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大地の宝石  作者: 森宮 スミレ
〜第四章 輝く貴石〜
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卒業 4

 ランが去ってしまい、カールと二人取り残される形になってしまったセリアは、顔を青くしてどうしようかと悩んでいた。

 これは、もしや二人っきりという状況ではないだろうか。と、確認するまでもない事を一度頭の中で整理しなければならない程、混乱もしていた。


 ずっとカールと二人になれる機会を窺ってはいたが、いざその場になるとどうして良いものか分からない。

 なにより、非常に気まずい。カールの機嫌が悪いことは、その眉間の皺からも、ランに剣で負けたらしい状況からも簡単に予想出来る。


 けれど、その不安を凌ぐほど強く根付いた想いを、今更無視も出来ない。

 逃げ出そうとする足を叱咤し、セリアは深く息を吸い込んで言葉を探した。


「あ、あの、カール……」

「イアンとの」

「へっ?」


 意を決して口を開いたというのに、冷たい声にまるで聞いていないとばかりの勢いで遮られ思わず頓狂な声が出るが、そんなことをこの男が気にするはずもなく。肩透かしを食らった気分のセリアに問いが投げかけられた。


「あの男からの求婚を、断ったのか」

「えっ?あ、うん……」

「そうか。それは、予想外だな」

「えええ!ちょ、そんな、誤解だよ!」


 おいおい、とセリアは壮絶に青冷めた。よりによってこの男に、イアンと結婚すると思われていたなんて。しかし、確かに彼の求婚を断ったことをきちんと周りに伝えていなかったな、とも思い出す。とはいえ、そんな声高に宣言するようなことでもないし。第一に、イアンが自分に求婚した事だって、候補生の間でそんなに話題にしたことはない。


 もしかしてランの言っていたカールの話とはこれのことだったのだろうか。そもそもどうしてカールが今その話題を出すのか疑問だが。

 と考えたところでセリアはサッと血の気が引く事を思い出した。そういえば、イアンに求婚を受けると言いそうになった時、自分達と鉢合わせたカールの姿にセリアはそれを止めたのだった。

 セリアにしてみれば、それが切欠でイアンとのことは断ることになったが、あの場に居合わせたままのカールにはその逆に見えたかもしれない。

 彼にそんな風に思われるのは嫌だ、と走った考えのまま、セリアは必死で弁明した。


「その、ちゃんと皆に伝えてなかったけど、イアンと結婚は考えられなくて。あの、一度は受けようかとも思ったんだけど、でも違ったの。イアンのことを好きだって思えなくて。その時は……」



 ちゃんと分かって欲しい。きちんと伝えたい。自分が想っているのは、カールなのだと。

 込み上げた感情に先ほどまでの不安などとっくに追いやられていて。懸命に言葉を選びながらセリアは冷たい表情でこちらを見据える男と視線を懸命に合わせた。


「その時には、私にはもう別の人に対する感情があったの」


 自分ではどうしようもないほどの想いに気付かされた。その腕に包まれた時のことを思い出すだけで、胸が温かくなる。


 その温もりをもっと欲してしまうほど欲張りになるのも、頭を打ち付けたくなるような羞恥も、思わず苛立ってしまうような嫉妬も、どうしたら良いのか解らなくなるほどの戸惑いも、全部その感情の所為だった。


