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京終のネリノ  作者: 小林 綸
第2章
17/18

2-7. 三枝邸の九十九神

 ネリノは数十センチ飛び上がった。

「あっ、あいつっ!」

 ナツメがすっ飛んできて、ネリノは咄嗟に逃げ出した。

 縁側から庭に飛び出すと、目の前には白塗りのお蔵が聳えていた。

 屋根の周りを旋回したネリノは、壁際に見つけた格子窓から中へ飛び込んだ。

 その身が暗がりで誰かと衝突し、ポーンと跳ね返った。

「いてっ」

 ぶつかった相手が悲鳴を上げた。ガタガタと物音が続き、ぼうっとあかりが灯された。

 ネリノの姿を認めた彼は、とたんに目を釣り上げた。

「ややっ、カラス小僧」

 因縁の相手、鳩型土鈴の九十九神だった。

 胸から上は鳩、下は人の体で、腕の代わりに生えた四本の翼には朱色と青銅色の綺麗な刺青が施されている。

 二者の間には、提灯を掲げた座敷童子が立っていた。おかっぱ頭の彼女は素っ頓狂な声を上げた。

「ほんまや、カラス小僧や。なんでここにいるんや」

 尻餅をついていたネリノも、相手が鈴鳩だと分かった途端に勢いよく立ち上がった。昔から、こいつの無駄に贅沢な為体(ていたらく)が気に入らないのだ。

 鈴鳩は威嚇するように翼を広げると、鉤爪を尖らせて襲いかかってきた。首についた鈴がちりりんっと響く。

「出ていけ、穢らわしい悪党め! てめえに我々の敷居を跨がせはしないぞ」

 ネリノも飛び上がって応戦した。鉤爪をひょいっと躱わすと、鈴鳩の頭を三本足で突っつき回す。鈴鳩は声を上げて逃げ回った。

「いたっ、いたいっ。おのれ、やめんかっ」

「鈴鳩様っ」

 そこでお蔵の入り口が開き、二人の小学生が入ってきた。シオンと百香だ。

「ほら。別に面白いもんは何もないけど」

 ネリノに気づくなり、シオンはその尻尾を掴んでポケットに捩じ込んだ。ネリノはふぎゃっと潰れた声を上げた。

 九十九神たちは、扉が開いた一瞬のうちに物陰に身を潜めた。

 静けさを取り戻したお蔵を、百香はぐるりと見渡した。ひらりひらりと灰色の塵が舞い落ちる。

 百香は左手の足元に立てかけられた笠を見つけ、指差した。

「これが饅頭笠」

 籐で編まれた、平べったい大きな被り物。全体的に黒ずんでいる以外は、昔話通りの見た目である。ぷうんと黴臭い匂いが漂ってきた。

 シオンはしげしげと蔵の中を見回した。

 壁際の棚には、実に多様な骨董品が並んでいた。巻物、掛け軸、柱時計、壺、七宝焼の花瓶、印籠、香炉。骨董の裏で、無数の妖の影がうごめいている。

 ナツメが追いついた。

「そろそろ帰るで。穂香さんと約束してきた。夜中にまた、お蔵の前で待ち合わせ」

 それから腰に手を当てて、じろりとポケットを睨んだ。

「お前は留守番や」


 しかしネリノはちゃっかり同行した。

「また来やがったな、こいつっ」

 真夜中、再び蔵に到着するなり、待ち構えていた鈴鳩が物陰から飛び出した。昼間の続きだと飛び上がったネリノだが、すぐさま尻尾をシオンに掴まれる。

 空中でじたばたと足掻くネリノにシオンが言い聞かせる。

「騒がへんの。ネリノ」

 すると、昼間と同じように提灯を掲げていた座敷童子がきょとんとした表情を浮かべた。

「ねりの?」

 シオンは頷いた。「この子の名前」

「お姉さんがつけはったの」

 シオンが頷くと、座敷童子は目を輝かせて繰り返した。

「ネリノ。いいなぁ、うちも名前が欲しい」

「けっ、低俗な名前だ」

 翼の埃を払い落としながら、鈴鳩が憤然と吐き捨てる。またもやネリノが飛びかかろうとすると、鈴鳩は慌てて飛び退いた。

 シオンは棚を見上げた。昼間は隠れていた九十九神たちが、今はそれぞれの依代から顔を覗かせている。姿かたちも大小もてんで様々な彼らは、しかしみな、棚の上からひっそりとネリノたちの喧騒を見守っていた。

