宝石
二話同時アップしてます
古くよりマリオスは、実に厳正な審査の上に国中から選び抜かれてきた。そしてその選出までにも、当然だが時間が掛かる。
始めに、一年のある時期になると、王宮から正式な召喚状が各地へと送られる。それを受け取る者は将来的にマリオスと成り得る可能性があると国王陛下が認めた者であり、その最終的な判断をする為に会見をしたいという旨を伝えるのがこれだ。
勿論、この召喚状を手に出来る人物はそう多くはなく、国中の誰も受け取らない年も多々あった。この時点で既に、それほどまでに厳しい選別を潜り抜けていると言える。
近所に住む一家の父親が屋根の修理の際にはしごを踏み外し大怪我を負ったというので、見舞いついでにその屋根の修理を終わらせてきた青年が家に帰ると、玄関の扉から小さな子供が三人程飛び出してきた。
「兄ちゃん、お帰りぃぃ!」
声を揃えて突進してくる十に満たない年下の弟妹達を、ルイシスが満面の笑みで抱き上げる。
「おぉ、出迎えか。ええ子や」
「キャハハハ」
持ち上げた三人の子供をそのまま振り回してやれば、嬉しそうな笑い声が辺りに響く。その声に反応したのか、家の中からもう一人、今度はルイシスよりも若干年下ではあるが、三人の子供よりも年上の少女が洗濯カゴを手に顔を出した。
「ルイ兄、お帰り」
「お、エレナ。オカンの手伝いご苦労さん。お前はええ嫁になるで」
「ルイ兄の妹なら当たり前。それより、なんか手紙来とったよ」
「うん?俺にか?」
妹の差し出す手紙を受け取り、その封蝋を確認するとニヤリとルイシスは口の端を釣り上げた。そのままさっと中身を確認すると、足元で未だはしゃぐ弟妹達に笑みを向ける。
「お前ら、今日は祝いや!夕飯はお前らの好きなモンにするで」
「ケーキ!?」
その一言に幼い三人は勿論、エレナと呼ばれた上の妹も目を輝かせ、ケーキかと反応を返した。
「やった、俺チョコレート」
「私はイチゴ」
「チーズのケーキが良い!」
幼い三人がはしゃぐ様子に、ルイシスは更に機嫌を良くする。
「おぉおぉ、マーサのおばさん所で好きなだけ頼んで来い。後で俺が払いに行くからツケといてくれってな」
「わーい!」
その言葉に一目散で駆けていく幼い弟妹達。それに苦笑を漏らすとルイシスは、もう一人の妹の背中もやんわりと押した。
「ほら、お前も行って来い。こっちは俺がやっとくから」
「ホンマに?ええの?」
ルイシスが洗濯カゴを受け取ると、エレナも顔を輝かせて弟妹達の後を追った。そういう所はまだ子供っぽさが残るな、と笑いながらルイシスはもう一度手紙に視線を戻す。そして決意を示すようにグッと拳を握った。
召喚状に記載されている日取りに合わせ、その将来を期待される者達はそれぞれ王宮を目指す。
「それでは、行って参ります」
「ええ。行ってらっしゃい」
玄関先で見送りに来てくれた祖母に丁寧に一礼すると、ザウルは踵を返した。が、その瞬間、心配を含んだような声で呼び止められる。
「ああ、ザウル」
「はい」
「あまり気負わなくて良いですからね。貴方は今のままでも、十分私の誇りなのですから。貴方のお父様も、貴方の選択を誇らしく思うと仰ってくれたでしょう」
「お祖母様、ありがとうございます。ですが、これは自分が望んでいることですから」
「……そう」
孫の琥珀の瞳に、少しの迷いも無いことを見てとると、ザウルの祖母であるセレスティーナは安堵に胸を撫で下ろした。この立派に育った孫は、周りの期待に応えようと自身の選択を押し殺そうとする所があるので心配だったが、それは杞憂だったようだ。
「では私は、貴方の望む結果になることを祈ることにしますね」
「…………ありがとうございます」
その慈しみ溢れる優しい笑みに、ザウルは心の底からの感謝を表すようにもう一度深く頭を下げると、今度こそ王宮を目指して足を進めた。
王宮へ召喚された者はまず、国王との謁見の前に現マリオスの一人との面談の時間を与えられる。この時にマリオスから直接、能力を見極められるという訳だ。国政の仕組みや時事的な話題、周辺国の立場など、面談の間に知識をどれだけ示せるか。またマリオスとなるだけの国政への対応力があるかがここで問題となる。