 それがなんという名の感情なのか、セリア自身もう嫌というほど知っている。


「……カールが、好きだっていう感情が」


 それを与えたのは、目の前の男の紫の瞳だ。

 な筈なのだが、その視線が何処までも冷たいことに気付きセリアは一瞬怯んだ。そこで言葉が途切れた隙に、それまで向き合っていた目をフイと僅かに逸らしたのはカールだ。


「それを言ったところでどうなる」

「え?」

「感情など、所詮は絵空事だ。そんなものを口にした所で無意味であろう」

「……意味ならある」


 カールの言葉に、セリアの胸に鋭い痛みが走った。やはり彼にとって、こういったことは興味の対象ではないのだろう。

 何時もの様に下らないと一蹴される覚悟はあったが、やはりこうなってしまったか。


 けれど、自分にとっては下らないことではない。ましてや無意味でもない。


「少なくとも、私には意味があるし、大事なことだった」

「………」

「確かに、目に見えるものじゃないし、絵空事って言われたら反論出来ない。でも、宿った感情は確かにそこにあったの。それを押さえるのが難しいくらいに」


 募った感情と同じほどの不安に気圧され、一度は押さえ込もうと思った。ルイシスに言われた通り、らしくない「分不相応」なんて言葉を持ち出してしまうほどには。

 けれどそれは立ち止まるということだ。気持ちをどうすることも出来ずに持て余し、前にも後ろにも進めなくなっただけだった。


「押さえるだけじゃ何も解決しなかった。でも立ち止まってるだけなんて私には出来ない。だから、伝えるって決めたの」


 カールからの反応が何も無いことにセリアの胸は締め付けられる。が、自分の想いはきちんと伝えなければ。


「先へ進むために、気持ちを伝える必要があった。だから無意味じゃない!」



 と、言い切った後でハッと我に返ったセリアは思わず自分の行ないに顔を青くした。

 これでは、気持ちを伝えにきたのか、言い争いをしに来たのか解らないではないか。いや、しかし先に喧嘩を売るような発言をしたのはカールなのだし。


 とはいえ、こうして言いたいことを言ってしまった後は、カールの傍に立つだけで居た堪れなくなる。用は終わったのだし、さっさと会場に戻ってしまおうとセリアは逃げ出そうとする足に素直に従った。


「あの…… そ、それだけだから。私は戻るね」

「待て」

「えっ?」


 踵を返した所で後ろから腕を掴まれ、セリアは驚いて振り返った。

 そこで更なる驚きにまた目を見開く。カールの表情は、先ほどまでの冷たいものではなかった。むしろ、何かを深く考えているような。それでいて、何処か不機嫌そうだ。

 いや、普段の彼の機嫌が悪い時の表情とは違う。なんというか、不本意だとでも言いたげな、仕方ないと諦めたような。



 焦るセリアの腕を掴みながら、カール自身咄嗟の自分の行動に驚き、そして我に返った途端に思わず眉を寄せた。

 もし、ここでこのままセリアを行かせれば、きっと二度と同じ場所には戻れないと感じた。永遠にこの少女を手にする機会を失うのでは、と。そう感じた瞬間、考えるよりも先に身体が動いていた。


 馬鹿な考えなどすぐに捨てて冷静になれ、と自身に言い聞かせるが、それではまるで自分が冷静ではないと言っているようなものだ。そしてそれは、ランやザウルの言葉を認めることにもなる。

 しかし今の自分を顧みて、己が冷静だなどと言えるほど無知でもない。そしてここでこの手を話せば、立ち止まることになるのは自分だということも理解した。


 また、あのキースレイの屋敷で起こったような、足が地面に縫い付けられたような感覚になるなど、もう真っ平だ。

 つまり、非常に不本意であろうと気にくわなかろうと、馬鹿らしいと一蹴してしまいたくなるソレを、認めるしかないということである。


 それだけに、カールは大きくため息を吐いた。


「……あの、カール?」

「伝えることに、意味はあると言ったな」

「え!?えっと…… うん」

「先に進むために必要だというなら、私も、伝えなければならないということになる」


 皺の寄った眉間はそのままに、カールは掴んだままだったセリアの手を優しく包み直し、腰を折ってその手に口付けた。

 途端に何が!?とセリアの頬に熱が溜まり目の前が揺らぐ程の衝撃を受けるが、次に飛び出た言葉はそれ以上の威力を持っていた。


「私はお前を、愛しているらしい」

「……ひへぁえ?」


 思わず奇妙な声が出てしまったがセリアはそんなこと構ってなどいられない。

 一体何が起こっているのだ。今、自分は何を言われた。


 訳が解らずセリアの思考は完全に止まっていた。目を見開いたままカールに手を取られてたっぷり数秒、少しずつ意識が現実に戻ってきたが、それでも思考は回らない。


 どういうことだ。カールは何の積もりだ。とそればかりが頭をグルグルと回ってその先に進まない。

 いや、待て待て。とセリアは懸命に自分を落ち着かせようとする。そして何とか自分のこの後取るべき行動を導き出そうと考えた。


 もともと、自分はどうしようとしていたのだったか。カールに想いを伝えた後は、当然だが彼に下らないと一蹴されると予想していたから、潔く会場へさっさと戻ろうと思っていた。

 しかしこの場合はどうすれば良い。いや、予定を変える必要など無いのかもしれない。そうだ。このまま会場へ戻れば良い。居た堪れなくなったこの場からとっとと離れよう。


 第一に、パーティーの最中こんな場所へ来ること自体想定外なのだ。本来なら、会場でカールから人が離れた時にこっそり伝えて、そのまま別れてまた挨拶などを続けようと計画していたのに。


