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大地の宝石  作者: 森宮 スミレ
〜第四章 輝く貴石〜
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衷心 5

 音を立てて燃え盛る邸の外で、盛大な舌打ちが響いた。


「あの馬鹿者が」

「カール!」


 煤に塗れて火の中から現れたカールを、丁度外を探していたザウルが見付けた。


「カール、一体何が?」

「まだ入れる場所はあるか?」


 質問に質問で返されザウルは一瞬戸惑うが、すぐに思い直し邸の周りを走る他の候補生達を一瞥した。


「もう入れそうな所は…… まさか、セリア殿が中に?」

「裏から逃げた可能性もある。周辺を探せ」

「はい!」


 幾らあの少女でも、この炎の中まだ留まっていることは無いと信じたい。

 走り去って行くザウルの背を見ながら、カールはまた舌打ちし、同じようにまだ入れる場所を探し始めた。


 しかし邸の壁は既に何処も瓦礫と炎に阻まれ、何人たりとも寄せ付けない。探せば探す程、中へ押し入る可能性が減って行く。


「おいカール。どうしたんだ」


 懸命に中へと模索するカールを、後ろから呼び止める声があった。今こんな時にコイツと顔を合わすとは、と無意識の内に苛立ちが走る。


「おい、答えないか!」

「煩い。今貴様に構っている暇は無い。それよりも、中への道を探せ!」

「どういうことだ。中だと……?」


 そこで嫌な予感が走り、ランはさっと顔を青ざめる。


「まさか、セリアが……」


 途端にカールが苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。それだけで全てを悟ったランは、反射的に邸を燃やす炎へと駆け寄る。が、その寸前で後ろから肩を掴まれ動きを止められた。


「止せ!」

「離せ!セリアが中に居るんだろう!」

「見て解らないか!そちらは無理だ。手遅れになる前に、他を……っ!?」


 最後まで言う前に胸ぐらを強く引き寄せられ息が詰まった。そのあまりの力に何を、と眉を寄せるが、掴んだ相手の方が余程怒りを露にした顔をしていた。


「手遅れだと!貴様、よくもそんなことが……… 何故そうも冷静でいられる!?」


 怒鳴るランが胸ぐらを更にキツく締め上げるが、カールが何かを言い返す前にその手を離すと、また身を翻し燃える邸へと向かって行った。


 その身が焼けても構わないとさえ見える気迫の籠ったその背を追おうとした時、漸くカールは己の足が地面に縫い付けられた様に動かないことを自覚した。

 頭の中では先ほどのランの言葉と自分の台詞が木霊している。


 手遅れかもしれない、と自分で言った言葉だが、何故かそれを実感出来ずにいた。

 先ほど自ら背を向けた少女の姿が嫌でも浮かんで。まるで手を伸ばせばあの栗毛を捕まえられるのでは、と思えるようで。

 こんな、ありもしない幻想に甘えそうになるなど、自分にとって一番あり得ないことの筈が。


 可笑しい。あらゆる事態を想定してそれに対処しようと思考を飛ばすのは、もう習慣とも言えるほど自分にとっては当たり前の筈。最悪の場合とて同じこと。

 この場合あの少女を失うことだって、無くは無い筈だ。なのに、言葉だけは自然と出ても、それに対処すべき行動が思い浮かばない。


 『何故冷静でいられる』だと?


 自分を睨みつける、大嫌いな碧眼から向けられた激情に、逆に舌打ちを返してやりたくなる。

 飛びかける思考を無理やり叩き起こし、今すべきことを冷静に考えねば、と顔を上げれば、邸の炎は更に強くなる一方だ。

 ぐずぐずしては居られない。一刻も早く中へ入れる場所を探さなければ。


 そうして先に模索しているランの背を追いかけた時。


「居られました!こちらに、ご無事です!!」


 遠くから聞こえた遮る様なザウルの言葉を理解すると同時に、何を考えるよりも先に身体が動き地を蹴った。





 ザウル達がセリアを見付けたのは、邸のすぐ傍に立つ樹の根元であった。

 動かず目を閉じて横たわるその姿を見た時、ザウルはサッと血の気が引いたが、確認すれば肩は緩やかに上下しており、穏やかな息も聞こえる。


 男物のコートが掛けられた状態で地面に横たえられたセリアの存在を、ザウルは声を張り上げて仲間へと伝えた。

 途端に、あちこちから草を揺らす足音と共に幾つもの影が、今も燃える邸の炎に照らされながら近付いてくる。


 振り返れば、予想通り誰もが安堵した表情で、イアンなどその場に座り込んで深く息を吐き出していた。


 よかった、とザウルも同じく安堵したが、彼等の中の一人が激しく眉を寄せているのに気付いた。


 揺れる銀髪は炎を反射して、更にその顔に影を作っている。

 それが、彼の内側の怒りを表現しているようで、ザウルは息を飲んだ。そのザウルの不安を煽る様に、その場に怒声が響き渡る。


「馬鹿者が!!」


 誰もが安堵するその空気を割った声に、候補生達が揃ってギョッとするのと、カールが長い髪を揺らめかせながらセリアへ腕を伸ばしたのは同時だった。


 まさか、眠る少女を殴る積もりか!?とカールの剣幕に驚く候補生達が止める間も無く、次の瞬間全員が更に驚愕する事になる。


 ガバッと音がしそうな程激しい勢いで、カールが横たわるセリアを遠慮もなく引き起こしそのまま抱きしめたのだ。

 吸い込んだ煙に意識を奪われていたセリアもその衝撃に気付いたのか、それともその温もりの正体を確認すべくなのか、ゆっくりとその瞼を上げる。


「……カー、ケホッ」

「この馬鹿者が」


 名前を最後まで呼ぶ事は叶わなかったが、静かに響いた罵倒とその温もりに自然と頬が緩んでいく。


「来て、くれて……あ、りがと」


 ゆるゆると力の入らない腕を精一杯動かして、その首に腕を巻き付ける。そうしてそのままキュッと力を込めれば、更に温もりが近付いた。それだけで、身体から力が抜けてしまうほど安心出来た。


