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大地の宝石  作者: 森宮 スミレ
〜第四章 輝く貴石〜
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誓約 2

 顔の両脇を腕で囲まれ、完全に退路を断たれ怯んだセリアは思わず息を飲んだ。

 何故、こんなことになっているのだ。イアンの望みを叶えたい。その一心で出した結論だったのに、今目の前にいる友人の顔は、明らかに喜んでいる者のそれではない。それどころか、表情の消えた瞳の奥に、ユラリと怒りにも似たものを感じ、セリアは血の気が引いていく。


 どうしてだ。何故。

 混乱に支配されそうになるが、そこで負けてなるかとセリアは震える脚に力を込めた。


 なのに、そんな努力を嘲笑う様に耳元に口を寄せられ、脳に直接語りかけるような低い声が首筋を撫でる。


「……それが、お前の本心なんだな?」

「あっ!」


 ゾクリと這い上がった恐怖に、セリアは咄嗟に顔を反らした。本当は思わず逃げ出しそうになったが、寸での所で堪える。もう逃げられないと決めたのだから。

 けれど目を合わせることは出来ずに、顔を反らしたままもう一度小さく頷いた。頼むから、これで納得してくれ。と内心で懇願しながらイアンが離れてくれるのを必死に待つ。


「そうか。なら……」

「ひぁっ!?イ、イアン!」


 耳元にあった唇が下がり、首筋に強く押し当てられる。そこで漸く、イアンという存在がこれまでに無いほど近くにあったのだと思い出した。それと同時に、胸の内が冷水を掛けられたかの様に急速に冷えていく。

 肩を引き寄せられ、まるで抱きしめられるようにイアンの影に包まれた。反対の手には後頭を掴まれ、強引に向き合う形にされてセリアの思考が止まる。


「いいんだろ?俺がこうしても」


 気付いた時には吐息を唇に感じるほど顔が近くにあった。すぐ傍にあるイアンの瞳に、自分の絶望したような表情が写っている。


 違う…… あの時、自分の胸を熱くしたのは。目の前にあったのは紫色で。

 でも、今自分が写っているのは……


 紅色


「いやあぁっ!」


 セリアが我に返り、そしてしまったと思ったのは、反射的に手を突っぱった後だった。


「あ、あぁ……」


 押しのけたイアンは簡単に離れてしまい、腕が作った距離がそのまま罪悪感の大きさとなってセリアは言葉を失う。

 なにかすぐに言わなければ、と思うも崩れた嘘を立て直すことなど、もはや不可能だった。


「じゃあ、誰なら良いんだよ?」

「あ、これは。これは違うの。イアン、私は……」

「違わねぇ!嫌なんだろ?怖いんだろ?俺にこうされるのは」


 すぐ傍で上がった怒鳴り声に、セリアが喉の奥で悲鳴を上げると同時に、イアンはまた空いた距離を詰めた。逃げることは許さないと、背けようとする顔の頬を両手で挟まれ、もう一度向き合される。


