斥候 2
「それが終わったら、あっちの方も頼むわよ」
「はい。解りました」
指示された通り、セリアは手に握っていた雑巾で廊下を磨き始めた。
己が手で擦れば擦る程に磨かれる床に、序所に達成感を覚える。何時の間にか、磨き上げてやる、と訳の解らぬ闘志を燃やし、せっせと懸命に掃除に取り組んでいた。
セリアがメイドとしてコーディアスの屋敷に潜入してから二週間が経過していた。理解したのが、やはりそう簡単に情報を掴むのは難しいということ。
そこまで期待はしていなかったが、屋敷の人間でもコーディアスの思惑や内情を知る者は殆ど居ない様だ。
けれど、まったく皆無という訳でもなさそうである。この屋敷に来た当初、見張る様な視線がずっと張り付いていた。今は、いかにも地味で鈍そうなセリアに安心したのか、その視線も外れているが。
そしてもう一つ。コーディアスが自分の部屋と地下倉庫への出入りを厳しく制限しているのも気になる。地下は恐らくカブフラの花が。コーディアスの部屋には手掛かりになるだろう何かがある筈だ。
迷い込んだフリでもして確認したいとも思ったが、監視が異様に厳しい為に控えた。
「ちょっと良い?」
「あっ、どうも」
唐突な声に振り返れば、例のルイシスに丸め込まれてしまった女性。何処か頬を上気させて、傍目からも解るほどご機嫌だ。
「これから彼に会いに行くんだけど、手紙は出来てる?」
「あ、はい。お願いします」
ルイシスに会う時は手紙を渡してくれ。と頼んでおいたのだ。セリアはポケットからメモの様な紙を取り出すと、頭を下げながら女性に預けた。
何も知らずにルイシスとの逢い引きを楽しみにしている女性に、セリアは罪悪感から表情を一瞬暗くする。渡したメモには、他人からは解らない様に暗号化した候補生達への報告が書かれているのだ。
他人を利用する、というのはやはり気分の良いものではない。かと言って、新人でまだ見張りの目もある自分が頻繁に外の人間と接触していては目立ってしまう。疑われてしまえば、折角この屋敷に潜入した意味も無い。
こんなことをすぐに終わらせる為にも、さっさと証拠と情報を集めなければ。
その意気込みは確かなのだが、セリアは未だにコーディアスに近づけていない。コーディアス本人があまり人を周りに置かないことが最大の要因となっているのだが。
掃除の仕事を終え、手持ち無沙汰となったセリアは厨房に顔を覗かせ、何か他に仕事は無いかと尋ねる。すると、そこで難しい顔を見合わせる使用人達の一人がパッと顔を上げた。
「ああ、丁度良かったわ。旦那様の所にお客様が来ていて。そのお茶なんだけど、何時も持って行ってくれる子が買い物に出てしまってて」
「え?あ、はい!」
使用人達は、あまり好んで自分からコーディアスに関わることはしない。しかも、今は来客中とあって、主人が最も他人を寄せ付けたがらない時だ。
普段は同じ人間が茶を運ぶことになっているが、生憎その本人が留守にしている。どうしようかと考えていた所に、丁度新人が現れたのだ。
思わぬ機会に、セリアは途端に食いつく。他の使用人達にしてみれば厄介事を押し付けた形だが、セリアにとってこれ以上都合の良いことは無い。滅多に無いチャンスなのだから、何が何でも有効に使わなければ。
茶器の乗ったトレイを渡され、セリアはそそくさとコーディアスの部屋を目指した。
階段を昇り、西の廊下を進んだ先にある扉。その空間だけ嫌な緊張感を放ち、誰もが近付くのを躊躇させられる。
ゆっくりと扉を開ければ、そこはコーディアスの執務室であった。けれど、茶を所望した彼の姿は無い。来客中である為、執務室に続く応接室に居ると聞いていた。
