告白 3
ルイシスの言葉に漸く白状する覚悟を決めたらしいセリアは、小さく息を吐きながらか細い声で呟いた。
「ルイシスの言う通りだよ」
「ん」
「前に言ってたよね。好きだって思ったら自然と相手に触れたくなるものだって」
今ならルイシスの言葉がとても良く分かる。カールに抱きしめられたあの時のことを思い出すだけで、安心感と同時に胸の辺りが温かくなるのだ。
胸の奥でその場所をどうしても望んでしまう自分に、セリアは気付かないフリも出来なかった。
「まあ、それが当然やろ。漸くお嬢ちゃんがそれ解っただけでも、随分と成長したなと思えるで」
「……それは、ありがとう」
なんだか僅かに馬鹿にされたような気がするが、恐らくこの件で言い争っても自分に勝目は皆無だろうとセリアはそこは引きさがった。
けれど、そこでまた気分が沈んでくる。きっとカールの隣には近い内に誰か別の女性が立つのだろう。それは、胸が苦しくなるが、だからと言ってどうしようもないことだ。
「それで、告白の一つでも計画してるんか?アンタも王宮に上がる可能性は高いんやし、そうなったらあんま暇ないで」
「でも、カールにはもう婚約者候補がいるって」
「…………はあぁ」
そこで真下から聞こえた深い溜息に、セリアは困惑した。視線の先には心底呆れたような顔があるが、その原因が分からずに反応が返せない。
「その件やったら俺も聞いたけど、そんな大した話やないみたいやで。それこそ、誰もまだ正式には決まっとらんのやし」
「……だけど」
「何が気になるんか知らんけど、そんな思い詰めた顔するなや」
セリアに言いきかせながら、ルイシスは内心参ったなと天を仰ぎたい気持ちだった。やはり温室で交わされたあの会話の、嫌な部分を聞いていたようだ。その普段らしからぬ暗い表情で、彼女の気持ちを沈めている要因があるのは分かっていたが。
そして、それを取り除くのは、正直に言ってとてつもない面倒にルイシスには思えた。
そもそも、あの男が元から素直にしていれば、こんなややこしいことになどならずにもっとすんなりと丸く収まった筈なのだ。まああの男に、こちらが期待するような少女に対する感情があるのかどうかすらルイシスには怪しいものだが。
ならば、やはりさっさと玉砕でもなんでもさせてしまった方が早いし簡単だ。第一に、この娘が一人で何か悩んで良い結論に辿り着くことは天地がひっくり返ろうと起こり得ないだろう。
「んで、分かったとこで心は決まったか?」
「……」
「なんや、まだ暗い顔して。卒業なんて、告白の絶好の機会やないか」
「……ルイシス」
そうルイシスが明い調子で語りかけても、セリアは何処か難しい顔で固まったままだ。聞き慣れない“告白”の単語に、また青い顔で慌てるのではと予想していたルイシスも僅かに不審に思う。
気持ちを伝えるだなんて、といつもの様に狼狽えるだろうと思っていた。なにせ相手は恋愛ごとをほぼ経験したことが無いのは間違いないセリアなのだから。
けれど、難しい顔のままそれでも自分の言葉を飲み込んでいる様子から、どうやら心をあの男に伝えたいという考えはあったらしい。
てっきり己の気持ちをどう扱っていいのかすら分かっていないと思っていたが、どうやらそうでも無かったらしい。ならば、自分がわざわざ世話を焼かずともこの少女ならなんらかの行動は起こすのでは。そこから、どう転ぼうとなんらかの決着はつくだろう。
と、安堵しかけたルイシスの予想を裏切り、セリアは歯切れの悪い反応しか返さない。
「やっぱり、沢山の人が気持ちを伝えようとするのかな?」
「ん?まあ、他の娘等にとったら、マリオスになろうなんて奴と、個人的に話出来るのは最後の機会やろうからな。だからってこともないけど、アンタもそれに乗っかったらええやないか」
「……私は、多分しない、と思う」
「はっ?なんで」
また話がややこしくなりそうな雰囲気に、ルイシスはピクリと眉を上げる。何を今度は余計なことを考えたんだ、とこの時は内心苦笑を漏らした。
