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白に溶けたすべて

作者: 春野二度寝

 「オレンジって名前ってさ、果物から先についたのかな。それとも色の方から先についたのかな。」

「果物からじゃね?そういう話茶色にもあるけど茶葉は緑だから飲み物が先だろ多分。」

おお、賢いな。BGM程度に聞いていた隣に座る2人と会話に思わず感服してしまう。しかし私にはオレンジがオレンジ色なのかも茶が茶色なのかもわからない。生まれつき持っている病のせいで今日も私の視界は白黒に揺れている。進む電車は3番ホーム、学校の最寄りへと停まる。改札へと向かう階段で目にした路線図は友人が言うには分かりやすいように色分けされているらしい。私が住んでいる地域がそこまで複雑な路線構造をしていない事にありがたいなぁなどと感謝しながら改札を抜ける。午前七時五十分、南口の空の天気は虹。今日の予報は虹ときどき曇りらしいので、おそらくお昼ごろから薄くなるだろう。

 気象「虹」が現れたのは五、六年間、いやもっと前だったか?地球温暖化や地殻変動の影響で異常気象が激化した結果、全国各地、主に都市部では天気雨の最中虹が大量発生するという現象が多発した。今では多くの人が「今日は虹か」などと受け入れ生活の一部として順応しているが、発生当初は各国メディアが注目し、気象学者たちがこぞって論文を出し、人々は「幻想郷の景色」などと囃し立てて天気が虹の時の都市景観が表紙を飾るカレンダーなどがよく出回っていたものだ。私には関係ない。白黒のモヤにしか見えないから。

 水たまりをぴちゃぴちゃと新作の長靴で踏みながら通学路を行く。信号は上が止まれで、下が進め。十五年間も生きていれば白黒の視界にも慣れてきて、特に色を使う行動でなければ日常生活も難なく送れるようになっていたが、それはきっと物心つく前、ついた直後の両親のサポートのお陰なのだろう。見える範囲の空に虹は九つ、今日はいつもより少なめかもしれない。少し前だと虹が九つなどと言う状況はファンシーな世界観でしか見ない様な景色だったが、ここ数年でその様な表現は現実と似ているせいで減った、と言う様な記事をこの間ちらっと目にしたことを思い出した。

 皆と変わらず授業を受け、休み時間は友人と話し、部活をして帰路につく。繰り返す日々、私は色盲であることを憎んだことは少なかった。

 七月八日、夏休み前暑い気温で起きるのが億劫になるような朝。虹は突如として東京の空から跡形もなく消え去り、かつての日常がまだ続いていたかの様に、異常気象なんてなかったかの様に、そこには伽藍堂な白黒が広がっていた。

 「虹消えちゃったね。慣れてたからそんなに気にしてはなかったけど、今思うと綺麗な景色だったのになんか残念だな。」

「空が青と白だけって...なんか不思議な感じだな。失って気づくものってあるよな。」

教室ではこのような会話が絶え間なく鳴り響いていた。虹...本当に消えたのか。多くのクラスメイトがその事実に嘆き、少し寂しげな表情をしていたようにみえた。出てた時は天気雨がうざいだなんだ言ってたくせに。私には関係ない、虹を失った残念さがわからない。どうでも良かった。どうでも良かったから今日もいつもと同じ様な顔で、ただ空を見上げた。夏の曇って、こんなに綺麗な形だったかなぁ。

 入道雲は過ぎ去り秋が訪れ、高校最初の夏休みは刹那の速さで私を残して消えていった。新学期、別にそこまで有意義な夏休みを送らなかった私は相変わらず空を見上げながら授業を聞き流していた。冬が近づくにつれ天は高くなり雲の動きがゆっくりになる、観察のしがいが薄れちゃうななどと視線を前に戻すと、視界の端に隣の加瀬がうたた寝しているのが見えた。

「ねぇ加瀬、次の授業なんだっけ。」

「ん!?あ、あぁんと...ホームルーム?だったっけぇ。」

彼女は寝ぼけ眼を擦りながら間延びした口調でそう教えてくれた。週に一回しかないホームルームの場所を忘れるほど私は馬鹿じゃないよ、君を起こすために話しかけてあげたんだよ。真実はそっと胸にしまっておいた。しかし彼女は二度寝に入った。

 次に加瀬が起きた時にはもうホームルームは始まっていて、担任が来週ある遠足についての注意点を述べているところだった。「高校生にもなって遠足かよ子供っぽいよなー」などと言っているやつがいるが、あいつが一番はしゃぐだろうことを私は知っている。

