明決 2
セリアが大人しく頭を撫でられていると、背後から自分を呼ぶ声に気付いた。振り返れば、何処か急いだ様子のザウルが駆け寄ってくる。
その姿に、セリアはそれまで座り込んでいた地面から驚いて立ち上がる。
「お二人とも、こちらでしたか」
「ザウル。どうかしたの?」
「ランが戻られました。ですが、どうやら実家の方で問題があったようで」
ザウルの知らせを聞いたセリア達は急いでランが居るだろう温室へ向かった。そこでは、ベンチに体を預け、非常に疲れた様子のランが難しい顔で眉間に皺を寄せている。
「ラン。おかえりなさい」
取り敢えずそう言えば、セリアの姿を見たランは多少表情を和らげた。けれどやはり周りの空気は堅いものだ。
「何があったの?」
労りの言葉を掛けるべきか迷ったが、今は一刻も惜しい。早速本題の話をふれば、ランも解っていた様に小さく頷いてから実家で起こったことを話し始めた。
その内容を聞いて、セリアも思わず目を見開く。
「嫌疑って、そんな……」
オルブライン侯爵に、議事堂の事件で死んだコーディアス等と繋がりがあったのでは、と疑いが掛かったというのだ。
「嫌疑と言っても、そこまで確かな証拠があって疑われている訳ではない。あれ程の事件だ。他に関わっている者が居ないのか、という事で慎重になるのは解る。しかし……」
確かに、それは解る。あれだけ大規模に反逆と言える動きがあったのだ。警戒するのはむしろ当然といえるだろう。しかしこれはあまりにも突拍子もない話だ。
大体、ローゼンタール家同様、ランの生家であるオルブライン侯爵家も、立派に陛下の忠臣として仕えてきた家だ。議会との繋がりがあったなどと、疑われるべきでないのに。
「こちらも同様だ」
唐突に響いた冷たい声。振り返れば、温室の入口から険悪な空気のカールがこちらを睨んでいた。
「カール。同じって?」
「我がローゼンタール家にも、反逆行為への加担の嫌疑がかけられた」
「そ、そんな。幾らなんでも、無茶苦茶よ。大体、陛下の信頼厚い筈のローゼンタール家までなんて」
「以前、パンデラス公爵家との婚約があったこと。それも、議会との間に何か思惑があった為では、ということらしい」
カールの婚約が決まったと騒動が起きた時、その相手は次期議会長と言われたパンデラス公爵家の令嬢だった。それが、今回の議事堂での事件に絡んでいたからでは、と。
「そんなこじつけが通用する筈ないのに。陛下はなんて仰ってるの」
そうだ。ローゼンタール公爵といえば、陛下の信任が厚いことで有名ではないか。臣下にこうも次々と疑いが掛かれば、国王も何らかの行動を起こすのでは。
「……何も」
「そんな」
砕かれた期待に、セリアは返すべき言葉を失う。
それは、あんまりではないか。まだ実際に何かの罪に問われた訳ではないとはいえ、何の根拠も無しに。
「何も疚しいことが無いとはいえ、これでは陛下に意見することも難しくなった」
「意見って?」
「…………」
意味深な言葉に聞き返せば、空気が更に強張った。一体何があったのだ、とセリアに続き他からも先を促す視線が送られる。そんな中カールは僅かに眉間の皺を深くしながら、ゆっくりと息を吐いた。
「近々行われる春の到来祭だが、王都での式典には例年通り、陛下も列席なさる」
「そ、そんな!」
知らされた内容に、セリアはこれでもかという程目を見開いた。一瞬思考が止まったかと思えば、次には表情を歪めながらカールの胸ぐらを掴む勢いでグッと詰め寄る。
「ついこの間あんな事件が起こったばかりなのよ。なのに、そんなすぐに人が集まる祭典への列席なんて、無防備すぎる。確かに、春の到来祭は国王陛下が列席されることが常だったけど、絶対じゃない。代理で他の王族の方が出た年だって珍しくないのに。議会であんなことがあって、首謀者まで殺されて。犯人も捕まってなければ、事件の全容も把握出来てないんだから。だからこそ、これだけランやカールの実家まで警戒されてるんでしょう。なのに、こんなすぐに陛下が公共の場に出られるなんて、説得力が無いわ。第一、陛下は欠席されるって、王宮でもその方向だったんじゃ……」
「そうご意見しようと思った矢先にこの騒ぎだ。お会いすることすら、今は難しい」
そんな、とセリアは絶句した。こんなことが起きるなど……
「い、幾らなんでも」
「ああ。妙だな」
セリアの言葉を切るようにカールが更に表情を険しいものに変える。その一言に、その場の候補生達も何かを感じ取ったようだ。
「列席されるかされないか、という時に、立て続けに陛下の臣下達に嫌疑が掛かり。欠席されるだろうとしていた春の到来祭への列席が決定された」