 混乱の冷めない頭でまともな考えなど出来る筈もなく、セリアは当初の予定を反芻するので精一杯だった。


「えっと、じゃあ私は戻るね」

「………………おい」

「ヒッ!?」


 途端にグッと手を握る力を強くされ、更には血が凍るかと思うほど冷たい低い声で凄まれセリアは短く悲鳴を上げた。


「貴様、この私が言葉を尽くしてやったというのに、無下にする積もりか?」

「へ、えええ!?だ、だって、ちょっ、いや。無下だなんてと言いたいが為とするですが、どうすれば良いと考えてる様なことがあるかだなんてと思って」



 聞いてるカールが途端に意味が解らないと眉を顰めるが、セリア自身何が言いたいのか解らない状態だ。

 その後も焦って訳の解らない言葉を並べ捲したてていたセリアだが、その間もずっと手は握られたままで逃げられない。更に不機嫌そうなカールに睨まれれば段々と頭も冷えてくる。そうしてセリアが、少しだが落ち着いたところでカールがまた短く息を吐いた。


「……それで?何か言いたいことはあるか」


 まるで死刑執行の前の罪人に最後の一言を述べさせるような低い声。これは、もし回答を間違えれば命が無い、とセリアの背筋が震え上がる。とはいえ、言いたいことなど一つしかない。


「わ…… 解らない」

「なに?」

「本当に解らないの。だって、そんな、何がどうなってるのか、今だって理解できないのに」


 目が回るようなセリアの内心を読み取ったのか、カールが鋭かった視線を若干和らげた。


「なるほど。つまり、言葉で状況を理解する程度の聡さも無いと」

「ぐっ!な、そんなこと……」


 あんまりな言い様に、セリアは思わずそれまで俯かせていた顔を上げる。相変わらずだが、なんともこちらの神経を逆撫でに来てるとしか思えない言い方だ。言葉の節々に余裕すら感じさせるのが、余計に腹立たしい。


 やはりどう考えても、彼の今の態度から見ても、先ほどの言葉は聞き違いだったのではないだろうかとセリアには思えてくる。なにせこんな風に変わらず喧嘩を売るような発言をされたのだから。それに、仮に彼が自分が聞いたような言葉を言っていたのだとしても、彼の場合どんな積もりで言ったのか分かったものではない。


 やはりここから立ち去った方が良いのでは、とセリアの胸にまたそんな考えが浮かんでくる。


「ならば、望みを言え」

「え?」

「言葉で足らぬというなら、他の方法で示さねばならぬだろう」


 セリアは驚いてカールを見詰めるが、その表情はやはり不機嫌そうだ。

 怒らせてしまったのだろうか。と今度はセリアをそんな不安が襲う。

 喧嘩を売られているのなら買ってやろうという気だったが、これはどうやらそうではないらしい。ならば取り敢えず、どうしたら良いのか。


 懸命に思考を回していると、ふとまだ掴まれたままの手が目に入った。

 途端に先ほどそこに口付けられたことを思い出し、ジクリと手首から熱が広がる。


 今更ながらカッと上がった体温に、セリアの心臓もドクドクと高鳴った。胸が痛いような、苦しいような感情に侵食されていくようで、その熱を自覚すればするほど、居た堪れない。

 そうだ。こんな状態では会場に戻るどころか、話し合いも碌に出来やしないではないか。望みを言えと言われたが、それならばまずこの手を離して貰いたい。


 そう思った筈なのだが、ジクジクと手首を襲う熱にセリアの考えが邪魔される。

 頭では離して欲しいと言う積もりで開いた口から、その言葉が出てこなかった。


 手首が熱い。身体中が燃えているようで苦しい。この手を離してくれればこの熱も治まるだろうと思っても、それが望みなのかと聞かれればそうではないと答えてしまう。


「望みを言え」

「っ!!」


 再度掛けられた言葉は静かで、セリアの混乱していた意識がスッと引き上げられた。


「……手を、離さないでいて欲しい」


 そうだ。自分の望みなど、ずっと前から分かっていたではないか。カールから与えられる温もりを、ずっと欲していたのだから。


「そうか」


 そう言ったカールが軽く腕を引き寄せれば、セリアの体は逆らう間もなくカールの胸に受け止められた。急なことに思わずセリアは息を飲むが、すかさず背中に腕を回され更に引き寄せられる。


「……私のものだ」


 直接耳に吹き掛けられる様な距離で掛けられた言葉に、セリアは全身の血が沸騰したかと思った。

 感じる温もりとすぐそこにある気配に、セリアは赤くなる顔を抑えられない。


 熱くて仕方がなかった。目の前にあるカールの胸板も、背中に回った腕も、流れ落ちてくる銀髪も、自分を見詰めるその紫の瞳も。何より、自分の胸が熱い。全身が火傷を負ったようなのに、それが何故か心地よくて仕方ない。

