婚約破棄の後始末~加害者更生カリキュラム~
「――はい。皆さんが静かになるまで五分もかかりました。きいていた通り、盛りのついたお猿さんのようでございますわね。隔離用の檻をご用意いたしましょうか?」
ノンブレスのストロングランゲージにかちりと空気が固まった。信じられないとでも言いたげな面持ちが、揃って教卓へと向けられている。
「ようやっと始められますわね。本当に、人の時間を無駄にするのがお好きな方々だこと」
ふぅ、と毒の息を吐く淑女の名はニーナ・ヘミングス。御年二十五歳にして婚約者も持たない珍しい女性だった。彼女はやわらかな色をしたブロンドを揺らし、教卓に手をつく。
「流石にここへ集められた理由はご存じでいらっしゃいますわね?」
一段高くなっている教壇からにこやかに見下ろされ、皆の表情が険しくなる。
この教室に集められていたのはいずれもこの国の重鎮の子息であった。大臣の息子から騎士団長の息子、大商家の息子、とそうそうたるメンバーである。彼らは同じ学園に通う学友だったが、その他にも一つ共通点があるのだ。
ニーナは一際不満げにしていた国王の息子を教鞭で指した。なんとも不敬である。が、今の彼女にはそれが許されるのだ。
「はい。では皆さまを代表して、ドミニク・ギャロット。理由を述べなさい」
「……」
国王の息子――王子であるドミニクの眉間に一層深いしわが寄った。ニーナは王族ではない。故に本来であるならば敬称もなしにドミニクを呼ぶことは許されないはずである。
「どうしました? 己の過ちを口にするのは恥ずかしいですか? ですが、その羞恥心こそが更生には重要なのですよ」
「……私は、過ちなど」
パァン! と発砲に似た音が鳴り響いた。ニーナが教鞭を教卓に振り下ろした音である。彼女はにこやかな顔のまま、言葉を続ける。
「口ごたえかしら? 本当に仕方のないお猿さんですこと……あぁ、もしかしてわたくしの話していることが理解出来ていらっしゃらないのかしら? あいにく、わたくしお猿さんの言葉は話せませんので……ごめんなさいね?」
顔は笑顔で固定されているというのに口調と声は冷え冷えとしていた。何人かがぶるりと身を震わせる。
「仕方ありませんね、では代わりに……デレク・フレイン、お答えなさい」
教鞭に打たれたかのように一人の男子生徒が肩を揺らした。彼は現騎士団長の息子である。いずれ父のように、王となるドミニクを護り支える立場の人間だった。
いつもなら堂々としているはずの彼は、酷くおどおどとしてはくはくと口を開閉している。言葉が出て来ないらしい。
はぁ、とニーナが重い重い溜息を吐いた。ぱしぱしと教鞭を手に当てて音を出す。
「何という体たらくでしょうね? 恋に溺れたお猿さんの何たる無様なこと」
ぐっと何人かが唇を噤んでうつむいた。多少自覚のある者もいるようだ。感心感心とニーナが脳内で頷いていると、視界の端でそろそろと手が上がった。
「どうぞ、ジム・ハートリー。よくよく考えて発言なさい?」
上げられていた手がびくりと震えた。が、ジムは何度か深呼吸してから口を開く。
「そのような物言いはおやめになった方がよろしいかと。ドミニク殿下からラウル陛下へと話が上がればことですよ」
宰相の息子らしく理路整然とした物言いだ。ドミニクがどこか得意気な表情になる。しかしニーナは笑みを崩さぬまま、淡々と事実を紡いだ。
「わたくしはそのラウル陛下から直々にご依頼いただいているのよ。そもそもドミニク・ギャロットは王子ではなくってよ……少なくとも今は」
がたん! と椅子を蹴倒す音が響き、ニーナはゆっくりと音源に顔を向けた。そうしてうっそりと目を細める。
「あぁ、本当にしつけのなっていないこと……お座りなさい」
衝撃を受けているのだろうドミニクを気遣うことなどせず、着席を命ずる。近くにいた令息の一人がそっと椅子を戻し、背中に手を添えて座るように促していた。
……彼はそれなりに状況を理解出来ているようだ。あの女から離れてある程度正気に返ったのだろうか。
「まだご自身の状況を理解出来ていない方が多いようで……貴方がた全員今、人間ではなくってよ」
「はぁ!?」
思わず上がった素っ頓狂な大声の方向へとニーナの視線が向く。氷を瞳にしたとしたら、こんな具合なのだろう。どこまでも冷たい目が、彼らを見下ろしていた。
「貴方がたは婚約者たる令嬢をないがしろにし、揃ってレベッカ・カリー男爵令嬢に侍りました。婚約者の忠告も聞かずに一人の令嬢を複数人で囲んで愛でるなんてこと、理性ある人間であればいたしませんわ。だから、貴方がたはたまたま人間に似てしまっただけの盛りのついたお猿さんでしてよ……この国ではお猿さんに人権などありませんわよね?」
