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大地の宝石  作者: 森宮 スミレ
〜第三章 目覚める鉱石〜
112/171

波紋 1

 僅かに聞こえた音にハッとしてルネは顔を上げた。途端に顔を歪めたその不穏な空気に、下で未だ組み敷かれているセリアも気付いた。けれどその理由を考えるよりも先に、部屋の扉が蹴り破られる勢いで開け放たれたのだ。


「……これからなんだけど」

「貴様!」


 いかにも不満そうに放たれた言葉に、その場に息を切らせながら現れたカールが舌打つ。服を引き裂かれ胸元と脚を露にされた少女。それを組敷いている男。状況を把握するには十分だった。


 理解が追いつかないといったセリアが呆然とするのを横目に、ルネとカールとの間の空気が張り詰める。カールは瞬時に殺気と苛立ちを露に、今にも襲いかからん勢いで睨みつけた。それを、ルネも挑発するような笑みのまま真っ向から受け止める。

 けれどそれも一瞬で、ルネはフッと表情を崩すとカールから視線を外した。


「カー……んっ!」

「またね、セリア」


 一瞬の出来事だった。セリアが逸らしていた顔を掴まれ最後に口付けられると、ルネは窓から外へ身を躍らせる。

「ルネッ!!」

 我に帰ったセリアが慌てて身を起こすがその声は当然彼の行動を留めるには至らない。


「お前はここにいろ」

 冷たい声が投げかけられるのと、カールの姿も窓の外へ消えたのは同時だった。

 窓縁を蹴って宙に身体を投げ出したカールは、地面にしっかりと着地すると同時に前を走り去る影を追う。


 議事堂から離れ、ベアクトリスの端に位置する空き家が並ぶ区域。その陽の光が届かない路地の一角で、まるで自分を待ち構えるかのようにして立っているルネの姿に、カールは忌々しげに眉を歪めた。


「これからって時に、邪魔してくれるね」

「貴様。自分が何をしたのか分かっているのか」

「分かってないとでも思ってるの?」


 優しげな笑みは寸分も変わりない。だからこそ、彼が一時の気の迷いや脅しで行動しているのではないのだと悟る。いや、そもそもルネがそんなことで己を失うほど愚かである筈がないのだ。


「ヴァーゴはちゃんと繋いだ積もりだったんだけど。セリアに従順なところは流石だね」

「馬車を暴走させたのはお前か」

「だって、カールなら絶対にセリアを守るでしょ。でも、二人とも怪我の一つもしなかったのは計算外だったよ。動けないまま衰弱されるのは困るからヴァーゴを行かせたのに、まさかそのまま議事堂に来るなんて。おかげで、仕掛けてあった爆弾は回収する羽目になったんだから」


 議事堂で火災が起これば、たとえそこで多くの死者が出ても言い訳がたつ。しかも、証拠も全て抹消出来る、ということで爆発物が用意されていたのだが。けれどセリアが直接に議事堂へ現れたことで、ルネの中で計画が変わったのだ。


「理由を言え」

 嘘を許さない、と威圧する声にルネの眉が僅かに上がる。けれど張り詰めた空気に気付かぬかの様に、直ぐに元の笑みを戻す。

「……だって可愛いじゃない。セリアって」


 茶化す様なその口調に、カールは益々表情を苛立たし気に歪める。それを眺めながら、ルネはクスリと小さく笑った。


「じゃあね」


 ヒラリと身を翻してルネが再び路地の奥へ消える。カールもその後を当然追いかけたが、道を曲がった所にルネの姿は無く、黒塗りの馬車が一台去って行くのみだった。


 友人の突然の変貌も、裏切りも、当然気になる。今すぐその後を追っていきたい気持ちはあるものの、それよりも今は……


 カールは心底忌々し気に舌打ちすると、踵を返しもと来た道を戻り始めた。

 そのままセリアが囚われていた建物の階段を再び駆け上る。そして中のセリアを出来るだけ刺激しないよう静かに扉を開けた。


 その先で未だ呆然と座り込んだまま、立てた両膝に顔を埋めた状態のセリアを確認するなり、秀麗な眉を歪める。近付いてみても相手から何の反応が返らない事に、更に胸のざわつきが増した。


