女神 2
「セリア・ベアリット嬢!」
「ふぁい!」
唐突に降ってきた声に、セリアは思わず頓京な声を上げる。見れば、何時の間にか自分の周りを司祭が数人、非常に困惑したまま取り囲んでいるのだ。時折チラチラと、座り込むセリアの足元を気にしていているようだが。
ひえええっ!と何時の間にか自分の置かれていた状況に、セリアは内心で悲鳴を上げる。
先程とは別の意味で茫然とするセリアの状態を察したのか、短く息を吐いたカールがゆっくりとその腕を取って起こしてやった。
とその時、足元で鳴ったカシャンという金属音に、セリアがギクリとして視線をゆっくりと足元へと下げて行く。それに倣う様に、他の者も同様に顔を下げた。
「ヒェェェ!め、女神の宝剣!?国宝が、春の到来祭の祝福がぁ」
「お、落ち着きなさい、君」
途端に、年頃の娘とは思えない、なんとも奇妙な悲鳴を上げたセリアに、周りにいた司祭が思わず声を掛ける。が、本来宝剣を守るのも役目である司祭の言葉は逆効果だった様で、セリアはますますあたふたとしだした。
慌ててそれを拾い上げ、ずいっと司祭の前に突き出しながら精一杯頭を下げる。
「申し訳ありませんでした。そ、その、咄嗟の判断と言いながらも、あれしか浮かび上がらずに起こった事でして」
事態を理解すると同時に顔を壮絶に青ざめ、慌てた時の癖を発動させてしまったセリアはグルグルと周り出す視界の中懸命に状況説明を試みた。が、聞き慣れているカール以外にとっては、何の事だと首を傾げたくなるような内容だ。
そんな状態に、流石のカールも若干顔色を悪くしながら、そっと自らの皺が寄りそうになる額に手を当てる。
「何をもってしてでも、ああいった事が起こらんとしているのでありますれば。止めなければと思い立ったがありました故に、決して宝剣を素手で掴もうと思ってしまった事は無くて……」
「セリア・ベアリット殿、カールハインツ・ローゼンタール殿」
呼び掛ける声にハッとして我に返れば、何時の間にか周りの司祭を押し退けて近付いてくる王国軍の赤い軍服。ザッと揃った足並みが目の前に来るなり、真っ直ぐに伸びた背筋が醸し出す威厳に、セリアも思わず一歩後退る。
「失礼ながら、現状における報告をお願いしたく。マリオス候補生の皆様には、暫しご同行を」
そこまで言われ、セリアは漸く頭が回転し出す。あっと思わず大きな声を上げると、軍服の男に縋る様に詰め寄った。
「わ、私の友人が、街の方で今襲われていて。お願いします、東第十四地区の方に応援を……」
「その件でしたらご心配無く。既に他のマリオス候補生イアン・オズワルド等三名を保護し。また彼等を襲った輩は取り押さえております」
「えっ?」
「尚、国王陛下の移動が完了するまで、神殿内は出入り禁止とさせて戴きます。列席者には別室での待機が言い渡されており、お二人もどうぞこちらへ」
陛下の移動。それを聞いてセリアは弾かれた様に顔を上げその姿を探した。
これでまだ終わっていないのだ。彼の企みが、こんなことで潰える筈が無い。
キョロキョロと神殿内を見回せば、人ごみの向こうに見えた目的の人物。マリオスとして王国軍へ指示を出していたのか、話していた赤い制服の男数人と別れたキースレイは、すぐにこちらに背を向けてしまう。その瞬間、その瞳と一瞬だけ目が合った。
途端、セリアは拙い、と顔を青くさせその背中を追う。が、
「き、君!宝剣を……」
「あっ!」
その腕を後ろから司祭の一人に掴まれ、行く手を阻まれた。その隙にも、青のローブを纏った背中は、騒ぎ立て今にも混乱しそうになる神殿の人ごみの中へと消えて行ってしまう。咄嗟に宝剣を司祭に押し付け振り払うが間に合わない。
それでは駄目だ、と移動を試みるも上手くいかない。チラリと横を見遣れば、カールもカールで何人もの王国軍に囲まれ説明を求められていた。