それまでどれだけ優秀と謳われた者でも、ここでマリオスの鋭く深い質問に躓いてきた者は珍しくは無い。だからこそ、これまでにもここで多くの者が相当の緊張を強いられてきたことだろう。
通された部屋で自分を出迎えたマリオスと、イアンは丁寧な挨拶を済ませ向かいの椅子に座った。
「お、おおお、おひ、お久し、ぶりで、でで、ご、ごごございますぅ。イ、イアン様!」
「こちらこそ、この様に時間を作って頂き、大変恐縮です。ニイ・ドレイシュ様」
「い、いえ、いえいえいえ。あの、あああの、こ、こんな。あれほどのこ、こここ、ことを、な、なななし、成し遂げら、らられた方が、ががたのお一人で、お一人でい、いいいらっしゃられるイ、イアン様の、め、めめめめめ、め、面談をひ、ひひひきききううけ引き受けさ、させていただけ、けけるなど、こ、ここ、光栄で、ご、ございますすす」
イアンは、参ったと思いそうになる内心を抑え込んだ。尊敬はするが会話が非常に聞き取り辛い彼に、この様な役を引き受けて貰うことになるとは思っていなかった。
とはいえ、彼のこの聞き取り辛い喋りは、あの少女が焦った時に出る口調と若干似ている所がある。その所為か、イアンは比較的苦労は少なく、ニイとの会話を進めることができた。
ああ、こんな時でも自分はあの少女の事を考えてしまうのか。と込み上げた苦笑を、イアンはニイにバレないように噛み殺した。
マリオスとの面談の後、能力は相応しいと認められた者だけが、国王陛下との謁見を許される。そうでない者は陛下への謁見は許されず、そこで帰ることを要求されるのだ。勿論、ここまで進んできただけで相当の実力は示したことになり、マリオスでなくともその他の要職に就く可能性は大いにある。
ここまでの選定で能力は十分とすでに証明されたことになる。ならばこの謁見で見極められるものといえばただ一つ。国への忠誠心だ。
通された謁見の間で、ランは膝をつき深く頭を下げていた。
そのランの前で玉座に座る男は、他でもないこの国の国王だ。その玉座からランの膝をつく場所まで伸びる赤い敷物の横に並ぶのは三人のマリオス達。
例年であればここにはもう少しマリオスが集まっている筈なのだが、この国はつい先日、マリオスの半数を失ったばかりである。次に代わるマリオスがまだ選定されていない状態では誰もが仕事に追われ、こうして陛下の謁見に立ち会う時間の取れる者は少ない。
「ならばランスロット。この国のマリオスとしてこの国を導く覚悟はあるか」
「はっ。このクルダスを、この身の限り支え慈しみ、心よりの忠誠を捧げることを誓います」
国王の鋭い目線がランを射貫き、王者の威厳が嘘を許さぬとランの言葉を威圧する。
高い能力は当然だがそれよりも強くマリオスに求められる最大の要素。将来マリオスと成る者が、本当に青を纏うに相応しいだけの忠誠があるのか。この国に誓う忠誠心がどれほどのものか、これまでの歴代の国王達が自ら多くの者をこの場で見極めてきた。
そしてまた一人、その心を見極めんと未だ深く頭を下げるランスロットを国王が鋭い眼差しで見つめていた。
そして後日、王宮から正式に就任を求める旨の書状が届けられることになる。
「カール、カール」
普段は朗らかな声色が、今日は慌ただしくカールの名を呼ぶ。広いローゼンタール邸を探し回った女性、イレーネ・ローゼンタールは漸く見つけた息子の姿に小走りのまま駆け寄った。
「カール。またこんな所でお父様のお仕事の資料ばかり見て」
「父上から許可は戴いています。それより母上、私に何か?」
「あ、そうよ。カール。王宮から書状が来ているわ」
「……そうですか」
母親が持って来たそれを受け取ると、カールは丁寧にそれを開封する。
「ドキドキするわね。これで貴方がマリオス様になるかどうかが決まるんですもの」
「母上。これで決まるのはマリオス“補佐”への就任です」