そのままセリアの話を聞く内に、すぐにそんな軽い気持ちは吹き飛ぶが。
「その、私は止めた方がいいかなって。婚約者の候補も居るって話だし」
「だから、婚約者だのの話は全部ただの噂や。まだ決定もしてなければ、正式な話が挙がった訳でもない。どうしたんや、ただの噂に尻込みするなんて、アンタらしくもない」
「……でも、他にも綺麗な人や、魅力的な人が沢山居るんだって思ったら、なんだか場違いな気がして」
例の婚約者候補の話が根も葉もない噂だとしても、きっとカールへ想いを伝えようとする者は多く募るだろう。それに、彼が結婚を決める可能性があるのは学園の生徒だけではない。ローゼンタール家の婚約となれば、クルダス中から相手が押しかけても不思議はないのだから。
「きっと、カールにとって相応しい人が出て来る。もっと素敵で、もっと綺麗で。そう思ったら」
紡がれる言葉にルイシスは、セリアの膝から見上げる目を見開いた。その暗い表情で、セリアが何を思っているのか分かってしまったから。
けれど、その言葉は……
「分不相応だなって」
「……そりゃアカンで、お嬢ちゃん」
小さく呟かれたその言葉と同時にのそりとルイシスが起き上がったので、セリアは彼の背中に視線を移したがすぐに少しだけ驚いた。振り返ったルイシスのオッドアイが、見たことの無い色で揺れていたのだ。
「アカンでホンマに。それだけはな」
「ル、ルイシス?」
「分不相応?アンタがその言葉を口にするんか?」
そこで初めて、ルイシスの瞳が怒気の感情で揺れているのに気付き、セリアは焦りから冷や汗が流れる。今までルイシスがこんな風に怒りを表面にしたことは無かっただけに、一体何が彼を怒らせてしまったのかセリアには検討もつかない。
「なら、アンタが今までしてきたことは、分不相応やなかった言うんか?」
「えっ?」
「女だてらに剣振り回して、国政だなんだのの議論に口挟んで。マリオス候補生にまでなったのは、自分が相応しい思ったからか?身の丈に合った行いやったんか?」
「そ、それは……」
表情は何時もと同じ、ヘラリとしたものだ。けれどその纏う雰囲気と瞳の迫力は尋常ではない。思わずセリアが後退りかけたが、途端に腕を掴まれて距離を離すことは出来なかった。
「もっと実力はある。もっと能力はある。そんな存在が他には居なかった言うんか?アンタがこの国で一番マリオスの座に相応しいから。だからアンタはそれを目指したんか?」
「それは、違う。だけど……」
「マリオス候補生にまでなって、それは身の程を弁えた行動だったんか?違うやろ!アンタは、邪険にされようと、疎まれようと。何処の馬鹿どもが何を言おうと、自分のしたいことを信じて突っ走ってきたんやろが。国だ、忠誠だ、分不相応な言葉並べて、アンタは今の地位を勝ち取ったん違うか?」
怯むセリアからルイシスは少しも視線を反らさずに続けた。
分不相応な願いなど百も承知で、それでも歩き続けてきた筈だ。初めから、望まれていないことは分かっていても、そんなことは構うかと己の心のままに。
「誰からも望まれん。歓迎されん。身の程知らずや分かってて、それでも行動をするんがアンタやろ」
それこそが、自分が今まで見て来たセリアという女だ。自分の存在を肯定してくれた、自分を照らしてくれたたった一つの光。
「そのアンタが、分不相応や言うて尻込みして心を仕舞い込むなんて。たとえこの世の誰がそれを許しても、俺が許さん!!」
驚きで固まるセリアを前に、ルイシスはギシリと奥歯を噛んだ。
それだけは、耐えられなかった。セリアの口から分不相応なんて言葉を聞くことは、絶対に。
望まれていないだとか、身の程を弁えるべきだとか。そんな言葉は嫌という程聞いてきたし、何故そう言われるのか理解もしてきた。ただ、その言葉に従おうなどとは一度も思わなかったが。
けれど、どうしても後一歩の所で足りなかったのだ。深い溝のこちら側とあちら側の差を、もうほんの少しの所で飛び越えられなかった。
