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蝉の殻

作者: 橘 みとせ
掲載日:2026/04/16

夏の夕暮れ、道の上に何か小さなものがスローモーションで動いている。

近づいてみると、茶色い殻をまとった蝉の幼虫だった。


駅から自宅までの道すがら小さな古墳がある。

築山のようになっていて、樹が生い茂っている。

その築山を右手に細い私道を抜けようとすると、古墳の森から這い出てきたのか、蝉の幼虫が道を横断して住宅の方へ向かっていた。


車は通らないとはいえ、こんなにスローな動きでは、人や自転車に踏まれてしまわないか。

直接つまむ勇気はなかったので、カバンの隅にあった要らない紙など探し出し、どうにかそれに乗せて避難させる。


どこに?

古墳の森は柵で囲われているので私道からは入れない。


周囲をぐるりと見まわすと、蝉が向かっていた住宅の脇に、細い3本の若木があった。

そのうちの一本に止まらせてみる。

蝉は、ツメをうまくひっかけて、細い枝につかまった。

容易に落ちそうにないのを確かめて、その場を後にした。


夜になって、ふと、あの蝉はどうしたろう、と思い立った。

着のままで外に出ると、月が高く冴えていた。

月明かりの道を古墳へと向かう。

街灯の下に自転車を止めると、蝉は、あの木の枝の少し登ったところで殻を脱ぎ、羽化していた。

翅はもう白くはなく、ゆっくりと透明に変わりつつあった。


周囲の気配を伺うように、じっと動かない。

黒い目には、街灯のひかりが映っていた。


翌朝、古墳の脇道を抜けるとき、蝉の姿はもうなかった。

茶色い抜け殻だけが、細い枝に残っていた。

その日以来、朝に夕に歩みを緩めては、抜け殻がまだそこにあるか確認するのが常となった。


酷暑が終わり、晩秋の風雨にさらされても、抜け殻は枝に止まっていた。

蝉自身は、とっくに生を終えただろうが、あくる日も、あくる朝も、抜け殻はそこにあった。


秋が過ぎ、木枯らしが枝を揺らす。

枯れ葉が枝先をかすめても、抜け殻は残っていた。


年が明けて、いく日か経った夕方。

その道を通ると、抜け殻は消えていた。

枯れ葉の下に紛れたのか、目を凝らしても見つからない。


後ろから、自転車の音が近づいた。

わたしはそっと、その場を後にした。

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