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大地の宝石  作者: 森宮 スミレ
〜第三章 目覚める鉱石〜
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波紋 2

 遠くから終業を知らせる鐘の響く中、セリアはぼんやりとフロース学園の敷地を歩いていた。その足は、彼女がそれまで憩いの場としていた温室へ向かっている。


 議事堂での一件はまだ終わったとは言えないが、候補生達はいったん学園へ戻ってきていた。王宮や議員達が事態の対処に負われる中、呼び出しが掛かるまでは彼等の役目は無い。


 本来なら今頃セリアも授業を受けていた筈なのだが、一日くらいはゆっくり休め、と候補生達が欠席を勧めたのだ。散々彼等に迷惑を掛けた罪悪感と、気まずさとが相まって逆らう気にはなれず、セリアも無言のまま頷いた。


 そして言われた通り、暫くは彼等の言葉に従いセリアも自室で休んでいたのだが、どうしてもざわつく気持ちを抑え切れずに、気付けば部屋を抜け出していた。



 慣れしたんだ道を進み、見えて来た硝子張りの空間へ足を滑り込ませる。そこは、普段と何ら変わり無く、入口を潜った途端にセリアは色鮮やかな花々に迎えられた。

 けれど、何時もそこにあった筈の優しい笑みが無い。花の世話をしながら、この場所へ訪れる者を歓迎する友人の姿が。


「……そうだ、水やり」


 ふいに花の世話の事を思い出したセリアは、ルネが普段使っていた如雨露を持ち上げて乾いた土に近付ける。普段であれば、朝と昼と、常に花の状態に気を配るルネの手に寄って、土の色が変色するまで乾くことはなかったのに。

 それだけではない。花の状態を観察して、伸びた枝や葉の手入れをし、元気の無い花には肥料を変えて。これだけの花を常に管理し、何時でもここが憩いの場所となる様にしてくれていた。


 けれど、ルネはもう居ない。植物に対する知識など、ほとんど無い自分や他の候補生達に、この場所を楽園の様に保つことなど、出来るのだろうか。



「……これからどうしよう」



 議会内で起きたコーディアスを筆頭とした事件。首謀者とされていたコーディアスまで殺されてしまい、事実確認や裏付けに更なる手間がかかっていた。当然、議員達だけではその処理に手が負えず、王宮も突然の事に驚愕しながら必死で動いている。近日中に自分達にも王宮から呼び出しがかかるだろう。早急な必要事項は既に報告してあるが、その分だけでも処理が終えれば、諸々の事情は聴取される。


そこでどこまでが明らかになり、公にされるのかは解らない。けれど、事実は既に後戻り出来ないところまで来てしまっている。この場所にルネを再び迎え、以前の様に穏やかな時間を過ごすことは、きっともう叶わない。



ぐっとセリアは如雨露を握る手に力を入れた。

自分が悪かったのか。自分の所為なのか。考えれば考える程、訳の解らないやる瀬なさと背筋が寒くなる程の罪悪感に感情を奪われ、知らずの内に目頭が熱くなる。


「あ、あれ?」


気付けば頬を伝う涙に、セリアは戸惑いながらもそれを止められないでいた。泣きたくなんてないのに。泣いたからといって、自分がどうすべきか答えが見付かる訳はないのに。


ルネの言葉が頭から離れない。自分を好きだなんて、どうしてそんなことになってしまったのかは解らない。けれどあの時、ルネに押さえ付けられた時、抵抗せずに大人しく身を捧げていたら、こんなことにならずに済んだのだろうか。そうすれば、全て嘘だと彼は笑って、今頃ここで花の世話をしていたのだろうか。


そんな風に考えた途端、身が凍り付く程の恐怖を覚えた。


ーー怖いのだ


あの瞬間、ルネが何を求めていたかは幾ら鈍感なセリアとて解る。けれど、その事を考えれれば考える程、手足の先が冷水を浴びたかの様に冷え、肩が震え出すのを止められない。考えただけで無理だと叫んで、逃げ出したくなる。唇を強引に重ねられた時の恐怖が、未だ身体にこびり付いて離れない。




ジャリッ、と背後から地面を踏む音がした途端、セリアはハッとして慌てて涙を拭った。事態を悲観して泣いていたなんて、誰にも知られたくないし、ましてや自分でも認めたくない。しかもこんな理由で。


自分は泣いてなんかいない。恐怖もしていない。今後の対応や王宮への報告など、考えるべきことは山ほどあるのだ。必要なことだけ気にしていればいい。失意で涙を流したなんて、嘘だ。肩が震えたのも気のせいだ。


セリアは何度もそう繰り返すと、自分を落ち着かせる為に深く息を吸い込んだ。少なくとも、今は自分にそう言い聞かせなければ。そうでもしないと、後ろに立った彼を誤魔化すことなんて到底無理だ。


