毒花 4
「ど、毒って」
「致死性だよ。まあ、一輪程度じゃ殆ど影響はないけど」
「でもそんな花聞いたこと……」
「この大陸の花じゃないし、基本的に周辺の国はずっと昔から流入を禁止しているからね。勿論、クルダスも」
次々と明かされる内容を、セリアは血の気が引く思いで聞いていた。
「結構厳しく取り締められてる筈だよ。それこそ、普通の人だったら目にすることは無いんだけど……」
「俺の見た分なら、使い方によっては結構な数が死ぬで。まあ調べれば、まだまだあるんやろうけど」
呑気に伸びをしながら起き上がったルイシスに、途端に注目が集まる。当の本人は、心底楽しそうな顔で、相変わらず何を考えているか解らない。それが焦れったく、セリアは思わず掴み掛かった。
「知ってたの?これが、そんな危険な花だって」
「おう。俺も偶然、昔その名前聞いてな。面白い思うて調べたんや」
「だったら早くそう言ってくれれば。何で待てだなんて言ったの?」
「そうやってお嬢ちゃんがすぐ目くじら立てて暴れるからやないか」
言われてセリアもグッと押し黙った。つい今も思わず掴み掛かってしまった事実があるため、言い返せない。
唸るセリアの頭をニヤニヤと胡散臭い笑みで軽く撫でると、ルイシスは再び口を開いた。
「まあ、俺はその花積んだ馬車に乗り込んでた訳やけど、」
「だから二日も居なかったってこと!そんな、大丈夫なの?」
「そんな不安そうな顔せんといて。俺はこの通り何とも無い。馬車の行き先を見て来ただけや」
腕を上げて見せるルイシスをさっと確認するが、確かに何処にも怪我などはしていないようだ。
「それで、馬車は何処に?」
「まあ待った。こっからが面白い所なんやから。さて、ここで問題」
何をこんな時に、と迫るセリアを手で制すと、ルイシスは悪戯を仕掛ける子供の様な顔をする。けれどその瞳は、獲物を捉えた獣のそれだ。ニヤリと口元を歪めるルイシスの言葉に、セリアも、他の候補生達も真剣に耳を傾けた。
「こっから西の方向。馬車で一日近く掛かる領地。治めてるんは、何処の誰や?」
それだけでは解らない。とセリアも他の者も首を傾げる中、一人が眉を寄せた。
「西の領地、そして流入が固く禁止されている毒物の大量入手が可能な程の人物。コーディアス侯爵か」
「流石やな。大正解」
更に笑みを深くしたルイシスとは対照的に、カールは眉間の皺を増やした。
コーディアス侯爵といえば、王宮議会から選ばれる三人の議会長の内の一人。その席を手に入れる為、かなりの画策があったという噂が耐えない人物だ。その野心をむき出しにする姿勢は、嫌厭の対象となることが多いが。
「ちょっと待ってよ!コーディアス議会長って……」
「やはり、王弟はまだ諦めていないようだな」
現在、次期国王の座に着く王弟ヴィタリー殿下。彼が王位継承権を得る為に、尽力したのもコーディアスだ。国王となった者の兄弟は王位を継承出来ない、という昔からの仕来りを撥ね除けてまで。
この二人が揃った場合、悪い噂が途端に飛び交う。そのコーディアスを使って、王弟は今度は何を企んでいるのか。
「さて。俺は話したで。次は、アンタ等の知ってること喋ってもらおうか」
「えっ?」
「そらそうやろ。アンタ達が今まで見て聞いたもん、俺も知りたい。これで、ホンマのお仲間っちゅうことやな」
カカッと笑うルイシスに、セリアはそうだ、と思い出す。彼は、今までの自分の行いや、王弟殿下の事を知らない。ヨークが学園を去った本当の理由も、ペトロフのペンダントのことも。
「色々あるんやろ。話しといて損はさせへんよ」
「…………」
ルイシスは笑みを浮かべるが、その雰囲気は相変わらず胡散臭い。ギラギラと獲物を追う猛獣の瞳でこちらを見据える姿は、果たして信用に値するのだろうか。
自分達の持つ情報を明かすということは、すなわち王弟の企てと関わってしまう、ということだ。
