孤月 6
「いきなり呼び出すなんて。貴方らしくもない」
何の前触れもなく届いた手紙。差出人の名前の無いそれ。とはいえ、贈り主など考える必要もなかったが。
指定の場所へ赴けば、やはり思っていた通り。穏やかな、けれど学園に居た時とは少し違う。冷たさの潜んだ笑みを浮かべたヨークが佇んでいた。
「実はあまり悠長に構えている場合ではなくなりまして。近い内に事を起こす事になりました」
「……そうですか」
「ええ。ですから、どうしても貴方の友人は目障りになってしまうのですよ」
聞く者がゾッとする程の声だが、ヨークは極めて冷静だ。その言葉に、ルネも当然の様に彼の意図を汲み取る。しかし、それに頷くことはせずに、ただジッと相手を見返した。
「ヨークさん。何度も言ってる筈ですよ。邪魔はしませんけど、協力もしないと」
あくまでもその姿勢は崩さない。今手の中にある全てを壊し、失うだけの勇気はなかった。そんな自分に、実際に行動をする余裕なんて無い。
「……ですが何時までもそのまま、という訳にもいかないでしょう」
「だからって、すぐに決められるものでもありませんよ」
知った事を、自分は無かったことにしたのだ。友人達に『何も知らない』自分を見せ、それまでの人生の続きを歩む為に。
それは、栗毛の少女が現れても同じだった。たとえ、彼女とヨークがじきに敵対すると解っていても。
いや、解っていたからこそ、か。それが明確になればなるほど、彼女の国への想いを知れば知る程、自分の本心を遠ざけた。
それは、彼女に余計な事を言って、危険に飛び込ませたくなかったからか。自分が、実は彼女と敵対するかもしれない存在だと、悟られるのが嫌だったのか。ただ、全てが怖かっただけなのか。
理由など考えるだけ無駄だ。答えを導き出した所で意味など無い。決して手の届かない少女に、ただただ焦がれるだけ。
だけど ーー 苦しかった
周りの友人達が、少女に魅せられ惹かれていく。それを理解する度に、自分の想いが暴れた。
表面上だけでもセリアを好きだと表していればもっと楽だったのか。しかし、そうした時に果たして本当に上辺だけで抑えられたのか。無理だったと、今でもはっきり言える。
友人達が愛おしそうに少女を眺める度、その度に自分は少女から視線を外した。同じ様に熱の籠った視線を、決して他に見られてはならなかったから。
自分の本心を隠すのは、既に自身の一部かのように自然にこなしていたことだ。けれど、一人になった途端にまるで反動の様に全てが込み上げて来るなど、始めてのことだった。
それまで目にしたセリアの笑顔。耳に届いた声。何気ない仕草や強気な発言。色々なものが一気に脳裏を横切った。
好きだと。これほどまでに焦がれていると。誰に聞かれなくても良い。口にすることさえ許されたなら。けれどそれも出来ない。一度言葉にしてしまえば、もう感情を押し込めることなど不可能だ。後戻りが出来なくなると、解り切っていた。
ただひたすらに耐えて、感情に蓋をし、苦しみに目を瞑り。けれど熱い想いはどうしても消えない。
好きで、好きで、どうしようもないのだ。どこまでも、狂う程に彼女が欲しい。焦がれても、求めても、手を伸ばすことすら許されないというのに。
けれど、頭でいくら解っていても、欲求が溢れて来る。
気付かれない程度なら。誰にも知られないのであれば。
狂っているとしか思えない。眠る少女と欲望のまま唇を重ねた時。あの時にはもう既に、自分の気は触れていたのだ。
一瞬、己の思いに耽りそうになった自分を、悟られぬ様にルネはヨークから視線を外す。それを拒絶と受け取ったのか、顔を逸らしたルネにヨークは短く息を吐き出した。
「目を逸らしたままで、何かを得られるとは思いませんが」
「……」
「これは聞き流して戴いて結構ですが。そのままではいずれ、心から望むものを見付けた時に、苦しむことになるのでは?」
他意などなかった。けれどどっち付かずの状態では、いずれ後悔するぞと、彼の判断を急かす積もりでヨークは言ったのだ。
だから次の瞬間、瞳を見開いてゆっくりと自分に向き直ったルネが発した言葉に、ヨークも戸惑いを隠し切れなかった。
「……欲しいものなら、ありますよ」
「…………?」
「たしかに、今のままでは、どうしたって手に入りませんね」
グッと握られた己の拳にルネは視線を落とす。
その脳裏を過るのは、愛しい少女の安らかな寝顔。けれど、自分が見たいのはそれではない。真っ直ぐに自分を見詰める、その瞳が欲しいのだ。
掴めるというのだろうか。この手に、あの存在を抱くことが出来るというのか。
そんな考えの後、フッと短い息と同時に薄い笑みを浮かべたルネが、次に口にした名を、一体誰が予想出来ただろうか。
駆けずり回った屋敷内で、候補生達が渋い顔を突き合わせていた。
「くそっ!あのバカは」
「こっちには居らんかったで。ホンマに、何処に消えたんや」
嫌な胸騒ぎがして、一瞬だけの積もりで確認した部屋に、眠っている筈の少女の姿は無かった。勿論それはすぐに他の候補生達にも伝わる。忌々し気に顔を歪めた彼等は、すぐさまセリアを探しに回ったのだ。
「それにしても、彼女はどうやって……」
「鍵を掛けたのはルネですよね。そういえば、姿が見当たりませんが」
扉を無理に破った様子は見られず、鍵を壊した形跡も無かった。窓も内側から施錠されている。だとすれば、一体どうやってあの部屋から出たのか、と疑問が生じた。
