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大地の宝石  作者: 森宮 スミレ
〜第四章 輝く貴石〜
153/171

母親 1

 気まずい、という言葉がピッタリだった今朝の状況を思い出しセリアは一つ溜息を吐いた。そのまま座った汽車の席の窓にコツンと頭を預ける。


 朝食の為に食堂へ行けば、丁度イアンとすれ違ってしまったのだ。彼の顔を見た瞬間、ビクリと肩が跳ねたセリアに向けられたイアンの苦笑は、なんとも言えないものだった。それをセリアも自覚してしまっただけに、込み上げた罪悪感と気まずさに顔が自然と俯いていた。


 けれどその瞬間に額を軽く弾かれ、思わぬ打撃に顔をあげた瞬間に向けられた優しげな笑みに、それ以上沈んだ顔をする訳にはいかなくなる。

 そしてそのまま軽くおはよう、と頭を撫でられれば、同じ言葉を返すしかないだろう。


 胸の痛みはまだあるものの、昨夜よりも幾分か出易くなっていた声でなんとか挨拶だけ返せた。

 この痛みは消えなくとも、それを抱えてのイアンとの会話にこうして慣れていければと思える。



 それもあるが、それよりも今はこちらだ。とセリアは軽くなった筈の肩に、再び重みを感じて溜息を吐いた。


 イアンの求婚は断ったと、母に直接伝えなければ、と帰郷の道をセリアは急いでいた。


 重い気分を誤魔化すように外の景色を眺めて汽車の中の時間を潰した。目的の駅を降りれば、頼んでおいた馬車を探す。学園都市や王都ほど賑うこともなく、人もまばらな中でそれは比較的すぐに見つかった。


 近付けば御者に身元だけ聞かれ、馬車に乗り込んだセリアが行き先を告げればまた少しの間暇になる。ここでもセリアは窓の外を眺めることで時間を潰した。


 どんよりとセリアの心を反映させたような曇り空の下、少しずつ増える見慣れた景色に、また溜息が込み上げてくる。

 何をどう言えば良いのだろうか。いや、どう言おうときっとまた母は怒り狂うだろう。それだけで済めばいいが。


 到着が一秒でも遅れてくれれば、などと内心で考えていたのだが。馬車はセリアの望みを嘲笑うように何事もなく、それどころか予定より少し早めにベアリット邸へ着いていた。


 屋敷の扉の前に立ち、もう逃げ場はない、とセリアは諦めて久し振りに我が家へと足を踏み入れる。


 セリアが扉を開けると同時に、玄関ホールで数人の使用人が出迎えてくれた。見慣れた顔の出迎えに一瞬嬉しさを覚える、が、その顔は揃って何処か気まずげなことに気付いた。

 その内の一人が一歩進み出て何かを伝えようと口を開くが、その前にセリアはそれを手で制す。言われずとも、この空気で分かる。この家の女主人である母の機嫌がどこまでも悪いのだろう。


「戻ったのね」


 急に降ってきた声に、ビクリと肩が跳ねる。慌てて顔を上げれば、階段の上から自分を見下ろす女性の姿。


「母様」

「話があります。すぐに南の居間に来なさい」

「……はい」


 そう言ってさっさと先に行ってしまったクリスティーナに、セリアはどうしたものか、と胸に鉛でも流し込まれたような重さを感じた。


 しかし、呼び出されては行かない訳にもいかない。

 未だ心配そうな顔の使用人に、平気だと笑みだけ向けた。そして暫くは近づかない方がいいとも告げる。瞬間走った緊張にセリアは申し訳なさを覚えるが、間違いなく一騒動起こるだろうことは伝えておかねば。


 そして漸く、クリスティーナの待つだろう居間へ向かった。


「あの、お嬢様」


 先程も母の不機嫌を忠告してくれようとした使用人に呼び止められ、セリアは足を止める。


「……今、旦那様がこちらに向かっておられます」

「そう……ありがとう」


 父、オスカルの存在に、セリアの胸に僅かに希望が生まれた。

 一度怒りが頂点に達した母でも、父の前ではそれを抑えるのだ。彼が来てくれるのならよかった、と安堵が広がる。


 そういえば、何故母はどんな時でも父に怒りをぶつけないのだろうか。ふと、セリアにそんな考えが過った。

 彼女は、たとえどんなに手が付けられない程興奮した状態でも、父が部屋に入るだけで一瞬怯んだように声を沈めるのだ。それでも、今度は冷静に見せた口調で父を説得にかかるが。


