斥候 4
それ程の高さでは無い事を確認すると、カールは宙に躍り出た瞬間群生する木々に突っ込んだ。不規則に伸びた枝に身体を打ち付けながら、そのまま地面に落下する。
「ぎゃっ!」
地面に叩き付けられると同時、猫を踏みつぶした様な声を聞いて、どうやらこの娘も無事だった様だとカールは短く息を吐き出した。
大きく呼吸を繰り返しながら、セリアは俯せの状態のまま停止していた。
衝撃を受けた所為か、身体の節々が痛むが、特に派手な外傷は無い様だ。けれど、もしかしてアレは自分達を殺す為だったのではないだろうか、とそんな思いが浮かぶ。だとすると、自分達は死んでも可笑しく無かった訳で。そんな状態だったということは…… どういうことだ?
まだ混乱の冷めない頭で訳の解らない思考を繰り返していると。
「……おい」
不満気な声がすぐ近くで響き、慌てて見遣ればカールが何とも不機嫌そうな顔でこちらを睨んでいた。
「動けるならばさっさと退け」
「えっ?あ、あああっ!」
自分の体勢を見れば、カールの上に倒れ込んでいる状態だと気付き、セリアは思わず声を上げた。耳元で響いた大声に、またまた目の前の麗しい顔が苛立たし気に歪むが、それを気にするよりも先にセリアは慌ててその場から飛び退いた。
どうやら地面に衝突する直前に下敷きになってくれたようで、その所為で身体を打ったのか、どことなく顔色が悪い。
「カ、カール!ごめんなさい。大丈夫っ!?」
「……大事無い」
そう言って立ち上がろうとするカールだが、途端足首に痺れと痛みが走り、立ち上がった瞬間僅かによろけた。それを見たセリアは途端に顔を青くする。
「カール、怪我を!?」
「騒ぐな」
「でも、そんな……」
先を歩き出そうとするカールの腕を掴んだセリアは、途端に足が震え出した。今更になって庇われた事実に気付き、その結果カールが怪我をしたと知ると、恐怖で身が竦む。カールにもしものことがあったら、と考えただけで背筋が凍り付いた。
落下する時ですら、こんな恐怖など感じなかったのに。むしろ、恐ろしさなど全く無かったように思う。ただ、カールを信じている、と。それだけでどうしてあそこまで冷静でいられたのか、不思議な位だ。
「余計な心配をするな。お前こそ怪我は」
「わ、私はなんとも」
手をブンブンと振って平気なことを懸命に示すセリアを一瞥すると、カールは改めて自分達が落ちて来た崖を見上げた。
「骨も折らなかったのだ。文句は言えまい」
下手をすれば死んでいたかもしれない様な場所から落ちて、木で衝撃を和らげたとは言え特にこの通り無事に終わった。
悪運が強いことだ、と呟いたカールだが、もう一度一歩を踏み出そうとした途端、忌々しげな舌打ちが聞こえた。
「カール!?や、やっぱり動かさないほうが……」
「たしかに、今直ぐの移動は無理そうだ」
森の中は非常に歩き難く、日はまだ顔を出さず視界が狭い。 おまけに今夜は新月の為、僅かな月明かりすらも無いのだ。とても痛めた足で進める道のりではない。
移動を諦め、二人は適当な場所を見付け夜明けを待つ事にした。複雑に絡み合った木の根に背を預け、柔らかい草の上に腰を降ろす。
「カール。何か私に出来ることは……」
「ならば少し静かにしていろ」
普段であればムッとするような嫌味だが、今はそうもいかない。どれだけ傷むのか。もしかしたら骨に異常があるのではないか。
イヤな想像ばかりが膨らんで、セリアはますます不安が募る。自分は擦り傷程度ですんでいるのに。
顔を青くするセリアを横目に、カールはポツリと呟いた。
「……妙だな」
「えっ?」
「やはり、どう考えても敵の動きが早過ぎる」
自分達が王都へ行くと決め、学園都市を出てから一時間もしない内に敵は仕掛けて来た。そうなると、恐らく事前にこちらの行動を読まれ、見張られていたと考えるのが妥当だ。しかしそうなると、セリアがコーディアスの屋敷に忍び込み、証拠までも持ち出せた事の説明がつかない。
けれど、それが罠だったとも考え難い。セリアが手に入れた書状には、確かにコーディアスの名が書かれていた。セリアも屋敷を出る前に筆跡を確認したと言っている。言い逃れは出来ない、決定的な証拠だ。
「とすると、コーディアス達とは別の何かが動いている、と考える他あるまい。このやり方には、お前も覚えがあるだろう」