黒を基調とするその部屋は、至る所に高級な調度品が置かれている。どれも外国から仕入れた美術品だと聞いたが、様々な文化の物が乱雑に置かれているだけで、何処となく調和していない。言ってみれば、趣味が悪いのだ。
セリアは応接室に入る前にトレイを一度、威厳する虎を模したテーブルに置いた。静かに応接室に続く扉に近付き中の話し声が聞こえないか、と試しに耳を押し付けてみるが、ボソボソと声が耳に届く程度で会話までは聞き取れない。
やはり駄目か、と落胆しながらセリアは一度扉から離れる。そのままクルリと向きを変え、真っ赤なカーテンに隠された窓に手を伸ばした。
「なんだ、お前は!」
ノックの後、入室を許可した声に従い部屋に入れば、途端に響く怒鳴り声。予想の人物と違った為か、コーディアスはいたく忌々しげにこちらを睨みつけてくる。
その迫力に半ば押されながらも、セリアは慌てて手にあるトレイを掲げて見せた。
「うっ、あ、あの。お茶を……」
「指示した者以外は近づくなと、聞いていないのか」
「その、手が離せないようでして、代わりに私が……」
部屋の中で向かい合わせのソファに腰掛け、テーブルを挟んだ男が二人、セリアに厳しい視線を送ってくる。黒い髪を後ろに撫で付けたコーディアスの向かいに座る男が、今日の客人なのだろう。
聞いた所によると、ここ数ヶ月の間にコーディアスの元を訪れる者が増えたという。それはきっと、彼の企みが関係しているのではないか。
けれど、今はそれを確かめる術は無い。
コーディアスと客人の双方からさっさと出て行け、という威圧を感じ、セリアはいそいそと茶を二人の前に置く。無理に長居をしようとして疑われたりするのは避けたい。
「失礼した、バオラン殿」
セリアが部屋を後にしようとすれば、話し合いを再会するのか、コーディアスの謝罪に反対側に座る男も頷く。
押し出されるように部屋を出たセリアは、聞こえたその名を脳内で何度か呟いてみた。バオランといえば、たしか男爵で王宮議会議員の一人ではなかっただろうか。
そんなことがあった日の夜。
「も、もう少し……」
屋敷の者が寝静まった頃、セリアは一人庭の木を静かに昇っていた。夜間この屋敷内をうろつく事を許されている者はいないし、細心の注意を払って来たのだから、誰にも見つかってはいない筈。
枝を伝い、コーディアスの執務室に一番近い枝を目指す。必死に足を伸ばし、目的の場まで降り立つと、そのまま静かに窓を押した。すると、ギシリと軽い音を立てて室内へ通じる道が出来る。
よし、とセリアは握り拳を作った。この屋敷に来てから、コーディアスの執務室はずっと観察していたのだ。コーディアスが何かを隠すとすれば、此処。
けれどそうなれば、彼も他人を寄せ付けたがらない。掃除等も最低限で良い、と使用人を近付かせない為に管理は不十分になる。
セリアが観察してる間、この窓の傍に人が立った事は一度として無い。だから、鍵が内側から開けられているのも気付かれるまでに時間がある。ならば、その間に……
静かに足音を忍ばせ、セリアは人気の無い執務室に降り立つ。屋敷の主は四日後の議会の為に数時間前に発った。滅多に無い機会がこうして訪れたのだ。決して無駄には出来ない。
数々の調度品が並べられた部屋を、セリアは物音に気を配りながら動き回る。
高価な執務机が怪しいと調べるが、何かが隠されている様子は無い。部屋の中にゴロゴロしている壷も探したが、結果は同じだった。
怪しいと思っていた場所から何も発見出来ず、セリアの中に僅かに焦りが生まれる。
ここに無いなら、応接室か。と続いている奥の部屋への扉を潜って内部を探すが、自分の求めている手掛かりになりそうなものは無い。
焦りから生まれる苛立ちで、セリアも序所に余裕を失って行く。