 無言で後ろ手に縛られたままの縄を解きながら、カールはセリアの無惨に引き裂かれ露出した肩を隠すように自身の上着で覆ってやる。


「移動できるか?」


 何時に無く威厳の籠っていない、静かな声色でそう尋ねれば、数秒の後にセリアが顔を上げないまま小さく頷く。それを確認すると、カールはそのまま普段よりも弱々しく見える少女を彼らしからぬ柔らかな動作でゆっくりと抱き上げた。








 ガタンッ!と、テーブルを激しく叩いた音が部屋に響く。その原因たるイアンが始めに腰を下ろしていた筈の椅子は、それよりも前から床に転がされている。


「あの野郎、ふざけやがって!」


 服を引き裂かれ、青白い顔で俯くセリアを抱きかかえたカールが、この屋敷に戻って来た時は流石の候補生達も何が起こったかを理解出来なかった。

 けれど、ルネの裏切りと彼がセリアにした仕打ちを聞かされるうちに、腹の底が煮えくり返る程の怒りを覚える。


 全てを聞いたイアンは、当然の如く自身を抑え切れない程の激昂にその拳を振るった。

 別の男がセリアに触れたなどと、その肌を奪おうとしたなどと。考えるだけで目の前が赤を通り越し、ドス黒く染まって行く。もしこの場にルネが居たなら、たとえそれが友人だった男でも、彼は何をしたか解らない。


「絶対に見つけ出してやる」

「イアン。今はそれよりも……」


 怒りに燃えるイアンを宥めるように、横で聞いていたランは思わずその肩を掴んだ。けれど彼も、内心穏やかな訳ではない。

 あれほど護りたいと願っていた少女を、しかも最悪の形で傷つける形になってしまったのだ。今、彼女はどうしているのか。どれほど傷付いているのか、そればかりが気になって、居ても立ってもいられなくなる。


「やめておけ」


 まるでその心情を読み取ったかの様に、前から冷たい声が響いた。それに反応し、ランも思わず眉を寄せる。


「なに?」

「外に見張りを置いてある。それで十分だ」

「……しかし」


 セリアの部屋の外には、ルイシスが見張りとして残っている。けれど、一人でいる彼女がどうしても気にかかってしまうのだ。辱めを受けかけたなど、女性として最悪の事態に陥りかけのだから。


「お前に解るのか?」

「……なんだと?」

「身体を無理やり、更にそれが友人と思っていた者に暴かれようとする女の心や恐怖がお前に理解出来るのかと聞いている」

「それは……」

「ましてや、あれがそういったことに対する自覚が薄いのは知れている。今は放って置け。どうせ何を行ったところで届かん。次期に、己の状況を理解し始めるだろう。何か言いたいことがあるなら、その後だ」


 引き止めるカールに返す言葉が見つからず、ランは上げていた腰を再び下ろす。しかし、こうして待つしか出来ないのが歯がゆかった。


 カールの言葉に改めてルネがセリアを傷つけた現実が突き付けられる。そして今こうしている間も、一人部屋で休んでいるセリアに思いを馳せては、胸を締付けられる様な感覚を覚えた。



「彼は……」

 僅かな沈黙を破ってポツリと呟いたのはザウルだ。それまで各々の考えに耽っていた候補生達の意識がそちらへ注がれる。


「彼はセリア殿を、その……愛しておられた、と」

「だからどうした?今回の行動を容認する理由になるのか」

「いえ。そういう意味では。ただ、自分はそれに気付きませんでした。恐らく、この中の誰も。何故、彼がそこまで頑なにその心を隠されていたのか、自分には何かある様に思われてなりません」


 真剣な表情のザウルに、思わず周りもその理由を考える。


「想いを抱く相手の全てを望むのは、当然の欲求なのでしょう。けれど、自分はルネにその心を感じた事はありません。力で押さえ付けてまで奪おうとする程の想いを、何故押し殺していたのか。そして、どうしてここへ来て、この様な形で…… 何か理由があるように感じます」