「俺やルネじゃ怖いんだろうが!じゃあ誰なら許せるんだよ!居るんだろ、お前が望む奴が」

「イ、イアン……私は」


 いまや何を言っても手遅れだ。間近で声を荒げるイアンの気迫に、セリアはもう誤魔化しは通じないと覚悟せざるを得なかった。



 すぐ傍にある少女の存在に、イアンは冷える頭で黒く染まる胸を押さえつけていた。

 分かっていた。少女の心を己が占める事は出来なかったのだと。おどおどしながら何かを否定するように頭を振る少女を、木々の間から差し込む月明かりの中に見つけた時に。


 そして案の定、少女は自分が望むそれとは全く逆の感情からその言葉を吐こうとした。

 けれどそれと同時に湧き上がったのは、黒よりも更に深い色で。今にも獣のそれになりそうな己の表情を取り繕うので精一杯だった。


 ならばいい。手の中に堕ちてくるなら、それでいいではないか。心が伴わなくとも、その存在をこの腕に抱きしめられるなら、何を躊躇う必要がある。

 距離を詰め、その体温をすぐ傍に感じた時、その考えは最も強くなった。このまま堕ちて来い、と。


 けれど、今にも涙を零さん瞳で血の気が引いたように顔を青くさせるセリアの顔を見てしまって、そんな気持ちは急速に萎えた。そんな、泣きそうな顔を見せられては。


 ここまで頭が芯から凍っていくような感覚は、始めてだった。そして、自分はそれに耐えられないとも思った。

 次の瞬間には少女の手が強く自分を拒絶し押し返してきて、イアンにとっては大した力では無かった筈なのに、抗えなかった。


「誰なら良いんだよ」

「でも、でもそれじゃあ……」


 自分は既に抗えないと悟ったというのに、未だ一人逆らおうとする少女に、また問いかけた。


 それと同時に、また黒い感情が胸から喉元までせり上がる。構うな、と。少女の瞳一つに怯むな。望みの獲物は目の前にあるではないかと。


 それを、無理だ、耐えられない、と頭で押さえ込みながら、懸命にセリアに問いた。


「言ってるだろ。お前の気持ちを聞かせてくれって。俺じゃねぇんだろ」

「イアン…… ごめ、ごめんなさ……」


 ついに観念したのか、少女の瞳から少しずつ抗おうとする色が消えていく。待ってくれ、と縋りそうになる腕を咄嗟にまた抑えた。


「違うんだろ。他の奴じゃダメなんだろ」

 居るのだろう。少女が絶望ではなく、熱を込めて見つめる相手が

「聞かせてくれよ。お前の気持ちを」

 そうすれば、この胸にしぶとく残る欲を沈められるから。未だ諦めようとしない、あわよくばなんて醜い望みを打ち砕けるから

「俺は、気が長くねぇんだ。次は、もう止めてやれねぇぞ」

 燻る熱が胸から溢れそうになる。これ以上は抑えられない

「最後にもう一度聞くぞ」

 早くその事実を突きつけてくれ


「お前の言葉で」

 その瞳で

「俺に」

 俺を

「聞かせてくれ」

 殺してくれ




「カールが…… 好きなの」


 目の前のイアンの悲痛な顔に、セリアはもうそれ以外の言葉を紡げなかった。イアンに唇を寄せられて、迫った口付けの気配に背筋を走った感覚を知ってしまったから。そして同時に、過ぎ去った銀色に揺らめく男の影を、これ以上否定出来なかったから。


 セリアが今にも崩れ落ちんばかりに震えていると、イアンの気配がふと遠退いた。


「そうか」


 ほんの数秒続いた静寂を、その言葉が破った。その声色は静かで穏やかで、とても今気持ちを打ち砕かれた人間のもののようには思えない。


 それまで挟まれていた頬を優しく離され、イアンが数歩下がって空いた距離をセリアは呆然と眺めていた。


「……ごめん。ごめんなさい」


 そう言うだけでセリアは精一杯だった。自分が先程口走った言葉が信じられない。なぜ、こんな形にしか出来なかったのだろう。イアンの求婚を受ける筈だったのに、カールの名前を口にしてしまうなんて。


「セリア」


 イアンの優しい声に、顔を上げられない。俯いたまま動けないでいるセリアの頭に、イアンはポンと手を置いた。


「そう暗い顔するな。たまたま、お前の惚れた男が俺じゃなかったってだけだろ」

「イアン。でも、私はそんな……」

「そういう事もあるさ。そんなに落ち込むな。好き……なんだろ?カールが」


 柔く頭を撫でてくれるイアンに、セリアは小さくコクンと頷いた。こんな風に自覚することになるなんて、まったく考えていなかったが。

 けれどもう、胸を過るあの銀髪が何を意味するのか、気付かないフリは出来なかった。


「なら、仕方無ぇさ」

「イアン……」


 まるでなんでもないことの様にイアンは語るが、本心な筈がない。気持ちを断られたのに、明るく何時もの調子で話すイアンに、セリアはさらに罪悪感が増した。

 その表情を読み取ったのか、頭を優しく撫でていた筈のイアンの手がセリアの額へ下りる。


「えっ?……フグっ!?」

「そんな泣きそうな顔するなよ」


 ピンと額を指で弾かれ、セリアは思わぬ打撃に目を白黒させる。い、一体なんだ!?と額を押さえて改めてイアンに視線を戻せば、困ったような、それでいて仕方無いな、と子供をあやすような。そんな風に眉を寄せて笑みを作るイアンが居た。


「お前に、悪く思うな、なんて言ってもどうせ聞きゃしないんだろうな」

「それは……」

「ならセリア。少しでも悪いと思ってるんだったら、笑ってくれよ。なっ?」

「わ、笑う……の?」


 いきなり笑えと言われ、セリアはどういう意味だと目を見開く。


「なっ?頼むから、そんな泣きそうな顔はもうしないでくれ。そうすりゃ、俺も満足だ」

「……イアン」


 泣きそうな顔、と言われセリアは漸く、自分の瞳が潤んでいるのを自覚した。そのまま慌てて目元を擦り、懸命に笑みを作ろうと顔を上げる。

 笑えと言われた。仕方無いとも言ってくれた。イアンがこれだけ譲歩してくれたのに、自分が気に病んで泣くのは違う。


 罪悪感はまだある。気持ちに応えられなかったことも胸が苦いと感じる。だけど、ここでうじうじとしてイアンに更に気をつかわせる訳にはいかない。


 へにゃり、と頬を釣り上げて作った笑みは、なんとも中途半端なもので。目尻は微妙に下がり、眉も寄っている。とても笑顔と言えるものではなかったが、イアンにはそれで充分だった。