お前ら今人権ねーから、を貴族令嬢風に言うとおそらくこういう具合になるのだろう。
ニーナの言う通り、彼らは全員レベッカをちやほやともてはやし、囲んでいた令息たちなのだ。レベッカはカリー男爵家の庶子であり、今この状況を引き起こした諸悪の根源でもある。
レベッカは平民上がりということもあり、貴族の常識に疎かった。それを逆手に取って令息たちに甘え、身体を寄せ、擦り寄ったのだ。慎み深い令嬢たちしか周りにいなかった彼らにとってそれらは新鮮で、また気分がよかったのである。
彼らの婚約者たちは選りすぐりの淑女だ。人前で肌を見せず、みだりに身体を寄せたりしない。磨き上げられた所作は美しいが、思春期の令息には物足りなかったのだろう。
当然婚約者たる令嬢たちは令息たちの態度に苦言を呈していた。勿論レベッカの方にも。だと言うのにレベッカの方は被害者面して更に令息に擦り寄り、それを真に受けた令息も婚約者の方に文句を言う始末。
更に愚かなことに、彼らは公の場で婚約破棄まで言い渡したのだ。故に速やかにこの場に集められ、このカリキュラムを受けているのである。
「今回のことはレベッカ・カリーがただのお花畑だったから良かったものを……これが隣国のスパイだったらどうするのです? 貴方がたの失墜を狙う者の刺客だったとしたら? あるいは暗殺者だったとしたら? 普通の人間であればこのくらいの可能性は思い浮かぶことでしょう」
貴方がたは違いましたがね? とにこやかに突きつけられ、再び沈黙が漂う。
「そもそもの話、貴方がたは貴族の婚約を軽んじすぎています。平民の子どもが言うような『大きくなったら結婚しようね』とは訳が違うのですよ……その程度の教育は皆さま受けていらっしゃるはずなのですがねぇ」
皆が一様に顔を逸らした。貴族の婚姻の重要性は幼い頃から叩き込まれている。そういった教育を受けた上で、彼らは学園に入学しているはずなのだ。
「わ、私は好きで王族に生まれた訳ではな――」
「では、陛下に頼んで臣籍降下なさいな。貴方の他にも王子はいるのですから」
一段と冷たい声に背筋を撫でられ、ドミニクは拳を握ったまま震えていた。
「貴方は今まで王族としての恩恵を受けてきたでしょう? 他の皆さまもそうです。平民が汗水垂らして作った作物を食べ、彼らの建てた屋敷に住まい、彼らの作った道具を使ってきたでしょう。恩恵を受けておいて責任は果たさないなどとたわけたことをおっしゃるのかしら?」
「……ちゃんと金銭という対価を払ってのことだ」
往生際悪くそう言ったドミニクに、ふふ、とニーナが小馬鹿にするように笑った。
「その金銭はどこから来ていると?」
「…………」
「習っているでしょう、お答えなさい」
ぱしん、と教鞭を打ち鳴らす。それでもドミニクは口を噤んだままだ。ニーナは大きく溜息を吐くと、教壇を降りて彼に歩み寄った。そうしてもう一度教鞭を振り下ろす。短い悲鳴が上がった。
「お答えなさい。陛下の施した教育が全くの無駄ではなかったと証明なさい」
ひりひりと痛む手を擦りながら、ドミニクは零しそうなほどに目を見開いてニーナを見上げていた。くい、と顎を上げた彼女の怜悧な目は身を刺すほどに鋭い。
「た、民からの……税、だ」
「えぇ、正解です」
良く出来ましたね、とは続けない。答えられて当然の問いだからだ。ニーナは教壇へと戻り、教卓に手をつく。
「若さ故の過ちだと生ぬるいことを思う者もいることでしょう。しかし、貴方がたの婚約者様も同い年、もしくは年下であったことはゆめゆめお忘れなきよう」
何人かがはっとしたように目を見開いていた。彼女たちは貴族たる責任を果たそうとしていた。だというのにお前はどうだ、と突き付ける氷の目を見ていられなくてそっと逸らす者もいれば、己と向き合うようにじっと見つめる者もいる。
「皆さまの婚約はお望み通り破棄されました。貴方がたと違い、彼女らにふさわしく高潔で、目移りをせず、誠実で、責任感のある殿方たちへ嫁ぐこととなっています。その為に貴方がたのご家族が頭を下げ、奔走した事実を心に刻んでおくのですよ」
ニーナの言葉に、初めて自分が家族に迷惑をかけたことを思い知った者もいるのだろう。ぐず、と鼻をすするような音がいくらか聞こえてきた。
「貴方がたは平民になどなりません。これまで享受してきたものを、貴方がたにかけられてきた時間を、労力を、期待を、責任を、再び裏切ることは許されません」
決心したように涙を拭う者もいれば、絶望するように顔色をなくす者もいる。ニーナのいる教卓からは皆の顔がよく見えた。見込みのある者は半分くらいといったところだろうか。
