2.竜の王子
「行先はどこやったっけ?」
「車作です、先輩。俺の婆ちゃん家の離れを借りるんで」
「車作! ええなあ!」
人の目を気にしない性格なのか、服装に関して無頓着なのか、周りの視線に多谷は全く気付いていないようだった。
「バスどれや?」
「あれです、あれ」
どちらかというと世話見のいい三和や岸辺を慌てさせながら、車作行きのバスに乗り込んでいく。後ろの席に、右から伊瀬、多谷、誉、岸辺、三和の順番で座る。
「三和くん、大丈夫?」
乗り物酔いの激しい三和は、バスが動き出して早々、無言になる。いつも以上に険しい顔をしている。
「薬飲んだから平気やと思うけど、ちょい寝とくわ。起きとると吐きそうになるかもしれへんし」
「そう。気分悪くなったら言ってね?」
多谷も乗り物に乗るとすぐに寝るタイプなのか、伊瀬の頭に体重をかけながら寝ていた。よだれが開けている口から少し垂れていて、間抜けな寝顔だ。伊瀬はそれが嫌なのか、窓の方に顔を向けていて、話し相手になりそうにもない。
「岸辺くんは車作初めて? 確か東京からやんな?」
「ううん、こっちに来てからすぐに亀岡から忍頂寺まで、旅行したんだ」
「あ、そうなんだ」
必然的に隣の岸辺と話してしまう。とはいえ、二人も寝ているので、声は潜めている。
「うん、竜が好きなんだ」
「忍頂寺辺りは竜王山って名前やもんなあ。車作の向こうは竜仙峡やしねえ」
名前に竜がついてるからかなーと冗談半分で言ってみると、岸辺は笑顔のまま固まった。
「日諸祇くん、もしかして名称の由来、知らないとか言わないよね?」
「へ? う、うん。ごめん、知らへん」
「お前はよくうちの高校に入ろうと思ったな……」
眉を下げて笑うと、伊瀬に嫌悪の目を送られた。
「あ、でも八大竜王が祀られている神社が忍頂寺にあるのは知ってるで。誰かが竜王に頼んだら池を作ってくれはったんやろ?」
「桓武天皇の庶兄の開成皇子だ。八大竜王に会った際に、あなたは竜の王なのだから常に水が傍になければいけないのでは? と訊かれたんだ。竜王が心配ご無用と言いながら杖で地面を叩いた時に出来たのが、八蓮宝池だと伝わっている。頼んで作ってもらったわけではない」
そう誉が焦って知っている限りのことを口に出してみても、伊瀬に間違いを指摘されてしまう。
「開成皇子が会われたのは、ここの雨の神だといわれているんだよ」
しかし、ここで桓武天皇ときたか――誉がそういうことを考えている間にも、バスは進む。
境内にある「玉の井」という名前の井戸から湧き出る水を、疣につけると治る。そういう伝説のある磯良神社の前をバスは通り過ぎた。
「その竜の骨が収められているのが、忍頂寺だよ」
「あ、竜骨って本当の話やったんや」
「うん……昔の話だから、本当かどうかはわからないけど、そういう言い伝えはあるよ」
「えーっ、凄い凄い! 他になんかないん!?」
「えっ、えーっと、あった、かな?」
岸辺は多少困惑した様子だが、求められたために、なにかないかと頭の中で記憶を探る。
「自分で調べんか」
ため息まじりで伊瀬はそう返した。だが、少し思案するように目線が上を向いている。なにかないかと探してくれているのだろう。
「ならば、負嫁岩のことを話してやろう」
「はいっ!」
腕組をした伊瀬の向こうに、山の緑が入り込んでくる。もうすぐで車作だ。追手門学院大学近くを通り過ぎ、さらに進んでいく。山の周りを回りながら上がる道しかなかったのだが、三年前に新しく舗装された道路が作られた。急カーブが多いが、広々としているいい道路だ。
ここも、昨今の開拓で随分と表面が削られ、山肌が見えるようになってしまっている。ネジの先のような、ロッククライミングをする際に掴むもののような突起が、コンクリートに打ちつけられていた。木は、秋になると恥ずかしげに赤らんだ顔を隠す乙女のような紅葉を見せてくれる。
春に鬼神さまと二人で来よう、と誉は思った。ここの桜はとても美しい。桜が好きな鬼神さまは、きっと気に入ることだろう。そっと温かい胸ポケットを撫でる。




