初仕事の部下と上司
初めてセリアの仕事ぶりを見たジークフリード様の感想になります
マリオス補佐はそれぞれ現職のマリオス一人の下に付けられる。青を纏うジークフリードも、本日より新しく自分に付くことになる補佐官を己の執務室で待っていた。
これまでは大きな権力も責任も無い学生であった彼等が、本物の国政を担う若芽として己を投じるのだ。この国を支える人材となるべく努力を惜しまぬその存在を、先任として導き、研磨する姿を見守ることが出来ることに喜びを覚える。それが、あの忠誠心溢れる彼女達ならば尚更だ。
とはいえ、同時にこみ上げる僅かな頭痛も本音だった。
あの事件はそれほどに痛かったのだ。
急に失った半数近くのマリオスの穴埋め。人手不足の文字は既に、ジークフリード等マリオスのみならず、王宮に仕える者達の頭の片隅に常に居座るようになってしまった。
キースレイの計画が動いていた頃は逆に、同じ人材がマリオスの席を長い時期占めるという“人材”不足が問題であった。それが一気にマリオスの半数を失う事態だ。頭を抱えたくなるのも当然と言える。
長年キースレイの邪魔立ての所為で補佐の地位に釘付けにされていたマリオス補佐達の中から、使える者はすぐにマリオスに取り立てたが。しかしそれでも足りない。
目を覆いたくなるほどの国政の混乱は、事件からあまり時間を開けないうちに意地でも収めた。が、王宮の機能が回復しだした今、減ったマリオスと補佐の数は自分達が処理する仕事の量で補わざるをえない状況だった。
本音を言えば、今は新人をきちんと教育してやれるほどの余力は無いのだ。人手不足なのだから、仕事を手伝える人間が増えるのは大いに歓迎なのだが。
そんなことを考えている間に、控えめに、それは控えめに扉が叩かれた。
「入りたまえ」
「し、失礼します」
開いた扉の向こうから現れたのは、本日より女性初のマリオス補佐として勤めることになっている、セリア・ベアリットだった。
襟の詰まった緑色のシンプルで清楚なワンピースに身を包んだ彼女は、案内の者に何度も礼を言って入室してくる。マリオスの執務室で男物の服にないその鮮やかな色を見るのは、どうにも新鮮だった。
「ほ、本日より補佐としてお、お仕えします。セリア・ベアリットです。よ、宜しくお願い致します。ジークフリード様の補佐に付けるなど、こ、光栄であります!」
「……セリア嬢」
「ひ、みゃい!!」
「…………」
側から見ても氷漬けなのでは、と思うほどにガチガチに身体中を硬くしているセリアに声を掛けてみれば、裏返った声でそんな反応。
どう反応すれば良いのかジークフリードは一瞬悩んだ。多少緊張するのは仕方ないだろう。その若さでマリオス補佐という重大な責務に従事するのだ。しかも女性初という異例の存在として。
重圧も分かるし、身を引き締める為にも多少の緊張は決して悪いものではないのだが。それでも、あまりにも身を硬くするのは良くないだろう。
しかし、どうしたら良いのだろうか。緊張を解すべく、声を和らげるべきなのか。けれど自分なりに柔らかくして掛けた声にも、彼女は肩を跳ねさせた。ならば逆に厳しく咎めた方が彼女はやり易いのだろうか。
ジークフリードは考えたが、結局結論は出ず、一番簡単な聞かなかったふりをすることに決めた。
「私も、君と仕事が出来ることを嬉しく思う」
「あ、ありがとうございます!」
「……早速で悪いが。そちらに君の机を用意してある。まずはそこにある書類の仕訳を頼む。後ろの資料も自由に使ってくれ。その他に不明点などあれば遠慮なく聞いてくれて構わないが、三時間以内に終わらせるように。終わったら昼食にして良い」
「はい!了解しました」
その気合いの入った、それまでの緊張が吹き飛ぶような力のある声に、ジークフリードはむしろ目を見開いた。常人なら見るのも忌むほどの書類の量を見て、そう目を輝かされるとは思っていなかったから。
とはいえ、いそいそと仕事机に向かうその姿から、どうやら心配は無用そうだと胸を撫で下ろす。急に無茶を言って悪いとは思うが、なにせ人手が足りないのだ。機密性の高い重要案件から雑用紛いな書類作成まで、とにかく処理すべき仕事が多すぎるのだ。
セリアが問題無さそうなら、自分も仕事に戻ろうと、ジークフリードは目の前の書類に視線を戻した。
少しの確認要件があり、ほんの数十分程執務室を空けたジークフリードが部屋に戻ると、そこにいるはずの姿が無かった。
「…………」
執務室に戻った直後は、すぐに戻るだろうと思っていた。が、既にジークフリードがその不在に気付いてから20分程、その姿は執務室に現れない。
一体、何があった、とジークフリードはどうしようかと珍しく内心狼狽えていた。
時刻を確認すれば、もうすぐ書類の仕訳を終えろと言った時間になる。やはり三時間というのは短すぎただろうか。彼女に限って逃げ出したりはないと思っていたが、無茶が過ぎたのかもしれない。
確かに三時間で終わる量ではなかっただろう。が、その分は後回しにしても構わないものだった。その為に、近日中に処理すべき案件から優先するように支持しておいたのだ。