 だから子供の頃は、怒られている時にオスカルの登場が救いだったことをよく覚えている。この屋敷では誰でも知っていることだ。クリスティーナを収められるのはオスカルだけだ、と。


 けれどそこで不思議に思う。母が怒りや嫌悪を遠慮なくぶつける性格なら、父に対してそうでないのは何故だろうか。父が現れると一瞬怯えるのは。

 父を恐れているということか。けれど彼は母を宥めこそすれ、声を荒げたことは記憶の限り一度として無い。元々が穏やかな人だし、普段の生活でも母へ怒りをぶつけることは無かった。だから、クリスティーナが恐れる理由は何も無いように思う。



 ならば、とそこまで考え、そして今だからこそ疑問に思った。母は、父をどう想っているのだろうか。

 そして、父は……?

 二人は、昔の出来事を互いにどう思っているのだ。


 そんな考えがグルグルと頭の中で空回りしている間に、セリアは居間へ辿り着いていた。ここまで来たなら、今は考えるよりも報告が先だろう、とゆっくりその扉を開く。


「母様……」


 覚悟を決めてその扉をくぐれば、部屋の中でソファに腰を下ろしたクリスティーナと視線が合った。昔からの条件反射でその温度の無い瞳を向けられると喉が言葉を飲み込もうとするが、今回はそんな訳にいかない、と拳を握った。


「カレンから話は行ってると思いますが、貴方の結婚の話です」

「母様、そのことですけど……」

「日取りは早い方が良いでしょう。相手の方の家ともお話は必要ですが。向こうも同じくフロース学園の生徒ですし、婚約発表は卒業後まで待ちましょう。でも、一年以内には式を挙げます」

「待って下さい。そのことで大事なお話が……」

「相手の家に嫁ぐということなら、ベアリットの跡継ぎは貴方達の子供になります。相手の不興を買わないように、婚約期間中に花嫁として出来るだけの準備を、」

「母様!!」


 まるで自分の言葉など聞こえていないかのように、報告だけ続ける母に、セリアもこれでは不味いと声を荒げざるを得なかった。


 途中で話を止められたのが気に食わなかったのか、セリアの大声が気に触ったのか。恐らく両方だろう、クリスティーナが眉を寄せる。心底忌々しげな表情を向けられたが、ここでセリアは負ける訳にはいかなかった。


「そのお話ですけど、イアンと結婚はしません」

「……貴方の意見は聞いていないわ。こんな有り難いお話を断るなんて出来る訳がないでしょう」

「いいえ。私、イアンには昨日断ってきたんです」

「なんですって……?」


 低くなった部屋の温度がセリアを突き刺す。けれど、そんなことでこの話を終わらせる積もりはない。これははっきりとさせなければ。


「イアンの求婚は断りました。彼も了承してくれて。私は、彼とは結婚しません」


 言った途端、クリスティーナが怒りで拳を振るわせたのをセリアは見た。次の瞬間には大声が飛んでくるか、と身構える。が、予想とは反して、クリスティーナは静かに立ち上がっただけだった。


「呆れて言葉もないとはこの事ね。けれど、予想もしていました。どうせ貴方のことだから、また私に反抗するだろうとはね」

「は、反抗する積もりで断ったんじゃありません!母様、ちゃんと聞いて下さい。イアンとのことは……」

「今更どうでも良いことです。そちらのお話が無くなったなら、別を進めるまで」

「べ、別って……?」


 嫌な予感が胸を走る。そんなセリアに、クリスティーナは当然だろうと眉を寄せた表情のまま告げた。


「貴方の結婚です。この際、相手が誰でも関係ありません。オズワルド家からは青の盟約ということだったので、こちらは流そうかとも思ったけど、万が一の為に待ってもらってよかったわ」

「母様」

「南に領地を持つ子爵家の方です。次男ということで、ベアリット家に婿入りして下さるそうで。今後も私が話を進めるので、貴方はもう結構よ。結婚後の花嫁としての役割だけ気にしなさい」