「あっはごめん寝てた、先生なんて言ってたー?」

首を傾げた加瀬の前髪は宙にぷらんと投げ出され風鈴の様に揺れた。涼しげな彼女とは裏腹に教室前方では遠足を楽しみにする熱いは

しゃぎ声が聞こえていた。

「バナナはおやつに入らないらしいよ。」

「それ絶対言ってないでしょう。」

バレたか...と言いながら舌を出してみる。「おやつは三百円までってさ」と追って言おうとしたが流石にニ回目は面白くないかもと思いやめた。

「特に何も言ってないよ、しおりに書いてること守って忘れ物すんなよーくらい。」

「お、ありがたいねぇ。ところで明日めっちゃ雨の予報だったよね。」

「なんだっけ、降水確率八十%?」

「あっははは、残りの二十%に賭ける先生たちも凄いよね。降らないと良いけどなあ。」

同意の相槌を打ち、もう一度空を見上げる。広がっていたのは海の様な一面の青で、相変わらず虹は無かった。

 クラスみんなで一人一つずつ作ったてるてる坊主も意味はなく、遠足前日の夜からほつほつと雨は降り、止むことはなかった。学校側は延期も出来ないとのことで、中止となっては可哀想だと行き先を自然公園から美術館に変更してくれた。中には落ち込んだ様子の友もいたが、学校側の対処もあった事か仕方ないと飲み込み、文句を言う者は誰もいなかった。しばらくバスに揺り揺られ、学校のある地区より少し離れた高層ビルの集合地、少し微睡んで来た私の隣で寝息を立てながら爆睡する加瀬。その間抜けな頬を人差し指でとんっと突いてやりもうすぐ着くぞと言ってやろうとしたが、その程度で起きるような奴ではなかったようだ。やがて目的地の美術館が見えてきたが、久しく来ていなかったからだろうかどうにもこんな小さかったかなぁと思ってしまった。入り口に何個か設置された立体作品のオブジェ、この前来た時は見上げるほどだったのに。

「私は美術館の方が良かったから、雨に感謝しちゃうまであるねぇ。緑ちゃんは美術館、楽しめるかい?」

加瀬はオブジェに目を向けたまま私に話しかけてきた。雨に感謝か、加瀬はてっきりアウトドア派だと思っていたので意外だ。

「楽しいよ。白黒にしか見えないけど、ここ何色で描いてあるんだろうとか予想して遊んだりしてる。案外当たるんだよ?」

「ほぇー。緑ちゃんは生きるの上手だね。」

相変わらずぽやぽやしている加瀬は美術館の自動ドアを潜りながら私を褒めた。私からすると加瀬の方が生きるのが上手だと思う。

 展示スペースに入るとすぐに、絵画が何個か壁に掛けられてあった。そのうち一つ目を惹かれるものがあったので近くに寄ってみてみると、それは昔よくみた虹のかかる街の景色画であった。やはり虹は虹色だろうか、よく晴れた空なので照らされた建物はオレンジ?いや、斜陽を目立たせるために寒色で描かれているかも知れない。などと推測していると隣から加瀬がひょこっと顔を覗かせた。

「えへ、この絵何色で描かれてると思う?」

妙にニヤけている顔がムカついたので、分かんない、全体的に寒色で斜陽と虹だけ暖色なんじゃない?とテキトーな返答をした。すると加瀬は余計ににやけながら、と言うか嬉しそうに笑いながらこう続けた。

「これね、実は全部白黒で描かれてるんだよー!私の視界と緑ちゃんの視界、一緒だねぇ。」

白黒...なんだ。私は衝撃と共に、言い表しようのない喜びというか、悦びを感じた。私の視界を誰かと共有できたのは勿論、白黒で構成された世界が美しいと、私の視界にも美しさはあると、そう思わせてくれた事が、心から嬉しかった。

「ありがとね。」

このままその絵を見ていると、何だか涙が出てしまいそうだったので、ただ一言、その絵と加瀬にそっと置いて、次の部屋に進むことにした。後ろで加瀬が「ありがとね」と呟いているのが微かに聞こえた。それは絵に対する感謝だったのだろうか。

 「おおすげえ。」

「めっちゃ綺麗ー!鮮やかで良いね。」

そんな声が聞こえて何事だと気になり樹液に釣られたカブトムシのように近づいていくと、そこにあったのは壁一面にどでかく展示されている一枚画だった。私には芸術がわからないが、恐らくそれは抽象画と呼ばれる類の作品だった。数多の線で区切られた額縁いっぱいのスペースは、濃淡の着いた灰色で色分けされていた。近づいてよく見てみると、それらは色の違う切手で構成されていて、モザイクアートになっていた。きっと本来は灰色ではなく赤や青などたくさんの鮮やかな色が使われているのだろうが、私の目からもそれは美しかった。元の色を想像したわけではない、白黒の視界のまま、私は素直にその作品を美しいと思えた。珍しく私が好きになれた作品だったので、説明文とタイトルを見てみようかと興味を持ち、それらしい文章が書かれたパネルを見てみることにした。タイトルは「心」。やはり私に芸術は分からないようだ。下の説明文にはこう描いてあった。

「近ければ近いほど、全体は見えないし。大きければ大きいほど、細部は見えない。」

細部というのは切手のことだろうが、全体と言うのは...?そう思っていると美術館では出してはいけなそうな大声が聞こえた。

「わあすげぇ!緑ちゃんおいで!」

後方で私の名を呼んだのはやはり加瀬であった。いつも眠そうな目を珍しく見開いてその場で飛び跳ねながら私を手招いていたのでなんだなんだと言われるがまま加瀬の元へ行ってみる。

