
とは言うが、必要以上に広いこの学園を探すのにどれ程時間が掛かるだろうか。しかし、だからといって捨て置く事も出来ない。
すぐさま数名の地を蹴る音が食堂の前に響き、走り去る足音は薄暗い空に溶けていった。
アシリアの気持ちはきっとランには届かない。だって、ランはいつでもそうだったから。
でも、だからこそ今回の事が起きたのかな。だとしたら、巻き込まれたのはセリアなんだよね。だから、早く探さないと。
でも、何を言えば良いんだろう。