「ありがとな、セリア。俺の女神」

「イアン」

「あと、これも我侭になるが、それは持っといてくれ。ずっとな」


 イアンがそれ、と言って見遣ったのは、セリアの手の中に握られていた青の羽。あっ、とセリアも漸くその存在を思い出す。

 ずっと持っておいてくれ、と言われたことにセリアはまた当然だと懸命に頷いた。青の盟約を断ったからといって、返すものではないし。捨てるなんてもっての他だ。

 これはずっと、自分が大切に保管することになるだろう。自分にはもう、それしかイアンに出来ることは無い。


 青い羽をギュッと手で包みながら頷くセリアに、イアンはまた黒い熱が浮びそうになる。

 まだ待て、と咄嗟にそれを抑えれば、少し離れた場所から自分を救うかの様に、別の存在の足音が響いた。



「お二人とも、こちらでしたか」

「ザ、ザウル!?」

「お戻りが遅いので、少し様子を見に来たのですが。お話しの途中でしたか?」


 隠れて話しを聞いていたのは明白なクセによくも言えたものだ。とイアンは思わず苦笑を漏らした。こんな絶妙なタイミングで現れておいて、それが偶然だなどと、信じるのは横にいる少女くらいだろうに。


「いや。丁度終わったところだ」

「そうですか。ではセリア殿、自分が寮まで送ります」


 どうぞ、と手で促してくるザウルにセリアは一瞬躊躇う。思わず振り返ると、イアンも納得した様子で「ああ、頼む」とザウルに同意したのでおずおずとそれに従った。


 ザウルの横に並ぶと、腕をやんわりと取られただけでなく、肩にまで手を置かれたので驚いた。


「セリア殿。あまり遅くなるのは歓迎されません。お急ぎ下さい」

「そ、そうだね」


 普段とは違う、多少強引に促されセリアは戸惑うが、見上げた先の琥珀の瞳は何時もの様に落ち着いていて、逆らう気も失ってしまう。


 最後にチラリとセリアが後ろへ視線を向ければ、困り顔で笑ったままのイアンが手を軽く振っていて。その優しさに甘える以外の方法を見出せずにセリアは申し訳なさそうに眉を寄せて前へ向き直った。


 セリアが前を向いたことを確認したザウルは、その後で一瞬だけ後ろへ視線をやる。そこで目が合った友人に、後は任せろと瞳で語り、またセリアを促す腕に力を込めた。







 セリアがザウルに連れられて戻ってから暫くの時が過ぎるまで、イアンは奥歯を噛みしめ堪えた。

 けれどそれも限界になり ガッ!と脇で音がすると同時に、木の幹に叩きつけた拳から痛みが伝う。


 破れた皮膚から血が流れるのと同時に、暗い熱がジワジワと這い上がってくる。


 もう、いいだろう?

 そう聞かれた気がして、ああ、もういい。と答えるしか出来なかった。


「愛してる…… くそぉぉ!!セリアぁ!」


 気持ちが溢れる、というのはこういうことだろう。そう思えるほどに、言葉が止まらなかった。

 いや、もう止める気はない。気遣い屋の友人に連れられ、あの少女は既にこの咆哮の届かない場所へ戻っただろう。ならば、もう良い。


 もう止めたりはしない。好きなだけ吠えろ。どうせ、あの少女に届きはしないのだから。

 もう、止めはしない。


「好きだ!セリア、セリアぁぁぁ!!」


 あの少女は青い羽を手の中に残すと言った。それでいいではないか。自分の心の全てを乗せた羽が、あの少女の手の中に居場所を与えられただけで。


 そうは思っても、痛いのだ。胸に突き刺された言葉に、ジクジクと血が流れていくように痛む。けれどこれでいい。これこそが漸く、セリアが自分に与えてくれたモノなのだから。

 セリアが自身の中に絶望も罪悪感も押し込めて泣くくらいならば。それならば、いっそその存在から与えられる痛みの方が良い。


 セリアから与えられた痛みなら、それだけで心地良くすら思える。


 いいだろう。このくらい、望んだって。痛みを胸に焼き付けるくらい、許されるだろう。


「愛してる!セリア・ベアリット!…… 俺はお前を、愛してるんだぁぁ!!」



 とても愛を紡ぐとは思えないほど苦痛に歪んだ表情で、イアンはその言葉を繰り返し叫び続けた。


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