「…………ええ」
渦の中心とは別の場所で静かに、けれど確実に事態の行く末を握っている。
ゾクリ、とセリアは背筋に悪寒を感じた。敵を好きに泳がせた後から向けられる明らかな悪意、そして殺意。このやり口は……
「ヨーク先生……」
影として動き、けれどその行動一つで、自分も、そしてコーディアス達ですら前途を揺さぶられる。
「でも、外国に逃亡したって……」
「なにもヨーク本人だと決まった訳ではない。ヨークが追われようと、あの者を動かしていた人間はまだ居る」
確かに、ヨークであるかは解らない。けれど全く無関係でもないだろう。そもそも、彼がそう簡単に諦め、この国を離れるだろうか。今でも思い起こされる彼の言葉。この国に価値が無いと言い切り、それを証明しようと奮闘していた彼が。
学園で相対した時のヨークの表情と向けられた銃口を思い出し、セリアは思わず肩が震えた。それに気付いたのか、カールが再び訝しむ様な顔を向ける。
「冷えたのか?」
「あっ、えっと。その……平気だよ」
確かに、夜の森の空気は何処か肌寒いが、凍える程ではない。先程庇って貰ったのにこの上心配までさせてしまうのは忍びなかった。
オロオロとセリアが答えれば、短く息が吐き出される。呆れたような視線を向けると、カールは外套を脱いだ。そのままそれを肩から掛けられ、セリアがきょとんとしていると、次いで腕を強く引かれそのまま倒れ込む。
「ひえっ!」
気付いた時にはカールの膝の上で、胸に凭れ掛かる様に抱き寄せられ、セリアは青ざめた。反射的に身を離そうとするも、上から外套越しに回された腕に動きを封じられてしまう。
「な、なっ!?」
「大人しくしていろ。まだ、夜明けまで時間はある。少しでも休んでおけ」
「でも、それじゃあカールは?」
「余計な心配をするな」
「そんな。カールの方が怪我してるのに」
自分を庇って足を傷めたも同然なのに、この上更に迷惑をかけてしまうなんて。
「怪我の内に入らん。黙って休め」
冷たい声の上から押さえ付ける様な響きに、セリアもあえなく閉口した。チラリと頭上のカールを覗き見れば、相変わらず感情の読めない涼し気な表情。
「あ、あの…… 助けてくれて、ありがとう」
「……ほぅ。お前からそんな言葉を聞く日が来るとはな」
折角礼を述べたのに鼻で笑われ、セリアも流石にムッとして相手を見返した。
「な、何よ。私がお礼を言うのがそんなに可笑しい?」
「いや。だが、素直に助けられたと認めるのは珍しいな」
何時もの事だが、どうしてこの男はこう一言余計なのだろう。何とか言い返してやろうと再び視線を向ければ、口の端を吊り上げたカールに見詰められていて、セリアは思わず出掛けた言葉を飲み込んでしまった。
普段からは考えられないほどの至近距離で見たそのバイオレットの瞳の中に、自分の姿がはっきりと映し出されていたのだ。その途端、訳の解らない羞恥心に襲われ、セリアは思わず俯いた。
改めて考えれば自分達の体勢はまるで抱き合っているような格好であって、それに気付いたセリアは相当の気まずさを覚える。
俯いたままセリアがもじもじと体を動かせば、上からまた不機嫌そうな声が降って来た。
「いい加減に、大人しく寝ていろ」
その声をすぐ真横から拾った耳が、まるで発火したのではないかと思える程熱くなった。けれど何か言い返そうにも、恥ずかしさで顔を上げることが出来ず。冷めたカールの瞳に映った自分を見るなど、もう耐えられない。
というより、よくもカールは平然とこの体勢を受け入れているものだ。と、セリアはいたく困惑していた。
しかも、熱は耳だけでなく、カールの腕が回されている肩にも及んでいる。先程までの寒さも、少しも感じられない。カールに触れている部分がとにかく熱い。いや。彼のバイオレットの瞳に映っていると思われる場所全てが、火傷を負ったかのようだ。
こんな状態で眠れという方が無理である。
緊張でガチガチになりならがらも内心でセリアは静かに悲鳴を上げた。
これだけ探しても見つからないとなれば、もう直接乗り込むしかないだろう。このままでは、本当に間に合わなくなってしまう。議会は今にも始まろうとしているのだから。あの男を確実に逃がさない為にも、多少の無茶は覚悟しなければ。