営業時間の短いパン屋さん
この町には一軒のパン屋がある。洋子という女が一人で切り盛りしている店だ。午前3時にもなると店から香ばしくて良い匂いが漂ってくる。
洋子は朝4時から朝8時までしか店を開けなかった。なぜかと問われることは多かったが、いつも薄く微笑むだけだった。それでもパンの評判は上々で、身一人、生きていくには十分だった。
1年ほど前から、見たところ小学校高学年ほどの色白でかわいい少女が、アップルパイを一つ買いに来るようになった。一日一つ。朝6時に。
毎日来るので洋子と少女はだんだんと会話もするようになった。名前はユウだとか、どこに住んでいるだとか、母親が病気で寝込んでいるだとか、小学校はつまらないけど勉強は好きだとか。
少女の口数は徐々に増えていった。少女とのおしゃべりを洋子は楽しんでいた。
小学校の夏休みも後半に入ったある日、少女は来なかった。洋子は心配はしたが、やはり8時には閉店した。
洋子が4時から8時までしか店を開けない理由は、特に大きな理由もなかった。ただ、毎日を自分の思うように過ごしたい、それだけだった。8時半には朝食を食べ、洗濯と掃除をし、文庫本を読みながらお茶を飲む。午後に少しのパンとお菓子を仕込み、味見を兼ねてまたお茶をする。夕食を夜6時にとって、9時には寝てしまう。そんな生活スタイルを崩さず生きていくのが好きだった。
翌日もユウは来なかった。どうしたのだろう、と思いつつもいつものスタイルを貫き、次の日の仕込みのため買い物に出た。
途中、本屋に寄るとユウが居た。洋子が声をかけるとびくっとしながらも少し影の差した笑顔を見せた。「最近お店に来ないね」と話しかけると、「うん」と重い返事をしただけだった。あまり詮索するのもどうかと思った洋子はそこでユウに「また来てね」と別れを告げ、目当ての本を買って店を出た。
夏休みも終わる頃、朝6時に少女はやってきた。
「おひさしぶりね」洋子が優しく話しかけると、ユウは軽く会釈で返した。
「夏休みももう終わりね」
「うん」
「最近はどうしてたの?宿題?」
「ううん、お母さんがね・・・」
「そっか、お母さん、病気で大変だったんだよね」
「死んじゃったの」
そう言うと小さい体を屈め、声を押し殺して大粒の涙を流しはじめた。
「そう」と言うと洋子は何も言わずその小さい体を優しく包んだ。
その日だけは8時を過ぎても店は開いていた。
9時を過ぎた頃、閉店した。
泣き止んだユウと一緒に朝食をとり、一緒にお茶をした。いろんな話しをした。ユウの母のこと、母がアップルパイが大好きだったこと、父が既に他界していたこと。
ユウは話しの途中途中何度か泣いたが、その度洋子は優しく抱きしめた。
この少女はこれから先何を支えに生きていけばいいのだろう。父も母もなく、まだ少女の身一つでどうして生きていけるのだ。
「今日からうちに住まない?」
「でも・・・悪いです」
「今は自宅に一人暮らし?女の子が一人暮らしなんて危ないわ。それにお金もないでしょう?」
「それは・・・」
「いいからうちに住んじゃいなさい。ちょうどアルバイトが欲しいと思っていたの」
「ほんとに?ここに住まわせてもらってもいいの?」
「良いのよ。じゃあ早速明日の分の仕込みに使う材料を買ってきてもらおうかな。その前に、アップルパイ食べる?」
ユウはまた涙をこぼしながら「うん」と頷いた。
そうして洋子と少女の二人暮らしは始まった。
翌日から、開店時間は朝9時までではなく、昼12時までになった。
二人で十分暮らしていける分の時間を働き、ティータイムのある生活スタイルは相変わらず。洋子の話し相手は文庫本からユウに変わったのだった。