天資 3
『彼女は我々とは全く違う考え方をするんだよ。我々の様に、合理で動いたり、確実性や結果を求めたり、そんな当たり前の事をしない。己の全てを犠牲にすることを厭わず、そして何の見返りも求めない。その心は激しく真摯であり、そして理屈を超える。
彼女の忠義とはまさしく、母の、無償の愛だよ』
そう綴るレイダーの手紙からは、真剣さと同時にまるで得意気に語る様子まで伝わって来た。
『何故彼女に賭けたか。そう問われた時、一言で言ってしまえば、彼女が女だったからだ、とも言えるな。
規範を重んじ、己の理念を守るべく動き。見返りとなる結果を欲しがる。忠義だろうと何だろうと、その行動を裏打ちする理屈を求めるのが我々だ。しかし彼女は違う。その行動は全てただ国の為。それ以外の感情が一切無くとも、それだけで動ける。全く理解し難い、生命を育む母の愛だ』
ジークフリードは、段々と自分が手紙の内容に夢中になり始めるのを自覚した。けれど、突然明かされた言葉のあまりの意外さに、字を追う視線を休ませることも出来ない。
『私は以前言っただろう、これは変化だと。キースレイ達が起こした国の全てを変えようとする動きとは違う、国そのものを受け止め愛し包む。
勿論、それだけならばまだ解らなかったが、奇跡とでも言うべきか、彼女の周りで沢山の宝石が輝き出したのだよ。その小さな少女が動けば、その望みを叶えようとする存在が集い出した。これ程の奇跡をお前は信じられるか!?無償の愛と、それを実現出来る力が、私の目の前に居るのだ』
無償の愛を国へ注ぐ、そんな稀有な存在が立ち上がり歩み出した。けれど偶然は重なり、少女の進んだ道の先には宝石となる存在が待っていた。彼女の愛情を見た宝石は、その光に焦がれ集い、その意志を少女の望みへと重ね始めた。
『あの娘はその愛で我々には理解出来ぬ、理屈を超えた行動を起こすだろう。国という存在そのものが求めるモノを、彼女はきっと本能で感じ取ってくれる。そして、彼女の望みを叶えんと、その仲間は集い彼女の示す道を進む。どちらか一つでは実現しなかったことだ。
宝石の様な人材があろうと、それは何れ我々と同じ道を行き、理性的であるだろう。無償の愛があろうと、それだけでは現実は変わらないだろう。
しかし今、母なる存在が宝石を輝かせ、宝石達はその無償の愛を重んじた。これがどれほどの事か、今でも感動が冷めない』
男には無い、女の中にあるその母なる愛。その愛が指し示す道を、進ませようとする力も同時に集った。
『彼女の奥から溢れる愛情が、宝石達の手によって余すこと無く注がれた時、きっとそれはこの国を潤すだろう。女神の如くこの国を未来へと導いてくれる。それこそ、今までの歴史上例を見ない変化だと、私は思っている』
過大評価だ、とジークフリードはその言葉を一蹴してやろうと思ったが、何故か妙に納得させられている自分に気付いた。
何故そこまでする。何故そうまで信じられる。と聞いた時、彼女は理屈を述べなかった。なのに、己の信じる道を貫くと言った言葉は力強かった。
その時の少女の顔を思い出すと、手紙の語る内容に何故か頷いてしまう。男と違う女という存在の持つ、理性的でも合理的でも無い、理屈すら入る余地の無い、無償の愛。
『キースレイ達の起こした変化に、無償の愛。双方負けず劣らず輝く激しい情熱がぶつかった時、どちらが勝つのか。それは、“国”が決めてくれると思っていたよ。ぶつかれば、必ず片方はその命を燃やし尽くす。クルダスの大地が望み、生かすのはどちらか。どうやら私は賭けに勝ったようだね』
あの少女が命を落としかねない大事を、コイツは賭けだなどと言って面白がっていたのか。と思い、ジークフリードは僅かに罪悪感を覚える。
少女の真剣な表情や、安堵の笑みがこの男の気まぐれで握り潰されていく様な状景が浮かび、短く溜息を吐き出した。が、次の文字を見て今度は怒りに目を見開く。
『さて、ここまで来たが、果たしてこの結果が吉と出るか凶と出るか。悪いがそこまで責任は持てん。だが吉となるだろうと信じてはいるぞ。後はお前の力量だな。若き逸材達を存分に育て上げてくれたまえ』
これだけ引っ掻き回しておいて結果に責任を持たないだと!?しかも育て上げろとは何だ。コイツはまた、後始末は全て自分に任せる気だったのか。
盛大に舌打ちしたくなるような状況は、けれど今は懐かしくすら思えるものだ。これを仕組んだのは奴だろうが、相手は手紙。本人は既にこの世には居ない。文句の一つや二つ言いたくとも、それは叶わないではないか。