何故こんな時に、という疑問はカールも同じだったようだ。その眉間に深く皺が刻まれる。
「あ、あの、私マリオス様達にお話が……」
「その件なら我々が承ろう」
静かな声で紡がれた言葉は、赤い軍服に身を包んだ王国軍によるものだ。その威圧に気圧されそうになるが、セリアは必死に首を降った。
「お願いします。少しでいいんです。キースレイ様にお話を……」
「君達マリオス候補生には、早急の事情聴取が言い渡されている。報告があるならそこで我々が聴こう」
頑として譲らないその姿勢に、些かに疑問を抱く。ならば強引にでも、と押し進もうとすれば、両脇から腕を掴まれ阻まれた。
「なっ?」
「君にはどうしても同行して貰う必要がある。此方へ」
まるで罪人の様に両脇を固められ、セリアは驚きに目を見開く。止めようとしたカールも同じく、王国軍に動きを封じられていた。
しまった、とセリアは顔を青くさせる。もう手回しされていたのか。まさかあのマリオスであるキースレイがここまで自分を警戒しているとは思ってなかった。
「は、離して下さい!」
「くっ、仕方ない。捕らえろ」
強制的に後ろ手に拘束された腕が痛みを訴える。尚も暴れるセリアに、指揮官らしき男が困惑しながらも連れていけと命令した。
「失礼ながらセリア・ベアリット殿。事態の収束までは、大人しくしていて貰う。彼女を別室へ」
「ハッ!」
セリアの必死の抵抗も虚しく、その場から引き摺り出される。
「キャアアアア!」
が、それを阻む様に響いた鋭い悲鳴に、その場の誰もが動きを止めた。
まるで、絹でも裂いたのでは、と思えるようなそれの元凶を反射的に探したセリアが見たのは、一人の司祭を羽交い締めにしたカールの姿だった。
「なっ、カール?」
「その娘を離して貰おう」
まるで地の底を這うかの様な声。セリア自身によって弾き飛ばされたヨークの短剣を素早く拾っていたカールが、その刃を司祭の喉元に当てて威厳してくる。
そのあまりにも恐ろしい形相に、本気だ、と誰もが本能的に恐怖した。
「カ、カールハインツ殿!?貴殿は既に嫌疑を掛けられる身。この上更に……」
「二度は言わん!言う通りにして貰う」
喉元に一層近付いた刃に、司祭から再び悲鳴が上がる。
それに怯んだのか、王国軍は一様に動きを止めた。流石に、春の到来祭の進行を担う程の上位司祭を人質に取られては、従わぬ訳にはいかないのか。セリアを拘束していた手が緩む。
解放された身でカールの元へ駆け寄るが、さて困った。今後どうすれば良いのか、全く解らない。
「走れ!」
混乱したまま状況を整理する暇も与えず、唐突に走り出したカールに、セリアも慌てて従う。
「カール、どうするの?出入り口は王国軍で囲まれてるし、外も多分同じ。幾ら人質が居ても、逃げ切れないよ」
しかし、セリアに答えたのはカールに捕らえられていた筈の司祭だった。よく見れば、始めヨークによって縛られていたシードア司祭だ。
「ですから、中へ。裏口ならば、複雑に入り組んでおりますので、きっと大丈夫かと」
横を見れば、何故かカールの腕から逃れても尚一緒に走り続ける司祭の姿。人質の身である筈がなぜか協力的な言葉に一瞬、わけが解らないと唖然とするセリアに、シードアが息を切らしながら必死に言い募る。
「私も、その、助けられたお礼に、何かお手伝いできればと…… この様な形になるとは、思いませんでしたが」
「……ありがとうございます」
普段、神殿に籠っての仕事に一日を費やす事が多い司祭はやはり体力が無いのか。
事態に顔を青ざめながらも、息を切らして真っ赤になる司祭は、どうやら何とも律儀な人だったらしい。普通、王国軍に捕らえられる様な不届き者を逃がそうなどとは考えないのに。
「あ、そこを右へ。通路が入り組んでいますが、そのまま三つ目を曲がって下さい」