三時間と言ったのは、その時間にはまた別の書類が上がってくる予定なので、そちらの処理を手伝ってもらおうと思っていたからだ。
けれど、そのことをきちんと言っていなかったのが要らぬ重圧を掛けたのかもしれない。
それともやはり出だしが悪かったか。急に仕事を割り振ったのは失敗だったかもしれない。もっと親交を深めるべく、まずは茶でも出した方が良かったのだろう。しかし、今は仕事が山積している状態なのだし、呑気に茶など飲む暇はない。
そもそも、茶を出したところで、年頃の娘と話せる世間話など何も思い浮かばない。なら茶の他に菓子を出してそれを食わせておけばよかったのだろうか。いやいや、そんな時間の浪費をする余裕などないのだ。けれど、それを今日勤めだした彼女に強いるのはよくなかったのかもしれない。
どうすれば良い。とぐるぐる出口の見えない迷宮に思考を飛ばし始めたとこで、聞き覚えのある控えめなノックが響いた。
「ジークフリード様」
「……セリア嬢」
何処へ行っていた、と問い詰めようと動く喉を叱責し、ジークフリードは勤めて冷静に、相手を怯えさせぬようにと心がけ、言葉を飲み込んだ。
が、その疑問はすぐに彼女自身の口から解消される。
「あの、すみません。昼食の後、宮廷内で迷ってしまいまして。遅くなりました」
「はっ?昼食…………?」
その言葉を反芻し、それでもジークフリードは理解が追いつかなかった。
確かに、仕訳が終わったら昼食を取って良いと言った。言ったが、実際はそんな時間無いだろうとも思っていた。それは流石にあんまりなので、どこかで食事の時間を捻出しようとは思っていたが。
しかし、その昼食を取ってきたということは、つまり仕事が……
「終わっていたのか?あの量を?」
「あ、はい…… あの、ジークフリード様がお出になられてから。支持された通り、各部署ごとに振り分けて、必要なものは内容を纏めてありますが」
はっ、とジークフリードが室内に積まれている書類を確認すれば、セリアの言葉通り、きっちり仕訳されていた。なんということだ、セリアの不在に気を取られてそのことに気付かなかった。
そんなジークフリードの様子に、セリアは内心どうしたら良いのかと悲鳴をあげていた。
セリアとしては、ジークフリードが不在の時に仕事が終わってしまったものだから、どうしたらよいのか、と悩んだのが始まりだった。手持ち無沙汰に少し悩んだが、余った時間でさっさと昼食を済ませてしまおうと考えたのだ。
けれど問題は、王宮が非常に広かったことにあった。結局、貴族や高官などが食事に使うテラスが見付からず、メイドや使用人等が使う大食堂にたどり着いてしまったので、そこに混じって済ませた訳だが。
指定された時間内になんとか戻れたとはいえ、やはり時間を取りすぎた。と王宮の広さと自分の方向感覚の無さに改めて絶望を募らせているセリアに、ジークフリードは必死に掛ける言葉を探っていた。
見縊っていた、と言わざるを得ない。あの量を、あの時間でこなしたなど。しかも、その可能性を塵程も考慮せずに、逃げ出したのか、などととんでもない誤解をしていたのだ。
いや、確かにあの程度の量、自分ならこなした。新人だろうと補佐だろうと、自分は当時それ以上の仕事を意地でも処理していた記憶がある。そうするのが当たり前だったと思うし、幼い頃から目標としていた王宮での仕官が叶ったのだから夢中になって仕事をしていた。
が、その当時の自分と同じことを求め、同じ量を課した新任のマリオスや補佐達が、悲鳴を上げたことが嫌な記憶として頭にこびり付いている。
時間内に仕事が終わらないと泣きつかれること多数。それまで培った自信を喪失したと、休職したり移動を願い出る者多数。
親友だった男に笑いながら言われた。何でも基準を自分と一緒にするな、相手に合わせてやれ、と。とは言っても、相手がどの程度のことで根を上げるのか。どこまでが可能でどこからが無理なのか。その采配は、自分にとって非常に苦手なものだった。そういうのは親友が得意とするところだったが。
だからこそ、他人に何かを課す時は、特に新人であれば、無意識の内に期待を低くしていた。その分自分で処理するものを増やせば良い。その方が、国家に従事すべき人材が自信喪失などと馬鹿な理由で王宮を離れていくよりもマシだったからだ。
しかし今日、ジークフリードは目の前で不安そうにこちらを見詰めてくる女人に対しては、違う結果を期待すべきだと評価を改めた。
「セリア嬢。すぐに次の書類が上がってくる。そちらの処理が終わり次第、後ろの書類に目を通してから、こちらの見積書の確認をしてくれ。そのあとで時間に余裕があれば、あちらの各部署から借りている資料の返却を頼む」
「はい!」
矢継ぎ早に飛び出た指示に、笑みすら返したセリア。宮中を迷っていたことを特に咎められなかったことに内心安堵しながら、次の仕事へといそいそと移っていくセリアを、ジークフリードは静かに見守った。
完結から1年以上開けておいてひょっこり戻ってきてしまいました。
本当に細々とですが、少しずつ番外編を増やしていく予定です。