『今後一体どの様な面白い事が起こるのか。残念ながら私は見ることが叶わないが、お前がこちらへ来た時に語ってくれると信じている。こっちの美味い酒も用意して待っててやるから、ちゃんと最期まで見届けてくるんだぞ。序でに、お前がどうせ隠したままにしてる例のワインももってこい。お前一人じゃ飲みやしないんだ。無駄になる前に私が一緒に飲んでやる』
まるで劇の途中で退場した為に見逃したシナリオを、後で自分に語らせようとするかのようだ。
そう気軽に待ち構えられてたまるか、と若干熱くなった目頭を押さえる。
『お前と共に歩む道も楽しかっただろう。けれど、これはこれで楽しそうだと、お前には解って貰いたい』
解るものか。お前のいう楽しみの所為で、何時も自分がどれほど苦労させられたと思っている。
『まあ、そう怒った顔をするな。この国がどの道を進むのか。私は私の賭けた光と、そしてお前を信じている。我が友にして、唯一の親友。ジークフリード』
ーーお前の友にして、唯一の親友、レイダーより
そう締めくくられた手紙に、またジークフリードは苦笑を漏らした。この男、自分を私の唯一の親友だなどと、その自信は何処から来るのだ。自分にだって友人の一人や二人居るんだぞ。
と、心中で悪態を吐いてみたが、その手紙の言葉に一つの嘘も無いことに、ジークフリードは脱力してソファに深く身を沈めた。
フロース学園の校長室で全ての仕事を終え立ち上がった男、ユフェトにマクシミリアン校長はまあもう少し話に付き合え、と言わんばかりの笑顔を向けた。
「それにしても、ハガル様達も面白い置き土産を残してくれたものだ。そうは思わないか?」
そう言いながらマクシミリアンは、ハガル達の残した業突く張り共のリストを面白そうに机の引き出しへと仕舞った。
彼という男とこの国の王が、それを利用しない筈は無いとユフェトも分かっている。
恐らく、掴んだ証拠を突きつけ暫くは思い通りに動かし、用済みとなってから制裁を加えるのだろう。本来ならすぐにでも辺境の地へ追いやっても良い輩だが、マリオスの半数を急に失った中枢を正常に機能させるには、これを使わない手は無い。
「今回のことは感謝しているよ、ユフェト君」
「貴方のご命令とあらば、なんなりと」
かつてこの部屋で一時威厳を振るったユフェトだが、今はその貫禄はすっかり引っ込んでいる。代わりに、従順な部下かの様に頭を下げた。
「おや、私の指示だとは言っていないぞ。君は王命で人材の育成に改革を齎すべく、フロース学園の校長に就任したのではなかったかな」
ニコニコと笑う校長に、ユフェトはヒクリと頬が引き攣るのを感じた。
確かに、自分をここへ派遣したのは国王ということになっている。しかも、国とマリオス達の人材を確保する為の改革として、マリオス候補生制度の資格から“身分”というものを取り除くべく。
国王やマリオス達が人材不足を解消すべく決断した『身分に関係無くマリオス候補生を』という改革。
マクシミリアンの本音としては、その動きでマリオスの中の首謀者を揺さぶり炙り出す積もりだったようだが。だが、彼の“本命”が直前で変わった為、計画も変更せざるを得なかったのだ。
とはいえ、マクシミリアン自身で改革を宣言する筈だった所を、その役を自分が演じただけだ。所詮は全てがマクシミリアンの企みであった事には変わりない。
「……失礼ながら、私はその手の問答に付き合えるような。クルーセルさん程器用な男ではありませんので」
「ああ、そうだったかな。これはすまん」
明るくユフェトの言葉を笑い飛ばすマクシミリアンの横で、これまた楽しそうにクスクスと笑う声が響く。音の元凶はやはりというか、何時の間にやらソファで寛いでいるクルーセルだ。
「かっこよかったのよ、ユフェトちゃんの校長は。でもずっと怖い顔するものだから、私もサボる場所変えなきゃいけなかったのよ。だって怖い校長先生が、私には何も言わないなんて可笑しいでしょ」
事情を知る者で、尚且つマクシミリアン派と呼ばれる側に所属しているにも関わらず、彼に物申せる人間が居るならば、是非とも見てみたい。とユフェトは漏れそうになった溜め息を飲み込んだ。
国王と深い関わりを持ち、しかも信頼の厚いマクシミリアン。
彼自身に権力や財力は無い。がしかし、彼がこの学園で教師として在籍している間に卒業し、地位も富も手にした者は国内外問わず少なくはない。
そしてその中には、マクシミリアンの言葉に忠実に尽力しようとする者達も多い。
マクシミリアンが腰を上げれば、それだけで国の中に大きな波が生まれる。その勢力は、陰ではマクシミリアン派と呼ばれていた。
かくいうユフェトも、国外で名のある名門校の教師として生きていた時、身分を出来るだけ隠しフロース学園の校長として就任する様に命を受けた。表向きは国王からの人事ということになっているが。
