出動 2
「あのマリオスが……」
セリアの話が終わると同時に呟かれた言葉。驚愕で言葉が少なくなる候補生達に、セリアも僅かに表情を曇らせる。
「はっきりとはしてないけど、でもどうしても無視出来なくて……」
「『女の勘』って奴やな。ほな従っといて損はないで。こういう時の『女の勘』程、おっそろしいもんは無いからな」
うんうん、と腕を組んで頷くルイシス。それは、何を根拠にそう言うのか、聞かずとも分かる気がするが、考えるのは止めておくのが正解である。
セリアから彼女の抱いた懸念とその理由、そして葛藤を知らされた候補生達も、驚きながらも疑いは抱かなかった。そのことに、彼等本人でさえ戸惑う程に、セリアへの疑心は湧かない。
長年を掛けて植え付けられた筈のマリオスという存在への心象よりも、僅か二年弱前に出会ったセリアへ対する信頼の方が何倍も大きいのだ。
そのことを再確認しながら、候補生達もつい先程までの行き詰まり感が嘘だったかのように思考を廻し始めた。
「とすると、春の到来祭で注意すべきは、マリオス達の同行か」
「まあ、関わってるのがキースレイ様だけっていうのも考え辛いな。目的は相変わらず国王暗殺だろうけど」
ランの意見にイアンが付け加える。確かに、セリアが疑念を抱いたのはキースレイ一人だが、彼がたった一人でこの大事を成し遂げようとしている、という保証は無い。もしかすれば、まだマリオスの何人かも仲間の可能性がある。
すると、横のベンチに座っていたカールが冷めた表情のままその長い足を組み直した。
「かといって、マリオスが公の場で直接手を下そうと考える程馬鹿とも思えん」
「はい。恐らく手の者を使うでしょう。しかし、マリオスの手引きとなれば、捕らえるのは簡単に、とはいかないかと」
こちらもそれなりの対策を立てなければ。そういうザウルにセリアもグッと気合を入れるように拳を握り直した。
「でも人の出入りは制限されてるのよね。式典の進行に合わせて紛れ込ませるなら、一番動き回ってる進行役に注意しなきゃ……」
「春の到来祭の進行は教会と神殿の管轄だ。参加者はともかく、それ以外の人選も、恐らくマリオスといえど口出し出来んだろう」
セリアの言葉にカールがすかさず反論した。その内容は、流石公爵家嫡男というべきか、内情をよく知ってらっしゃる。
「マリオスは、確か招待客の選別と警備面で王国軍の配置が主な役割だった筈だ」
「じゃあ、その招待客の中に?」
「可能性は否めないが、下手に部外者を混じらせる程、あからさまにはしないだろう。我々に判別は難しいな」
招待客は、やはり主だった貴族やその年国益に貢献した功労者などが殆どだ。その中の誰がヨークの一味なのか、今は判断がつかない。
けれど、そんなことも言ってられないだろう。今は出来ることを一つでもやらなければ。
「とにかく、その招待客の最近の動向をを少しでも調べるわ」
そう意気込んだセリアに、候補生達も頷いてみせる。しかしその中の一人だけは同意した様子を見せずに、先程の会話で気になった内容をボソリと口にした。
「警備面での王国軍の配置……ねえ」
ギラリと光ったオッドアイと同時に、ニヤリと口角が僅かに弧を描いた。
パラリと資料を捲る音が図書室の一角、閲覧禁止書棚の奥から響く。
「この人も違う」
今自分の感じた結果をもう一度確認すると、セリアは手の中のメモに並ぶ名前の一つに上から線を書いて消した。
出来る事をしよう、と決意してから早八日。春の到来祭を明後日に迫らせ、セリアは内心焦りで一杯だった。その日から立ち上がり、集められる限りの時事資料を手に、招待客の中で怪しいと思われる者を探すのだが、中々それらしい人物が見つからない。
元々外部の人間とあまり接触をとって来なかったセリアは、こうして資料と格闘を続けている。ザウルも同じで、少し離れた場所で同じようにメモにペンを走らせる音がした。
他の貴族達と交流の深いローゼンタール家とオルブライン家のカールとランは、自分達や家族のコネを使って情報を集めていた。
嫌疑を掛けられている身であまり派手な事は、とセリアは心配したが、本人達は情報集めの方を優先してくれたのだ。