後ろから追う王国軍の声を聞きながら、シードアは自分の指示に従うセリアをチラリと盗み見た。
彼にとってもこれは異様な事態なのだ。自分の行動が果たして正しいのかは解らない。が、あの時、女神の宝剣を掲げたこの少女の放った、神々しいまでの光に言葉を失ったのは事実。
きっとこの少女には女神フィシタルの加護が降り注いでいるに違いない。そう思ってしまったら、必死に抗う彼女を放っては置けなかった。
そうして走る内、セリアはその方角に覚えがあるのに気付き慌ててシードアに確認した。
「シードア司祭。ここって、先ほどの場所では?」
「えっ?ああ、は、はい!確かにそうです」
「やっぱり。カール。この先に抜け道があるの」
「あの部屋は元々、神殿内の通り道程度にしか使われない間なのですが……」
位置的にも、多目的で使う事が出来る部屋ではあるが、それ故に特定の用途は無い。言ってしまえば、無くても良い、普段は滅多に使わない場所だ。けれど内装は立派で静かな雰囲気は落ち着けるし、幾つも伸びた柱が視界を阻む為、失敗して一人で落ち込みたい見習いなどが隠れる為たまにここに通っている。
シードアの説明を聞いている間にも、後ろから迫り来る王国軍にセリアは焦りを募らせた。
あの抜け道を使えば、神殿の外には出られるのだ。兎に角、試して見なければ。
抜け道のある部屋に体を滑り込ませる三人だったが、扉を開けた時の音はしっかりと廊下に響いてしまった。当然、それを耳にしたのだろう、王国軍のざわつく声が更に近付いてくる。
途端にセリアの表情が強張った。このままでは、抜け道の入口を開けられたとしても、その中へ向かう姿は見られてしまう。それではやはり、逃げ切れない。かといって、もうここまで来て別の道へ引き返す事は無理だ。
「仕方無い、か」
「カール?」
「ここからはお前一人で行け」
「……えっ!?」
どうして、と詰め寄りそうになってセリアはグッと言葉を飲んだ。彼が何を考えているのか、なんてすぐに分かる。
でも、それは……
「決めたのだろう。ここまで来て自分の言葉を覆す気か?」
「……」
「時間が無い。後々、我々も向かう」
不安で震えるセリアだが、真剣なカールの眼差しに言葉を無くす。彼の言う通り、ここまで来たのだ。ここで立ち止まれば、恐らく今までの全てが無駄になってしまう。
そう頭では分かっているのに。どうしても、素直に首を縦に降ることが出来ない。
口惜しげに唇を噛むセリアの頬に、カールがスルリと指を走らせた。唐突な動きにセリアが驚いて顔を上げれば、カールの親指を唇に押し付けながら滑らされ、噛んでいた唇を強引に解放される。
何を、と目を見開くセリアにカールから説明の言葉は無く、唇から離した手で震える肩を押しやった。
「隠れていろ」
冷たくそれだけ言い放てば、ハッとした様に柱の奥へ小走りで引っ込む栗毛。
その次の瞬間、バタンと背後で扉が開いた。
「居たぞ!君、止まりなさい!」
止まれと言われてカールが止まる筈も無く。そのまま別の扉へ向かって走り出す。
「回り込め!クソッ。向こうでもマリオス候補生が一人暴れてるって言うのに」
シードアを連れて走る間に、そんな声が聞こえたものだから、カールの眉がピクリと反応する。
ランスロットか……
声に出すのは嫌だったのか、唇だけがそう動く。
どうりで追手の数が少ない筈だ、とカールの頬が引き攣った。でなければ、恐らくこんなに時間が稼げる事はなかっただろうと考え、またその事実が気に入らないのか、自然と眉間に皺が寄る。
とはいえ、これで少しはあの少女が、事を成し遂げられる可能性が増えたのだ。
そう思うカールの口角が、セリアが事を成功させるだろうという信頼から僅かに上がったのには、誰一人として気付かないだろう。