「あら。でもマリオス補佐は将来のマリオス様も同然でしょう」
幾ら将来のマリオスとして認められたといっても、いきなりマリオスになれる訳ではない。その前に、まずはマリオス“補佐”として現マリオスの直下に付き彼らの仕事を手伝いながら、政務や職務の内容を覚える期間が義務付けられる。
当人よりも浮き足立った様子で結果を待つイレーネに、カールは仕方無く母の前でその書状の内容を確認する。その内容を横から覗き見たイレーネは、途端に顔を輝かせた。
「まあ!これは、お父様にもすぐに報告しなければ。素晴らしいわカール」
「ありがとうございます」
「今頃、ランスロット達も同じように結果が届いている頃よね。そうだわ!また皆を招待しましょう」
「……それはまた後日に」
「あらそう…… そうよね、その通りだわ!それよりもセリアさんよ。まずは彼女を招待しないと」
自分の考えを素晴らしいものと信じて疑わぬ様子のイレーネは、そうだそうだと頷くばかりで横の息子の眉間に寄る皺には気付いていない。
「カール。何時になったらちゃんとセリアさんを招待してくれるの?貴方が婚約したい女性が居るからとお父様に他のお話は全て断るように言った時、私がどれだけ心配したか。それがセリアさんだと知った時、私がどれほど嬉しかったか。そもそも、貴方の口からセリアさんの名前を聞き出すのに、何日掛かったと思ってるの?」
「…………どうか、その話は今は」
「だというのに、貴方はちっともセリアさんを連れてこようとしないで。ご婚約の話だって、何も進んでないじゃない。男性はどうか知らないけれど、少なくとも女性にとっては一大事なのよ。当人同士の口約束だけで放置なんて不誠実な真似、私は許しませんからね。今までは、マリオスの選定の時期だったから忙しいというのには納得したけれど、こうして結果も出たのだし」
「ですが、今後は補佐としての役割をこなすための責務があります。補佐への就任と職務までもう三ヶ月しかないのですから、色々と準備が……」
「まあ、もうそんなにすぐに始まってしまうの!?それじゃあセリアさんもマリオス様に選ばれていたらこの家に招待する時間がますます無くなってしまうじゃない」
母の興奮状態に、カールは説得を諦めるべきかと考え始めた。こうなったイレーネは、理屈や論理で語りかけてもその一切を理解してはくれない。
マリオス補佐としての務めに入る為の準備に忙しくなる、と言っても効果はないことは、自分の親だ。誰よりも理解している。
「さあ、まずはセリアさんに我が家にいらして戴く為の招待状と、恋文の一つでも書いて頂戴」
「母上……」
カールは折角の目出度い報せに喜ぶ暇もなく、母の意識をどう反らそうかと考えを巡らせる羽目になった。
そうして今年、新たにマリオスとしての道を約束された六人の若者達がマリオス補佐として王宮に勤め始めた。
***
王宮の廊下は右も左も、上も下も常に光を放つほど美しい状態で保たれている。しかしそれは、その廊下一つ一つを毎日磨き続ける使用人たちの努力の賜物だ。
床磨きだけに終わらず、日々多くの仕事をこなす彼女達が、そんな作業の合間に多少の噂話に興じていても、決して責められることではないだろう。
勿論、口煩い監督者に見つかればお小言を戴くだろうが、それが解っていてもやはり、ヒソヒソと使用人たちの間で交わされる会話は止まることがない。
「もうすぐねぇ」
「そうね。当日は私達も厨房の仕事が回って来るのかしら」
「第一厨房ならまだ良いわよ。第二厨房に回されたら、たまったものじゃないわ。オーブンがまだ治ってないんだもの。漏れる煙で前も見えやしない」
近々行われる隣国との新たな条約締結を祝した大きなパーティーの話題は、最近使用人たちがよく口にあがる。
「楽しみよね。それが終わったらあの方が正式にマリオスになられるんでしょう?」
「ええ。このパーティーの後で就任されるって、前から言われてたものね」
「記念すべき女性初のマリオス様だもの。こっちもなんだか嬉しくなるわ」
