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京終のネリノ  作者: 小林 綸
第2章
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2-8. 神猿殿と巻物

 薄暗い地面に、獣の長い影が伸びている。鈴鳩がごくりと唾を飲み込み、慌てて床に飛び降りた。

 姿も見せないうちから、そこには只者ではない威厳が漂っていた。

 やがて雲間が途切れ、月明かりに照らされたのは、年老いた一匹の猿だった。

「神猿様」

 ナツメが呟き、ネリノはシオンのポケットにダイブした。とうとう出てきた。

 白袴の裾を揺らしながら、頭領はゆっくりと近づいてきた。豊かな白髭が月明かりを反射する。

「無作法に騒ぎ立てるな、鈴鳩や。憶測だけで軽はずみに復讐を企てるとは、何たる愚行よ。由緒正しき高橋家の名を腐す気かい」

 顔に刻まれた無数の皺と同じくらい、威厳のある嗄れ声が響いた。鈴鳩は深く首を垂れた。

「頭領……」

「人の手で産み出され、人の手を渡り歩き、千五百秋(ちいおあき)の末に、魂を得て我々は九十九神の性を名乗っておる。己が名に『神』の字を刻んでいる以上、その誇りを忘れるでない」

「へい……すいやせん」

 鈴鳩は頬を赤く染め、横面をぽりぽりと掻いた。

 お蔵のそばまでやって来た神猿は、穂香を見上げた。

「お前さんは一度、家に戻ったほうがよろしいね。じき母上が目覚めそうじゃ」

「ほんま? ありがとう神猿さん」

 穂香は小走りで縁側に戻っていった。

 その背中を見送ったのち、神猿はぐるりと一同を見回した。鋭い眼光がシオンとナツメを捉えた。

「今晩はいやに賑やかじゃの。来客だね」

「お邪魔してます、神猿様」

 珍しく礼儀正しい仕草で、ナツメが頭を下げた。

「おぉ、久しゅう。穂香のご友人と聞いておる」

「穂香さんの妹さんの友人の友人です。これが妹さんの友人の、シオンです」

 とシオンを示すと、神猿は彼女に向き直った。

「あんたが鳴川のお嬢さんかい。かねて噂には聞いていたが、会えて嬉しいよ」

 皺だらけの手を差し出す。シオンはおずおずと握手した。その瞳を真っ直ぐに見据え、老猿は言い聞かせた。

「霊視は長く続くものではない。大切になさい」

「……はい」

 それから彼女のポケットをじっと見つめた。ネリノは息を詰めて縮こまった。

「それで隠れたつもりかい? 出ておいで。お前さんとは一度話がしたかったんだよ」

 数秒経って、ネリノはそろそろと頭を覗かせた。すかさず鈴鳩が口を挟んだ。

「頭領、一度がつんと殴ってやってくだせえ。こいつ今まで散々、おいらのことコケにして……」

「己が力で挑むことだな、鈴鳩」

 神猿に一蹴されて、悔しそうにネリノを睨む。ネリノはふんっとふんぞり返った。

 そんな妖をじっと観察していた神猿が、重々しく口を開いた。

「まだ言葉は出ないようだね」

 ネリノは目をぱちくりさせた。ナツメが聞き返した。

「まだ、って」

「シオン殿と同じだよ。お前も……ネリノと言ったかな……同族と比べて、霊力の目覚めが遅いのじゃな」

「じゃ、ほんとは話せるんですか」

「然様」

 神猿は頷き、続けてやれやれと首を振った。

「身内の尾籠な諍いが、屋敷の外にまで知れ渡ってしまったとは。なんとも情けない話じゃ」

 ナツメはせがむように尋ねた。

「ねぇ、神猿様はどう思ってはるんですか。清一は……」

 はっと口を抑えて付け足す。

「……さんはやっぱり、遺言の内容を知ったから、暗証番号を捨ててしまったんですか?」

 すると神猿は首を振った。

「主人はなにも、店を続けろなどと書き遺してはいない。ただ、残った骨董の行く先だけは丁重に決めて欲しいと願っておられるのじゃ」

「じゃあ別に、遺言状が見つかったって困ることは」

 ナツメが興醒めしたように言うと、鈴鳩は再び気炎を吹いた。

「なのにあの空っぽ頭の長男ときたら、内容を勝手に決めてかかったんだ」

「お店が売れなくなることを恐れたんでしょうね」

 座敷童子が項垂れる。

「あんな奴にこの家まで明け渡されてみろ、俺たちはみいんな廃棄場行きだ。もしそうなれば絶対の絶対のぜーったいに、永代まで祟り続けてやらぁ」