イアンも同じく自分の交友関係を駆使して、招待客の最近の動向を探ってくれている。
とはいえ、その彼等からも怪しい人物の名前は挙がってきていない。
この人物なら、と思う者はあっても、それを裏付ける程の決定的な材料が見付からないのだ。
コーディアス侯爵やその徒党と最近密に接触していた者達は、その殆どが春の到来祭の参加を辞退するか、王宮側によって厳しい調べを受けている。幾らキースレイと言えど、他のマリオス達の目や国王陛下本人の厳しい視線を掻い潜らせられるほど、調査に手は加えられないだろう。
キースレイ等マリオスと接点があった者もあまり多くは無い。内密に会っていたのであれば調べようが無いが、これだ、と思う人物は居らず、怪しい者も未だ数名しか挙がってこなかった。
春の到来祭まで時間が無いというのに。
セリアは焦りのままに、次に消すべき名前を少々乱暴にペンを走らせリストから消した。それを面白そうに眺める人物の視線には気付かずに。
「こらこら、女の子がそんな怖い顔したらアカンよ」
「ヒギャッ!」
唐突にすぐ背後から聞こえた声。そして漸く感じたあまりにも近過ぎる気配に、セリアはバッと飛び退いた。
「ル、ルイシス!?」
目を思い切り見開いたセリアが堪らず相手の名を図書室中に響き渡る程の大声で呼んだのは、彼の行動に驚いたからではない。それが、八日前から忽然と姿を消していた人物だったからだ。
助けてやる、と笑った彼とそれきり姿の見えない彼の行動の矛盾に、内心セリアがどれ程葛藤したか。もしかしたら呆れられたのか、とさえ思った。絶対の自信と共に光る彼の瞳を思い出す度に、どうして居ないのだ、と不安が募ったのは言うまでもない。
万が一にでも、彼もルネの様に突然立場を変えたのでは、と心配した自分の気持ちをコイツは少しでも理解しているのか。
ムッと強気になったセリアの視線を受けて、ルイシスは怯むどころか、まるで嬉しそうにニヤリと笑った。
「ルイシス。一体今まで何処に…… 凄く心配したんだよ!」
「なんや。心配してくれたんか?嬉しいのぉ」
「な、嬉しいって!?」
「だって、お嬢ちゃんが俺を想ってそんな風に瞳を潤ませてくれたんやろ。もう嬉しいに決まっとるやないか。ま、あれや。これでおあいこって奴や」
「へっ?おあいこって……?」
首を傾げセリアに、ルイシスはますます笑みを深くする。突然相手が何も告げずに飛び出して行く事が、どれほど相手を不安にさせるか。少しでも理解してくれたなら、自分の思惑は成功したと言えるのだが。
「なあ、アンタもそう思わんか?」
視線はセリアに向いたまま、けれど背後に立つ存在を確かに感じながらルイシスは後ろのザウルに同意を求めた。けれど、ルイシス相手には何故か普段の穏やかさが何処かへ隠れてしまうザウルが、そこで頷くことなど無く。
「貴方は、それだけの為にこの様な時に姿を消していたのですか?」
ザウルらしからぬ嫌味の籠った言葉に、ルイシスは首だけ反らして振り向いた。
「おいおい。俺がそんな阿呆に見えるか?」
「………これは、失礼致しました」
ここでもう一度嫌味の一つでも返してやれればスッキリしたのだろうが、生憎とザウルはあまりそういった事を得意としていない。これがあの魔人様だったなら、鼻で笑いながら辛辣な言葉でもって応戦したのだろうが。ザウルでは、抱いた鬱憤をそのまま胸の中で燻らせるしか出来ない。それがまた更にルイシスへの葛藤を煽る結果に終わる。
恐らく、ルイシスもそれを理解した上で、確実に楽しんでいるのだろう。なんとも質の悪い。
一体何がしたいんだコイツは、とセリアが僅かながらに不満を覚えていると、ルイシスが再びそのオッドアイを愉快そうな色に染めて向けてきた。
「そう怒るな。ええもん手に入れてやったんやから」
「いいもの?」
「まあ立話も何やし、ちょっと場所移動しよか?」
そう言ったルイシスが、セリアの肩をさり気なく引き寄せながら歩き出す。すれ違い様にザウルに挑発的な笑みを向けるのを忘れずに。
そんなことをされたものだから、オロオロと焦るセリアとルイシスの後ろを着いて行くザウルの眉間に、深い皺が寄ったのは仕方無いと言えるだろう。