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京終のネリノ  作者: 小林 綸
第2章
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2-6. 穂香と饅頭笠



 六月初週の土曜日。

 見舞いの品(と二体の妖)を携え、シオンは三枝家へと向かった。以前約束していた、百香のお姉さんのお見舞いである。


 ショルダーバッグにぶら下がったネリノは、シオンの足取りに合わせて右に左に揺れていた。

 振り子運動をしながらシオンを見上げる。いつもはぼんやりとしていて無表情な横顔が、今日はなんだか、きゅっと引き締まって見えた。


 お見舞いの予定を聞いた時、ナツメはシオンにこう耳打ちした。



「穂香さんな、妖が視えるんやって。お前と一緒や」



 待ち合わせ場所にシオンが現れた時、そのショルダーバッグにまたもや真っ黒いもけもけがくっついているのを見て、百香は意表を突かれた表情を浮かべた。しかし何も言わずに目を逸らした。

 今回は握られずに済んだことで、ネリノはほっと安堵の息をついた。


 三枝邸は古き良き日本家屋で、立派な庭まで付いていた。庭の隅には古いお蔵があって、高橋家が先祖代々受け継いできた数多くの骨董品が仕舞われていた。

 ここが例の九十九神たちの住まいであり、ナツメが日ごろ出入りしている蔵である。


 現在、三枝家では、この蔵を取り壊す方向で話が進んでいるという。道中百香が語った所によれば、あの家はもともと、母が嫁入りをした際に祖父から譲られたものらしかった。


 当然庭の蔵も一緒についてきたわけだが、持ち主となった三枝氏はその方面の知識がまるで無いし、とはいえ母も持て余すだけだし、というわけで、両親は品物を少しずつ処分しようとしていた。


 そこへ、穂香が不思議なお願いをしてきたという。



『饅頭笠だけは捨てんといて』



「饅頭笠?」

「なんか、昔話で女の人がよく被ってる、こういう……」



 百香は身振り手振りで表現しようとしたが、諦めてパタリと両手を下ろした。

「あとで見せたげるわ」



 笠があることすら家の人は誰も知らなかったから、蔵の中を探してみて本当に見つかった時は、それは驚いたのだと。百香は目をきらきらさせた。



「お姉ちゃん、夢見たんやって。その笠の持ち主の女の人の夢。もう死んではるんやって」



 そこで言葉を切って、シオンの顔を覗き込んだ。重々しい口調で言った。



「幽霊ってこと」



 シオンは唾を飲み込んだ。その頭上でナツメは何度も頷いている。すでに九十九神ネットワークから聞き及んでいたらしい。

 シオンは小さな声で尋ねた。



「幽霊に、頼まれた?」

「そういうことらしい」



 百香とナツメは同時に大きく頷いた。



 ベッドに起き上がった穂香は、曇りのない笑顔でシオンを出迎えてくれた。



「来てくれてありがとう」



 肌は青白く、腕は枯れ枝のようにほっそりしてしまっていたが、その声は快活で、瞳には生き生きとした光を宿していた。

 彼女は宙に浮かんだナツメにも小さく会釈し、ナツメは恥ずかしそうにお辞儀を返した。


 がん細胞の抵抗性は強く、内臓への転移も認められていた。穂香は覚悟を決めた。もう治らないなら、治療は辞めて家に帰りたい。最期は家族がいる所で迎えたい。


 話し合いを重ねた結果、家族は彼女の希望を叶えることにしたという。


 シオンが入学した時、穂香は五年生。縦割り学級や放課後児童クラブ(バンビホーム)で世話を焼いてくれた、優しいお姉さんだった。

 彼女の再入院が決まった時には、シオンは母とともに作った下手くそな折り紙や、つたない手紙を贈ったりもしていた。百香との距離が縮まる前から既に、穂香とはささやかな付き合いがあったのだ。

