茶会 2
エリスの要件を聞くにあたり、何故かセリアは自室ではなく隣のアンナの部屋に通された。
「実は、セリア様をお待ちしている間、アンナ様の部屋でお茶をさせていただいて」
ここからはセリアも交えて茶を飲みながら話そうと言い出したエリス。それで本当に良いのだろうか、とチラリとセリアが隣人の顔色を伺えば、どこかもう諦めたような顔で深く溜息を吐くアンナの姿。
「な、なんだかごめん」
「……いいわよ、別に。今はやることも特に無いし」
そう言いながら二人を自室に通したアンナは、さっさと椅子の一つに腰を下ろした。エリスもそれに続いたので、セリアも慌てて椅子を引く。
「それで、エリスさん。用事というのは?」
「はい。えっと、セリア様には幾つかご質問に答えていただきたくて。マリオス候補生様のことで」
「は、はぁ。あ、でも、マリオス候補生の制度なんかは、クルーセル先生やハンス先生の方が参考になるんじゃ」
言った途端、横から大きな溜息が聞こえた。思わず振り返れば、アンナが心底呆れたように肩を落としている。
な、なんだ一体!?とセリアが焦れば、質問していたエリスが戸惑ったように首を傾げた。
「えっと、制度とかではなくて…… 候補生のランスロット様達のことです」
「ラン達の、ですか?」
いまいちエリスが何を求めているのか分からない。そんな疑問が表情に見えるセリアに、アンナがついに口を開いた。
「そろそろ卒業でしょう。それで、候補生様達と関われる最後の機会だから、女生徒達が色々と準備したがってるのよ」
「はい!お祝いの贈り物なんかで、それぞれの候補生様の好みなんかをもっと詳しく知りたくて」
アンナとエリスの説明に、はぁ、とセリアは短く頷いた。
その微妙な表情から、セリアの疑問を感じとってしまい、アンナは面倒ながらも説明を続けることにした。
「あのねぇ、他の女生徒が、直接貴方に聞ける訳ないでしょう」
「は、はい…… すみません、セリア様。私の同級生達には、セリア様は怖い人ではないって説明してるんですが、やっぱり女性初のマリオス候補生ということで、畏れ多いと遠慮してしまって。ですから、私が代表で」
「私も幾つか聞くように頼まれたわ。私達と同級生の女生徒は、今更貴方に顔向け出来ないしね。まぁ、当然断ったけど」
大量の質問を一々受けるなんて面倒なことを、それほど親しくもない人間の為にしてやれるか、と紅茶を喉に流すアンナに、セリアは漸く納得した。
「それで、かなり沢山あるんですが…… まず、ランスロット様のお好きな色を教えてください」
「えっ?い、色、だと、えっと、なんだろう?色、かは分らないですけど、刺繍は金糸のものをよく見ますね」
「なるほど、金糸っと。ではイアン様は?」
「イアンは、群青色みたいな、濃い青が好きだったような……」
セリアの解答になるほどなるほど、と頷きながらメモするエリス。その様子に、セリアはこれで良いのだろうか、と僅かに頬を引きつらせた。
唐突に始まったのでつい答えてしまったが、きっとここでエリスに教えた内容は、人の口を伝って学園中の女生徒方に広まってしまうのではないか。彼女達の候補生に対する熱意を知っているだけに、それが大袈裟に思えなくて怖い。
とはいえ、彼女達が候補生の為に何かを贈りたいと考え、出来る範囲で最上の物を、という意志の籠もったこの努力を、一方的に撥ね除けるのもどうかと思ってしまう。
そんなセリアの内情がまたも伝わってしまったのか、横でアンナがまた口を開いた。
「いいんじゃない、これくらい?マリオス候補生は、注目されるのも義務の一つでしょう」
「そ、れはそうなんだけど……」
核心を突く言葉に、セリアもうぅんと首を反らす。確かに、マリオス候補生というのは周りから注目を集めるものだ。それも責任となる立場なのだし、それにこの程度で彼等がどうこう言うとは思えない。
まあ、個人的なことに深入りするような質問は答えられないが、好みの色程度のことなら構わないだろう。
と、セリアはエリスの質問に意識を戻す。
「ザウル様の好みそうな場所はありますか?」
「場所……? 苦手な場所なら、人込みがあまり好きじゃないみたいですけど。特に好きな場所っていうのは思い浮ばないですね」
「ああ、そうですか」
少し残念そうにしながらメモを取るエリスを微笑ましく見守っていたセリアだったが、次に飛び出した質問に固まった。
「では、カールハインツ様なんですが。お好きな食べ物とかはありますか?」