勿論、文句などある筈もなく。マクシミリアンの命に応えるべく、ただちにユフェトはクルダスへ帰国した。
そこでマクシミリアンが不在の間、この学園を守る役目を与えられたことは光栄だ。威厳ある校長として演じる自信はあったし、マクシミリアンの指示で現状や王宮内の動きを彼に伝達することも、難しいことではなかった。
ただ一つ、マクシミリアン派筆頭としての地位を持ち、けれど同時に理解の及ばない、学生時代の先輩でもあるこの男。クルーセル・ブロシェの、建前とはいえ上司となることを除けば。
「本当に、ユフェトちゃんこのまま行っちゃうの?そりゃ、レイスレルダス国の王族が必ず通う学園の教師って立場なら、色々あっちの情報が入りやすいかもしれないけど。でもこのままお別れなんて寂しいわ。ジークフリード君達にも挨拶くらいしてったら?」
頼むから自分の裏事情を、まるで当たり前のように声を大にして語らないで欲しい。
「そんなに彼等を気にかけるのであれば、貴方こそ彼等の望み通り素直にマリオスになっていれば良かったのでは?」
そうしていれば、同じ学園を卒業した尊敬すべき先輩を、数年も自分達の補佐として使う、などという心労を彼等がかけられる必要は無かったのだ。
けれど目の前の男、クルーセルはニッコリと目を細めて笑うだけ。
そう。彼は10年近くもの間、マリオス補佐という地位に居座り続けた男だ。
後からマリオスとなっていく後輩達を差し置いて。
事情を知らぬ者からみれば、長い年月をマリオスになれずに燻っていただけのように見えただろう。
けれど彼と直接関わる人間にしてみればとんでもない。とうの昔にマリオスとして国の発展に大きく関わっていても不思議でない人物。むしろ、その優秀な力量を一刻も早く発揮して欲しいと思わせた者だった。
けれど陰口も期待の声も一切をその笑みで弾き返しながら、10年近くの歳月を補佐として過ごした後、なんとクルーセルはあっさりと王宮での地位を捨てフロース学園教師となった。
その王宮に仕えていた年月の間に、マリオスや王宮の内情、またその周りの議会や貴族達の実情等を隅から隅まで把握した上で。
例えこの国の誰を敵に回しても、マクシミリアンとクルーセルだけは敵にしてはならない。それが、この二人を良く知る者の総意だろう。
今回の事もそれを物語っている。普通に考えれば、一介の学園校長に成し得る所行では無い。
かくいうユフェトも、マクシミリアンの為なら尽力はするが、この二人が揃った時の企みは正直に言えば末恐ろしいとすら感じる。
けれど何が一番恐ろしいかと聞かれれば、自分達が彼に従うのは決して畏怖の念からではなく、尊敬からだという点だ。
今この場だけを見れば、一体何処の何を尊敬するのだと聞かれそうだが。
そこまで考えたユフェトが、自分の仕事は終わったと今度こそ扉を目指す。が、扉に手をかける前に、バン!と派手な音と共に第三者の手によってそれは開かれた。
「クルーセル・ブロシェ!!」
「あらやだ、ハンスちゃん。どうしたの?そんな怖い顔して」
クルーセルの言う通り、鬼の形相をしたハンスがズカズカとソファに近付くと、その上で寛ぐクルーセルを無理やり立たせながら襟首を掴んだ。
「貴方は、一体教師という職をなんだと思っているのですか!?貴方やマクシミリアン校長が裏で何をやっていようと、今は教師と名乗っているのでしょうが!ならば、それに見合う行いをしてください!」
それだけ言ってグイグイとクルーセルを引き摺っていくハンスの顔は、遠慮もなく怒りに歪んでいる。
その様子に堪えきれんとばかりに喉の奥から笑いを漏らしたのはマクシミリアンだ。
「ハンス君にも随分と苦労を掛けたね。まあ君程優秀な人間なら問題は無いと信じていたが…… どうかね、次にこんなことがあった時は是非我々を手伝ってくれないか」
「お言葉は光栄ですが、丁重にお断りさせて戴きます。私は一介の教師に過ぎません。貴方達が裏でしているような、大層なことは私には向きませんので。
それと校長、謀をするなら、もう少し生徒達にも負担が掛からない程度に加減して戴きたい。特に、この男の教師としての仕事を邪魔しない程度には」
そのまま、呆然と立ち尽くすユフェトにも一言挨拶を済ませると、クルーセルを引き摺りながらハンスは扉の向こうへと消えて行った。
「ククク。実に残念だよ。彼とも是非、楽しい謀を一緒に企もうと思ったのだが」
「………そうですか」
笑ってはいるが、きっといざという時には彼もきっとマクシミリアンの手の上で転がされるのだろう。とユフェトは静かに同情した。なにせああいう生真面目な質の人間程、マクシミリアンは嬉々として巻き込むのだから。