焦燥 3
セリアに付いてくる内に、アシリアもすっかり温室に馴染んでいた。今では七人で平和な学園生活を過ごしている。この日もそうなる筈であったのだが、不穏の空気はすぐそこまで来ていた。
授業が終わればクラスは生徒達の喧噪で騒がしくなるものである。いつもなら、楽しそうな話や笑い声が混じっているのだが、今日は少し違った。
「やっぱり無いわ」
「私のもよ」
「大切にしていたのに」
そんな声があちらこちらから聞こえてくる。それに混じって、鞄や机の中を漁る生徒の姿が目立った。
事の発端は数時間前、授業中に一人の女生徒が筆記用具を入れていたペンケースが無い、と言い出した事に始まる。
それから一時間と経たない内に、リボンが無いとか、ブレスレットが無いとか、物が紛失した訴えが続出した。二三人の訴えならば不注意で何処かに置き忘れたのだろう、と言えるがこれだけの人数が同じ日に物を無くすというのは不自然すぎる。
あるクラス内でのみ起きたこの事件に、誰も口にはしないが生徒達は一つの結論に達していた。盗まれたのだと。
セリアは自分の私物が紛失しているかを確認しながらも、自分のクラスで起きた窃盗事件の事を考えていた。被害は他のクラスには及んでおらず、被害者も女生徒に限定されている。盗まれた物も様々で統一性が無い。目的が分からないが、あまり気分の良い話ではない。
一通り目を通したところ、取り敢えず自分の私物は全て無事の様だ、とセリアは帰り支度をし始めた。
「セリアさん」
セリアは教室から出た所で呼び止められた。振り返れば不安そうな目でこちらを見てくるアシリアの姿。
セリアのクラス内で起きた事件とはいえ、学園内で噂が広まるのは驚く程速い。何が起こったかはアシリアも承知しているようで、セリアの私物は大丈夫か、と聞いて来た。セリアがそれに答えると安心した様にホッとした顔を見せる。
「あっ!セリアさん」
当たり前の様に温室へ向かおうとしたセリアを後ろから引き止める様にアシリアが声を発した。
「先程、ヨーク先生が通られて、セリアさんを探していた様ですが」
「ヨーク先生が?」
セリアが聞き返すとアシリアが頷く。ヨークが自分に何の用事だろう。と疑問に思いながらもセリアは職員室へ向かった。
その前に、自分の用事に彼女を付き合わせるのは申し訳ないと思い、アシリアには先に温室へ行く様に進める。
「いえ。私はここで待ってます」
「そうですか?すみません。じゃあすぐ行ってきます」
「よければ、鞄も預かりますよ?」
アシリアが申し出て来たのでセリアは思わず自分の鞄に視線を移した。不思議そうにしているセリアにアシリアは続ける。
「移動するのに少し邪魔でしょうし。私はここで待っているだけですし」
「いえ。でもそんなに重いものでも…」
「でも、温室で候補生様方を待たせてしまいますし。少しでも軽い方が動きやすいです」
アシリアの言葉に、それもそうだ、と納得するとセリアはアシリアに感謝しながら自分の鞄を預け、職員室へと足を急がせた。パタパタと駆ける様に廊下を歩けば、途中で他の教師に注意されるだろう。
その後ろ姿を見送ったアシリアは、よしっ、と気合いを入れるようにセリアの鞄を持ち直した。
「二人共、今日は遅かったな」
「ごめんなさい。ちょっと担任の教師に呼ばれて」
ヨークの用事というものは、なんてことはなく、レポートの記名忘れを指摘するものだった。
しかし、職員室はセリアのクラスから多少離れた場所にあり、どうしても時間がかかってしまう。出来るだけ足を急がせたのだが、案の定途中で別の教師に何度か足止めを食らって更に時間を取られてしまったのだ。
温室ではいつもより何処か重苦しい空気が漂っていた。セリアのクラスで起きた窃盗事件は、やはり候補生達にもしっかり伝わっており、全員がその事で色々と考えを出し合っていた所らしい。
「つい出来心で盗んじまった。っていうのじゃないよな」
「紛失した物に一貫性が見られない。目的は物では無い様に思う」
ランの考えは外れてはいないだろう。物欲による行為ならば、それを盗めばそれで終わる筈である。しかし、盗られた物には関連性が全く無い物も混じっている。ならば動機は他にあると考えた方が良いだろう。
しかし、ならば何が狙いなのだろうか。
沸き上がった疑問に頭を悩ませれば、ルネが確認する様に聞く。
「でも、盗まれたって事だけは確かだよね?」
「自然に紛失したにしては少し納得が行かないのは事実です。セリア殿のクラスでのみ起きたというのも気になります。何か気付いた事はありませんでしたか?」
ザウルの問いにセリアが、特に何も、とだけ答えると、また全員で考えを巡らせた。
それを見てセリアは少なからず申し訳なく思う。自分のクラスで起こった事なのだから、一番自分が近い位置にいる。なのに、何も気付かなかった事が悔しい。もう少し回りを注意していれば何かに気付けただろうか?