「……え?カール、ですか?」
「はい!特に、カールハインツ様は好みが分かり難いので、詳しく聞いてくるように言われました」
う、とセリアは喉の奥が引き継ったような感覚を覚え、思わず拳を握りしめた。
そして漸く思い出す。女生徒達が常に熱い視線を送る候補生達だが、それはカールも同じだったということを。
「ランスロット様とカールハインツ様は贈り物をしたいという人がとにかく多くて。ランスロット様はお優しい感じですし、他の方とも個人的なお話をされることがあるので多少は好みが想像出来るんですが、カールハインツ様はそうはいかなくて。それに公爵家の方ですし、品質で御眼鏡にかなうような物は難しいので、せめて好みで受け入れて貰えれば、と皆さん考えてるみたいです」
「そ、そんなに沢山の人が……?」
セリアの呆然とした様子には気付かずエリスは続ける。その台詞を聞きながら、セリアの胸にまた訳の分らない感情が芽生えてきた。
確かに、失念していたがカールに想いを寄せる女性は幾らでもいるのだろう。そしてその多くが、こうして彼に想いを込めた贈り物をしようとしている。
それはつまり、その誰かをカールが受け入れる未来もあるということだ。きっと女生徒の中には、可愛らしい人や美しいご令嬢もいる。そしてもしそうなれば、カールはきっとその女性を抱きしめるのだろう。
想像したと同時に胸に石が詰め込まれたような、とても嫌な感覚を覚えた。
「カールハインツ様の人気って凄くて。やはりランスロット様と並んで目立つ方ですし、あの厳しい眼差しに惹かれる人も多いみたいですね。私の友人なんて、あの方に睨まれると逆に喜んでしまうんですよ」
そう語るエリスはとても楽しげだ。やはり年頃の娘らしく、恋心に関連した話題には胸が弾むのだろう。饒舌に語る内容は尽きないらしい。
そんなエリスの言葉が耳に入るごとに、セリアに芽生えた嫌な感情は更に大きくなっていった。
カールが他の女生徒と並ぶ姿を想像せずにはいられないが、脳裏にそんな光景が写るだけで腹の底が熱くなる。
それはムカムカと、久しく感じたことがないほどの、苛立ち。愉快とはとても言えない想像ばかり膨らんで、拳を握る手に力が籠ってしまう。
なんだろうか、この不快さは。胸が締めつけられるような感覚は汽車で感じたものと同じなのに、今は羞恥ではなく苛立ちで頭を何処かにぶつけたくなる。
贈り物をする可愛らしい女性をカールが気に入ってしまうのでは。そして、カールの横に誰か自分ではない女性が立ち、その手を彼が取るのではないか。
それは…… 気に入らない
「……あっ」
唐突に、そんな風に吐き捨てた自分の思考に気付き、セリアは思わず驚いて声を漏らした。
その音にアンナもエリスと視線を声の主へと向ける。すると当人は、少しの間固まったかと思うと急に俯き、そして肩を小刻みに揺らし始めたのだ。
「えっ?あの、セリア様」
「く、くく……」
プルプルと小動物の様に震えるセリアに、何事だとエリスとアンナが顔を見合わせていると、漸くセリアが俯く顔を上げた。
そしてその表情は……
「ア、アハハハ!」
心底可笑しそうに笑っていた。
それはもう、腹を抱えるような勢いで笑い出したセリアに、エリスもアンナも反応に困る。何か笑うような話題があっただろうか。
「あの、セリア様。どうされたんですか?」
「あ、ご、ごめんなさい。私今、ヤキモチを焼いてるみたいです」
「はっ!?ヤ、キモチ……?」
ムカムカと擬音が付きそうなほど、腹の底から胸に直接流れ込む感情の正体に、セリアは思わず込み上げた笑いを押さえ切れなかった。
「あ、あの…… ヤキモチですか?それって、あの、つまり…………」
未だ笑いを止められていないセリアだが、その言葉の意味を理解すると共にエリスは目を見開く。それはアンナも同じなのだが、目の前で起こっている事態とその事実とが結びつかない。
「それで、どうして笑うのよ?」
流石のアンナも気になり問いかけてみると、ゆっくりと息を吸い込んだセリアが漸く落ち着いた様子で口を開いた。
「これがヤキモチなんだって思ったら、なんだか可笑しくって。原因はとても理不尽なもので、苛立ったったって意味が無いようなことなのに、それでも抑え切れなくて」
カールの横に女性が立ち、その女性をカールが抱きしめる。そんな自分の想像に自分で苛立つなんて。
「でも、そんな身勝手にヤキモチを焼くくらい、その人を好きなんだと思ったら……」
