衷心 3
それまで共に育ったたった一人の兄。優しい彼に、それまで周りが腫れ物に触るよう接していた理由が、実は自分だったと知った時、ルネは何を思っただろう。
「レミオット家の別荘へ行ったでしょう。あの時ルネ君が燃やした家も、彼の兄が自分達の目に触れない様に過ごさせる為、レミオット夫妻が用意したものですよ。そんなこと知らなかったルネ君は、丁度良い遊び場として兄と使っていたようですが」
「……ルネが」
ではあの場には、彼と兄と大切な思い出が詰まった場所だったのだ。それを、反逆の理由を知られない為とはいえ、燃やさせてしまった。
「気に病む必要はありませんよ。彼にとって、ある種の決意表明だったでしょうから。兄にとっては酷い夫婦でも、ルネはきちんと両親の愛情を感じて育ったようですから」
そう。だからこそ、ルネは更に思い悩まされたのだ。跡継ぎとして期待を寄せたルネに、レミオット夫妻はそれなりの愛情を与えた。漸く授かった子供、ということもあったのだろう。
けれどそれは、自分と自分の兄との扱いの差を悩むルネにとっては、苦しみを増やすだけだった。
「とはいえ、それがただ単に跡継ぎに対する期待だけからくるものだったことは、彼も感じていたでしょうが」
優しい両親の顔であっても、その裏にある貴族としての見栄や高慢さを、ルネは敏感に嗅ぎ取っていた。だからこそ、最終的には家族を捨て反逆の罪に問われることも厭わないとしたのだろうか。
「……でも、どうしてヨーク先生とルネが?」
彼等の事情は解ったが、セリアはそこにまた疑問を抱いた。いくら境遇が似ていても、そんなこと初対面で解る筈が無い。その二人がどうやって出会ったのか。
「レミオット夫妻が兄を追い出す時に呼んだ馬車の御者。それが当時、母の治療費を稼ごうと御者の仕事をしていた、私だったんです」
「えっ!?」
「そんな偶然、起こるものなんですね。しかも、ルネ君は私を覚えていた。そして私も、高慢な態度で一人の少年を地方へ追いやった家族の事を、覚えていました。ルネ君に、あの時兄は何処へ行ったのかと、詰め寄られるまで事情は知りませんでしたが」
教卓に立ったヨークを、それまで兄の行方を探していたルネは見付けるなり詰め寄った。数年前にある貴族の屋敷から遠い土地へ追いやられた少年を、覚えていないか、と。
とはいえ、存在を隠すように遠い土地へ追いやられ、夫妻からは絶縁となった少年だ。当時ヨークが送り届けた場所を確認したが、それらしき存在は居なかった。
そしてそれからも、ルネは兄を見つけられないでいる。
「……これが、我々がキースレイ様に協力する気になった理由ですよ」
「そんな、酷い……」
あまりの理不尽な行いに、セリアは言葉が出なかった。けれど、信じられない話でもない。
この国に、そういった貴族の高慢さが根付いているのは、セリアもよく知っている。しかしそれは、セリア一人の行動でどうこう出来るものではない。
明かされた事実に、セリアは表情を消しながら押し黙るしか出来なかった。
「何処から聞きつけたのか、私の事情を知って利用出来ると考えたのでしょうね。知り合いの伝で教師の資格を取った私に、貴族が憎くないか、とフロース学園の教師に勧誘された訳ですよ」
「勧誘、ですか……? ヨーク先生の学園での役目というのは」
「……まあ、説明するのも嫌になるのですがね」
「えっ?」
それまでの物憂げな声からは一変、心底忌々しいとでも言わんばかりの雰囲気に、セリアはギクリと肩を揺らす。そんなセリアを、ヨークはいつかの様な冷たい目付きで睨みつけた。
「今回の計画では、マリオス様が大きな鍵になる。その計画の途中で、新たなマリオスの就任は邪魔にしかならないのは、貴方も解りますね」
「は、はい……」
「初めこそキースレイ様達マリオスが却下すればそれでよかったのですが、そう長くは続かない。なので私のフロース学園での役目は、有望な人材を潰すこと。新たなマリオスとなる者を、そうでなくす事ですよ」
他の組織や学園からの選出者であれば、キースレイ達マリオスの権限で容易に排除出来る。しかし、これまで長年マリオスとなる人材を育て上げ、マリオス候補生制度という王宮にも認められた存在のあるフロース学園だけは別だった。
何年も人材不足が続けば、キースレイ達の反対だけで計画を遂行するのは難しくなっていく。
