3.薬でも毒でも
バスから降りたらすぐ、緑と土の匂いが鼻に入ってきた。ふあーあと間抜けな声を出して多谷が背伸びをする。
長い間多谷にもたれかかられていた伊瀬は、恨みがましそうに首を押えながら言う。
「首が痛い」
「後で肩揉んじゃる」
だが、やはり多谷は動じなかった。三和も特に酔わずに済んだようだ。ボロボロのバス停から離れ、全員で連なって歩いてく。道沿いにある急な階段を下りていく。細い上に葉っぱが落ちていて、落ちそうだ。だが、銅製なのか、手すりは尖っている部分も多く、掴まることはできそうになかった。速度を緩め、慎重に下りていく。山の中腹ということもあり、急な坂だらけの町だ。瓦屋根の日本家屋と、畑の間を歩いていく。
「そういえば誉、二魂坊の火を退治したんやって?」
「うん、そうやけど。なんで知っとんのや」
「寺伝い神社伝いで連絡がくるんや。あっこには使える奴がおる、あっこはなーんも使えへんって具合にな」
「うわー、黒っ! 怖っ!」
大人の世界や! と叫ぶ誉に、三和は大笑いをする。
「それで、どないして倒したんや?」
「どないしてって……その、夢で見て」
だが、誉がそう言うと、三和は真剣な顔つきで夢? と聞き返した。皆それぞれの方法に興味があるのか、聞き入っている。
「そうやで。夢で見たんや。月下美人がたくさんあるとこに日光坊がいはって、その人にめっちゃ光る月下美人投げたら消えた」
なんやそれ、とは誰も言わなかった。眉を寄せた険しい顔で、なにかを考えている。
「夢解き、か?」
「おいおい、相手は死人やぞ」
伊瀬が呟いた単語に、多谷がまさかといった様子で手を振る。
「いや、でも……それしか考えられませんですよ」
「僕もです」
唸りながら悩む四人に、なんのこと? と誉は首を傾げる。自分のことなのに説明してもらえないのは、なんだか胸の辺りが変な感じになってくる。
「日諸祇、自分もしかしたら死人の夢に入り込む能力とか持ってるんちゃうか? で、それを動かしたから祓えた、とか」
「えー、そんな怖いのん嫌や。ちゅうか、死んでる人って夢見いひんやろ」
頭を振り回したが、伊瀬が冷静にツッコミを入れてきた。
「永遠に続く夢を見るだろう」
「そうかも……しれへんけど」
確かに、あれは自分の夢というよりも、鬼神さまの夢といった方が合っている。そうなると、誉は鬼神さまの夢に土足で入り込んで、ぐちゃぐちゃに壊してしまったことになる。
「ええやん、個性的な能力で」
黙り込んでしまった誉をフォローしようとしたのか、多谷はのん気にそう言いきった。
岸辺も場の雰囲気を変えようと、多谷の方に質問をする。
「多谷先輩は、確か石を切る刀で切り祓うんでしたよね」
頭を後ろで手を組む多谷は、頷いてそうそうと言う。
「石を切れたとしても、どうしようもないと思うがな」
「あーら嫌だ。うちの刀はそんな単純なものではなくってよ。退魔の刀でもありますのよお」
伊瀬が呆れた様子でそう言っても、多谷は背中を叩いて笑うだけで、あまり気にしていないようだ。
「んー、ちょっと鬼コンビ借りてってええかな」
「多谷! お前、また勝手な」
「お昼には戻ってくっから!」
伊瀬の話をちゃんと聞いているのか、いないのか。多谷は、誉の背中を押して、伊瀬たちのいる方向と逆の方へと進んでいく。
「終わったら、携帯に連絡してくださいよー。一応電波繋がってますんでー」
「はーいよー」
***
「さってと、お喋りでもしまひょか」
と、多谷は道端を逸れ、だんだん畑の少し上辺りで横になる。誉は目を丸くしたが、多谷はぽんぽんと自分の隣を叩く。仕方ないので、草の上に横になる。陽を吸い込んだ草は、温かい。
隣を見ると、多谷が口笛を吹きそうな様子で空を見上げている。
「先輩はなんで、石を切る刀を力に選んだんですか?」
「んー? ああ、俺は石切さん辺りの出やねん」
「え? あ、ああ……はい」
頷く。流石に誉でも石切神社のことくらいは分かる。東大阪市にある石切劔箭神社は、石でも切るという民間信仰性の強い神社だ。腫れ物の根治に効くとされていた。だが、本来の意図でではなく、悪縁や災難を切り払うという解釈にとられたことで発展した。
「自分は茨木やろ?」
指で角を作って笑う多谷に、誉ははい、と返す。
「どんな鬼でも、茨木に帰ってきたら優しい人になるんです」
「それもそれでおもろいこっちゃな」
口の中で笑いながら多谷が、誉のポケットの中で寝ている鬼神さまを撫でる。
「信仰は薬みたいなもんや。ただ、薬は毒にもなるからなあ。用法容量はちゃんと守らなアカンよー」
のんびりとした多谷の声は、耳と心に優しい。バリトンの声は、遠くで聞くと低く響き、怖い時もある。だが、近くだと甘く響く。
「どうも君は、のめり込みすぎているような感じもするからなあ」
「はい」
かつて龍が飛んだといわれている空。青い部分が多く残った夏の夕焼けは、寂しさよりも清々しさを感じる。
鬼神さまなら、毒であっても自分は最後まで食べてしまうんやろう。そんな救いようのないことを誉は思っていた。