そう易々と他人に話せる内容ではないし、安易に彼を巻き込んで良いとも思わない。残念ながら、セリア達は王弟に目を付けられてしまっているのだから。同じマリオス候補生といえど、それだけで全てを打ち明けるのは、抵抗があった。
「……俺は、お嬢ちゃんに決めて貰いたいなぁ」
「ルイシス?」
「だってそうやろ。俺が見た所、一番事と深く関わってるのはお嬢ちゃんや。アンタが決めたなら、俺は何もいわんよ」
重い沈黙がその場に流れる。セリアがチラリと後ろを見遣れば、候補生達も「お前が決めろ」と頷いた。
「少し、二人で話しても良い?」
「……解った」
セリアの一言に、候補生達は静かに温室を出て行った。その後ろ姿が消えた途端、ハアッと深い溜め息が響く。
「まったく。えらい嫌われたもんやな」
そのまま再びゴロンと横になったルイシスに、セリアもまたしても奇妙な声を上げる。
「ぎゃあっ!ちょっと、ルイシス。大事な話なんだから真面目にやってよ」
「けどなあ、なんや寝心地ええんやもん。クセになりそうや」
そういって子供が駄々を捏ねる様に、頑として動こうとしない。浮かべる笑みは相変わらず胡散臭いが、やはりどう見ても悪い人間には見えなかった。
「……ルイシス。なんで、知りたいの?」
「なんでって、何がや。マリオス候補生になったんやし。国の事に関わりたいんは当然やろう」
「でも前に言ってたじゃない。貴方に忠誠心は無い。あるのは野心だって」
「…………そうや。俺に忠誠心なんて、欠片も無い」
一瞬の沈黙の後、ルイシスが確固とした声で言い切る。その言葉に、セリアはならば何故、と首を傾げた。少し考える様に眉を寄せていると、下から伸びた手に頬をそっと撫でられる。
「お嬢ちゃん。俺はな、力が欲しいんや。己の手でぶんどった力がな」
「……今回の事、知ったとしたらそれを利用するの」
「そう心配するな。利用するとか、そういうことは考えとらんよ」
まさか事実を知って、それで誰かを脅したりするのだろうか。セリアはそんな風に考えるが、彼がそこまで愚かとは思えない。ならば、今回の事と彼の望みがどう関係するのだ。
「何も解っとらんなあ、お嬢ちゃんは。まあ、そこも可愛いけど」
「……真面目に答えて」
もう、この軽い調子に一々反応していられない。キッと視線を鋭くすれば、それを宥める様に再び頬を優しく撫でられた。
「俺は、知っての通り軍人の家系や。貴族でも無ければ、地位も無い。何の後ろ盾も持っとらん」
「…………」
「この国で、そんな奴がなんかしたい思っても、高が知れてる。真面目に正攻法でやっても、結局は何にもならん」
自分は嫌という程見てきたのだ。権力の無い人間に、出来る事など限られている。伸ばした手は宙を空回りするだけ。動かす足は行き着く場所を失い、ただ彷徨うだけ。
望みも、それを叶えたいという志も、それを叶えるだけの実力もあると自負している。けれど、どうしても最後の障壁を越えられない。身分という溝は、己の力のみで埋まるものではなかった。
そんな世が当たり前であった。けれど、それで泣き寝入りしてやる積もりなど、毛頭無い。
「俺にはな、やりたいことがあるんや。その為に、力が欲しい。自由に動き回れて、誰も文句を言わんだけの」
「……やりたいこと?」
「この国を、もっと面白くしたい」
そう自信満々に語るルイシスの瞳が、ギラリと力強く輝いた。
「国は、貴族や金持ちだけで成り立ってる訳やない。平民も農民も商人も、全てが輪になって始めて国なんや。皆が安心して笑って、甘い物食べて暮らして行ける国。今だって確かにこの国は平和や。けど、俺はもっと、もっとそれを作ってみたい。誰か他の奴やのうて、俺自身がこの手でな」
真面目な顔で力説するルイシスを、セリアは驚いて見下ろしていた。まさか、彼の口からこの様なことを聞くとは、夢にも思っていなかったのだ。普段の胡散臭さなど何処かへ吹っ飛び、十分一人のマリオス候補生の姿に見える。