「きゃっ!」
悩むセリアの思考を遮る様に短い悲鳴が響いた。それに驚いて顔を上げると、アシリアがテーブルに手を突いて自分を支えている。アシリアが躓いて運悪くバランスを崩したのだ。
「すみません。うっかりしていて。あっ」
アシリアが下を見れば、セリアの鞄が転がっていた。いつもはテーブルの横にあるガーデンチェアに置いているので、アシリアが躓いた時に落ちたのだろう。留め具も外れてしまったようで、中身が少し飛び出ている。
アシリアが急いでそれらを拾おうと屈むと、おやっ、と首を傾げた。鞄から飛び出したのは、蝶を基調とした可愛らしいペンケース。しかし、セリアは普段なんの飾りも無いシンプルな物を使っているので、セリアの私物にしては違和感がある。
不思議そうにしているアシリアを心配したセリアがアシリアの肩越しに覗けば、そこには見覚えの無い物が転がっていのでセリアも目を見開く。
ある一つの可能性が頭を過り、まさかとは思いながらもセリアは自分の鞄の中身をひっくり返した。
「なっ!?」
「え!?」
鞄の中からジャラジャラと出て来たのは、どれも見覚えの無い物ばかり。しかも、リボンやブレスレット等記憶にある限りクラス内で紛失したと言われていた物と似ている。
視線を感じてギギッと壊れた人形の様に後ろを振り返れば、ジッと見詰めてくる候補生の姿。
「セリア。お前……」
「セリアさんじゃありません!」
「はっ!?」
また厄介な事に巻き込まれやがって、と続けようとしたイアンの声に被さる様に別の声が響いた。見るとアシリアが強い眼差しで候補生達を見据えている。
温室に居る全員が驚いた様な目でアシリアを見ても、彼女は気にした風もなく続けた。
「セリアさんはこんな事をする様な人じゃありません」
「あの、アシリアさん…」
普段は大人しいアシリアの、急な変化にセリアが唖然としている間にもアシリアは散らばった物を掻き集めて、スクッと立ち上がった。
「これは、私から返します」
「ええええ!そんな!駄目ですよ!」
「いいえ。セリアさんが疑われる様な事、あってはいけません!」
セリアは自分の恩人だ。こんな事で恩が返せるとは思わないが、せめてセリアが疑われる様な事態だけは避けたい。
そんな思いを秘めた瞳をしながら、アシリアは温室の外へ駆け出して行った。セリアも、まさかアシリアにそんな事をさせる訳にもいかず、慌てて後を追う。
温室を少し離れた所でアシリアに追いついたセリアは、抗議するアシリアを説き伏せて、なんとか半分だけでも自分で返す所までこぎ着けた。アシリアもかなり頑固なもので、中々譲ろうとしなかったが、最後には渋々と了承したようだ。
外へ消えて行った二つの後ろ姿を見送ると、温室に残された候補生達は同時にため息を吐いた。
「あれは何だ。そういう体質か?」
「新しいタイプの才能かも」
どうすれば、ああもフラッと一人で厄介事に巻き込まれる事が出来るのだろう。
「冗談を言っている場合ではないだろう。とにかく、これで相手の狙いは分かった」
ランが言った言葉に他の候補生も頷く。盗まれた物がセリアの鞄に入れられていた。これの意味する事は限られてくる。
そして、最終的な結論は、標的は物でも、盗品の持ち主でもなく、セリアだという事。窃盗事件で、その証拠品をセリアが所持していたとなれば、誰でもセリアが犯人だと考えるだろうから。
しかし、分かったと言ってもそれだけである。まだ誰が犯人か、何故セリアが狙われているのかは検討もつかない。
セリアに注意する様に言い、再発を防ぐのも一つの手だが、それでは解決したとは言えない。セリアが疑われ、そのまま犯人になってしまえば退学もありえるのだ。
マリオス候補生である自分達が弁護するにしても限界があるだろう。しかも、あの警戒心の無さもいい加減にしろ、と言いたくなる様なセリアである。注意するにしても、何処まで信用してよい物か。次に相手がどのような手で来るかも分からない。
思わず頭を抱えたくなる様な状況に、全員が再びため息を吐いたのは同時だった。
アシリアから預かった物を返すべく、セリアは校内を大急ぎで駆けずり回っていた。それを、またか、と呆れた様な教師の視線で睨まれても無視である。今はそれどころではないのだから。
一つ一つの持ち主を探して、彼女達の物を返せば当然聞かれるのはそれらが何処にあったか。自分の鞄の中にありました、なんて自分が盗んだと言っている様なものである。