けれどそんなことを気にしている時間も惜しいのか、候補生達はさっさと次の捜索範囲を決めにかかる。
「とにかく、屋敷はあらかた終わった。後は議事堂やけど、朝探した時に怪しかった場所あるか?」
確認するようなルイシスの言葉に、他の者も顔を見合わせる。
「取り敢えず、最上階はないな。隠れる場所も、変わったものもなかった」
「やはり地下にまだ何かあると考えた方がいいか」
カブフラの捜索の際に自分たちの探した場所を挙げ、その中で気になったことなどを纏めて行く。とにかく今は、壁のへこみだろうと、床板の裏だろうと、どんな些細なものでも見過ごせない。
焦りの漏れる早口で思い付く限りの場所を並べ立てながら、お互いの捜索範囲を決めて行く。
「今考えられるのはこれで全てだな。では、それぞれ手分けしながら確認して……」
「待て」
一秒でも惜しい、と走り出すラン達の背に、冷たい声が投げかけられる。何か気になる点でもあったのだろうか、と候補生達が振り返ると、カールの眉間には深い皺が寄っていた。
「ルネはどうした?あれが確認した場所も考慮するべきだろう」
「……? 何を言っている。ルネはお前達と一緒だっただろう」
「っ!?」
当然のことの様に返された返答に、ピリッと空気が軋んだ。それを感じ取った候補生達も、どういう意味だと訝しむようにカールを見遣る。
「あれはお前達と学園からベアクトリスに向かった筈だが……」
「ああ。でも、やはりセリアが心配だといって、すぐに引き返した。その後お前達と合流したのでは」
「……いや。あれと会ったのは議事堂でだ」
何を言っているのだ、と困惑した顔で双方探るように視線を彷徨わせる。
途端にカールは短く舌打ちした。どういうことだ、と未だ理解できていない様子の候補生達に、今まで話しそびれていた王都へ向かう途中での事を手短かに説明する。それを聞いて候補生達は益々混乱した様子を見せた。
ルネは王都へ向かったカール達を追ったという。しかし、カール達は何者かの襲撃を受け、ベアクトリスへ向かうことを選んだのだ。すれ違いになったのだとしても、ルネが先に議事堂内で、まるで待ち構えていたかのように現れたことの説明がつかない。
彼が王都へ向かうのを諦めベアクトリスへ戻ったのだとしても、それまでラン達も誰一人としてルネの姿を見ていないのは可笑しい。
少しずつ明らかになる事態に、カールの脳内で忘れかけていた事実が再び突きつけられた。毒の回収にコーディアスの殺害と、立て続けに厄介事が生じた為今まで気を回す暇がなかったが。
王都への道中、自分達に起こったことの中でただ一つだけ、どうしても説明のつかないこと。まるでセリアがそこに居るのを分かっているかのように現れたヴァーゴだ。
学園の厩舎からどうやって抜け出したのか。また、どうしてああも都合よく自分達の元へたどり着いたのか。
ヴァーゴが気を許し、学園の敷地内から連れ出すことが可能な人物など、学園の生徒、しかも候補生の誰かしか考えられないではないか。
温度を失った冷たい声で聞かされた内容に、イアン達の背を嫌な汗が伝った。
「どういうことだよ!!まさかアイツが」
「イアン、落ち着いて下さい」
「これが落ち着いていられるかよ。ルネが裏切ったっていうのか!?」
「脅されてということも考えられます。今はとにかく……」
途端に候補生達の脳に過る友人の優しげな笑み。彼が自分達を裏切り、ましてや反逆者の側についたなど、考えられない。
今更、この件に王弟の企みが関与していないなんて言えない。しかし、ルネはレミオット伯爵家の嫡男であり、マリオス候補生だ。いったいどんな理由があって、彼が自分達を、国を裏切るというのか。
「マズイで。こりゃ議事堂ん中にばっかり構ってられへんな。もしホンマにルネの坊ちゃん疑うなら、街の方も探さんと。ヨークの狙いがそれやったとしたら、もうここに用は無いやろ」
「……とにかく、セリアとルネを見つければ全てはっきりする。ルイシスの言う通り、外も探そう!」
混乱と困惑を抱えながらも、候補生達は再び足を動かす。考えていても何も解決しないのだ。一刻も早く、セリアを見つけ出さなければ。
候補生達が散り散りになると、カールもある場所に足を向けた。美麗な顔を惜しげなく歪めて、誰も見た事がない程の鋭い視線で前を睨みつける。
議事堂の方へ回り、今朝ヴァーゴを繋いだ筈の場所へと急いだ。息が上がる程に走ってその場を確認すれば、そこに繋がれているべき馬の姿が何処にも無い。
やられた、と忌々しげに再び舌打ちして踵を返そうとするが、次の瞬間耳に届いた蹄の音に足を止める。
反射的に振り返れば、屋敷を囲む堀の外から駆け寄ってくる一匹の見事な黒馬。見紛う筈もない。カールは、何処かから戻ったヴァーゴに駆け寄り手綱を引き寄せながらその瞳を見据えた。
「……お前の主人は何処だ」
他の者が聞けば竦み上がる程冷たい声に、ヴァーゴは小さく鳴いて応えた。まるで、乗れとでも言わんばかりの馬の態度に、カールも迷いなくその背に飛び乗る。
まるで確認するかのようにチラリと自分に跨る男を見遣ると、ヴァーゴは途端に地を強く蹴って駆け出した。
今更、そんなこと言っても仕方あらへん。望んで自分をその道に置いたんは自分や。そんなこと、アンタも承知しとるやろ。
違いはどうしたって変わらん。どんなに思い悩んだ所で、それが無駄やて解っとるやろ。
解ってても、それが辛い時もあるけどな。