衷心 4
ヨークが操る馬を止めたのは、王都を出て暫くしてからだ。森を抜けた場所に立つその古びた邸宅は既に廃墟となり、とても人が住める様な状態ではない。
本当にこんな場所に。
そんな思いが表情に出ていたのか、戸惑うセリアを一瞥したヨークが応えた。
「こうみえても、中はしっかりとした部屋が幾つも残っているのですよ」
「そ、そうなんですか…… でも、ここは?」
「キースレイ様が、別邸として使っていた屋敷です」
古びて軋む門を開け、広い庭園を進んで行くヨーク。セリアはその後を、崩れた噴水や枯れた薔薇園をチラリと伺いながら付いて歩いた。
しかし見れば見る程、所々の屋根は崩れ、雨や風も通り抜けそうな穴が目立つ。
「こんな外観だと、盗みに入る輩も居ませんからね。使用人を雇う必要も無い。人目を忍んで何かを計画するには、色々と好都合なのですよ」
「そう、ですか……」
「それで?引き返すなら今のうちですよ」
屋敷の大きな扉に手をかけながら、これが最後だとばかりにヨークが冷たい視線でセリアを射抜く。
「今ならまだ、貴方の無事を保証できます。ですがこれ以上進むのであれば、それは出来ません。私はあくまで、ルネ君の意思を尊重します。この意味が解りますか?」
「そ、それは……」
つまり、ルネに命を奪われる危険があるということだろうか。
彼の顔を思い出すと同時にセリアは背筋を走った悪寒にフルリと肩を震わせる。以前突きつけられた刃の感触を、首筋がまだ覚えていた。
けれど、それでも。ここで立ち止まる訳にはいかない。
セリアはコクンと頷き、呆れた顔をするヨークの開けた扉を潜る。
覚悟を決めて入った屋敷の中は予想を裏切らず、やはりどうみても廃墟だった。既に日が沈んでいるからかは解らないが、色というものが抜け落ちている。
元は美しかったのだろう、壁の装飾も、天井の絵画も、大理石の階段も。彩りを失い、悲しげな印象しか与えない。
広がる光景に思わずセリアは言葉を失うが、横のヨークが腕を上げたことでハッと我に返った。
「ルネ君は、恐らく中庭を通った先の大広間でしょう。壁に穴が空いているので、通り抜けられます」
「はい…… あの、先生は?」
「私はやることがあるので、そちらを先に済ませますよ。なんですか?今更二人きりは不安だとでも」
「い、いいえ。そんな……」
ブンブンと首を懸命に振って否定するセリアを尻目に、ヨークはカツン、と寂しい音を鳴らす大理石の階段を上がって二階へ消えて行ってしまった。
ヨークの背中が見えなくなると、セリアは急に襲って来た不安を押し殺して教えられた方向へ向かう。
ここまで来ても、まだセリアの中で感情の整理は出来ていない。どう言葉にしていいのか解らない気持ちが、モヤモヤと空回りするばかりだ。
けれど、胸につかえたこの何かを伝えねば、きっと一生後悔する。セリアは意を決して中庭を小走りで駆け抜けた。
枯れた草木が所々から生える庭を抜ければ、ヨークの言った通り、壁に空いた穴を見つけた。
ゴクリと生唾を飲み込み、セリアが恐る恐る穴の先の空間へ視線を向ける。チラリと顔だけ覗かせた先で最初に見えたものは、天井に輝く星達だった。かつては美しく飾られていたのだろう、天井の絵の中心部分だけ、ポッカリと空いた穴が空を映し出していた。
そして、その穴の丁度真下。広間の真ん中に、こちらに背を向けて佇む人影。顔が見えずとも、その立ち姿を見紛う筈が無い。
「……ルネ……?」
ビクリ、とその肩が震え、ゆっくりと影が振り返る。広間の中へ一歩入ったセリアを彼の瞳が写した途端、呆れた様なため息が響いた。
「僕の頭がとうとう幻覚まで見るくらい可笑しくなった、って思いたいんだけど…… まさか、セリアがまた一人で突っ走った、なんて言わないよね」
「…………そんなに可笑しい?私が来るの」
その、何処までも呆れたとばかりの言い様に、セリアは思わず言い返す。すると深い、それは深いため息が再び漏れた。
