公爵家への招待 2
馬車の中での会話が衝撃的ではあったが、それもローゼンタール家に着くまでになんとか持ち直した。そのまま、またカールのエスコートでぎこちなくも公爵家へと向かう。
カールに導かれてセリアが屋敷の扉を潜ると、輝く銀髪が美しい女性が駆け寄ってきた。
「まあセリアさん!いらっしゃい。会えてとても嬉しいわ」
「イレーネ様お久しぶりです。今日はご招待下さってありがとうございます」
「そんな当然よ。貴方とカールの事を聞いて、もう居てもたってもいられなくなってね」
「あ、えっと……はい」
セリアの手を取り強く握るイレーネは、ニコニコと心底楽しげな笑みで出迎えた。その熱烈な歓迎に、セリアも思わず顔が綻ぶ。
イレーネと会うのは久しぶりだが、その温かさと親しみやすさは少しも変わらない。本当に、何故このような女性からカールのような魔人が生まれるのだ、と会うたびに疑問に思ってしまう。
「さあさあ、話したいことは山ほどあるわ。まずはサロンへいらして。美味しいお茶とお菓子も沢山用意してあるのよ」
「ありがとうございます」
イレーネが案内するサロンに、セリアの胸は期待で膨らむ。イレーネが用意してくれる菓子は、毎回とても美味しいものばかりなのだ。華やかで繊細な作りで、どれも甘く爽やかな香りを放ち、見るだけでも楽しくなる品々。
記憶の中にあるそれも素敵だが、導かれた先の扉を開けた先で見た光景は、それ以上に素晴らしかった。
「わぁ!」
目に飛び込んできた景色に、セリアは思わず感嘆の声を上げる。テーブル一杯に所狭しと並べられた菓子の数々。ケーキにクッキーにメレンゲにと、数え切れない種類の芸術品がキラキラと輝いている。この場にルイシスが居れば、きっと大喜びしたに違いない。
サロンを彩っているのは菓子だけでなく、鮮やかに飾られた花々も、来訪者を歓迎してくれていた。陽の光を反射して輝きが眩しいサロンへと、イレーネが満面の笑みで迎える。
「美味しそうでしょう。セリアさんの為に、はりきって用意したのよ。今王都でも有名な職人達に、特別に作らせたの」
「あ、あの……凄く素敵です。ありがとうございます」
「あらあら、これくらい当然よ。カールのお嫁さんになってくれる女性を招待するんですもの」
「いっ、ひえ!?」
その言葉にセリアは頓狂な声を上げて固まるが、ウキウキと楽しそうに紅茶を用意するイレーネは相変わらず笑みを絶やさない。
「さぁセリアさん、お座りになって。カールも」
促されてセリアはそれに従うが、先ほどの台詞が未だに衝撃で、思わず湧いた羞恥に若干顔を俯かせる。
そういえば、イレーネに時期尚早だと説得するように言われていたことを思い出した。歓迎してくれているのは有難いし、イレーネのこの嬉しそうな笑顔を見るとどう言葉にして良いのか分からなくなるが。けれどそこは、自分とカールのマリオスという目標の為にも、理解してもらわなければ。
「あ、あの、イレーネ様」
「もうセリアさん。“イレーネ様”は止めて、私のことは“お義母様”と呼んでくださらない?」
「えっ!?あ、いや、あの、そのことでなんですが」
ニコニコと心底嬉しそうに自分の手を握ってくるイレーネに、セリアもどうしたら良いのだろうと思い切り冷や汗を流す。まず色々と段階を飛び越えているイレーネの提案を、何処から訂正したら良いのか。
そうしてセリアが口籠っていると、首筋にジリリと強い視線を感じた。ギクリと肩を揺らして恐る恐るセリアが振り返れば、やはりというか、非常に厳しい瞳でさっさとしろと急かすカールと目が合った。
これ以上魔王様を待たせては、自分の命が危ういかもしれない、とセリアは意を決した。
「えっと、その……私、まだカールと、その結婚などは、考えられないと申しますか……」
「……えっ?」
途端に目を見開いて固まるイレーネに、セリアは罪悪感に襲われる。あれだけ温かく迎えてくれた人を、がっかりさせたい訳ではないのに。
必要なことだったとはいえ、言わなければよかったのではないか。そう思ったセリアは懸命に弁解した。