だからこそ、ヨークが学園へ送り込まれることになる。その甲斐あり、十年以上、キースレイ達は新たなマリオスの誕生を許していない。
人材不足が問題視されている今でも、そう簡単にマリオスの選別基準を下げる訳にはいかない。
幾ら優秀でも、多少の問題行動で十分に役不足と見なされた。
そう、カール達もその標的とされていたのだ。
「今年は簡単だと思いましたよ。ザウル君は郷愁の想いを、イアン君は弟との確執を、それぞれ煽れば十分。そしてラン君とカール君は……」
「みなまで言わないで下さい。もう、嫌というほど解ってます」
二人の不仲を利用すれば、まあヨークとしては簡単な仕事だっただろう。思わず遮ってしまったセリアは、若干頬を引き攣らせた。
どれほど彼等が優秀でも、その能力を引き出せない環境を作れば、マリオス候補生といえども最終的には跳ね除けられる。それこそが、今までヨークが影ながら行って来た行為だ。
今年も上手く行くと、確信していたヨークの元に唐突に現れた人物。
「何よりの誤算は、貴方ですよ。まったく、皮肉なものですね。人材不足解消の為に校長が動き始めた時に、貴方という存在が現れたのですから」
「え、えっと…… どういうことですか?」
混乱するセリアに、ヨークは大いに眉を歪め深い溜息を漏らす。まだ理解していないのか、この少女は。
「貴方という存在が、カール君達をより輝かせた。特にラン君とカール君。あの二人の潤滑油的な役目を、事も無げにこなして。そして貴方自身も、マリオス候補生として頭角を表し、散々我々の計画を邪魔し、剰えマリオス達でさえ一目置かざるを得ない程の忠誠心を見せつけたのですよ」
それまでヨークが十年掛けて行ってきた所業が、結局の所、最後の最後で計画を潰したセリアの存在を引き寄せる結果に終わったのだ。
もし人材不足の問題が無ければ、流石に校長も強引に彼女をいきなりマリオス候補生に持ち上げたりはしなかっただろう。
その能力を評価しても、突然の女性マリオスへの反発も考慮し、きっともっと時間を掛けてゆっくりとマリオスへの階段を昇らせた筈だ。
「そ、それは。えっと…… あの、なんと言ったらいいか」
「構いませんよ。所詮、全て終わった事です。けれどやはり、あの時引き止めなどせずに、学園から去ろうとする貴方をさっさと追い出していれば、と。夜な夜な夢で魘されることがありましたけどね」
「あ、あの……すみません。でも、やっぱり解りません。どうしてあの時私を引き止めたんですか?」
「……それは以前お答えしたでしょう。貴方を見縊っていたんですよ。序でにいえば、利用出来ると考えたので」
「利用ですか?えっと…… 何に?」
「………どうせ貴方に言っても解りっこありませんよ。忘れなさい」
苛立ちの所為か、今までにないほどヨークは辛辣だ。
その歪んだ口元が言った、セリアは理解しないだろうという理由。マリオス達の恋慕を突けば、恐らく簡単に一枚岩の彼等の関係を壊せるだろう、と。
未だ首を傾げるセリアには、きっとまるで思い付かないだろう理由に、ヨークは更に深い溜息を吐いたのだった。
「とにかく、私から話せることは以上です。それで、貴方は?ルネ君には何を言うつもりですか?」
「そ、それは……あの………」
ヨークの言葉に、セリアはうっと詰まる。
「正直に言うと、よく解ってないんです。何を言いたいのか。何を言ったら良いのか」
「…………そうですか」
「あ、会いたいのは本当です。ただ、なんて言葉にしたらいいのか、解らないんです」
今更、彼に何が言えるだろうか。
温室から失われたあの笑みが、帰って来てくれたらと望まなかった日はない。けれど、それが叶わぬことだというのも重々承知している。それを口にしたところで、無理なことだ。
「帰って来て欲しいとは、言えません。でも、何かそんな感じの言葉で、私は言わなきゃいけないことがあるような気がして……」
「………つまり、何か言いたいけれど、何を言ったらいいか解らない、と」
「あ、えっと……はい。そんな感じでして」
「ハア、貴方に私やキースレイ様の人生を賭けた計画が潰されたと思うと……」
どうしてだろうか、こうも腹が立つのは。
すみません、と懸命に謝るセリアに、ヨークは眉を寄せながら深いため息を漏らした。