 ここまで。ここまでするのか、とセリアは唇を強く噛んだ。

 いや、分かってはいたことだ。クリスティーナがセリアに何を望んでいるのか。そんなことセリア自身、もう嫌というほど理解させられてきた。


 少し前の自分だったら、もう諦めて受け入れてしまっていたかもしれない。マリオス候補生として過ごして、充分に有意義な学園生活を過ごせた。

 国王陛下やあのジークフリードにも、将来的にマリオスとなることを期待すると言われたのだ。

 マリオスになれるなれないは別にしても、結婚がその評価に響くようなことはないと、陛下に会った今なら言える。


 夢や憧れのその先への道も築けたのだから、母がこれほど望むなら結婚した方が良いのかもしれない。そう思えたかもしれない。


 けれど、今は無理だ。もう、あの感覚を知ってしまった今は。触れるだけで安心出来る場所が、もう自分にはある。それ以外では、違うのだと身体中が悲鳴を上げるような場所が。

 この気持ちに整理をつける前から、他の誰かとの結婚を考えろなんて、とても無理だ。



「で、出来ません」

「なんですって?」

「出来ません。私は、今は何を言われても、誰かと結婚なんて考えられません。婚約も、する積もりはありません」


 分かってくれ、と願いを込めて自分を睨みつける母を、セリアは必死に見つめ返した。その表情から温度が抜け落ちていく様に、恐怖しか覚えないがそれでもここは引けない。


「そう。また、私に逆らう積もりなのね」

「ち、違います!逆らうとか、そんなのじゃありません。母様、分かってください。今の私は……」

「黙りなさい!!」


 怒声だけでなく、テーブルに用意してあった紅茶の入ったカップまで投げつけられセリアは言葉を失った。飛んできたカップはセリアの手前で床に落ち、飛び散った紅茶と砕けた破片をセリアは呆然と見つめる。


「逆らう積もりがないですって!?貴方が何時私に従ったと言うの?フロース学園への転入も、学園に残ると言った時も」


 怒りに任せるクリスティーナに、セリアもやってしまった、と後悔が募るがもう遅い。もう少し、別の言い方をするべきだったのか。


「どうして解らないの?貴方がすべきことはただ一つ、ベアリット家長女としての役目を果たすこと。それの何が気に入らないというの!」

「か、母様、私は……」


 違う。長女としての役目が気に入らないということではないのだ。ただ、それだけを目的に生きるような考え方が出来ない。それを理解してもらいたいのに。

 けれど、髪を振り乱してこちらを睨んでくる母に、なんと言えば良いのか分からない。


「いつも、いつもそう。そうやって貴方は…… 一体どれだけ私を苦しめれば気が済むの! 」


 そこまで吐き出した途端、興奮が頂点に達したのかクリスティーナが激しく咳き込んだ。


「母様!?」

「ア、カハッ… ゲホッ」


 床に膝を付くクリスティーナに、セリアは思わず駆け寄る。しかしその途端、クリスティーナが苦しそうにしながらもギロリと睨み付けてきた。触るな、とでも言いたげなその視線にセリアはそれ以上近付けなくなる。

 けれど捨て置くことも出来ず、どうしようかと途方に暮れていたのだが。



「クリスティーナ!」

「父様!」


 廊下を駆ける靴音と同時に扉が大きく開かれた。そこから現れた男性に、セリアは縋るような目を向けた。


「父様、母様が……」

「だ、旦那様」


 オスカルが登場した途端、傍に居たセリアが漸く気付く程度だが、クリスティーナがビクリと怯えたように震えたのが分かった。

 そしてまた何故、と部屋に入る前の疑問を思い出す。


 セリアが答えを出せない間に、オスカルが蹲るクリスティーナをゆっくりと助け起こす。


「旦那様、申し訳ありません」

「いいから、今は少し休みなさい」

「ですが!この娘に自分の立場を自覚させるのは、ケホッ、私の役目です」

「クリスティーナ」


 食い下がろうとしたクリスティーナだが、静かに名を呼ばれ口を閉じた。


「体調が良くないようだ。一度、部屋に下がった方がいい。何があったかはセリアから聞く。君は休みなさい」

「……かしこまりました」


 それ以上は逆らわないとばかりに一度頷くと、クリスティーナは青い顔のまま、最後にセリアをそれは冷たい眼差しで睨むと退室していった。

 そしてセリアも、若干ふらつくその背中に何も言うことが出来ず、ただ見送るだけだった。


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