「確かに、妙やなぁ。もう作為の匂いプンプンやんか。でも、そんな怪しさ抜群で、誰もなんも言わんのか?」
「これだけのことを起こしたんだ。敵はかなり中枢の近くに居る人間だろう」
「せやろなあ。権力とか地位とか……」
ああ、面倒や、とルイシスが頭を掻く。
「ちょっと待て。幾らなんでも、ローゼンタール家まで抑え込んで、尚且つ陛下の行動に関与出来る地位の人間なんて、結構限られてくるぞ」
「確かに、それだけの事が出来るとなると、陛下の側近や大臣、また彼等に近い人間だが。しかしどうする?今の私達には会うことは難しいうえに、春の到来祭まで時間が無い。陛下ご自身も警戒されるだろうこの状況で、下手に手出しは出来ないぞ」
春の到来祭とは、言わば女神フィシタルが大地に花を贈った日を記念する式典だ。建国に関わる祭事には、国王、女神、そしてマリオスの三人が欠かせない。
そこから、この春の到来祭の王都での祭典には、国で唯一マリオスを排出する為の機関ともいえるマリオス候補生クラスの生徒も招待される。
その場で何かが起こった時には対応出来るようにしておいた方が良いだろうが、いかんせん何が起こるのか解らない。このまま突き進んでも今までの様に上手くいくとは限らない。
どうしたものか。とセリアの背筋が緊張で伸びる。
当然国王の周りの忠臣も、そして陛下自身も厳重な警戒はするだろう。そこへ下手に飛び込んでも、出来ることが果たしてどれだけあるだろうか。
しかしだからといって、何もしないで祭典を楽しむなんてことも出来る筈が無い。
「やはりこれは……」
王弟殿下。
誰も口には出さなかったが、彼が今更以前の企みを諦めたとは考えにくい。つまり、今回の事の裏に居るのも、やはり彼なのだろうか。
それならば、せめて気を張って顔を知っているヨークやルネが来ているのか探すくらいは出来るだろう。
「………それと…キ……レ…イ…様」
「セリア殿?どうかされましたか」
小さな声で呟かれた一言は、他の候補生の耳には届かない。けれどセリアは今までの内容を頭で整理していく内に、以前過った疑念がぶり返してきた。
ローゼンタール公爵家を始めとする陛下の信任厚い忠臣達を一時とはいえ動きを封じ、尚且つ陛下の行動に大きな影響力を持つ者。そしてなにより、これだけ警戒されている中にあっても、その行動を怪しむ者の少ない立場。
ああ、どうしたら良いのだろうか。その全てに当てはまり、しかも自分が畏れ多くも疑念を抱いてしまった人物をたった一人だけ、知っているではないか。
思わずセリアは拳に力を入れる。けれど、その胸の内を話すことはどうしても出来なかった。心の中でまだ“確信が無い”と言い訳が何度も浮かび上がってくるのだ。
まだ解らない。まだ決まってない。疑ってしまったがそれが事実だと証明された訳ではない。
燻る疑念を懸命に押し殺して、セリアはきゅっと口元を引き結んだ。
「とは言っても、どうするんや?一応春の到来祭に参加するとはいえ、手口も何も解らんまま暴れるか?」
「確かに、どうしようもないが……」
候補生達が方法と策を模索する。その姿にセリアはますます口元を引き締める力を強めた。
どうすればいい。彼等に伝えるべきか。けれどそう思う度に、なんの確証も無い。ただの思い過ごしである可能性の方が高い。と、湧き出る言葉が決心を鈍らせる。
そこでふと思い出したのは、毅然とした蜂蜜色の瞳と、颯爽と流れる草色の髪。
こみ上げる思いを整理する暇も無く、セリアが口を開いた。
「あ、あの……」
『王宮に行く!?』
思わず述べた言葉に対する友人達の反応に、セリアはグッと息を詰まらせた。けれど、今はそれしか無いように思えて仕方ないのだ。なんとか彼等に解ってもらおうと、必死に訳を述べる。
「どうしても、ジークフリード様にお会いしたいの。マリオス様達は、今度のことどうお考えなのか」
ジークフリードならば、もしかすると教えてくれるかもしれない。一体、今王宮で何が起こっているのか。自分の胸に抱く疑念が杞憂だと、彼の言葉で安堵したい。恐れ多くも自分がマリオスの一人を疑っているなんて口にする積もりはないが。
「とはいえ、私もカールも、今王宮へ出入りする訳にはいかない。イアンも、今は動かさない方が良い」
「俺もアカンよ。候補生言うても、ただの平民は入れてくれんやろ。となると……」
チラリとその場の視線が一人に集まる。
「自分が行きます」
不安そうに自分を見るセリアの視線を穏やかな表情で受け止めると、ザウルが一歩前へ出た。