 気付けば目の前にある胸板に縋るように言葉が喉の奥から出てきた。


「カールが、好き」

「ああ、私も同じだ」


 カールの声を拾う耳も熱かった。そんなまさか、と先ほどまでまるで信じられなかったカールの言葉が、今度はストンと胸の中に入ってくる。


 抱きしめられている。そう思ったらカールの言葉が自然と信じられた。

 すぐ傍に居るカールの感触の心地よさに、セリアは暫くそのまま胸板に顔を押し付けていたが、ふと気配が一瞬遠のいたことに顔を上げた。


 けれどそれは一瞬で、その空いた距離に割り込んだカールの腕に顎を掴まれた。


「えっ?」


 目の前にあったカールの顔が更に近付いた。と思った時にはその距離は無くなり、唇を覆われるような感触に目を見開く。

 口付けられた、と理解するのに数秒掛かったが、漸くその事実に気付いた時にはセリアは思わず顔を引いてしまった。


「ひ、わっ、わっ!な、なにを急に!?」


 ビキリ、と空気が凍った。しまった、とセリアが後悔を覚えた時には既に遅い。


 先ほどまでの熱が嘘のように体を這い上がる悪寒に、逃げなければと本能が訴える。が、それも見透かされていたのか、グイッと背に回った腕の力を強められ、セリアは完全に捕らえられた。


「よくも、その様な高慢な態度が取れたものだな」

「だって急なことで驚いて。そ、それに高慢っていうけど、いきなり何も言わないでく、くく、口づけな、なんて……」

「何か言ったところで、お前は何も変わらんだろうが」

「いや、だって……」


 懸命に言い返すが、目の前の男のあまりの恐ろしさに言葉など出ない。それに、セリアとて多少の罪悪感があるのか、あまり強い物言いは出来ないようだ。とはいえ、ここで完全に自分が悪いと認めるのは悔しいというもの。何かいい返さねば、と必死に弁明を考える。

 が、分は当然だがカールにあった。


「第一に、この私が望みを叶えてやったのだ。ならばお前もその身で何かを返すのが当然だろうが」

「ぐっ!?それは……」


 言い訳染みた弁明の声が小さくなってきた所でそんな風に言われ、セリアも言葉に詰まった。それに、目の前のこの男をこれ以上不機嫌にしてはならない気もする。


 そして再び近付いた気配に、今度は彼の意図を理解したが、抵抗はしなかった。が、代わりに頼むから、と一言添える。


「……お、お手柔らかに、お願いします」

「フッ、お前が馴れろ」

「そんな……ンッ!」


 途端にまた唇を塞がれ、セリアは抗議の言葉を飲み込んだ。

 今度は急ではないとはいえ、口付けられていると自覚しているだけに羞恥が大きい。けれど、カールの動きが何処までも柔らかく、優しいもので。セリアは拘束されている訳ではない筈なのに動けなくなる。

 そこでセリアはこちらを見詰めてくる紫の瞳に漸く気付いた。その冷たい筈の色の奥に、自分と同じ様な熱を見た気がしたセリアは、今度こそ観念したとばかりに力を抜きながら瞳を閉じた。











 卒業の儀の翌日、次々と学園を離れていく生徒達でフロース学園の校門は賑わっていた。帰郷の為に大きな荷物を運ぶ生徒や、その彼等を見送りに出る生徒。別れを惜しむ者もあれば、振り返りもせずにさっさと出て行く者もある。


 そんな中、同じ様に今からこの場を発つルイシスは、一度鞄を地面に置くと後ろの友人達を振り返った。


「悪いなぁ、見送ってもろって」

「ううん。道中は気をつけてね、ルイシス」


 一番遠方に実家を持つルイシスは、候補生の誰よりも早く学園を出ることにしていた。そんな彼をセリアを始め候補生達が見送りに来ている。

 その中の一人に視線を定め、ルイシスはニヤニヤと普段よりも深い笑みを浮かべていた。


「いやぁ、まさかこうなるとはなぁ。俺もまだまだ甘いな。男と女のことなら、腹ン中は大体読める積もりやったけど」

「……?」

「ああ、お嬢ちゃんは気にせんでええよ」


 ピクリとその男、カールの眉が一瞬動いたことに気を良くしたのか、ルイシスは上機嫌だ。彼の言葉の意味が理解出来ずに首を傾げるセリアの頭をやんわりと撫でる。


「よかったなぁお嬢ちゃん。ウマイこといったみたいやないか」

「なっ!?えっと、うん、あの……」


 今度の狙いはセリアだとばかりに耳元で小声で囁かれればセリアは途端に居た堪れなくなる。

 色々と相談にのってくれた彼に、どう報告しようかと悩んでいたセリアだが、どうやらその前に彼には見透かされていたようだと面食らった。


 が、改めてどうなったかの経緯を言葉にして誰かに説明するなど、どうしてよいか解らなかった為に今度ばかりは、彼のその全てを見透かすようなオリーブの瞳に感謝してしまう。