「可笑しいかって、聞くまでも無いと思うけど。まあ、セリアがここに居るってことは、僕たちの計画は失敗したってことになるね」
「……キースレイ様は亡くなったわ。マクシミリアン校長が戻って来たの。貴方達が計画していた革命も、起こらないわ」
「そっか。それで?セリアはここに、僕を捕まえに来たの?」
何処か冷たい物言いのルネに、セリアはフルフルと首を振って否定の意を懸命に示す。
セリアにルネを捕らえることなど、出来る筈が無い。それが間違っているとは解っていても、捕まってほしくないと、どうしても考えてしまうのだから。
「ただ、ルネにもう一度会いたかった。会わなきゃいけないと思って」
「セリア。こういう時、男に同情するのは辞めといた方がいいよ。付け上がらせたら何をするか解らないから」
「ど、同情なんかじゃない!」
「同情以外の何があるっていうのさ!」
ルネのあんまりな言葉にセリアは咄嗟に否定するが、それ以上に力の籠った声量にセリアはうっ、と怯む。が、一歩下がった時には遅く、ズカズカと近付いて来たルネに腕を取られた。
「君のその瞳に、僕の望む感情が少しでも入ってる?僕のモノになる?その身も心も捧げてくれるの?」
グイと引き寄せられてセリアは反射的に抵抗する。掴まれた腕を無意識の内に振り払おうとすれば、それはあっさりと解放された。
「……あっ」
「ほら。そんな積もりないじゃない。それを、同情って言うんだよ」
ルネの言葉に、セリアは頭を殴られたような目眩を覚えた。自分は、同情でここへ来た積もりじゃない筈なのに。けれど、言葉が上手く出てこないのだ。そんな自分に、ルネが何処か寂しそうな顔をするものだから、セリアは更に罪悪感に胸を潰される。
「でも、違うの……」
か細く震える声にどれほどの説得力があるかなど、セリア自身解っている。でも違うのだ。
決して同情だとか、そんな想いでここへ来たのではない。こんな形で、ルネと別れることなんてしたくない。
今まで、ずっと一緒で、共に笑って、励まされて助けられて。
言葉が出ないセリアに、ルネは自嘲するように口元を緩める。
「じゃあなに?恨み言なら聞いてあげるよ」
「恨んだりなんか…… 恨むなんて出来る筈ないじゃない!どうしてそんなこと言うの!?」
思わずセリアも声を荒げた。
「恨むなんて、出来る訳ないのに。なのに何時も、ルネは……」
彼に計画を遂行する気があったのなら、何度も自分達の前に現れる必要は無かった。しかし、彼は唐突に出て来ては恨まれようとするかの様な言葉や行動ばかり。
それはまるで
「まるで……」
そこでセリアは言葉を選ぶのに戸惑う。言わずとも分かるだろう、と相手を強く見据えれば、向こうも同じく見返してきた。
言ってみろと視線で促すルネと、言わせるなと抵抗するセリア。
どれくらいの間二つの視線が交差していたのか。ほんの数秒だったのかもしれないし、もう何時間もそうしていたのかもしれない。
その緊張感をふいに破るように聞こえた声に、セリアはハッと顔を上げた。
「…………ア、……セリ… ど……だ……」
「……カール?」
「……るなら…返事を…ろ…セリア!!」
次第に鮮明になっていく声に比例して、セリアの目が見開かれる。声のした方を振り向きながら、無意識の内に呟いていた。
「……来て、くれた」
その声の主が傍まで来ている。そう考えただけで、またあの不可思議な安堵感が胸を占めた。緊張感で固くなっていた身体に、温かみが広がっていき熱が高まる。
何故此処に、とか。王宮はどうなったのか、とか気になる筈の事は沢山あるのに、それ等はまるで浮かばず。ただ何を考える前に叫んでいた。
「カール!カール!!」
「……セリア、どうして?」
その声に反応したのは、それまでセリアと睨み合いを続けていたルネだ。その表情は先程のセリアに劣らぬ程の驚きを示していた。
何故、カールの名だけを呼ぶのか解らないのだ。同じくセリアを捜すランやイアン達の声が聞こえていないのか?
