6-1. 秋の食卓
十一月に入って数日経つと、朝夕の気温は急降下した。四季の神様が話し合った結果、秋はスキップして冬に突入することにしたようだ。
朝方なんか特に冗談みたいに冷え込んで、アウターを間違えた人々は大いに戸惑った。永遠かと思われたあの忌々しい残暑が恋しくなるくらいの、突然の寒さである。鹿の毛も大急ぎで冬支度にとりかかった。
日曜日の朝、ネリノは掃除機の音で目を覚ました。こんなに早くから、階下は何やら騒がしい。
体の両側に翼を広げて、うーんと大きく伸びをした。と同時にバランスを崩し、床に落っこちる。
目をこすりながらベッドを見上げると、ちょうどシオンも布団から這い出したところだった。まだ半分閉じた目で言う。
「おはよ」
とんとんとんっ、とリズミカルな足音が上ってきて、部屋の扉が開いた。ネリノは瞬時にベッドの下へ飛び込んだ。
「シオン、布団カバー冬物に交換するで。ご飯食べたら全部剥がして持っといで」
いつもと違って張りのある声だ。顔を覗かせてみると、父は既に着替えまで済ませている。今日は休みのはずなのに。
階下へ降りるなり、シオンは目を丸くした。
すっかり片付けられたテーブルには作りたての朝食が並んでいた。テーブルロールにコーンスープ、そして、卵焼き。
その上空に、行儀悪く胡座をかいた浮遊霊がいた。振り返ったほっぺたには黄色いお弁当を付けている。
「甘くないタイプやで。うまい。久しぶりや」
一足先につまみ食いをしていたようだ。懐かしい味や、と顔をほころばせている。
ぐうっとお腹が鳴った。ネリノは嬉々として飛んでいった。しかし腕を広げたナツメに阻まれる。
「お前はあかん。全部喰ってまうやろ」
ずるいっ。両者はいつものごとく、テーブルの上で揉み合った。
父が戻ってくると、親娘は向かい合って朝食を摂り始めた。
ナツメに捕まえられたネリノは、アップライトの上に並んで二人を眺めた。
ナツメがしみじみと呟く。
「何年ぶりやろう、こんな風景見るん」
卵焼きを口に運びながら、シオンはちらりと父を盗み見た。
「ちゃんとした朝食なんか、お父さん作ったことなかったのに。どうしたんや急に」
ナツメは身を乗り出して尋ねた。
「美味いやろ、卵焼き」
シオンはかすかに頷いて、黙々と口を動かし続けた。
しばらくすると、今度は父がちらりとシオンを盗み見る。
「……うまいか?」
シオンはまたこっくりした。言葉は無くとも、お皿が綺麗になっていく速さが全てを表していた。
ネリノは隙をついてテーブルに飛んで行こうと試みたが、そのたびにナツメに掴まれた。とうとう卵焼きは一欠片も残さずに食べ尽くされてしまって、しょんぼりと肩を落とす。
父の横顔はどこか緊張しているようだった。機械的にパンをちぎっては口に放り込みながら、何度もシオンの顔色を伺っている。
それらをコーヒーで流し込むと、おもむろに切り出した。
「なぁシオン、お父さん、今の会社辞めようと思う」
へぇっ、とナツメが声を上げた。シオンは黙ったまま、静かに頷いた。
「ごめんな、急な話で。びっくりしたやろ」
シオンは首を振った。
父は娘の様子をじっと伺っていたが、それ以上の反応は無かった。少しばかりがっかりした表情で、自分も食事を再開する。
最後のパンの一切れを飲み込んだ後、シオンは手を止めた。
「そしたらお父さん、もうちょっと家にいられるようになる?」
ちょうど口に運びかけていたパンを、父は塊ごとごっくんと飲み込んでしまった。
苦しそうに胸を叩いて、ようやく食道のつっかえが取れたようだ。真っ赤な顔でコーヒーを飲み干して、やっと息がつけた父は、改めてシオンを見つめた。そして頷いた。
「いるとも。もっと、ちゃんといるよ」
その目尻には涙が浮かんでいた。
「ごめんな。寂しい思いさせて。ごめんな……」
シオンはすぐに顔を伏せた。父の口から聞く「ごめん」が好かなかった。
ネリノはピアノの上から父親を観察していた。ネリノが見るに、彼の雫には、咽せて苦しかったという理由と、もう一種類、別の感情が混ざり合っていた。