「何をしている」


投げかけられた冷たい声に、セリアは浮かんだ最後の涙を目元から乱暴に拭った。そして後ろを振り返れば、腕を組んだまま不機嫌そうな顔付きのカールと視線が合う。


「なんでもないよ」

「今日は休めと言った筈だが」

「もう十分休んだし。いつまでもぼんやりしてられない、から……」


温度の感じられない瞳に睨まれ、セリアは思わず言葉尻が弱くなる。きちんと応対すると決めた筈なのに、もう逃げ出したい気持ちだ。


「何をしていた」

「な、なにって。花に水を…… 世話をする人が今居ないんだし。そんなに詳しくないけど、水を撒くくらいなら出来るから」

「そうではない」


スッと一瞬で冷たくなった空気に、セリアは咄嗟に嫌な予感を覚える。けれどそれに対処する前に距離を詰められ、強く顎を掴まれた。そのまま逃げる暇もなく強引に上を向かせられ、冷たいバイオレットの瞳に射抜かれる。


「何故隠す」


 その言葉にハッとして、セリアは思わず視線を外した。顔を逸らしたかったが、カールの手に捕らわれそれが出来ず、視線だけでも逃げる。


「か、隠してなんか……」

「見せろ」


 空気そのものがのしかかって来るかの様な重い声とその言葉に、セリアの肩が恐怖でピクリと揺れる。何を言われたのか理解出来ずに恐る恐る視線を彼に戻せば、秀麗な顔がすぐ間近まで迫っていた。


「その様に嘆いている暇など、今のお前には無い筈だ」

「そ、そんなの解ってるよ!」

「ほぅ……」


 顎を掴んでいた手の力が増し、セリアは思わず顔を僅かに歪める。


「人知れずに俯いている間はなんとでも言える」

「っ!?」

 まるで見透かされているかの様な言葉に、セリアは直ぐにでも逃げ出したくなる。けれど、目の前の彼がそんなことを許す筈もない。がっちりと掴まれた顎に加え、腰に腕を回され完全に拘束されてしまった。

「そうして何度も無為に涙を流すくらいならば、今ここで嘆いた事実を作れ」

「そんなことしてない!……離して!」


 顎が軋む程力を強められ、痛みに思わず目尻から涙が滲む。必死に離れようと試みるが、熱い雫を堪えるので精一杯で、碌に抵抗など出来ない。


 泣いてみせろと言うカールに、冗談ではないと怒鳴ってやりたくなる。そんなこと出来る訳がないではないか。泣いていたなんて、絶対に認めたくないのに。それを容易く見破った彼が、恨めしくすら感じる。どうしてこの男はいつも自分のことをなんでも見抜いてしまうのだ。


 ジワジワと濡れる視界に、セリアは思わずギュッと目を固く瞑る。けれど、顎をギリギリと締め上げられ、痛みに涙が滲むばかりだ。それと同時に、つい先程まで泣いていたのも思い起こされて、胸の苦しみがぶり返してきた。


 顎の痛みと胸の痛み。両方に促された涙が、遂に耐え切れずに頬を伝い落ちる。そのひと雫が皮切りとなり、止めどなくボロボロと溢れ始めた。


「……み、見ないで」

「…………」

「お願いだから。もう、解ったから…… お願い」


 見られたくない。自分が泣いているのはもう十分解った。認めるしかないのだから、こうなってはもう否定など出来ない。けれど、せめてジッと見詰めて来るのを止めて貰いたかった。これ以上、彼の瞳に映る自分の泣き顔を見るのは、耐えられない。


