幼馴染のオレ達が付き合う日の話
「1+1が2だってなんでわかるの?」
突然そんなことを幼馴染が聞いてきた。
「は?」
「だってそうじゃん。普通わからなくない?概念だよ?みんな、植え付けられてんの、いろいろ。だから、普通と違うと不安になるようになってて、嫌われると不安になる、誰かを傷つけたら駄目、一人でいるとかわいそうって。みんなみんな、そういうふうにされてさ」
彼女は力説する。よくもまあ、そんなに熱量があるもんだ。
「あーはいはい。そうかもね」
「ちょっと、真面目に言ってんだけど」
「すんません」
これが通常運転である。幼馴染のコイツーー深澤透子は、とにかくこういう、考えたって無駄なことを考えるのが好きだ。
まぁ、考えるのは良い。だがしかし、それを毎度毎度オレに言ってくるのは、いかがなものかと。
そりゃオレはモテる訳でもないし、幼馴染のコイツといたからといって、何か大きな問題がある訳でもない。
……でもなぁ。
「どうなん?毎度毎度オレに言ってくんのは!」
「え?なに、突然」
貴重な放課後をこんな無駄話で潰している。それをコイツはわかってない。
それに……コイツは無神経だ。オレをただの幼馴染としか思っていないだろうに、毎日毎日絡んできて…………その気がないならやめてくれ。
呑気にパン食ってるし。
「おまえなぁ……」
「おまえじゃない。透子だよ」
「知ってるわ!」
「孝くん、何をそんなに怒っているんだい」
「孝くんはねぇ、そんなどうしようもないことを考える趣味はないのだよ」
「孝の孝って、考えるに似てるのに」
「…………いや、それは似てるだけな?見た目で判断してはいけませんって習いませんでした?」
「人は見た目が九割って言うじゃん」
「あー駄目だこりゃ」
イタチごっことはまさに、このことだろう。同じような会話を繰り返すだけじゃないか。
「つーか、帰んねぇの?オレは自習したいんだが」
放課後、オレは自習をするのが習慣化している。やり始めると割と悪くはないものだと気づいたのだ。
…………まぁ、邪魔はいるが。目の前に。
「そうだねぇ。帰ろうかな」
「結局帰るんかい」
「なに、残っててほしいの?」
ニヤニヤしながら彼女は言った。明らかにからかっている。でもオレは、そんなことに容易く動揺する奴ではないのだ。
「自習すんなら、な」
どうだ、見ろ。この余裕の表情を。
……あーまじで何やってんだか。こんな変な幼馴染に惚れてしまって…………ここまでくると、もう勘違いであってほしい。
脈ありなんじゃねぇの?
そう言われることは多々ある。というか、付き合ってると思っている人もいる。聞かれなきゃもう、訂正することもなくなってしまったんだけど。
「じゃ、私もちょっと残ろうかなー」
「あぁはい…………え、まじ?今まで散々邪魔しかしなかった透子が?」
「失礼だな、おい」
「いやいやいや」
「たまには、孝のために、残ってやろう」
やけに、孝のために、を強調してきた。オレは思わず苦笑いを浮かべる。
透子はオレの前の席に座り、真面目に勉強を始めた。
なんだ……?明日は季節外れの台風でもやってくんのか?
ちなみに今は一月。それも高校二年の一月である。さすがの透子も受験というものを意識し始めたのだろうか。
「……ねぇ、孝」
「なんだよ。早いって」
集中力切れるの早すぎんだろ。始めて三分ぐらいしか経ってなくないか?
「ここ、教えて」
「…………はっ?」
「だから、ここ、教えて?」
オレは呆然と口を開けていた。…………どういうことだ、これは。
「…………透子ってさ」
「なによ」
彼女はムスッとした表情でオレに聞き返す。
「えっと、二重人格ではないよな?」
「はー?なに言ってんの、孝。んな訳ないじゃん」
「あーだよなぁ…………ってことは明日まじで台風来るかもなぁ」
「来んわ」
半ば独り言で言ったのに、ちゃんとはっきり返事が来た。オレはまた、苦笑いを浮かべる。
とりあえず聞かれたところを答えるが、今までにないぐらい真剣に聞いていた。
「えっ……まじでどうしたの」
「どうしたって?」
「え、いや、今まで勉強嫌々言ってたのに、え?」
「え?」
透子は半笑いでこちらの次の言葉を待っている。
「えー……?」
「好きな人と同じ大学に行くために、勉強しなきゃなーって」
「えっ好きな奴いんの?」
何気なく言ったであろう透子の言葉に苦しくなった。
◇◇◇
「あの、深澤さん」
「え?」
自習を適当に終え、教室の鍵を締めていると、一人背の高い男子生徒がやって来た。どうやら透子に用があるらしい。
「あ、孝、先行って待ってて」
「はいよー」
オレは何も気にしていないふりをしながら、階段を降りた。
…………アイツ、なんだろうか。透子が好きだというのは。
キーチェーンの部分を掴み、鍵をぶん回す。あー嫌だ。
幼馴染ってずるくね?