「あのですね。その、やっぱりまだ時期が、早いといいましてでして。これからお仕事が忙しくなりますし。そうすると、きちんとカールと会っていられる時間がなくなるといいますですか。そんな状態でいきなり、け、けけ、結婚は、考えられない、といいますか。もうちょっと、その前での時間が欲しいといいますか」
「まあ……そう」
フウ、とため息を吐かれてしまい、セリアの胸が痛む。その表情が何処か憂いを含んだものに見え、罪悪感が更に増した。
しかしどういう訳か、後悔に顔を青くするセリアとは対照的に、それまでがっかりしていた筈のイレーネが晴れやかに微笑んだのだ。
「そうよね。やっぱり、ちゃんと恋人としての時間は必要よね」
「へっ!?」
「私としては、セリアさんとカールの結婚式を早く見たかったのだけれど。でもそうね。若い二人にはきちんと愛を育む時間が大切だものね」
「あ、えと、その……」
そういう意味では無かったのだが。けれど予想に反して、イレーネが時期尚早だということを理解してくれたようなので、余計なことは言わないでおく。それに思ったほどイレーネが気落ちしていないようで、これ以上のことはない。
「それならカール。明日早速、セリアさんを王都へデートにお連れして」
「はっ?」
いきなり矛先を向けられ、しかも内容が理解の及ばないものだったものだから、流石のカールも言葉に詰まる。
「セリアさんも。今夜は滞在して下さるんでしょう?」
「は、はい」
招待状に、是非三日ほど滞在するように書かれていたので、一応その積もりでセリアは来ていた。小さく頷いたセリアに、イレーネはまた満面の笑みを向ける。
「じゃあ二人で愛を育む時間が早速取れるわね。カール。明日セリアさんをお誘いする場所をちゃんと考えておいてね。それと、お茶が終わったらセリアさんをお庭などにご案内して」
「……それは、構いませんが」
カールの返事に満足したらしい。イレーネは側から見ても分かるほど、ウキウキと楽しそうにしている。若い二人の恋を見ているのが、嬉しくて仕方ないと言わんばかりだ。
色々と誤解されているような気がしないでもないが、取り敢えず目的であった時期の話は分かって貰えたようだし、何よりイレーネが楽しげなので、セリアもホッと胸を撫で下ろしてイレーネの勧める菓子に漸く手を伸ばした。
イレーネとの茶が終わると、早々にセリアはカールと二人きりにされてしまった。屋敷の中でも、庭園でも、とにかく二人で散策してこいと送り出されたので、セリアはそれに素直に従う。カールも逆らう気はないようで、取り敢えずどうするかと考えた。
「……図書室でも案内する」
「えっ!いいの!?」
公爵家の図書室と聞いて、セリアも目を輝かせた。以前までのイレーネの招待では、ずっと彼女と過ごすことが殆どだったし、学園の授業があった為に長時間滞在することが出来なかった。なので、ローゼンタール家の図書室は初めてだ。が、その図書の数や質がどれほど素晴らしいものか、想像は難しくない。
カールも、セリアが喜びそうなのは庭園よりも図書室だろうと思っての誘いだった。
先を歩くカールに続き、案内された重厚な作りの扉を潜ると、セリアは思わず感嘆の声を漏らした。
「ああ、すごい!」
びっしりと並んだ棚と、見上げるほどの本の数々。どれも貴重なものだと分かるほど丁寧な表紙に包まれ、重い存在感を放っている。
王都の王立図書館や、フロース学園の図書室とは違うが、一個人が屋敷で所有する中では圧倒的な数だろう。クルダス中の貴族でも、これだけ立派な図書室を持つ家は、きっと何処にも無い。
セリアは思わず興奮気味にキョロキョロと手近の棚を見やれば、途端に目に飛び込んできた題名に飛びついた。
「これ!ロンダルイーズの“クルダス創世記”の修正前の原著版!?」
「ああ」
「だって原著は、ロンダルイーズが個人で出版した僅かな分しか存在しないのに」
「そうだ」
早速見つけた貴重な一品に、セリアは更に目を輝かせる。これは、本の数ではなく、貴重さで比べれば、下手をすれば学園以上かもしれない。
「さ、触っても、いい?」
「触らずに読めるのか?」
「読んでいいの!?」
「…………」