これがヤキモチなのか、と自分で気付くと可笑しくなってしまい、同時になんだか胸をくすぐられる感覚を覚えた。この短期間でこんなに様々な感情が走るなんて、初めての経験だ。
そんな風に語ったセリアは、目の前のエリスとアンナがジッと自分を見つめながら目を見開いているのに気付いた。
「あ、ごめんなさい。質問の途中でしたよね。えっと、カールの好きな食べ物でしたっけ。確か、辛いものが……」
「えっ?ま、待って下さい」
「へっ?」
途中で慌てたように止められ、セリアは驚いて言葉を切った。エリスの質問に答えただけなのだが、もしかして何か違っていただろうか。
「あの、質問はもういいです」
「え?でも、そんなにリストが残っているのに」
「これ以上、セリア様に聞けません」
青い顔で首を振るエリスに、セリアの方が途端に青冷める。一体、なにをどうしてそうなったのだ。もしや、自分がヤキモチを焼いているなどと聞かされて機嫌を損ねてしまったのだろうか。
「だって、セリア様は候補生の何方かが好きなんですよね?」
「あ、ああ!えっと、そ、そうなりますね。お恥ずかしながら」
そこで漸く、自分がうっかりいらぬ事実まで告白してしまっていたのに気付いた。改めて他人に言われると、なんと小っ恥ずかしいことか。
エリスやアンナなら他人に言いふらしたりはしないだろうが、何処か気まずい。
「そ、それでしたら、その…… こういうことはセリア様のご負担になるのでは?」
「いえいえ。そんなことありませんよ。あの、ヤキモチっていうのは、あくまで私一人のことでして。でも、それは私が勝手に思ってるだけで。他の方々にご迷惑掛けるようなこと出来ません」
「あの、それは…… なんだか違うような」
これは自分の感情だ。確かに、その贈り物の中からカールが誰かを選んでしまうかもしれないと思うと心臓を握られるような息苦しさを覚える。けれど、だからどうした。それを理由に、気に入らないからと身勝手に他人の邪魔になるようなことをしていい訳がない。
遠慮しようとするエリスを必死に説得し、気にする必要などないとセリアはリストの質問の続きを促す。
懸命に促されてつい負けてしまったエリスだったが、それでも気を遣い質問の量を大幅に減らしたのだが、終わる頃には既に一時間近くが経過していた。
「あの、セリア様。……ありがとうございました」
「はい。それではエリスさん、また学園で」
未だ何処か戸惑った様子のエリスに小さく手を振って見送るセリア。そんなセリアにエリスも言うべき言葉を見出せず、静かに退出していった。
その様子を普段の笑みで見送ったセリアだが、内心ではやはり僅かな寂しさが未だ纏わり付いていた。
「……よかったの?」
「うん」
アンナが確かめるように聞いてきた言葉に、セリアは小さく頷いた。幾ら不安だからといって、それを誰かにぶつけてしまうことほど、見当違いなことはないと知っているから。
「でも、やっぱりちょっと……」
拭い切れない息苦しさがある。そんな風に思っていると、すぐ横で深い溜め息が聞こえた。
「なら、会って来たら?」
「へ?」
「貴方なら、別に会うのに特別な理由はいらないでしょう。学園に戻った報告ついでに、会って来たらどうなのよ」
「あ、うん!そうだよね。行ってくる。ありがとう、アンナ」
言うが早いか、顔を輝かせたセリアが立ち上がる。そのまま部屋の扉へ向かったかと思うと、その手前で立ち止まり、くるりと振り返った。
「アンナ、色々ありがとう。アンナが隣人で良かった」
そう言いながら去っていったセリアに、アンナはまた深く溜め息を吐いた。どうしても、彼女の思考が読めないからだ。
何をどう考えたら、エリスに気にするなと候補生達の好みを教えられるのか。むしろどうしてあそこで教えないという選択肢に行かないのか、そちらの方が分らない。普通は、なんだかんだ理由をつけて断るところだろうに。
ましてや彼女はマリオス候補生であり、他の候補生達とこの学園で誰よりも近しい友人だ。その学園中の誰よりも有利な位置を使って、その他の生徒に付け入る隙を与えてどうする。
しかもその表情や先程の言動から、その行為が決して優位に立つ故の驕りから来ているものでもないことは明白だ。むしろ自分が有利だなどと自覚すらしていないのではないか。
以前からもしやとは思っていた。そして、今日また強く感じた。
あの女生徒では初となるマリオス候補生になり、将来的にこの国を守る存在となることを期待された自分の隣人は、どうやらただの阿呆のようだ。