どうして無いのだ。何も無い筈がないのに。コーディアスが証拠になりそうなものを残しているとしたら、ここなのだから。
証拠が駄目ならば、せめて何が起こっているのかだけでも知りたい。
ルイシスが与えてくれた機会。候補生達にまで協力してもらって、ここまで来たのに。カブフラの毒。コーディアス。王宮議会に議員達。これだけの情報が揃っているのに。
「どうして何も無いの……」
セリアは思わず目の前の壁を拳で叩く。その途端、妙な手応えが伝わった。壁の向こうに空間がある様な。
それに最後の希望が見えた気がして、セリアはそのまま壁に手を這わす。もしかしたら、この向こうに隠し部屋があるのではないか。手に伝わった感覚はそのものだったし、聞こえた音もそう示している。ならば何処に……
セリアが夢中で手当たり次第に壁のあちこちを押していると、ある一点でガコッとその部分がめり込んだ。
「えっ!?」
思わずその一点を凝視していたが、意を決してそのまま横に引く。すると、引き戸の様にいとも容易く壁がズレたのだ。そのまま奥に隠されていた空間が曝される。
唐突に現れたその場を恐る恐る覗き込めば、そこは狭いものの人が一人入れる程の部屋であった。
驚きながらその中を見渡せば、まず目に飛び込んで来たのは右にある棚。セリアの身の丈を優に越える程の大きな棚だが、そこには何も無い。ただ、ひっそりと置かれている三本の小瓶を除いては。
中身はほんのりと赤みを帯びた液体で、試しに一つを手に取って見るが中はサラリとしていた。
なんだろう、と思いながらもセリアはまた別の方向に目を向ける。棚の反対の位置にある台の上には、何枚かの書状が奥に、手前には一枚の紙が丁寧に丸められ保管されていた。
守る様に巻かれているリボンを解いて中を見れば、そこには数十人の名前が連ねられたリスト。書かれているのはコーディアスの名を筆頭に、議員であろう者達の名だ。
これが、今回の徒党。
その一覧を凝視していると、最後の方で三つの名前に上から線が引かれているのに気付いた。一瞬その意味を考え、セリアはそこでハッとした様に顔を上げる。慌てて反対の棚に視線を向ければ、未だそこに佇む三本の小瓶。
そこでルネの言葉が蘇る。カブフラの花は致死性の毒になるのだと。聞けば、カブフラを燃やすと毒性の煙が発生するらしい。
コーディアスがカブフラの花を集めたのは、その毒を利用する為であることはもう間違い無い。ならば、その解毒薬があっても可笑しくは無いのではないか。
それが与えられるのは、恐らくここに名前を連ねた者達。丁度三つの名前が排除され、ここの棚には三本の小瓶が残っている。
彼等がそれを与えられなかった理由は恐らく、途中で裏切ったか、邪魔になったか。
つまり、解毒薬が必要な状況になるのだ。ならば毒が使われるのは、周りの全てに対して。同時に毒を吸ったのならば、解毒薬を持っている者のみが生き残る。
慌ててセリアが奥の書状に手を伸ばし中を確認すれば、つい今予想したことを裏付ける様な内容のやり取りが書かれている。コーディアスに宛てて書かれているそれは、彼に解毒薬を与えられた者からのものだ。
恐ろしい計画が現実であると確認し、セリアは恐怖で顔を青くした。コーディアスもその場に列席し、彼にとって邪魔となる者とそうでない者。多くが一堂に会する場所。
「……王宮議会」
バッとセリアは慌ててその隠し部屋から飛び出した。
ここまで解ったからには、僕らも出来ることをしなくちゃね。でも、今は何よりも時間が無い。かといって、このまま突っ込む訳にもいかない。
だから二手に別れよう。ここはこうするしかないんだから。まだ心配は残るけどね。
……セリアが無事なら良いけど。