 鼻息を荒くする鈴鳩の隣で、座敷童子は両手を擦り合わせながら、おどおどした態度でシオンに訴えた。

「このお蔵が無くなったら、うち、棲むとこあらへんから。どうしても無くさんとって欲しくて」

「大丈夫」

 ナツメがその肩を抱いて勇気づける。

「最悪の場合、鳴川家(うち)に避難さしたげる」

 すると、感極まった座敷童子は赤い着物の袖で目尻を拭った。

「おおきに。ほっだらうち、お礼に御赤飯炊くわ」

 緊張から解かれると、ネリノは興味のままに蔵の棚を物色し始めた。鈴鳩がギロリと睨んだ。

「おいカラス小僧。蔵のものを盗んだら承知しねぇかんな」

「ネリノやで」

 シオンが嗜めるも、鈴鳩は鼻を鳴らした。「どっちだって一緒さね」

 ネリノは思いっきり舌を突き出した。神猿の目がある手前、両者とも大人しく争うしかない。

「これは?」

 ナツメが隅に押しやられた木箱に気づいた。

「ああ、これは我楽多入れだ」

 鈴鳩は言った。……自分も人から見れば我楽多の一部という自覚は、これっぽっちも無いようだ。

「大した値段もつかないし、燃やしてもいいだろうってことで三枝の親父さんがまとめたんだ。九十九神だって宿っていないような安物ばかりさ」

 蓋を取ると、ネリノに向かってくいっと顎をしゃくった。

「ほれ、この中のモノならくれてやるよ。巣作りの材料にでもするんだな」

 ネリノはきいっと怒って、三本脚で相手を突こうとした。すかさずナツメが目くじらを立てた。

「こらっ、やめい」

 それからしばらく、ネリノは面白半分で三本脚を木箱に突っ込み、がさごそとやっていた。指に手応えを感じて引っ張り出すと、中央の脚には古びた巻物が掴まれていた。かさかさの和紙は今にも破けそうだ。

 その端から覗いた黒い文字に、おやっと思った。鈴鳩が小馬鹿にして言う。

「それじゃ雨風は凌げないだろうよ」

 構わずに、ネリノは巻物を掴んだまま庭に飛んでいった。

 月光溜まりに降り立ち、丸まった紙を地面に広げる。

 そして黒い墨で記された文字の羅列を、じっくりと眺めた。ミミズがのたくったような独特の文字に、どこか見憶えがあるような気がしたのだ。

「タカムラ殿の直筆じゃ」

 不意に、そばからしゃがれた声がして、ネリノの心臓は飛び出そうになった。

 振り返ると、いつの間にか傍らに神猿が立っている。

 巻物の文字を目で追いながら、神猿は長い顎髭をしきりに撫でた。ほうっと息をつく。

 みんなも集まってきた。ナツメが巻物を覗き込んだ。

「なんやこれ」

「タカムラ殿がお書きになった、かなり貴重な巻物よ。最も、その価値がわかる人間は、残念ながらこの家には一人として居ないようだがね」

「タカムラ殿だって?」

 九十九神たちが一様にざわついた。ナツメがきょとんとする。

「って、誰」

 鈴鳩は信じられないという目でナツメを見た。

「知らないのか。閻魔大王の補佐官だよ」

「閻魔大王の?」

 シオンが興味を惹かれて顔を上げた。座敷童子は頷いて、ぶるっと肩を震わせた。

「おそろしい人です。冷血で、残虐で。けれども仕事の腕は確かだったそうですよ」

「禍々しいもんがあるんやなぁ。あ、ちょっとシオンの字に似てる」

 ナツメがぷっと吹き出して、ネリノはやっとピンときた。そうだ、この字はシオンの字だ。

 のたくったような下手くそな、現代の感覚で言えば、読めないくらい汚い、この筆跡。

 教室の後ろの掲示板や、宿題プリントやノートで、普段から目にしている字だった。その時ネリノは熱い視線に気がづいた。

 じっと巻物を見つめているシオンの瞳に、いつもは無い光が宿っている。ネリノは目を瞬いた。

 それはいつか墓地で目にした瞳と同じだった。

 『恩返し、決めた』……あの日の言葉が蘇った。

 シオンがもう一度尋ねた。

「タカムラ殿って、偉い人?」

「そりゃあもう。地獄じゃ、大王に次ぐお方だね」

 鈴鳩の返事を受けて、再びじっと巻物を見る。ナツメがその横顔をちらりと見上げた。

「お前こんなん欲しいんか」

「……ううん、ちょっと、興味があって」

 シオンは語尾を濁した。それから密かにネリノと目配せを交わした。


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