 色々あったが、彼にもかなり世話になってしまったな。と思ったセリアだが、唐突に腕を取られたのでどうしたのだ?と首を傾げる。視線を上げれば、ニヤリとまた絶対の自信を滲ませるセピアの瞳が光っていた。


「けどまあ俺としては、こっからの勝負が面白くなるところなんやなぁ、これが」

「へっ?」


 何のことだ?と聞く間も無かった。セリアが気付いた時には、軽い音と柔らかな感触が頬に押し当てられていて……


「なっ!なあああ!ギャー、なにをしているでありますか!?」


 頬に口付けられたのだとセリアが理解すると同時に腕を振れば、ルイシスはいとも簡単に離れた。そのままニヤニヤと実に楽しそうに笑う男を、セリアも一体何がと混乱のまま懸命に睨む。


「いやぁ、何って、当然のことやろ。人のモン口説き落とすのもまた一興。最後はどうなるか解らないのが恋の楽しみやで」


 セリアだけでなく、まるでその後ろの候補生にも同意を求めるように一瞥したルイシスは、当然ながら向けられる殺気の篭った視線に更に笑みを深くした。


「ほんじゃなお嬢ちゃん等。今度会う時は王宮やで!」


 ヒラリと手を振ってさっさと背を向けてしまったルイシスに、セリアも候補生も送る言葉を見出せずに固まるしかない。

 またあの男はこんなことを軽々しく、と頬に手を当てたセリアは、ジリッと首筋に受けた殺気にサァッと血の気が引いた。


「貴様………」

「ヒッ!?」


 反射的に振り向けば、今までに見たことがないほど冷たい。それはもう、氷点下を突き破ったように冷たい、凶悪な色を宿した紫の瞳に射すくめられた。


 なぜ自分が睨まれなければならないのだ、と咄嗟に恨みごとを抱いたが、セリアの喉は恐怖で固まって言葉など出ない。

 そんな風に固まるセリアを他所に、候補生達の瞳の色は当然ながら鋭くなる。


「あんの野郎。また話をややこしくしやがって」

「彼はまたあの様なことを」


 ギシリと歯軋りしたイアンの横で、心底どうしたものかと悩むザウルが頭を抱える。セリアへの気持ちを整理し、自分なりに諦めようと心を決めていた所にこの発言だ。二人の反応は尤もだが、それよりも問題なのは別の二人だ。

 固まるセリアを凶悪と言えるほどの形相で睨むカールの前に、ランが立ちはだかった。


「そこを退けランスロット!」

「ならば彼女を睨むな、カールハインツ!」

「己の警戒心の無さをそれに自覚させてやるまでだ!」

「今のはセリアには責任が無いだろう!彼女に非の無いことで彼女を責めて何になる」

「貴様と議論をする積もりはない。退けと言っている!」


 周りで候補生達に憧れの視線を向けていた生徒達が思わず肩を竦めるほど気迫の篭った怒声だった。普段であればこの二人の舌戦もマリオス候補生としてきっと立派な議論に熱を入れているのだろう、と勝手に解釈して更に憧れを募らせる生徒達も、だ。

 

 当然その怒声の原因の当人であるセリアは、背筋を震え上がらせた。

 これは拙い。兎に角拙い状況だ。いや、ルイシスが何時もの様にふざけてあんなことをしたのは解っているが、どうやら目の前の魔人様はそれで納得してはいないようだ。それにしてもこの怒り様。もうこの世が終わっても可笑しくないと思えるほどの怒気を感じる。




 卒業した筈なのに、学生生活の時と同じ雰囲気を醸し出すこの光景。軽い調子で火種を投下しておいてそのまま去ってしまったルイシスに、難しい表情で何かを悩む様に遠巻きに見守ってくるイアンとザウル。その視線の先で人目も憚らずに壮絶な舌戦を繰り広げるランとカール。

 普段と変わらぬ光景でありながら、どうしようもないこの状況に、セリアは思い切り悲痛な悲鳴をあげた。




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