「それでね、相談ごとがあるんやんね」

 鍵を片手に下げた穂香に促されて、鈴鳩はごほんっと咳払いした。昼間に出来なかった話をするために呼び出したのたが、半信半疑で穂香を見上げた。

「……しかし穂香殿、こんな奴らに打ち明けたところで、ご利益がありますかいな」

「でも私にしか見えへんよりは、ちょっとでも仲間が増えた方がええやろ」

「と言っても、穂香殿よりも小さなお子ではねぇ」

 シオンを横目で見上げ、肩を竦めた。ネリノは脇から睨み返した。

「じゃあこのまま、お蔵が壊されるの黙って見とく?」

「やだやだ! それだけは堪忍ですぅ」

 座敷童子が青い顔で叫んだ。ナツメが尋ねた。

「お蔵を壊したとして、骨董品はどうするんやろ」

「もちろん、捨てると思う」

 蔵中から一斉に抗議の声が上がった。ナツメは驚いて数センチ浮かび上がり、シオンは両耳を塞いだ。九十九神たちの怒声が、荒波のようなうねりで暗闇を呑み込む。

「みんな、しぃっ」

 穂香は慌てて彼等を鎮めた。それから人差し指をピンと立てた。

「でもね、希望は一個だけ残ってるんよ。おじいちゃんが遺した遺言書やねん」

「なんて書いてあるんですか?」

「それが……」

 穂香の指が力なく曲がり、同時に肩を落とした。

「読まれへんの」

「達筆すぎて?」

「阿呆。金庫が開かなんだ」

 鈴鳩は鼻を鳴らした。ある金庫に保管されていることは確実なのだが、その暗証番号が、誰にもわからないのだという。

「どこかに書き残されてるんかもしれへんけど、それがどこなのかも分からんくって。結局、開かずの箱になってるねん」

「きっと清一の野郎が揉み消しやがったんだ」

「決めつけはあかんで」

「でも雅子さんだって義也さんだって、そう思ってはるんでしょう?」

「まぁ、そうやけど……」

 座敷童子に問われ、穂香は語尾を濁した。シオンはその背中をさすった。

「そろそろ戻らないと」

 体調を心配したのだ。しかし穂香は微笑んでかぶりを振った。

「大丈夫やよ、ありがとう。ここんとこ、夜ふかしが日課になってるから。逆に今の時間は寝られへんのよ」

「それは良くないですね」

 ナツメは腕組みしてシオンをちらりと見た。

「癖になるからな」

 シオンはぷいっと顔を背けた。

 鈴鳩はまだ怒り心頭な様子である。

「きっと清一のやつ、自分には不都合な内容だって分かってて、わざと遺言が読めないようにしたんだ。きっとそうだ」

 みんなは黙り込んでしまった。気まずい沈黙が続いた。

 やがて、シオンの小さな声が静寂を破った。

「金庫の番号、聞きに行くことはできないんですか」

「聞きに行くって……常世へ?」

 座敷童子が目を丸くした。シオンが頷くと、鈴鳩はまた鼻を鳴らした。

「馬鹿だな。神様でもない限り、現世と常世を自由に行き来するなんてこたあ無理な話さ。すぐに捕まって監獄行きだね」

 座敷童子が続けた。

「監獄行きどころか、許可なく常世へ侵入した魂はどろどろに溶けてしまうらしいですよ」

「どろどろに?」

 目を見開いて繰り返したナツメに、座敷童子は頷いてみせた。

「そう。どろどろに。溶けた魂を集めて、宴会での振る舞い酒にしなさるんですって」

 細い目をいっぱいに開き、大仰な口ぶりで言う。

「妖怪や九十九神でも?」

「人間でも妖でも、死人まかりびとでも一緒さ。閻魔大王の法を犯せば、二度と輪廻に戻れん。厳しいお方なんだから。そんな常識も知らんのか」

 ネリノはぎいっと威嚇した。偉そうな態度が好かん。

 鈴鳩はそんなネリノを見下ろし、嘲るように笑った。

「もしも常世へ無断で侵入して、かすり傷程度で戻ってこられた輩がいたとすれば、それは天津神か、その神使つかわしめの連中に違いないね。それにだ」

 ヒョイっと一番上の棚の花瓶に飛び上がると、四本の翼を広げた。

「わざわざそんな危険を冒さなくたって、我々の力を以てすれば、あんな小男一人を祟るくらい簡単に出来るんだ」

 兄貴分の力強い声に、そうだそうだと、周囲の九十九神が声援を上げた。すると鈴鳩は勢いづいたように翼を振り上げ、朗々と演説を響かせた。

「清一は、目先の利益に踊らされる愚か者だ。代々この家宝を受け継ぎ、お守りになってきた我らが店主の篤き御心を無碍にして、卑しい心で全て金に換える魂胆なのだ。奴の身勝手極まりない行いを、我々はこれ以上おとなしく見過ごせない。そうだろう?」

 蔵中から賛同の雄叫びが上がった。

「やかましいわい」

 不意に野太い声が響き、喧騒はぴたりと鳴り止んだ。一同は庭を振り返った。

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