機会さえあれば。たった一度それを与えられたら、実力を示すことが出来る。分不相応だなんだと、開いた差を一瞬で埋められる。
そんなことを考えて歯噛みしていた時に、目の前を駆け抜けていった一つの存在。
ほんの些細な切欠から、どんどんと上まで駆け登っていった小さな背中。
自分の願望をまるで体現したかの様なその栗毛の少女に、知らずの内に胸が熱くなった。どうだ見たか、と。違いはあれど、差などない。その場所は、身分に相応しい者だけが許されている訳では無いのだ、と。
まるで光そのものの様に輝くその背が、自分をどれほど熱くさせたか。その少女が居るだけで、深いと思われた溝をいともたやすく飛び越えることができた。
それなのに、その少女が歩みを止めようとしている。不相応だと、その場所を求めることすら躊躇っている。野心を捨て、思考を止め、今の状況に甘んじようとしているなどと。
許さない、と一喝したルイシスはそこで漸く、息を大きく吐き出し無理矢理自身を落ち着かせた。思わず感情のままに詰め寄ってしまったが、目の前で目を見開く少女は驚いてはいるも怯えてはいなさそうだ。その表情は何処かキョトンと間の抜けた呆け顔で、恐怖の色はない。そのことにホッと安堵し、同時にどっと押し寄せた疲労感に肩を落とした。
そしていつものヘラリとした笑みを浮かべる。
「だらか、な。らしくないこと言うもんやないで」
「…………ルイシス」
「アンタが止まるくらいやったら、俺がその望み叶えたる。アイツが欲しいんやったら、手足縛ってでもアンタの前に転がして平伏させたる。アイツから愛の言葉聞きたかったら、俺があの澄ました顔地面に押さえつけて、喉の奥からその言葉引きずり出したるから」
「なっ!?それは、えっと……」
いつの間にか先程までの怒気は霧散し、普段の余裕気な態度に戻っていたルイシスに、セリアは首を傾げながらも若干安堵する。間もなく、とんでもない言葉が羅列し始めたので、セリアは先程までの思い悩んだ空気が吹っ飛んでしまった。
それと同時に、その言葉も胸に刺さった。
らしくない。そう言われればそうかもしれない。これまで何をするにしても、分不相応かなんて関係ないと突き進んできたのに。
そうだ。相応か不相応かなんて言ってられないではないか。自分の心が望むことはもう明らかなのだから。
「らしくない、よね」
「ああ、まったく似合わんで」
すかさず言われ、セリアも苦笑を漏らす他なくなる。
動いてみていいのだろうか。この心が望むままに、気持ちを口にして彼に伝えても。
そんなセリアの心を見透かしたように、またオッドアイが光った。
「ほら、言うてみ。アンタは何がしたいんや?」
「……気持ちを、伝えたい。んだと思う」
「よっしゃ。なら、それに向かって好きに動けば良いやろ」
ルイシスに促され、言葉にしてしまえば、また頭を何処かにぶつけたくなるような羞恥心が襲ってきた。頬に熱が溜まり、胸の辺りがむず痒くなる。
そんな頬を染めるセリアの顔に、ルイシスはまた面白いものでも見たかのように口の端を釣り上げた。
「でも、難しくないかなぁ?他にも沢山のご令嬢方が居るのに」
「ん?ああ、心配すんな。きっと、アンタの望みが叶いやすくなるように事は動くで」
「……? どういうこと?」
「ええから。アンタはただその気持ちだけ大事にしとき」
言いきかせてくるルイシスに、セリアは逆らえる気がせずに小さく頷いた。その様子に満足したのか、ルイシスが二ヤリとまた笑みを深くする。
「よっしゃ。なら、折角やし卒業パーティーの間のどっかで実行って、今の内に決めとこか」
「ええええ!?パーティーの間にするの?」
「なんや、まぁた尻込みするんか?」
「そ、そういう訳じゃないけど」
「せやったらとっとと覚悟決めろ。絶好の機会やろが」
どんどんと一人で決めていくルイシスに、セリアは顔を青くさせながらもそれを止める術を見出せずに内心で、そんな急にと悲鳴を上げた。