天資 1
何時かの様に、セリアは王宮の一室で草色の髪が青のローブに映える男、ジークフリードと向かい合って座っていた。
「指名手配したヨーク・バルディとルネ・レミオットだが、目撃証言によれば国外へ逃亡したらしい。その後の消息は一切不明となっている」
「は、はい」
一瞬、その顔に安堵の色が浮かんだことにはジークフリードは目を瞑った。
国王暗殺未遂だけでなく、マリオスの半数近くを失うこととなった今回の一件は、とてもではないが一朝一夕に処理出来るようなことではなく。事後処理や多方面への働きかけの為に、マリオスを手にかけた犯人の逮捕が困難となっている。
と、尤もらしい事情で処理してあるが、本来であれば事件の実行犯の身柄こそ優先すべき事項だ。けれど実際の首謀者はこの世を去り、さらに公には出来ないと結論付けた人物。
事実をねじ曲げることに多少の抵抗を感じるものの、何が国の為となるか。それを天秤に掛ければ、自分の行動は決まってくる。
そのままジークフリードはこの話題を切り上げ次に伝えるべき情報へ移った。
「首謀者、という事からは少し逸れるが…… ヴィタリー王弟殿下の処分が決まった」
「殿下の……」
「反逆の証拠も上がっていたことから、王位継承権剥奪の上、流刑となった。今後一切、国政への関与と流刑地を出ることを禁ずる、とも通達してある」
「…………流刑」
ぼそりとセリアはその言葉を反芻してみる。が、それ以上を考える前にジークフリードが深く息を吐き出した。
「……正式な確認事項は以上だ。そして最後にもう一つ、確認したいことだが」
「はい。今回の事、一切他言無用と心得ています。事の次第は全て、陛下のご判断に御委ねしますので」
迷い無いセリアの言葉に、ジークフリードも静かに頷く。解っているのなら、話が早い。
そこまでして、チラリと確認すれば時計は次の予定までまだ間があることを示していた。
のんびりともしていられないが、少女との面会に少し余分に時間を取っていたことが功を成したようだ。
短く溜め息を吐くと、ジークフリードは用意してあった紅茶を一口飲みそれまでの事務的な空気を壊した。
「聞かせて貰いたいことがある。君は、どういった積もりでキースレイと対峙していた?」
「えっ?あ、あの……」
途端にギクリと肩を揺らしたセリアを、怯えさせたかと過った不安にジークフリードはすぐに弁解する。
「いや、責めている訳ではない。ただ、君の思い描く理想を聞かせて欲しいだけだ」
「えっと、理想……ですか?」
「正直に言うと、いずれ国政に関わる可能性を持つ君を理解したいと思った」
最初から最後まで、ただ己の抱く信念を貫き続けたこの少女。まだ年若い、経験も未熟な身でありながら、その小さな身体一つで正面からキースレイ達とぶつかった。
己は利用されていただけだ、その忠誠すら駒でしかなかった。と語られたにも関わらず、一瞬も躊躇わずにそれで良いと言い放ったのだ。
正直な気持ちを明かせば、彼女がそこまでして抱く信念の形が、ジークフリードには見えなかった。あれだけの事件にも怯まず、キースレイの言葉に正面から立ち向かった姿。
更に、己の存在は利用されるだけのただの捨て駒だったと言われれば、たとえそれが国政の為とはいえ、どんな者でも言葉に詰まるだろう。かくいう自分ですら、一瞬戸惑うかもしれない。
勿論、自分はそういう立場に身を置く身だ。覚悟もあるし、必要とあらば自ら捨て駒になる。自分の抱いた信念の元、何があっても己の道を貫くことも誓っているのだ。
が、この少女は自分よりもずっと幼く、未成熟。揺らぎやすいその若さで、持っているものといえば情熱くらいだろうその小さな身体で。自分と同じだけの覚悟を抱かせる、その信念とは何なのか。
「あの、えっと……」
ジッと見詰めてくるジークフリードに、セリアは困惑を隠せなかった。正直に話してもいいのだろうか。
と、少し考えて、けれどセリアは嘘を吐いても仕方ない、と諦めて口を開いた。
「あの、呆れられてしまうかもしれないんですけど……」
「…………」
「キースレイ様と対峙した時は、本当に夢中だったんです。計画を知った時、それではダメだって考えしか浮かばなくて。あの方達の様に、もうこの国を諦めて全て新しく、とは思えなかった」
ジークフリードは黙ってセリアの言葉に耳を傾けていた。その間、ピクリとも動かない表情にセリアは不安を募らせながらも、ここで誤摩化すべきではないと胸の内を全て明かす積もりで続ける。
「国も、忠誠も、未来も。例えキースレイ様達の言うように腐敗が本当だとしても、私にはこの国を諦めることがどうしても出来ない…… 諦めたくないんです」
「…………」
「 決心の固いキースレイ様を、私みたいな者の言葉で説得出来るとは思ってませんでした。でもあの場で何もせずにいることは、私の忠義に反する。そう思ったから、だから私は立ち向かって。あの場に踏み込んだ時点でどうなるか。キースレイ様達と立場が逆転していたかもしれないことも、覚悟の上でした。