「ご安心なさいませ、皆さま。わたくしがじっくり、丁寧に、貴方がたを再教育して差し上げます……ですが、それが絶対に報われるなどとは思わないように。罪人は罪を償ったとて罪人ですし、人間らしい仕草を真似出来たとてお猿さんはお猿さんなのですから」
動物に例えられることが不快なのか、ドミニクは顔をしかめていた。ふん、と鼻から息を吐いて言葉を吐き捨てる。
「その大層なお役目を何故、貴女が? 教育係として名も聞いたことがない、行き遅れの貴女が」
「あら、わたくしの行き遅れ……というか生涯未婚の原因は貴方の叔父様にありましてよ」
ぴくりとドミニクの目元が痙攣を起こした。思わずといった様子でたおやかな笑みを浮かべるニーナを見つめる。
「わたくし、貴方の叔父様に婚約破棄されましたクリス・モーガンでしてよ。王家に許可を得て名前を変え、こうしてこのカリキュラムの専任をしておりますの。この人数の担当は流石に初めてですわ」
ふふ、と笑う淑女は数年前に時の人となった女性だったらしい。ほとんどの者はその騒動を知っているようで、唖然とニーナを見つめていた。
クリス・モーガンは侯爵家のご令嬢で、現王の年の離れた弟の婚約者だった女性である。この王弟というのが王になれないならと全てを投げ出した、なんともはやどうしようもない男であった。それを何とかしようと宛てがわれたのが国一番の淑女才女と名高いクリスだったのだ。
が、クリスの努力虚しく王弟は無責任に己を肯定してくれるご令嬢に懐き、ドミニクと同じく公衆の面前にてクリスに婚約破棄を突き付けたのだ。その後彼はクリスへの侮辱と王族の責務を放棄した罰として、生涯を石の塔で暮らすことが決まっている。
王族をたぶらかした令嬢は家ごと没落し、裏路地へ消えたと噂されている。そうして傷物となってしまったクリス侯爵令嬢は気を病んで領地で療養している。と、聞いていたのだが。
「あぁ、それともドミニク様は叔父様とのご同居をお望みなのかしら? お猿さん同士きっと気が合うと思いますけれど……わたくしから陛下に進言いたしましょうか?」
いいことを思いついたとばかりにニーナが両手の指を合わせる。ドミニクは青い顔をして今度こそ押し黙った。あら残念、とニーナは頬に手を当てて小首を傾げた。
「叔父様もかわいい甥っ子と過ごせるとなればきっとお元気になってくださるでしょうに……まぁ、まだ可能性はありますものね」
言動によってはドミニクも石の塔にぶち込む用意があるということなのだろう。ドミニクの顔色は赤に青に白にと忙しいことになっていた。
「前例があっても同じ轍を踏むものなのですねぇ……それも王族が」
「……憂さ晴らしのつもりか?」
この期に及んでもなんとかニーナを口撃しようとする不屈の精神はもはやあっぱれである。それをどうにかこうにかいい方向へと向けたいところだ。ニーナは笑みを浮かべたまま口を開く。
「えぇ、そうですよ?」
肯定の言葉に絶句する令息たちを置き去りに、ニーナは言葉を重ねる。
「貴方がたのやったことと何が違うのです? 婚約者が肌を許さないからと当てつけのようにあの売女に侍り、被害を受けたと訴える猿芝居を鵜呑みにしてご令嬢を叱責した……これは己の欲に応じなかった彼女らへの憂さ晴らしではなかったかしら?」
「…………」
身に覚えがあるのだろう、教壇から見える頭のほとんどがつむじを見せていた。彼らの婚約者の潔白は王家によって既に証明されている。未来の重鎮予定とはいえ、現王やその側近たちが提示した証拠に逆らうことは流石にしないようだ。
「繰り言になりますが、貴方がたは今、欲に溺れたお猿さんです。これから理性ある立派な人間となるために励みましょうね」
別にニーナとて、彼らの未来を閉ざしたいわけではないのだ。むしろその真逆。己が更生出来なかった王弟への償いとすら思っている。ニーナがもっと口うるさく、時には優しく諭していれば、と思うことがないわけではなかった。
王族やその側近候補に施される教育には、莫大な時間とコストがかけられているのだ。それを石のくず入れに放り込むのは彼らを育んできた家族や教育してきた者たちへの冒涜である。
「さぁ、更生カリキュラムを始めましょう」
腐った果実でも、種が残っていればそこからまたやり直せるかもしれないのだから。
前作でハニトラ対策とかないのか?と沢山コメントいただいたことから着想を得たものになります。なんかちょっとだいぶ違う方向に行っちゃったけども。
ついでに言うともうちょっとギャグに振る予定だったんです。でもニーナのおしとやかストロングランゲージ考えるの楽しかった。
ちなみに男爵令嬢ちゃんはこれまでにかけられたコストと再利用に必要な労力を天秤にかけた結果、切り捨てられました。