今まで歴史に例を見ないその存在は、彼女達だけでなく多くの使用人、また国民が感心を寄せる事柄だ。
「凄いわよね。普通なら補佐の期間に五年は掛かるって言われてるところを、三年弱で認められるなんて。今度の条約にもあれだけ貢献されてたし」
「でも同時期に補佐になられた他の方々も既にマリオス様になってるのよね。ルイシス様は半年前に就任されたし、ザウル様とイアン様もそれより少し前だったかしら」
「カールハインツ様とランスロット様なんて二年掛からなかったわよ。あの時は皆驚いていたわよね」
「でも知ってる?あのジークフリード様は、実は一年も補佐をされてなかったって噂」
キャッキャとはしゃぐ彼女達の言葉通り、例のパーティーが終わり王宮の慌ただしさが収まった頃、新たなマリオスが誕生することは既に周知の事実となっている。
けれどそうなると、あの話題も盛り上るということだ。
「でもでもそれじゃあ、あの話も……」
「そ、そうよね。キャー、私今から楽しみだわ」
「あぁそっか。あの方がマリオスになったら、カールハインツ様との婚約を正式に発表されるのよね」
「そうそう。陛下に承認して戴くことになってるって」
一人が切り出した話題に、全員が頬を染めて食いついた。
「素敵よね。補佐としての間は、あの方の立場を考えて公式な関係は作らないって」
「だって一時期変な噂になったものね。次期マリオスの恋人だから、マリオス補佐になったって」
「それは、議会のあの蛇伯爵が言ってただけじゃない。見た目は素敵だけど、いっつもあの方を目の敵にして」
「でもそれをあの方ったら何も言わないんだもの。反対意見も政策には必要だから、伯爵の言葉も重要だって」
「それでそれで?ご結婚は何時になるのかしら?」
「たしかマリオスとしての政務に慣れて落ち着いてからって話だから、一年くらいじゃない?」
「カールハインツ様がご結婚されてしまうと思うと寂しいけれどね」
そんな噂話に興じるあまり、つい声が大きくなっていることに気付かぬ彼女達が、監督者にその現場を目撃されるまであまり時間は掛からなかった。
フロース学園の中でも一番豪華であり立派な部屋、校長室。そこに設置された重厚感溢れる執務机の上に置かれた招待状に、フロース学園のマクシミリアン校長は満足そうに笑みを浮かべた。
一年のこの時期、今年新たにマリオスに就任した者を祝う為の王宮でのパーティーの招待状だ。そこにはかつてこの学園で走り回っていた、ある者の名前が書かれている。
実際に彼女がマリオスとして就任したのは随分前だが、このパーティーは毎年マリオス宣布の儀と共に、初代マリオスが生まれたとされるこの時期に開かれるのが通例だ。
同時期に卒業していった他の教え子達も、何の問題もなく昨年までのパーティーでその就任を祝われている。
そして最後の一人であり、また校長が一番楽しみにしていた者の名前が、今年になり漸くマリオスとして認められたのだ。
旧友であり王宮でも高い地位にいるあの男の直々の招待とあれば、気合をいれて威厳たっぷりのフロース学園校長として赴かねばならないというものだ。
「宝石となったか」
石ころにしか見えなかった原石が、自らの価値を高めるべく自身を磨きあげた。そして、女神が与えた大地と、栄光を齎す英名な王。その光を受け、更に輝かせ、大地に余すことなく注ぐ役目を持つ宝石となったのだ。
校長自身も深く満足しているようで、口の端を上げたまま、もう一度招待状の詳細部分に書かれた新マリオスの名前に視線を落とした。
『セリア・ベアリット』の文字に。
これにて完結となります。ここまでお付き合い下さった皆様、本当にありがとうございました。
ここまで来られたのも読者の皆様のおかげです。執筆中も何度も感じたことですが、こうして完結できて改めてそのことを実感しています。
完結した今ですが、折角マリオスになったセリア達の書きたい話が残っているので、それらを番外編でお届け出来ればと思っています。
長い間、本当にありがとうございました。