しかし、だからといって上手い誤魔化し方も思いつかず、下手な嘘を言って後々厄介な事になるのも避けたい。なので正直に話せば、案の定自分がやったのかと聞かれた。そんな直球で来るかと驚きつつも、勿論それは全力で否定し、疑わしい視線を向けられたものの、なんとか納得して貰えた。
自分の持っていた物を全て返し終え、脱力した様に肩を落とすと、こちらも終えたのかアシリアに呼び止められた。
彼女にも迷惑を掛けてしまったな、と謝るとアシリアは首を横に振り、気にしないで下さい、と告げる。その様子にも感謝しながら、セリアは疲れた様に息を肺から全て出し切った。
「そう心配するなって。その内、解決出来るって」
「そうかなぁ…」
セリアを心配したイアンが、いつかの様に彼女の部屋の窓を訪問していた。そう何度も来ては見つかるのでは、とも思うがこの時間に学生が外を出歩いている事はまず無いので大丈夫だろう。
「取り敢えず、お前が気を付けてれば一応は大丈夫だろうな。どうだ、出来るか?」
「それくらい出来ますとも。心配しないで」
「…お前、それ本気で言ってるのか?」
「どういう意味よ?」
セリアがムッとした風に聞けばイアンは失言した様に頭を押さえながら息を吐いた。その様子にセリアが更に不満を募らせる。
ここで何を言っても彼女には無駄だろう、と判断したイアンは、分かった分かったと、まるで聞き分けの無い子供をあやす様にセリアの頭に軽くを手を乗せた。子供扱いされたセリアはどうも納得出来ない様子だ。
唇を尖らせるセリアに思わずククッと笑ったイアンだが、すぐ横で窓の開く音がして止めた。驚いてそちらを見やると、青髪の少女が窓から顔を出している。
「お話中悪いんだけどね」
「ア、アンナ」
「密会は良いのだけど、もう少し静かにしてくれるかしら」
「え?あっ!その、ごめん」
密会、等という言葉を平気で使うアンナに、セリアも一瞬たじろいだが、取り敢えず煩くしてしまった事に頭を下げた。
セリアが謝罪すると、アンナは今度はイアンに向き直った。何処か鋭い視線にイアンも思わず背筋を伸ばしてしまう。
「マリオス候補生のイアン・オズワルト様ですね」
「あ…ああ」
「候補生の方ならご自分の行動には責任を取られると思いますが、連帯責任でこちらも処分される様な事態は避けて下さい」
「も、勿論だ」
言いたい事だけ言うと、アンナはそのまま自室へ引っ込んだ。その様を少しの間呆然と見ていたセリアとイアンだが、その内に二人で同時にクスクスと笑い出した。
「変わった友達だな」
「というより、良き隣人かな」
暫く二人で忍び笑いをしていたのだが、また隣人の邪魔をしては悪いと、今度はヒソヒソと内緒話でもするように話始めた。
暫く聞こえていた笑い声が静まると、アンナは漸く本に集中する事が出来た。
隣の部屋に栗毛の地味な少女が来てからというもの、周りが騒がしくなる事が多くなったな、とアンナは実感する。
誰かが騒がしくするのも、校則を破るのも構わないのだが、それが寮の隣人となれば少し気になる。この学園はそれなりに厳しい上に、連帯責任という物が存在するのだ。自分まで被害を被るのは是非とも避けたい。
それに、彼女と自分の距離が近い為、面倒がこちらまで及ぶ事だってあるのだ。
初めて彼女を見た時、山積みになった椅子が自分の部屋へ入る扉を塞いでいた。それなりに噂が立っていたあの状況で、何が起きたかを察するのは難しくない。
あの頃に比べれば幾分か落ち着いたが、また厄介な事に巻き込まれるのは御免である。まあ優秀なマリオス候補生の事だ。進んで周りが迷惑する様な事態を作る事はしないだろう。
などと考えているアンナだが、イアンに釘を刺したのは多少なりともセリアを心配しているから。………だと信じたい。
クラス内で起きた事件から一晩経った今、セリアは窮地に立たされていた。
「聞いているの!」
「あの…」
「あんな卑劣な真似をするなんて。恥ずかしくないのかしら?」
「いえ、ですから。あれは私ではなく…」
「そんな事が聞きたいのではないわ!」
廊下を普段通りに歩いていたのだが、数名の女子生徒に囲まれてしまった。
昨日の説得で多少は納得してくれたとも思ったのだが、そうはいかない生徒も居たらしい。