カールの許可を得て、セリアは歴史を感じさせるその本を慎重に手に取った。感動で思わず震えそうになる腕を叱責して、恐る恐るページを捲る。
物語性や女神やマリオス達の英雄性を高める為に修正された版よりも、原著の方が実際の建国の史実に近いと言われている。が、その原著は、百年以上前に作者が執筆した直後の自費で僅かに本にした分しか世に出ていない。
現存しているとなれば、更に少ないとされているのに。これだけ状態が良く残っているのは、きっと大切に修補を繰り返して保存されてきたのだろう。
ロンダルイーズの創世記の原著を研究した論文等は何度も読んだが、本物を手にするなど考えたことが無かった。多くの創世記が書かれているクルダスだが、その中でもこれは非常に貴重な物の一つだと言えるだろう。
「……素敵」
ほぉっとため息を漏らしながら、頬を紅潮させて数ページごとに感嘆の声を漏らすセリア。しかし、横から聞こえた咎めるような声で我に返る。
「おい」
「えっ!?」
「……熱中する積もりなら、せめて何処かに座れ」
「あっ」
そう言われ、立ったままの自分の状態を思い出し、セリアは顔を青ざめる。
「そ、そうだよね。落としたら大変だもん」
「…………」
カールが気にしたのは本ではなくセリアなのだが、本人には微動も伝わっていない。少し気を使ってやればこれか、とカールは湧き上がる呆れのままに息を吐いた。
けれど、一度何かに夢中になりだしたセリアに、何を言おうと無駄なことはカールも分かっている。どうせ聞かれない嫌味より、さっさと図書室の一角にある閲覧机と椅子へと案内してやる方が良いだろう。
が、少しの移動の間にセリアはまた別の宝を見つけたようだ。
「あぁっ!」
「……どうした」
「二十年前に解散した、ブルメル博士の研究室の論文!複製はほとんどされてない筈なのに。私、この人の見解は面白いと思ってて……でも古いものだからあまり出回って無くて」
この論文集も是非とも読みたい。と、思わずそれも手に取る。
が、当然だがそれだけで終わる筈もなく。あれもこれもと興味を駆り立てるものばかりの図書の数々に、目が回りそうな勢いだ。
「好きなように過ごせ。私も調べ物を残している」
「うん!ありがとう」
カールに導かれた閲覧机の上に山と積んだ本に囲まれ、セリアは夢中で読み漁った。カールもセリアの反対側の椅子に腰掛け、長い足を組んで同じように本に目を通す。
その二人が漸く顔を上げたのは、夕食を知らせに公爵家の使用人がカール達を探しにきた夕方だった。
当然だが、その後セリアは夕食の時にイレーネとの会話で苦労することになる。
「セリアさん。カールと図書室に居たみたいだけど、どんなお話をしていたの?」
「へっ!?お、お話ですか……?」
どうしよう。とセリアは途端に頭を悩ませる。ここでずっと本に夢中で会話など殆ど無かったなどという答えは、イレーネの望むものではないということはセリアにも分かる。
が、無かった会話を作り上げることなど出来ず、必死に頭を悩ませた。
「え、えっと、あの……本の事を聞いたり。どういう本があるのか教えて貰ったり」
「図書室は広いものね。私もまだ何処に何があるのか覚えられていないのよ。難しい本も沢山あるし」
「はい。素晴らしい蔵書数で。見た事ないものが多くて」
「フフフ。セリアさんが楽しそうで良かったわ」
和やかな空気で進む会話に、なんとか誤魔化せたようだとセリアもホッと安堵した。
「ごめんなさいね。本当は旦那様にもセリアさんをきちんと紹介したかったのだけれど、どうしても時間が取れないみたいで」
仕事で暫く王宮に滞在するらしい公爵は、この場には同席していない。セリアとしては、むしろ有難い気持ちを否定できないことだったが。
やはり急にローゼンタール公爵に会うには、まだ心の準備が足りていない。
「その代わり、カールとはたっぷり時間を過ごして頂戴ね」
「あ、はい。ありがとうございます」
「明日のデートの様子を聞くのが、今から楽しみだわ」
そう言うイレーネに、セリアは明日こそ、イレーネの望むようなカールとの会話を盛り上げて過ごす必要がありそうだ、と肝に命じることになった。