「……でも、それは忠誠心と違うの?」
「違うよ」
間髪入れずにそう答えたルイシスに、セリアも思わず口籠る。けれど、何が違うというのだろうか。彼の心は、まるで自分のそれだ。目指す場所は似ている様に思う。
「前にも言うたやろ。野心やて。それは、アンタにも言えることや」
「私は、国の為に尽くそうと思ってるわ」
「甘いでホンマに」
小馬鹿にする様な声で言われ、セリアは思わず眉間に皺を寄せた。するとルイシスは、さも楽し気に軽く笑いを洩らす。
「アンタはきちんと意思を持ってる。自分の考えで動ける」
誇りも心も、考える事すら忘れ、ただただ操り人形の様に主に尽くす。己の意思も心も捨てさり、誇りすら持たない。そんな奴に限って、忠誠を誓っているから、忠義の為だから、と言い張る。己で考えなかったクセに、主が望んだからそれに従っただけだと逃げるのだ。
人間が自ら行動を起こすのは、己に野望がある時だけだ。それが忠義の為だろうとなんだろうと、己にしかない野心によって、人は始めて動く。
「野心があるから、自分にしか見えないものも見える。叶えたい望みがあるから、自分でいられるんや。それを捨てたら、生きとる意味なんぞ無い」
自分の望みが国の発展ならばそれで良い。けれど、国の為と唱える内に、自分の理想とする図を忘れて、ただ盲目に国に尽くすばかりでは、本末転倒だ。
「その点、お嬢ちゃんはしっかりと自分の意思を持ってる。自分の考えで動いて、その道を決して見失わん。それは、外から見ててもよう解った」
「……外?」
「ああ。ずっと見てたで。アンタが候補生になった時から」
自分と同じく、その存在が大きくなることを望まれない者なのに、どんどんと走り出す。始めは何の力も持っていなかった小さな少女が、何時しかマリオス候補生として周りから一目置かれる存在になったのだ。
「俺には、そのチャンスが無かった。今の今まで生きて来たけど、自分の力を示せる場所が。けど、アンタの周りではそれがどんどん起こる」
この少女が、始めは候補生達の目に留り、遂にはマリオス候補生に選ばれた。自分にはずっと巡って来なかった機会を、この少女はその手で掴んだのだ。
「アンタの周りでは、何時もなんかが動いとる。まるで、運命とでも言わんばかりにな。だから、俺にはアンタが必要だった。候補生になってアンタに張り付いとけば、必ずチャンスが来ると思ったからな」
「……ルイシス」
「今回のことでよう解った。やっぱりアンタはそういうもんを惹き付けるんや。候補生達が目を付けたんも、その魅力に捕われたんやろ」
熱の籠った瞳で、まるで大事な何かに触れる様に、ルイシスは流れた栗毛を指で掬う。そして徐にそれに口付けた。
「力が欲しい。だから俺はそれを手に入れる。どんなことをしてでもや」
「…………」
長い沈黙が流れた。その間、セリアの思考を色々なことが渦巻く。
ルイシスの気持ちは、痛い程に理解できた。国の為に何かしたいのに、その力を持っていない。持つことも望まれていない。自分にとても似ていると思った。けれど、彼の言葉を借りれば、ルイシスも自分の目的を持って行動している。先を見据えて、その為に何が必要かを解っているのだ。
「ルイシス」
「……ん?」
「少し、長い話になっちゃうんだけど、良い?」
「……どうかな。途中で眠くならんような、面白い話なんか?」
その返答にクスクスと笑いが漏れる。今までは何を考えているのかまるで解らなかったが、少し理解出来た様に思う。
けれど、これから真剣な話になるのだから。と、セリアは緩んだ頬を一度引き締めると、スッと息を吸い込んだ。
やはり、賛成出来ません。セリア殿がただ待っているだけで満足されないのは承知していますが、だからといって敵地に送り出すなど。
何時も危険な目にあっているのに。そして、またもや貴方はそこに自ら飛び込もうとするのですか。