 

 一瞬だけ抱きついて、そのままま意識を手放したセリアを腕の中に確かに感じながらカールは呟いた。


「………馬鹿者が」


 最後にもう一度だけそう零すと、そのままセリアを抱き上げた。

 振り返ると、まるで今起こったこと全てが信じられないと言いたげな表情の候補生達の視線に一斉に晒される。だが、普段の冷たい瞳を取り戻したカールがそんなことに動じる筈が無く。


「戻るぞ。もうここに用は無い」

「あ、あの……あっ!ですが、ルネ達は?」

「これがここに居たということは、もう既にこの近くには居ないだろう。それに、あの者達は捕らえるよりも逃がす方が、事の収束には都合が良い」


 それだけ言って、セリアを抱えたまま歩き出した。








 ガタガタと揺れる馬車の上から、ルネはつい今しがた超えた国境を振り返った。


 意外な程すんなりと国境を超えられたのは、事前にヨークが国外逃亡の為の準備を進めていたことと、事態からすぐに移動を開始したこともあるだろうが。やはり、自分達が国外へ逃亡してくれた方が都合が良いと判断したマリオス達の思惑も影響しているのだろう。


「………未練があるのですか?」

「無い訳ないじゃないですか。でも、それが僕に与えられた罰だと思ってますよ」


 瞳を閉じた時に思い浮かぶのは、あのまま彼等の仲間を続けていれば手に入ったかもしれない幸福。学園で繰り広げられる候補生達との変わらぬ日常や、その後現実となっただろう彼等がマリオスとなった時に、隣に立つ自分の姿。


 青を纏うことを許され、国の為に奔走する彼等と、同じ空間で共に奔走し。愛しい少女をすぐ傍で見守れた未来。


 自ら手放した幸福は大きく、それを思い浮かべる度に胸が締め付けられる。かつて共に掲げた夢を彼等が実現していく様を、遠くから見ることしか出来ない。

 けれどそれで良い。自分の仕出かした事が、その程度では償いきれない事は解っているが。


「まあ精々、終わらない逃亡生活をこの先一生背負って行きますよ」

「マリオスの不正となれば、現国王に反発しようとしている貴族達の格好の餌食ですからね。揚げ足を取られるくらいなら、私達は行方不明になった方がいい」


 自分達が捕まり裁判に掛けられれば、色々と捜査の手が入るだろう。ハガル達が命を賭けてこの世から葬ろうとした事実が暴かれる危険は冒せない。


「一カ所に腰を落ち着けることは出来ませんね。それに暫くはかなり遠方まで行かなくちゃ」

「国王暗殺計画の実行犯ともなればクルダスだけでなく、他国でも指名手配される可能性は否めませんから」

「………何時かはクルダスに戻れるかな?」

「あまり期待しない方がいいですよ…… どうします?楽になりますか?」


 物騒な提案をするヨークに、ルネは苦笑を漏らした。


「でも死ぬなって、言われちゃったんですよねェ。僕」

「まったく理解に苦しみますね。余計に残酷な結果になる言葉を、その自覚も無く吐き散らす彼女もそうですが。その言葉に素直に従う貴方も貴方ですよ。なにがそこまで好いのやら」

「ですよねェ。ホント、セリアってこっちを舐めてますよ。まあそこが可愛いんだけど」


 己の言葉が自分にとってどれほど重いものかその自覚も無く、結果的に彼女は自分を裁いたのだ。そうするだけの権利が彼女にはあるし、自分はそれに従うしか出来ないほど溺れている。


「ヨークさんこそ、楽にならないんですか?元々はその積もりだったんでしょう」

「その予定でしたが、彼女の所為で変更せざるを得ませんよ。貴方を一人には出来ないでしょう」


 まったくあの少女は、何処まで自分の邪魔をすれば気が済むのだ。とブツブツ呟くヨークの横で、ルネはまた苦笑を漏らした。

 その様子に、ヨークは訝しげに眉を顰める。


「……それで、どうして貴方はそうも満足そうなのですか?」

「アハハ、そう見えます?うーん多分、セリアが許してくれたから、ですかね」


 死ぬな、と告げられた言葉は自分を裁くものであると同時に、セリアが与えてくれた許しでもあった。今も涙ながらに縋り付いてきたセリアの顔が目に焼き付いて離れない。


 彼女の言葉が、自分を苦しめる為のものではなかったことくらい理解している。死んでほしくないとは、彼女の本心からの言葉だろう。自分の命の継続を、彼女は望んでくれたのだ。


「セリアが許してくれるなら、もう他に何もいりませんよ。それだけで、何とかやっていけそうです」

「……ハァ、まあいいでしょう」


 笑みの奥に僅かな寂しさを滲ませたルネに、ヨークはやれやれと肩を落とした。


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