やはり全て自分で返しに行くべきだったのか、ここに居るのは被害にあった物の返却をアシリアに頼んだ分の持ち主達だ。それに混じって全く関係無い生徒の姿もあるのだが、これは日頃のセリアに対する恨みを晴らすべく集まった者達である。
「候補生様達に気に入られてるからって、好い気になっているのではなくて!」
「本当に。貴方みたいなのが、一体どうやって取り入ったのかしら」
いやいや。確かに候補生達とは親しくさせて貰っているが、何を好い気になるというのだ。そんな要因は全く無い。それに、マリオス候補生である彼等が簡単に誰かに取り入られる程度の器ではないと思うのだが。
それを実際口にさせて貰えそうな雰囲気ではないが。
しかし困った。このままでは、自分が犯人にされてしまうではないか。そうなれば、最悪の場合退学もありえるし、そうでなくとも実家から呼び戻されてしまうかもしれない。
そんな事態を避けるため先程からこうして否定しているのだが、最初から彼女達に聞く気は無いようで、同じ事の繰り返しである。
「君達。何をしている」
唐突に響いた声に弾かれたように全員がそちらを見た。視線の先ではこちらへ向かって歩いてくる、ランとイアン、それにルネの姿。
廊下の向こうから堂々と光を放ちながら歩いてくる姿に、その場の誰もが気圧されてしまう。三人の姿など見慣れている筈のセリアでさえ言葉に詰まる程に今の三人は威圧的な空気を纏っていた。
「あ、あの…昨日、クラスで私達の私物が紛失して…その事で少しお話を」
「そうです!それがセリアさんの鞄から見つかったんです」
それを聞いてラン達は思わず出そうになるため息を堪えた。
予想はしていたが、やはりこうなってしまったか。気をつけろ、と言ったのはこういう状況にもならないよう注意しろ、という意味も込められていたのだが。やはりというか、セリアにはそんなこと欠片も伝わっちゃいない。
「それは聞いている。が、彼女はそれを認めてはいないのだろう?」
確認する様にランが言えば周りの生徒も、うっと言葉に詰まる。しかし、やはり納得いかない者もいるようで縋る様な目でランを見詰める。
「でも、証拠があるんです」
「まだ決定的とはいえない。それに、彼女が今回の様な事をする人物ではないと私は信じている」
スパっと言い切られ、今度は誰もが口を噤んだ。決意の籠った声で言うランに、誰も何も言えなくなってしまったのだ。やはり迫力というか、貫禄が違うのだろう。
「今回の件は、解決の為に我々マリオス候補生も尽力を尽くす積もりだ。なので、彼女を疑うのは待って欲しい」
その姿は今までに見ないほど凛としていて、神々しささえ醸し出している。その姿に暫く見惚れていた生徒達が「失礼しました」と慌ててその場を立ち去ると、その光景を呆然と見ていたセリアも正気に戻った。
ここまで言ってもらえるとは、なんだか申し訳ない気持ちと、自分には勿体ない様な感じとで一杯になる。
とにかく、助けてくれた彼等に礼を言おうと向き直ると、口を開く前に頭の上に手を置かれ、驚いて出かけた言葉を飲み込んだ。
視線を上げると、自分を優しく見詰める三人の瞳と合う。その目が「心配するな」と言っている様で、なんだか安心してしまった。しかし同時に、また彼等に迷惑をかけてしまったな、と後ろめたい思いも湧いてくる。
それでも、そんな考えを押しのけるようにイアンが乗せてくれた手が力強く頭を撫でるので、それにほっと安堵してしまう。学園に来る前は味わった事の無いものだ。
「行こうセリア」
ルネに優しい声でそう言われ、セリアは大人しくそれに従った。
候補生がセリアを庇った、という話はセリアを囲んでいた生徒達によって瞬く間に学園中に知れ渡った。
多少の尾ひれがついたその噂を聞いた殆どの女生徒達は更なる嫉妬の炎を瞳に宿し、他の生徒は候補生がこの件をどう解決するかと興味を抱いた。教師達でさえ候補生が動いてくれるなら、と安心する。
学園を飛び交う噂は、当然の様にある生徒の元にも届き、それはその者に大きな決断をさせる事となった。
許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない
どうしてあの子なの?なんでよりにもよってあんな子なのよ?誰が何て言っても、私は認めない。自分の気持ちに嘘をつくなんて絶対にしない。
絶対に、許さない
そうよ。あの人の言葉は正しいんだわ。私がやるしかないの。