「ほら、こっから見てみっ?」

先程の「心」の絵画を見る。色盲のせいでうっすらではあるが、一番濃い色の部分を繋げるとそれらが囲んであるのがハートの形になっているのが分かった。これが全体。タイトルが「心」の理由...。芸術性と一般人にも分かる表現を兼ね備えたその作品は多くの生徒の注目を引いていた。世の中にはすごい人が居たもんだとニ人で関心しつつ、他の作品よりも長めにその作品を鑑賞した。

 それから私達は順路に沿って五十余りの作品を見て回った。私は相変わらず色当てゲームをし、加瀬は正解発表をしてくれた。中盤にあった立体アートの展示室は色の分からない私にとっても面白いもので、何より作品以外、例えば床や天井のデザインなども有名な芸術科が作ったものらしく視界に入る全てが目新しく面白かった。朝には散々と降っていた雨も、最後の部屋に着いた時に窓から見るとほつほつと小雨になっていた。学校に戻る頃には晴れるかな、などと思いながらバスに乗り込んだ。

 美術館というのは意外と歩くもので、多くの生徒はその疲労とバスの心地よい揺れによりこくこくと舟を漕いでいた。隣の加瀬はやはり寝ていて話し相手も居なかったので、窓際の私はガラスに張り付いて次第に落ちていく水滴を指でなぞったりして暇を潰した。水晶の粒が描くその線はバスが走るときの空気抵抗により段々後ろ側に引っ張られていった。三十分ほど経ち学校の近くの見知った道路を通る時には、ほとんど雨は止み窓ガラスに水滴が新しく増える事も無くなっていた。

「もうすぐ学校に着きますので、寝ているお友達も起こしてあげてくださーい。」

担任のアナウンスはバスの音質の悪いトランシーバーで拾ったもので、聞き取れるかどうかギリギリだった。隣で爆睡している加瀬を今度こそ起こしてやろうと両肩を腕で掴み思いっきり揺らしてやる。私なら一瞬で起きてしまうが、流石の加瀬はそれでも10秒ほどむにゃむにゃと言いながらようやく半目を開けてくれた。

「なぁに起こさないでよ寝てたのに...」

「もう学校に着きますよお嬢様。貴女が出ないと席的に私も出られないので、どうか目をお覚まし下さい。」

「あ、もう着くのね。おはよう婆やありがとう。」

くだらないロールプレイをし終わったところでバスが止まり扉が開いた。寝起きのみんなはむにゃむにゃとしながらバスを降りる。校庭には先ほどまで降っていた雨が作った水たまりがあちらほちらにあり、ようやっと顔を出した太陽の光を反射させていた。

 教室に戻り、人数確認をする。無事全員が帰って来れたことを確認すると担任はホームルームを始めた。今日の感想や明日の連絡など事務的なことがひと通り終わり、初めは雨を恨む者もいたけど結果的に良い遠足になったね、などと担任が締めの言葉を話している時に、誰かがこう叫んだ。

「虹、虹だ!!!!」

「え、虹!?」

「虹出てるの?」

皆一斉に教室から外に飛び出して、空を見上げる。雨雲の面影が感じられるが青々と輝くその空には異常気象で作られたあの虹とは違う、元来人間が共に過ごしてきたであろう虹の姿があった。七色に輝いているであろうその帯は、山から山へと橋をかけていた。

「わあ、虹だ!!!」

「やっぱり綺麗だなぁ...」

はしゃぎながら写真を撮る者、その美しさに唖然とする者。各々その美しい現象に見惚れてそれを目に焼き付けようとした。隣にいた加瀬もただ口をぽかんと開け目を見開いて空の橋をなぞるように眺めていた。

 私には、その虹が灰色のモヤにしか見えなかった。ただ一人その美しさを理解することが出来なかった。白黒の虹の絵を思い出す、あの絵には繊細で丁寧に灰色で塗り分けされた虹が描かれていたが、私の目にはあんな風に虹は映らない。ただ薄汚い色で構成された煙の帯が空にあるだけだ。私は私の視界を憎んだ。どうにかして笑顔のみんなと合わせる為に取り繕おうとしても、私の視界は白黒のまま、心はブルーになるばかり。みんな虹が出てた時は、慣れたとか眩しいとかなんだ言ってた癖に。今まで暮らしてきた中でも、絵画を見た時でさえも、この視界をここまで深く憎んだことはなかったのに。

「うわ、美しいな虹って。なんでいつも気づかなかったんだろう。」

「綺麗だね。自然発生の虹なんて何年振りかな?」

耳に入る美しいという感想一つ一つが私の心を刺した。そうして膨大に膨れ上がった寂しさと、周りとのあまりに大きすぎる溝。いつも私に不便がないように支えてくれていることはわかっているし、配慮や優しさにはとても感謝している。しかしどうしても理解しえないその美を前にして、私に残されたのは周りとは絶対的に違う何かがあるという黒々とした孤立感と、白に薄く溶かされて個性を失った虹の七色だけだった。

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