けれど、その答えは彼の名を呼ぶセリアの表情で察してしまった。
「………そ、っか。そっか、セリア」
一人納得した様に頷いたルネの瞳が、ほんの僅か寂しげに揺れる。
ならば、もう何も言う事は無い。もう何も、思う事も無い。
ルネがゆっくり瞼を下ろしたのと同時に、ドカンと派手な爆音に建物が包まれた。
「えっ!?」
階上から響いたその音に驚く間も無く、邸全体がグラグラと揺れ始める。
「セリア、早く行きなよ」
「ルネ!これは!?……ああっ!」
気付けば自分達の居る広間の気温が上がり、メラメラと燃える炎が顔を出し始める。
一体何が!?こんなに火の手が早く回るとは、まさか。
「邸全体に火薬が仕込んであるんだよ。早くしないと巻き込まれるよ」
「そんな、ルネ!?」
「じゃあね、セリア」
踵を返して自分に背を向けたルネが、炎の燃える広間の奥へと歩き出す。
何を、と一瞬で消えて行ったその背を引き止める暇も無い。懸命に状況を理解しようとするセリアの頭に、先ほどまで気付かなかった声も聞こえ始めた。
「セリア殿。居られるのですか?」
「クソッ!もうあっちは火が回ってる」
マリオス候補生達の声が届くが、それはまだ遠い。恐らく炎に阻まれ邸に入ることが叶わないのだろう。
今もガラガラと崩れる音の響くこの場所へ、外から辿り着くことはきっと出来ない。
一刻も早くここから逃げなければ。本能にそう告げられるが、ならば奥へ行ってしまったルネはどうなる。もしも自分の思った通りの行動をルネが取ろうとしていたら。
それを思うと、またあの感情が込み上げて来た。このまま終わらせるなんて絶対に出来ない、と。
咄嗟に踵を返しルネの消えて行った方へ向かおうとしたがその時。
「何をしている!こちらへ来い」
すぐ後ろから掛けられた声。ドクンと心臓が跳ね身体が硬直する。
反射的にその声の主を振り返れば、熱風に揺らめく銀色。
セリアを漸く見つけたカールだが、炎と瓦礫に阻まれあと一歩届かなかった。何故この部屋が特別崩壊が早いのかは知らないが、見つけた小さな背に安堵と同時に焦りが生まれる。
こちらからは無理でも、セリアの方からなら瓦礫を飛び越えることが出来そうだ。熱の所為で容易ではないが、やらねば死ぬことは目に見えている。
「カ、……ル」
「そちらは火が回っている。モタモタするな!」
手を差し出すその姿にセリアも素直に手を伸ばしたが、その指先が触れ合う寸前にハッとしたかの様に腕を引く。
「おい!?どうした、早くせぬか!」
「……カール」
火の所為だろうか。彼の名を呼んだだけで身体が熱くなる。その手を取ったなら、またあの包まれる安心感に身を任せられるのだろう。
けれど、それは出来なかった。
「カールは逃げて!」
「なっ!?何をしている?戻れ!愚か者がっ!!」
呼び止める声を振り払い、セリアは炎の奥へと走った。唐突に背を向けた少女に混乱するも、カールはその後を追う。が、その寸前ガラッと頭上で音がする。
ハッと確認すれば、天井の一部が崩壊したようで、気付いた時にはカールの前は降って来た瓦礫の山に塞がれていた。
容赦無く周りを取り囲む炎に口元を緩めると、ルネはそっと瞼を下ろした。
これでいい。これで漸く終われる。
望んだモノも、きちんと他の場所へ収まった。これで煩わしい未練を断ち切れる。あんなことをしておきながらまだ手に入れられるのではと、自分でも情けなくなる程愚かな望みを、打ち砕ける。
これでいいんだ。とルネが自嘲する様に短く笑った。が、次に聞こえた声にまた目を見開く。
「ルネ!!」
「セ、セリア!?なんで?……何してるの!?」
驚く声の主を見つけ、セリアは懸命に炎を飛び越えた。熱と煙が肺に入り込み、息苦しさに涙が込み上げるが、今はそれに立ち止まっている暇は無い。
「ルネ……」
「セリア。逃げなって言ったのに。なんで来たのさ!!」
走った為に苦しさが限界に来たのか、ルネのすぐ傍で膝を突くセリア。その姿に焦りと驚きでルネは頭が回らず、同じ問いを繰り返すしか出来ない。
膝を突く自分に寄り添うように屈むルネを視界に捉えると、セリアは懸命にその胸元の服を掴んで引き寄せた。
「ルネ、お願いだから。最後のお願いだから……」
「……セ、リア?」
霞む目でルネを睨みながら、懸命に言葉を吐き出した。
「死なないで……… 死んじゃ嫌だよ。お願い!」
そうだ。言いたかったのはこれだったんだ。
涙ながらの懇願は、少し情けなくなってしまったが構わない。
こちらを挑発したり、恨めと言ったり。どうしてそんなこと言うのか、ずっと引っかかるものがあったが今漸くはっきりとした。ルネはずっと死ぬつもりだったのだ。
それは、かつての仲間を失うより、恨んだ相手を失った方が自分達が楽だというルネの優しさなのか。自分を恨ませた方が、いざその時に事を成しやすいからなのか。また別の理由があるのか。そこまでは解らない。
いや、きっとルネ自身も解っていないのだろう。
けれど、仲間としてずっと一緒に居た者が、この世を去ろうとしているのか否かくらいは解る。
「お願いだから、ケホッ…… ルネェェ」
咳き込みながらも必死に懇願してくるセリア。しかしその内限界が来たのか、息苦しさに意識が遠のく。
「セリア!?」
床に崩れる寸前で小さな身体をルネが抱き上げると、浮かんだ涙が流れ落ちて行った。
「……ずるいよ、セリア。こんな時にそれを言うなんて」
お願いだから。そんなセリアの懇願する声を、望んでいた筈だが今この場では最も聞きたくない言葉だった。
何故今、よりにもよってその願いを口にするのだ。
「最後まで、何もかも邪魔してくれるんだね…… 僕の眠り姫は」
渾身の恨み言も、意識を手放したセリアには届かない。仕方無いか、これが自分の惚れてしまった女なのだから。
ルネが思わず込み上げた笑いを漏らすと、その頭上から音を立ててまた天井が崩れ落ちた。