3-4. 一言主の末裔
「スクナさん!」
ナツメが叫んだ。振り返ると、そこには小柄な青年が立っていた。
さらりと分かれた黒い髪に質素なワークシャツ姿と、仕事帰りの会社員のような出立ちである。しかし荷物は片手に提げた紙袋、ただ一つだけ。
荷物の異様な少なさ以外には、見た目になんの変哲もない。しかし全身から放たれる視えない妖気が、彼が人間ではないことを証明していた。
「大丈夫や、シオン。この人スクナさん」
ナツメは少し考えて言い直した。
「いや、えーと、スクナさんが変化した、志村さん」
シオンはへなへなとその場に崩れ落ちそうになった。咄嗟にスクナがその体を受け止めた。
「ごめんよ、びっくりさせちゃったな」
ネリノはまじまじと志村姿のスクナを見上げた。なるほどナツメが言っていた通り、中々に器量がいい。すると目が合った。少年みたいな瞳が煌めく。
「ええ家貰ったんやなぁ」
もけもけのストラップに目を細めて、スクナは呑気な口調で言った。そこへ私服警官たちが追いついた。
シオンの肩を抱いたまま、スクナは向き直った。頭ひとつ分背の高い二人を見上げて問いかける。
「どうされました? うちの娘になんか用ですか?」
「あ、あんたがお父さん?」
はぁはぁと息を弾ませながら、二人はキョトンとした顔を見合わせ、それから再びスクナを見た。父親というには、顔も声も明らかに若すぎる。
しかしスクナは鷹揚に頷いた。
「そうですよ。私を迎えに来てくれたんですが、行き違いだったみたいで。いやぁすみません、お世話かけました」
ははっと笑いながら頭の後ろを掻く。その手を前に戻すと同時に、二人に向かって何かを投げる仕草をした。白い影がひゅっと空中を横切った。
警官たちの額に、白いお札がぴたりと貼り付いた。中央には何やら、複雑な赤黒い紋様が刻まれている。
誰も動けないでいるうちに、お札はじんわりと溶け始め、皮膚に染み込むように消えていった。
彼らの額には紋様だけが残され、それが徐々に赤い光を放ち始めた。
二人の瞼は同時に垂れ下がっていった。紋様の轍が完全に見えなくなる前に、スクナはひらひらと手を振った。
「それじゃ、また」
シオンを抱き上げると、ふわりと塀に飛び上がった。
次にシオンが瞬きをした後には、あたりには見覚えのある境内の景色が広がっていた。
木々の間からは鳥居が覗き、そばには池が広がっている。その脇に井氷鹿が立っていた。
スクナはそっとシオンを地面に下ろした。
「けったいな大人が彷徨いてるんやな。散歩もほどほどにしなよ」
「ありがとうございました、スクナさん」
ナツメが頭を下げ、シオンも慌ててそれに倣った。
「何かあったのか。ちょうど迎えに行こうと思っていたんだ」
井氷鹿が歩み寄ってきた。スクナと、彼が連れてきた面々を見渡す。
「鉢合わせになったのか」
「ちょうど散歩中にね、酔っ払いの警察に絡まれて。スクナさんが助けてくれたんです」
「酔っ払いの警察?」
尋ね返す隣で、スクナは紙袋から大小二つの包みを取り出した。
「ほい、チーズ味。それと東京甘蕉。期間限定の味やよ」
「ありがたい」
小さい方の包みは、以前頼んでいたホットスナックだった。井氷鹿は顔をほころばせると、早速手のひらの上で小さな火を熾し、唐揚げを容器ごと温め始めた。
怨霊の正体が判明した。それを報告しに、スクナは仕事を終えたその足で、東京からやって来たのだという。
ベンチに並んで座ったナツメとシオン、そしてネリノの前で、スクナは語った。
父に取り憑いていた怨霊は、自殺した作家……ではなく、その友人だったということ。
予想外の言葉に、一同は目を見開いた。
「本人じゃなかったんですか」
「うん。同じオフィスの同僚。友達、っていうより、仕事仲間というか、たぶん親友に近い存在やったんちゃうかな。末期がんやったみたいでね」
作家の後を追うように病死したのだという。スクナが示した顔写真を覗き込むと、それは淡白な顔立ちの初老の男性だった。
きりっと吊り上がった眉が気難しそうな印象を与える。佐々木という名前だそうだ。
「冥土から逃亡して、今指名手配中やねん」
井氷鹿が尋ねた。
「親しい間柄だったなら、彼が抱えてたトラブルの真相も知っていたのだろうか」
「それなりに、な」
スクナは頷いた。同業者なら、核心に近い相談をしていてもおかしくはないだろう。
「お父さんに取り憑いたのは、やっぱりアニメ会社への恨みが理由ですか?」
「そこまでは断言できひんな。佐々木さん自身は、事件との直接的な関わりが無いわけやし。とりあえず、その辺確かめる為にも」
とシオンを見た。
「本人に会ってみるわ」
「頼むぞ」
井氷鹿が頷き、ナツメは目を輝かせた。
「スクナさん、家まで来てくれるんですか」
「あたり前やん。そのために戻ってきてんで? ただでさえ夜道を一人で帰らすのは危ないからな」
「その通りです」
と、ナツメはシオンを見て大きく頷いた。普段から一人で夜道をふらついているシオンはこっそり肩をすくめ、ネリノはその膝の上で、べーっと舌を突き出した。
ナツメは威勢よく浮かび上がった。
「さっ、そうと決まれば早よ帰るで。お父さん起きてくる前に済ませようさ」
「つつがなく成仏できるといいが」
井氷鹿が呟くと、スクナは対照的におおらかな口調で言った。
「ものは試しや」
気持ちの翳りを感じ取って、ネリノはシオンの顔を見上げた。
成仏、という言葉で、彼女はおいののことを思い出したのだ。井氷鹿がその肩を優しく抱いた。
「きっと大丈夫だよ。スクナには一言主の血が流れているんだから」
聞き馴染みのない語句にシオンは首を傾げる。頭の後ろで手を組んだナツメが、易しく言い換えた。
「スクナさんはな、超強力な『お呪い』の使い手やねん」




