『ヘラヘラしとったらつまらんぞ』〜ガマガエルみたいな曽祖父が教えてくれたこと〜
曽祖父はとても怖かった。
でも、本当は温かい人だった。
僕が4歳になったとき、曽祖父の部屋に呼ばれた。その歳になるまで曽祖父に会ったことがなかったから、とてもドキドキしながら部屋のドアをノックした。
「…入れ」
威厳に満ちた言葉が、ドア越しに聞こえた。
引き戸を開け、部屋に入ると、それまで賑やかだったリビングの音が遠のいた。部屋に充満する張り詰めた空気が、時間すら止めているように感じた。
初めて入った部屋に戸惑いながらも周囲を見渡すと、曽祖父は部屋の中心に座って、まばたきもせずに、感情が読み取れない目でこちらを見つめていた。
「…座れ。」
大きく曲がった曽祖父の唇が動いた。
僕は座り、とりあえず愛想笑いを浮かべた。子供ながらに、恐い人にあっても笑っていれば、とりあえずは悪いようにはされないと知っていたから。
すると曽祖父は、無表情のまま、「ヘラヘラしとったら、つまらんぞ」と、空気を震わせるような威厳に満ちた声で呟いた。
僕の笑顔は、一瞬で引きつった。大抵の大人は、子供である僕を「子供」として扱ってくれる。しかし、目の前に座っている、大きく口が曲がり、大柄で、顔にイボのある、まるでガマガエルのような曽祖父は「子供」として扱ってくれないと悟ったからだ。
「お前。いつもヘラヘラしとるんか?」
曽祖父の言葉に、僕は引きつった笑顔で答えることしかできなかった。恐怖で言葉が出てこなかった。
曽祖父はさらに続けて、「お前、ヘラヘラしとったらつまらんぞ。男はどんな時でも歯を見せるな。何もなかったかのように我慢して耐えろ。」と言った。
そして僕は、大人になってその言葉の重さを知った。
◇
曽祖父は第二次世界大戦を経験している。曾祖母が言っていたが、曽祖父は元々藩に務めた武士の家系という自覚から、戦後に大勢の人の面倒を見ていたらしい。
住む家が無い人には家を用意して、ご飯が食べられない人たちは家に呼び、毎食ご飯を食べさせていたらしい。暴力団を抜けるためにお金が必要という困っている人にも、「お金を貸す」という建前でお金をあげていたようだ。
曽祖父が亡くなったとき、500人くらいの人が葬式に参列してくれた。「親族」というだけで、多くの人たちから頭を下げられ、「◯◯さんのおかげで…」という言葉をたくさん聞いた。
曽祖父は凄い人だった。ただの意地悪なじじいじゃなかった。記憶振り返ると、涙がにじむ。ただの意地悪なじじいだと思っていた。
僕も大人になり、誰かの世話をする番が回ってきた。内心、すごく不安を抱えながらも、「心配すんな、俺がおるから」と不安がる人を元気付けたり、「責任は俺がとるから、好きなようにやれ」といった言葉通り、責任を果たす日々は大変だと知った。
曽祖父は、幼い僕に「ヘラヘラしとったらつまらんぞ」と言った。
この言葉は、男として誰かの世話をする立場になったときに必要な心構えを伝えようとしていたのだと思う。
曽祖父は凄い人だった。僕が曽祖父のようになるのは難しいかもしれない。それでも、曽祖父の精神を引き継げるように頑張ろうと思う。
読んでくれてありがとう。
【あとがき】
僕は曽祖父の「人助けをする」という精神を引き継ぎたい。その理由として、曽祖父が亡くなったことで、僕らの家系は崩壊の道を歩むことになったからです。
曽祖父は常に人に与える人でした。そうすると、家系内に「貰う側」の人間が多く現れました。物を貰う人、優しさを貰う人、曽祖父の威光を貰う人などです。
長年、曽祖父の元で、ただ受け取ることに慣れてしまった人たちが曽祖父の死後に家系内でもめ、曽祖父の遺した物や人脈、そして、曽祖父の遺した温もりまでもを奪い合い、曽祖父の愛した家系は崩壊しました。
曽祖父がいた頃は家系の結びつきが強かったのですが、今では「俺は人を育てている」と豪語する一人ぼっちの親戚、「私はいい母親だ」と吹聴して回るパーソナリティー障害の母など、エゴを主張する人たちが増え、家系の結びつきは完全に失われました。
正直、この状況に僕は悔しさを感じています。曽祖父は亡くなりましたが、曽祖父が大切にしていたことまでも、無くしてしまうのは違うと思っているからです。
この崩壊は、曽祖父を含むご先祖に申し訳がたちません。ですから、私は曽祖父の精神を必ず引き継ぎます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。




