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大地の宝石  作者: 森宮 スミレ
〜第四章 輝く貴石〜
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疑念 2

 カタカタと小さく揺れる馬車の中から、セリアはぼんやりと窓の外に広がる景色を眺めた。


「あと一時間くらいかな」

「そうだな。疲れたか?」

「ううん。平気」


イアンの気遣う言葉にセリアは微笑みで返す。

学園都市を遠く離れ、彼等は今ある場所へ向かっていた。


「……ですが本当に宜しいのですか。彼の実家を訪ねるなど」

「やっぱり、ジッとしていられないし。それにルネとはきっと、また会うことになるから。だから、それまでに出来るだけ知っておきたいの」


 セリアの向かいに座るイアンとザウルは一度顔を見合わせると、未だ外を見詰めるセリアに視線を戻した。


 心の葛藤を打ち明けたセリアが、次に口にした望みがこれであった。始めは冗談ではないと、止めようとした候補生達であったが、セリアの意見も的を射ていた。

 相手は、自分達のことを知り尽くしたルネだ。本当の目的がなんであろうと、セリアを狙った事実は覆せない。そのルネが、二度とセリアの前に現れないなどとは、口が裂けても言えなかった。

 そして、結局学園都市からは遠く離れたルネの故郷へと向かう羽目になったのだ。


 同行を買って出たイアンだが、内心で腸が煮えくり返る思いは変わらない。なにしろ自分以外の男がセリアと唇を重ねたというのだ。その上に、セリアがこれ以上ルネと関わることも、イアンにしてみれば許し難いことであった。その怒りや焦燥、嫉妬を、これまでよく抑えている方だといえる。


 それが解っているからこそ、ザウルも同じく同行を願い出たのだ。万一にもそうなったイアンを止められるとすれば、ザウルが尤も適役であろうから。


「俺達が行く事は、知らせてあるんだろう」

「はい。といっても、表向きはルネの突然の失踪、もしくは誘拐、ということになっています。我々が深く関わっていることも公表されてはいませんし。あまりレミオット伯爵夫妻の気を害さない為にも、そのように振る舞った方が、却って都合が良いかもしれません」


 証拠が無いことを理由に、ルネは誘拐または脅された被害者だと主張したレミオット夫妻だ。ここで自分達がルネが反逆をどうのと言っても、同じだろう。むしろ、レミオット夫妻が口を噤んでしまうかもしれない分、不利になってしまう。


 改めてセリアが脳内で今後レミオット夫妻に会った際の事を考えていれば、向かい側のザウルが少し表情を暗くした。


「彼を、恨んではいないのですか?」

「えっ?」

「その…… あの様なことをされたので」


 唐突な質問にセリアが視線をザウルへ向ければ、不安そうな顔に見詰められる。それが、ルネに無理やり組み敷かれたことを言っているのだと、すぐに解った。


「解らない。恨んだりはしてないと思う」

「……そうですか」

「変、かな?」

「いえ。そんなことは……」


 恐らく、普通の女性なら、自分を辱めようとした相手を恨んだり、憎んだりするのかもしれない。でも、そういった感情は、セリアの中には生まれなかった。

 恐ろしかった、というのはある。もしカールが助けに来てくれなかったらと考えただけで震える程だ。

 けれど、セリアの中には、まだ優しかった頃のルネが居るのだ。友人として、仲間として、自分を温かく笑顔で支えてくれた彼が。だからこそ、辛い。

 そしてもう一つ……


『好きだよ。セリア』


「っ!?」


 思い出してセリアは反射的に拳を強く握った。彼がああなった原因の一端が、自分にもあるのではと思えて。そう考えると、恐怖で頭が痛くなる。

 脳内にこびり付いたままの声は、今更耳を塞いだところで消えてくれはしない。それでもどうにかその台詞を思い出したくなくて、セリアは記憶を振り払うように首を降った。。






 それから暫く馬車に揺られ、御者が停止した場所に降り立ったセリアは目の前の屋敷を見上げて思わず感嘆の声を上げた。

レミオット伯爵を主とするこの城こそ、ルネの実家だ。大きさはそれほどでは無いものの、その白く美しい壁や屋根の造形美には見惚れてしまう。


「ようこそいらっしゃいました。ここからは私がご案内させて戴きます。どうぞこちらへ……」


 腰の折れ曲がった執事服の老人に出迎えられ、セリア達もそれに続いた。導かれるままに玄関扉を潜れば、美しい天使の絵が描かれた天井が目に飛び込んでくる。その見事な細工をじっくりと眺める暇も与えず、老執事は屋敷の中を静かに進んで行った。