「まるでルネを擁護するような意見だな。ザウル」


 咎める様なランの言葉に、ザウルは一瞬戸惑い言葉に詰まる。けれど力が抜けたかのように手で顔を半分覆うと、諦めたように口を開いた。


「……そう、かもしれません」

「お前っ!?自分が何言ってるか解ってるのか。お前は、アイツのしたことを許せるっていうのかよ!」

「自分も!」


 その回答に激昂を露にしたイアンを遮る様に、ザウルが唐突に声を荒げた。けれど再び俯くと、弱々しく声を絞り出す。


「自分も、あの方を望んでいます。それこそ、想像の中で何度その肌に触れたか解りません。時には、酷い方法で奪う事すらありました。それを現実にしたいと、強く願ったことも……」

「…………」

「セリア殿を傷つけたルネを、自分は許せません。けれど、その気持ちの中には嫉妬があります。あの方に触れた彼に対する、醜い感情が。そんな自分に、セリア殿への行為を理由に、彼を責める資格などありません」


 嫉妬の交じった怒りで、ルネを責める資格など自分には無い。何かを押し殺したようにそう主張するザウルに、誰も何も言い返さなかった。


 けれど次の瞬間、それまでの空気が一変し、冷たいものになる。ピキリと音がしそうな程緊張を張り巡らせたのは、瞼を下ろして長い足を組みなおしたカールだ。


「だが、奴がしたことはそれだけではない」

「…………はい」

「国への反逆行為と、受け取っていいだろう」


 マリオス候補生として、国への忠誠を誓い、将来は国王の傍に仕えることを期待されていた者。そんな彼が、一体何の為なのか、友人を捨て、立場を捨て。それまでの全てを投げ打って敵の側に付いたのだ。


「これを、ここだけの話にする事もない。解っているな」


 それはつまり、今回の事を報告する、ということだ。どうなるかは未だ解らないが、少なくともルネの戻る場所は此処には無くなる。友人として彼を迎え入れることは、もう出来ないのだと。


 その決定に、候補生達は戸惑うでもなく、全員がはっきりと頷いた。










 ぼんやりと寝台に横になりながら、セリアはグルグルと廻る思考を持て余していた。


 どうしてこんなことになってしまったのだろう。何故、ルネはあんなことを……

 夢だと思えるならそうしたい。けれど重ねられた唇が、嘘だと言わせてはくれなかった。


「……うぅ」


 自分が悪いのだ。自分が、馬鹿だったから。何か出来ると思い上がって、候補生達の言葉に耳を貸さずに部屋を飛び出したからだ。こんな自分に、出来ることなんてある訳がないのに。


 何処で間違えてしまったのだろう。どうしてそんな風に舞い上がってしまったのだ。そもそも、フロース学園に来たこと事態が間違いだったのでは。彼等に出会わなければ、ルネがこの様なことをすることもなかった筈だ。自分が、国の役に立ちたい、と。愚かな望みを抱いたばかりに。



「お〜い。お嬢ちゃ〜ん」


 唐突に響いたそのその声にハッと顔を上げるが、声の主の姿は見えない。くぐもった声は扉越しに聞こえたもので、セリアは首を傾げた。


「阿呆みたいなこと言っとらんで、こっちおいで」

「き、聞こえて……」

「そら、死にそうな声でブツブツ独り言が聞こえたら、聞きたくなるやろ」

「…………」

「まあ、そこに座り」


 扉の傍に近寄れば、まるでこちらが見えているかの様に座る様に勧められた。何時の間にか声に出していたのかと頭の片隅で思いながら、再度促されたセリアは扉に背を向けて膝を抱える様に座り込んだ。