でも、本当は自信が無いんです。もしかしたら、キースレイ様達のやり方が一番効果的だったのかもしれない。私は、自分が正しいと信じた道を選びました。でも、それが絶対正しかったのか。それとも間違いだったのか、言い切ることは出来ません。でも、私の信じる道は、流血の革命とは別の所にあります。」
そこまで聞いて初めて、では、とジークフリードが思わず口を挟んだ。
「それが綺麗事だと言った、キースレイの言葉はどう受け止める?」
「………その通りだと、自分でも思います。私の言ってることは、現実を知らない故の綺麗事だと。でも、それでも私はそれを諦めたくないんです。私の抱く忠義の形がそうである限り、私はそのやり方を貫きます。そうすれば、何時かほんの少しでも、それが現実になるかもしれない。綺麗事は通じないからと諦めることと、綺麗事は通じなくても貫こうと足掻き続けることとでは、きっと違う結果が導けると私は信じてます」
強い意志を灯した瞳を、ジークフリードは無言で見詰め返すしかなかった。
その言葉を、甘い、と一蹴出来なかったのは何故だろうか。
「………セリア嬢」
「は、はい!」
改まって名を呼ばれ、セリアは思わず声が上擦った。もしや今の自分の言葉に心底呆れられてしまったのだろうか。いや、きっとそうかもしれない。それで叱咤されるならまだいいが、もしもう関わる気すらないなどと言われたらどう立ち直っていいか解らない。
まるで死刑宣告を待つ囚人の様に肩を震わせ顔色を悪くする少女に、ジークフリードは増々訳が解らないと眉尻を上げた。
自分が名を呼んだだけで縮み上がるこの少女が、たった今己の信念をはっきりと語った少女と同一だというのか。
やはり、どうも納得が出来ない。
と、そんなことに思考を奪われかけたジークフリードだが、すぐに気持ちを切り替え目的の言葉を選ぶ。
「陛下より、今回の働きにおいて何か礼をしたいとの仰せだ。何か望みのものは無いか?」
「………………はい?」
たっぷり数秒考えて、それでも言われた言葉の意味を計りきれずセリアは首を傾げた。けれどそんな反応にもめげず、ジークフリードは再び繰り返す。
「陛下が、今度こそ君に礼をされたいとのことだ。なんでも良い。望みのものを言ってくれ」
ガタン、と目の前でした音にジークフリードが顔を上げる。なにが、と確認すると、どうやら少女が座ったまま腰を引いた所為で椅子の脚が床を擦ったらしい。
ブルブルと震えながら、先ほどよりも余程顔を青くしたセリアがまるでこの世の終わりだと言わんばかりに首を振った。
「そ、そんな、滅相もなくなのでございまするです。お礼だなんて。お礼とかそんな。お礼が欲しくてしたことではないと申し上げますがありますです」
「……………」
言葉がだんだんと理解し辛くなっていくが、言いたいことは解るので好きにさせておいた。口調が可笑しいという突っ込みは、今は必要無いだろう、との判断だ。
焦り過ぎて自分が何を言っているのかも解らない様な状態のセリアに、ジークフリードはそれはまかり通らぬと却下した。
「セリア嬢の望むことを何かせよとのお達しだ。今回の君の働きを見ればこれは当然だと言える」
「あ、あぅ。そ、その…… でも」
「これは陛下のお言葉である。どんな些細なことでも、大きな望みでも良い。幾つでもいい、希望を言ってくれるだけで、私は職務を全う出来るのだが」
それを言われてはセリアにはもう、断ることが出来なくなる。陛下の言葉であり、ジークフリードの仕事であるというなら、その言葉に従うべきだろう。
そう自分を無理やり納得させ、セリアは必死に頭を巡らせた。何か、何か欲しいもの。望むもの。
そう考えて、うーん、やはり何も無い、と結論に辿り着いてしまった。
勿論、欲しいものは、もっとじっくり考えればあるのだろう。例えば学園での教養の成績の向上だったり、もう少し他の女生徒方の視線が和らぐことだったり。従姉のカレンがまたパーティーへ連れ出そうとしてきた時用の、地味で目立たなくて、更に前もっての準備も要らないが、カレンが文句を言わない、そんなドレスとか。
けれど、それはどれも陛下に強請るようなものではなく。それにもし強請ったとしても叶えられるようなものではないだろう。特に最後の一つは。
どうしようか、と思い切り頭を捻っていると、ふと、ある一つの考えが浮かんで来た。けれどそれを口にしてよいものか、思わず躊躇いジークフリードを怖ず怖ずと伺う。
「あ、あの…… 本当になんでも良いんですか?」
「ああ。陛下や我々に叶えられる範囲のことであれば、どんなものでも、幾つでも惜しまれないそうだ」
「それでは、その……一つ。譲り受けたいものが。それともう一つ、許可も」
その後告げられた内容に、ジークフリードは本日何度目かになるが、訳が解らん、と言いたげに眉尻を上げた。