「こちらへ。旦那様はすぐに参られます。それまで、どうかお寛ぎ下さい」


 案内された部屋に入ると、老執事によってすぐに紅茶が用意された。手慣れた様子でカップを差し出す姿は、実に優雅だ。


 茶を淹れると音も無く退出していく老執事を見送り、セリアは改めて目の前の茶から昇る湯気に視線を移す。

 その様を眺めていれば、鼻をくすぐる香りが、以前ルネが温室で用意しくれていたものと酷似していて、セリアは思わず伸ばす手を躊躇させてしまう。思い切って一口啜れば、それはルネが良く好んで温室で淹れていた茶葉の味だ。


 イアンもザウルもそれに気付いたのか、甘い筈の紅茶に僅かに顔を渋らせた。



 暗い表情のままセリアがカップをテーブルに戻せば、まるで計ったかの様なタイミングで扉がゆっくり開き一人の男性が姿を表した。


「君達かね。ルネの友人というのは」


 低い声だった。ルネと同じ水色の髪と深緑の瞳を持ち、顔立ちも何処となく似ている。歳は三十代後半といったところだ。

ベージュ色の上下の服に身を包んだ男こそ、レミオット伯爵。ルネが彼に似たのだとすれば、その面差しも普段ならば優し気だったのだろう。

 しかし今は、醸し出される雰囲気が、何処か殺気立っているようにも感じられる。顔も僅かに青ざめ、扉からこちらへ近付く歩みにすら疲れが見れた。


「突然お邪魔してしまって、申し訳ありませんでした」

「いや。息子を心配してくれるのはありがたいことだ。どうか無事であって欲しいとは思っているが」


 自らも向かいのソファに腰を下ろしながら、犯罪に巻き込まれてしまったのでは、と伯爵は顔を手で覆う。


 解っていたことではあるが、あくまでもルネが反逆に関わった可能性からは目を背ける積もりのようだ。確かに、それが一人息子ともなればその心情も解らないでもないが。

 だからなのか、その後も続けられた伯爵の息子を心配する嘆きの言葉が、セリアにはどこか作られたものの様に思えてならなかった。


「私たちも、彼を見付ける為に出来る限りのことをしたいと思っています」

「ああ。ありがとう。息子に、こうして気を配ってくれる友人がいてくれて、とても嬉しい」

「それで、その……お聞きしたいのですが、彼が失踪した理由について、何かご存知でないでしょうか?」


 ピクリ、と。伯爵の眉が揺れた。その瞬間、走った電気の様な緊張に、セリアもなにか間違えたのか、と自分の言葉に青ざめる。


「いや。すまないが、心当たりは無い」

「そ、そうですか……」


 僅かに威圧的な音が混じった声に、セリアは思わず視線を伯爵から外す。今は神経質になっていると思われるのだから、もう少し慎重に話を運ぶべきだったかもしれない。


「ここまで来て貰って申し訳ないが、息子が何処に居るのか、どうしてこんなことになったのか。今は何も解らないのだよ」


 これ以上この内容について触れてくれるな、と雰囲気から伝わって来る。彼の何も知らないという言葉が本当なのか、それとも偽りなのか。どちらでもあり得るが、やはり彼から何かを聞き出すのは難しそうだ。

そもそもルネが、例えそれが家族であっても、自分の行いを周りに気付かれるような失態をするとも思えない。学園という空間内で共にいた分、自分達の方が彼の行動を察知しやすい立場にいた筈だ。


「とにかく、何時か戻って来てくれれば。そう思っているよ」


 レミオット伯爵は苦い表情で懐に手を入れた。その手が取り出したのは、一枚の写真だ。真ん中から縦に、半分に裂かれたそれは、古ぼけて所々シミが目立つ。


「それは?」

「昔の写真だ。息子はどうも写されるのを嫌っていて、残っているのがこれだけでね」


 差し出されたそれをセリアが受け取ると、そこにはまだ幼いルネの姿があった。身長や顔の幼さから見て、歳はまだ五つにも満たないかもしれない。自然に囲まれた古びた城を背景に、温室でよく見せてくれた天使の様な笑みでこちらを向いている。とても心が温まる写真だ。


 けれど、何故半分に裂かれているのだろうか。


「あの、此処は……?」

「ああ。我が家の別荘でね。私と妻は殆ど使っていないが、息子が気に入っていて。学園に入ってからも、休暇等はよくそこで一人で過ごしていたよ」

「っ!」


 何か引っ掛かりを覚えたようにセリアが顔を上げれば、横でイアンとザウルもピクリと眉を寄せた。


何でも良い。手探りでもいいから、何か、ルネのことを知るきっかけが必要だったのだ。そして、もしやこれが、その手掛かりになるのではないだろうか。



 その後、レミオット伯爵の居る部屋から挨拶もそこそこに、セリアは急いで玄関へ向かった。伯爵自身も、これ以上の会話は望まなかったのか、別れ際はあっさりしたものだった。