 その僅かな布ズレの音でセリアの様子を把握したのか、ルイシスが扉越しに話を始める。


「アンタ、ホンマに阿呆ちゃうか?」

「……解ってるよ」

「解っとらん。アンタなぁ。自分が何をされたのか、ちゃんと理解しとるんか?女が一番大事にせなアカンもんを、力ずくで奪われかけたんやぞ」

「そんなこと……」

「そんなことやあらへん。アンタはもっと怒るべきや。ショックで泣きわめいてええはずや。なのに、さっきから聞いてれば自分が悪いだの、自分の所為だのって。阿呆らしい」


 本当に呆れを含んだ様な物言い。その声色に普段ならばムッとするかもしれないが、そんな気力は今のセリアには湧いて来なかった。


「まあはっきり言って、アイツの気持ちは解らんでもないがな。お嬢ちゃんは可愛いさかい」

「……嬉しくない」

「なんで?女の子やったら、こんなカッコいい男に可愛い言われたら喜ばんと」



「………女の子なんかに、生まれたくなかった」


 ぐっと込み上げて来るものを耐える様に、セリアは膝に顔を埋める。同時に、言ってしまった、と僅かに後悔が浮かんだ。


 以前に一度だけ、同じ台詞を言ったことがある。従姉のカレンにそう主張し、そしてその時に始めて彼女に怒られた。それは自分を否定する言葉だと。

 自分は決して一人で生まれた命ではない。しかしそれは、生を与えてくれた両親や周りの人間達を裏切る台詞だ、と。

 その言葉とカレンの涙に、セリアは心から後悔し、己の考えを改めた。


 だから今まで必死に戦って来たのだ。女性だから、男性だから。そう差別する者と徹底的に争って、そして性別に差などないと、懸命に主張を繰り返して来た。


 けれど、やはりダメなのだ。今日まざまざと見せつけられた。自分は、彼等とは別の生き物だ。押さえ込まれ拘束されれば、いとも容易く全てを奪われてしまう。どうしたって同じになれない。対等の場には届かない。

 どんなに否定しようと、彼等と自分は同じ位置には決して立てないのだ。


「やだよ。女の子なんか」

「…………ああ。そうやな」


 弱々しく響いた声に答えると、ルイシスは背を凭れた扉に首を反らせ、軽く頭をぶつけた。コン、と子気味良い音がして、そのまま頭を後ろに預ける。


「けど、どうしようもないやろ」


 どう足掻いた所で、自分の生まれ落ちた場所は変えられない。そう言いながらも、ルイシスは僅かに自嘲する様に短く息を吐いた。


 生まれた環境を恨んだ事は無い。家族が居て十分に幸せだと感じている。けれど、それでは溝はどうしたって消えないのだ。

 自分が望むのは、自分の居る場所からでは遠いもの。今の幸せに満足していればいいのに、けれど飛び込もうとするのは過酷な世界だ。


 必死に手を伸ばすが、それはどうしても遠い。だから、手にするには足掻くしかない。それは別に苦ではないのだ。頭を使って行動を起こして、そうして少しずつ目的に近付く様は、心地よくすら感じる。


 けれど、それを当たり前の様に与えられる者もこの世には居るのだ。自分が何年もかかってやっと手に入れたそれを、生まれる前から何食わぬ顔で約束されている者も。

 それは、能力の差でも、実力の差でも。ましてや努力の差でもない。覆し様のない、生まれ落ちた身分の違い。


 覚悟もある。自覚もある。そんなことは百も承知だ。けれど見せつけられる度に思う。ああ、違うのだ、と。


「けど、どんなに嘆いたかて何も変わらん。そんなの、アンタもよう解っとるやろ」

「うん。解ってる」

「声を涸らすだけ無駄。抵抗するだけ無駄。全部、全部無駄や。何をやっても変わらんもんは変わらん。違いは埋まらん。目を逸らすことも無理。せやからどうしようもない。それでも突き進んで、血塗れになることを選んだのは俺等や」

「……うん」


 変わらない。何も変えられない。だから戦うしか道はないのだ。

 自分を否定はしたくない。そうすれば、差別する者達と同じになる。だから、それは違うと証明する為に、我武者らに進むしかない。


 そう思っていたのに。それは、間違いだったのだろうか。自分の無謀な行動が、結果的に己の無力を物語ってしまい、更には友人を追い込んでしまった。


 短く息を吐きながら、セリアは強く頭を膝に押し付ける。

「ちゃんと解ってたと思ったのに……」

 まだ考えが甘かったのか、と自分に嫌気がさす。まさか、こんな形で見せつけられるとは、思っていなかったから。


 そう呟けば、扉越しに短く笑う様な声がした。


「やっぱりアンタは可愛い。そんで、好い女や」

「…………女の子なんかに、生まれたくなかった」


 ああ。とセリアは深い溜め息を吐く。もう決して言わないと誓った言葉を、今夜二度も口にしてしまった。



 そうして人知れずに俯いている間は何とでも言える。だが、その様に無為に過ごす時など、お前には無い筈だ。

 無意味に嘆くくらいならば、今、私の前で全てを見せろ。


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