 だからこそ、シオンの心には複雑な気持ちが渦巻いていた。


 ベッドを囲うインテリアの影に、いくつかの九十九神の姿が覗いた。みんなネリノと同じくらい小さい。

 ナツメの言いつけを忘れ、ネリノは思わずストラップから身を乗り出した。すると彼らはすぐさま姿を引っ込めてしまった。


 お母さんがお茶を運んできた。お盆を小脇に抱えると、小声でシオンに尋ねた。



「お父さん、具合はどう?」

 シオンは曖昧に首を捻った。



「そう。まぁ、無理なさらずね。シオンちゃんもやで」

 ぽんぽんと、全てを包み込むような肉厚な手のひらが、シオンの頭を優しく撫でた。



 その時ネリノはというと、すでにストラップから抜け出して、棚の上の花瓶に近づいていた。



「お姉ちゃん、饅頭笠の幽霊の話してよ」



 百香が促すと、穂香は少し照れ笑いを浮かべた。

「ただの夢やねんけどさ」



 そう言って語り出したのは、シオンも耳にしたことのある昔話だった。佐名伝さなてという村に住んでいた、おいのという名の娘にまつわる伝承である。



「興福寺のお坊さんに恋して、でもお坊さんは修行中の身やったから、おいのさんの気持ちには応えられへんかったのよね。それがつらくて、おいのさん、村の池に身投げしてしまわはったんやって」



 その後、お坊さんの消息もぱったり途絶えてしまった。村の人が噂するには、自分もおいのへの想いを抱えており、おいのが亡くなってしまったことを悔いて後を追ったのだと。

 昔話はそこで終わる。しかし穂香の夢に現れた彼女は、この村人の噂を聞きつけてらかというもの、常世と現世の狭間で彼を探し続けていたらしい。



「白い生地に、こう、下の方にお花の散った着物を着てはる。色白の女の人」

 穂香は身振り手振り、亡霊の容姿を説明してみせた。



「びっくりするやろ。なんで私の夢に出てきたんやろって思ったんやけどな、饅頭笠が見つかって、ちょっと納得いった」



 百香が隣から身を乗り出した。

「あれ、おいのさんが生前に使ってはった物なんやって」



 シオンは思わずナツメと目を見合わせた。昔話にも確かに、饅頭笠が重要なアイテムとして登場する。



「ほんもの?」

「そう。やから私に訴えに来はったんやと思う」



 ナツメは穂香の隣まで降りてきた。顎に手を当てて、



「でも、あの昔話ができたのって、もう……」

 指折り数えた。



「五十年以上も前」

 シオンの顔を見て付け足した。

「もっと古いかも」



「猿沢池の辺りに現れるって噂は、聞いたことあるけどな」

「おいのさん自身も、池の近くに住んでるって言うてはった」



 穂香の言葉にナツメは腕組みした。ナツメが見えないのは百香だけだ。怪訝な顔で、同じ一点を注視する友達と姉とを交互に見やった。


 ネリノはそおっと花瓶の向こうを窺った。瞬間、ひゅっと飛んでいった影がどこかへ消える。

 見失ったネリノはキョロキョロと天井を見回した。

 

 どこいった。


 穂香は妹に、蔵の鍵を開けてくるよう頼んだ。百香が席を外すと、身を乗り出してナツメに頼み込んだ。



「ナツメさん、おいのさんのこと助けてあげてくれへん?」



 ナツメは困り顔で頭を掻いた。

「そう言われても……どうしたらええんやろ」



「私もわからへん。でも」

 饅頭笠を捨てないようにと頼んだのはそのためだと、穂香は言った。



「何かの手がかりになるんちゃうかなって思って。おいのさんも、自分の形見やって言ってたし、神猿まさるさんも、本物で間違いないって言うてはった」



 その言葉が耳に入って、ネリノはぴくりと反応した。マサルだって?

 この界隈でその名を知らない者はいない。かなりの由緒をもつ、根付の九十九神である。神猿殿ははるか昔から高橋家の守護を務めていて、もちろん一族の妖の長でもあった。


 ネリノはもっと小さな頃、一族の者とは知らずに仕掛けた悪戯のせいで、彼にこっぴどいお仕置きを受けたことがあったのだ。

 あの神猿殿がこの家にいるのか。ネリノの背中をたらりと冷や汗が流れ落ちる。そんなネリノを指差して、穂香が尋ねた。



「ところであの子、シオンちゃんのペット?」



 ネリノは飛び上がった。

 


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