「本当に行くのか?」

「ここまで来たんだもの。それに、一人で使ってたなら、何かあるかもしれないし」


 背後から投げ掛かれた疑問に、セリアは振り向かずに答えた。

 レミオット伯爵は結局、それ以上のことを述べる気配を見せなかった。つまりルネの行動の理由も未だ解らないままである。いや、むしろ増々解らなくなったと言える。


 ルネの反逆を認めない点は引っ掛かりを覚えるが、名誉や立場を重んじる貴族としては、理解出来なくもない。

しかしそれを差し置けば、一見して息子を心配する良い父親に見えた。窶れた様子も、暗い表情も、きっと行方知れずとなったルネを想ってのことだろう。そんな家族を、一体何を理由に裏切るようなことがあるのだろうか。


「あっ!」

「どうかしましたか?」

「さっきの部屋に帽子忘れて来ちゃった。取りに行ってくる」


 クルリと踵を返すとセリアはそのまま小走りで来た道を戻り始めた。イアン達に先に行っててくれと言い残すと、更に足の速度を速める。


 短い距離を急いで戻り階段を昇り、先程伯爵と面会した部屋へはすぐに辿り着いた。流石にもう伯爵はいないだろうが念の為ノックはするべきだと腕を上げる。



「まったく、お前の責任だぞ!」

「なんですって!元々はご自分で蒔いた種ではありませんか!」


 けれど部屋の中から響いた怒声に、セリアはビクリと肩を揺らして、腕を引っ込めた。耳に届いたのは男女の言い争う声で、感じる空気がまるで刺すように刺々しい。

男性の方は先程のレミオット伯爵の声だ。彼の屋敷でこうも彼に楯突くことが出来る立場に居る人間は、多くはない。だとすれば、対等に口論している女性は、伯爵夫人だろうか。


「子供の世話は女の仕事だろう!」

「そして、また貴方は無責任に、私の立場も考えずに火種を持ち込むお積もりですか!?」

「なんだと!もう一度言ってみろ!」


 緊迫した空気に、セリアはその場を去ることも忘れ会話の内容に耳を向けてしまう。

 いったい、何があったというのだろう。今女性に向かって怒鳴っているのは、先程の息子を心配する気落ちした父親の声ではない。


「まだアレのことを言っているのか!いい加減にしないか!」

「それは貴方の方ですわ!そもそも、アレを棄てるのにすら反対していたではありませんか!私のことも考えずに!」

「欠陥品とはいえ、予備があるなら残そうと言っただけだ。けれど、お前がしつこく言うから、結局は出したではないか!」

「卑しい血に、この家を盗られてなるものですか!そんなこともお分かりにならないなんて仰りませんように」

「そう言って、今度は折角ここまで育てたモノがこんなことになったのだぞ!どうする積もりだ!」

「まあ!私に責任を擦り付けるなんて、何処まで傲慢な!」


 これが唯事ではない状況だと解っても、拾った言葉だけでは内容が理解出来ない。けれど、それが決して穏やかな事情ではないことは解った。彼等の口ぶりから、悪い予想ばかりが頭を巡ってしまう。


 ここで詳しい事が聞けたなら、もしかしたらルネを理解することに繋がるかもしれない。そう思ったが、けれどセリアはその部屋の扉を叩けなかった。

 そうして、遂には中から何かを割るような破壊音と女性の啜り泣きが響く。その余りの出来事に、セリアはここへ戻った目的も忘れて、慌てて扉に背を向け走り出した。


 欠陥品…… 卑しい血…… 予備……


 これらはそれだけならばただの単語だが、貴族にとっては彼等以外の人間を表すのに使われる言葉でもある。そういう表現を使う者は、自分の家や立場が不利になる可能性のある事柄は断固として他人に口外しない。たとえ、それで自分以外の誰が犠牲になっても。だから、あの場でセリアが部屋の扉を破って彼等の会話の内容を問うても、彼等が口を噤むのは火を見るより明らかだ。


 やはり、この家には何かあるのかもしれない。ルネを、国を裏切ってしまうまでに追い込む程、彼を苦しめた何かが。


 それを知った所で、彼が戻って来ることは無い。けれど、彼の行動を理解する手掛かりになるかもしれない。彼やヨークのしようとしていることを止める何かに繋がるかもしれない。

 だとすれば、やはり自分の行動は決まっているのだ。





こんな風にお前に触れられる時間が、あとどれくらい続くんだ。もしかしたら、俺だってすぐにでもこの友人の関係を壊しちまうかもしれないのに。

こんな中途半端なままずっといたい訳じゃねえ。どんな形でもいいから、この生殺しの状態から解放されたい。


でも、今お前にこうやって触れられるのは、中途半端な関係のままだからなんだよな。



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