「……そうか」


 短くそう呟くと、カールは掴んでいた顎を漸く放した。けれどセリアを解放する積もりはないらしく、今度はセリアの後頭部に回した手で顔を自分の胸に押し付ける。

 セリアの短く息を飲む音には構わず、腰に回っていた腕も背中まで上がり引き寄せられた。


 フワリと包まれた感触に、セリアは一瞬唖然とするものの、その場所から感じる安心感に思わず気が緩む。

 あの時も。崖下へ落下していった時も、こうしてカールに包まれているだけで恐怖を全て忘れられた。背中越しに感じるカールの腕の温もりに、ジワリと緊張が解されていく。


 その心地よさに、知らずの内にカールの服の胸元を両手でしがみつく様に掴んでいた。


「ひっ、えっく……」


 堰を切ったかの様に溢れ始めた涙を、止める術など知らない。ただ胸に込み上げる気持ちを吐き出せと、誘われるままに抗うことが出来なかった。


「うわああああん。えっえっ、くぅ…… ああぁぁぁ!」


「ルネが、ルネがぁ!ひっく、……ごめんなさい、ごめんなさい!出来ないの!ごめんなさい!ええっ、え、あぁぁ!」


 何を言いたいのか、自分が何を口走っているのかも解らない。ただ、罪悪感と恐怖とが同時に押し寄せ、そして友人を失った悲しみまでもが胸を締付ける。


「ふぇ、あ、あああああ!」


 彼の望みがなんなのか、多分理解はしているのだ、きっと。ただ、それを受け入れるなんて。


「怖いの!解らないの!何がなんだか。出来ないよ!えっく、どうしても、出来ないよ…… ひっく、ごめんなさい!ルネ、ルネェェ!」


 ずっと一緒だと、国を背負って立つ存在だと、信じ切っていた。いつでも自分達を助けてくれて、優しい笑みで迎えてくれたから。





「……落ち着いたか」

「…………」


 暫く大声で喚いたセリアは、未だカールに抱きついたまま静かに頷いた。それでも引き剥がされず、背に腕が添えられたままなことに何処か安堵を覚える。

 あれだけの醜態を曝した筈なのに、泣き叫んだ羞恥よりも胸のつかえが取れた様な静けさが勝っていた。その場所がどこまでも心地よく、出来ればもう少しこのままでいたいという考えも浮かんで来る。


「……違うのは、嫌なの」


 気付けば胸の奥に隠していた本音までが漏れていた。いきなり何を言ってるのだ自分は、とセリア自身思うものの、自然と口から出てしまった言葉は戻らない。それどころか、更に喉の奥から勝手に言葉が漏れる。


「私だって解ってる。でも、違うのは嫌だよ。ちょっとでも同じになりたいって、思ってるのに」

弱音など、今吐くべきではないのに。けれど、この安心感に包まれたまま、何もかも吐き出してしまいたい衝動に、喉が震える。

「不可能だ」


 ズバリと言われた言葉に、セリアはグッと唇を噛む。お前には何も出来ない、と次には言われるのかと思い肩に力が入った。

 けれど、そう言われたとしても反論が出来ない。


「同じになど、なれはしない」

「わ、解ってるけど、でも……」

「なる必要もない」


 思わず出た抗議の言葉を遮る様に被せられた台詞に、セリアは顔を僅かに上げる。恐る恐る見上げた先では、変わらずに冷たい瞳と視線が絡み合った。


「雲に月になれと言ったところで、雲は雲でしかない。お前がどう抗おうと、女に生まれた事実は変わらん。男と同じになるなど不可能だ。ならば、何故女である自分を活かさない」

「…………」

「そうして涙を流すことも、お前だからこそ許されることだ。何故それが解らない」

「そ、そんなの……」

「我々には出来ないことが、お前には出来る。許されぬ行いがお前にだけ可能な時もある。お前だけが違う見方を出来るにも関わらず、意地を通して無駄な足掻きをするか」


 真剣な表情で見下ろされたまま、セリアは瞬きも忘れたまま固まっていた。そんな考え、したこともなかった。女に生まれたから弱いと、何も出来ないと。そう言われてきたから。だから、違いは無いと。同じになれる、と繰り返してきたのに。

 けれど、カールは全く別の言葉を投げつけてきた。でも、そう言われてもイマイチ解らない。女だからこそ出来ることがあるなんて。そんな風にすぐには思えない。


「でも、それじゃあ、皆に追い付けない…… 置いていかれるのは、嫌だよ」


 また涙が一筋頬を伝う。女だから許される、などと言われた手前、泣きたくなんてないのに。

 彼らに追い付きたいと願っても、差は広がっていくばかり。感じる距離は一向に埋まらない。それが、堪らなくもどかしく悔しい。

 再びセリアが俯けば、また優しく抱き寄せられる。目の前の胸板に思わず顔を押し付ければ、幾分柔らかさの増した声が降ってきた。


「置き去りになどしない」

「……っ!!」


思いの外優し気な声に、セリアはビクリと肩を揺らす。思いもよらなかったカールの返答に、顔を厚い胸板に押し付けたまま目を見開いた。

何よりも、一番欲しかった言葉が胸にジンワリと浸透すると同時に、再び目頭が熱くなる。そんなことはないとか、十分努力しているとか。そんな慰めではなく、しっかりとした言葉に心がグラグラと揺れる。


「信じろ」


 弱った部分にトドメを刺すかの様に、その一言がズクンと心に突き刺さる。今まで必死に守ってきた砦を覆されたかの様に、視点が定まらず足元から力が抜けていく。

 崩れそうになる膝を支えるために、セリアはカールの服を握る手を更に強めた。そのまま強く顔を押し付ければ、背に回った腕に更に引き寄せられる。それが堪らなく心地良く、もっと此処に居たい、と無意識の内に考えてしまう。


 どうしてここまで揺らいでしまうのだろう。何故、彼のたった一言をここまで信じてしまうのだろう。疑問にすら思うのに、心は抗えずに、驚くほどすんなりと受け入れてしまうだけだった。



君達にとっても急な事態ではあったのだろう。けれど、君達の中から反逆者が出た事実は、決して喜ばしいことではない。マリオスとして、見過ごす訳にもいかん。

とはいえ、我々の君に対する評価が、それだけで決まることはないと、覚えておいてくれ。


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