そう言われたことがある。でも実際、幼馴染以上になるのってかなり至難の技だ。前提として『幼馴染』である以上、それ以上になるのは、その関係をぶっ壊すのと同義である。
それをわかってない奴にとやかく言われるのは……やっぱ腹立つな。わかってくれる奴、いねぇけど。
「あ」
ポケットに手を突っ込む。ない。やべ。教室にスマホ忘れた。
教室戻ろ。…………でも、二人がいたら気まずくねぇか?どないしよ。
オレは二人が既に移動したことに賭けて、来た道を引き返した。
◇◇◇
「それで、その……付き合ってください」
「ごめん。好きな人、いるから」
き、気まずーーーッ!!気まず過ぎんだろ!やば。告白盗み聞きとか、うわー、やらかした。
悪いと思いながらもオレは一歩も動けずに、壁に寄りかかるようにして立ち尽くしていた。
…………てか、断ったんだ。透子の好きな奴ではなかったのか。
不謹慎だとわかっていながら、安心し、口角が上がってしまった。
「そっか…………好きな人って、さっきの……幼馴染?の人?」
な、なんつーこと聞いてくれてんだ!オレは告白することすら出来ずに、ここで失恋するのか?やめてくれ…………。
「うん」
…………へっ?
聴こえてきた透子の返答にオレは固まった。
嘘だろ。両想い。両想いなのか?彼女の表情を窺うことはここからじゃ出来ない。でも、さっき、はっきり……『うん』って。
「そっか、じゃあ……これからも友達で、いてくれる?」
「うん、もちろん。…………ごめんね」
遠ざかっていく足音が聴こえる。それが聴こえなくなったと同時に大きな溜息が聴こえた。
オレは告白なんぞされたことがないから分からんが、それを断る方もしんどいのだろうか。
「…………よしっ」
気合いを入れたような声がして、足音が近づいてきた。
途端にまた焦り始めた。誤魔化しようがなくない?終わったー。オレはせめてもの現実逃避で目を瞑った。
「た、孝!?」
「……………………」
はい、ここで終了のお知らせです。わたくし、岡野孝は、この現実世界を終了します。
「き、聞いてた?」
オレはようやく目を開け、透子を見る。
彼女は焦ったような、そして小さな希望を抱いているような、そんな表情をしていた。
「ごめん、えっと……スマホ、教室忘れてたみたいで…………」
オレはそんな非常識な奴じゃないぞ、と必死に言い訳をする。
ちらっと様子を窺うと、目を見開いて唇をわなわなと震わせていた。そして顔が赤い。
「こんのっバカッ!」
「えっ、ちょ、いてっ」
グーでオレの腕を思い切り殴り、そのまま階段をすっげぇ速さで駆け下りていった。
「え、ちょ、待って!」
オレは慌てて彼女のあとを追った。
「来ないでってば!」
「なんでだよっ!…………あっ」
階段の最後の二段のところで足を踏み外し、身体が宙に浮く。やけにスローモーションだ。
床にドタッと倒れ込む。あ、オレ、意外と身体丈夫なんだ。
もう逃げられたか…………。惜しい。あとちょっとで追いつけそうだったのにな。
うつ伏せの状態から仰向けに姿勢を変える。ーーと、
「うわっ」
まず認識したのは体操ズボンだ。そして、数秒の思考の後、女子生徒ーー透子のスカートの中を奇跡的に覗けてしまっていることに気づいた。
オレは急いで起き上がる。
「透子!」
「もう、何やってんのよ、バカ……」
「ごめんごめん」
「…………怪我は?」
「え?」
「だから、怪我は?って聞いてんの!」
「あ、ないない。平気です!」
どうやらスカートの中を見たことには気づいていないらしい。なんなら、オレの心配までしてる。
「そう、ならよかった」
彼女は柔らかく微笑み、オレの目の前にしゃがんだ。
そしてーー唇と唇の距離が…………
こんな、漫画やドラマのようなことが起こっていいのか?
そう頭の隅で考えながら、オレは目を閉じた。
◇◇◇
ピピピピッピピピピッピピピピピピピピピピッ
って、夢オチかーーーい!
うーわ、まじかぁ…………。あんな都合のいい夢とか、生まれて初めて見たわ。まじで。
でも、だからこそ心へのダメージが…………。
はぁ。くそぉ。学校あるよなぁ。休みてぇ。
「あ、おはよ、孝」
オレと透子は向かい合う家に住んでいる。朝同じタイミングで家を出る、というのも結構ある。それにしたって、今日という最悪のタイミングで会うってね。はははは。
「あー、好き」
おはよう。
「えっ」
透子は扉の前で、赤面して立ち尽くしていた。
「え?」
オレは重たい瞼を持ち上げて、彼女を見る。
…………ん?待って。オレ、さっきなんて言った?確か、おはよって言われたからおはよって言って…………ない!
やべぇ。寝ぼけて言う言葉間違えた。そんなことあるか?なんかの嘘だろ?
透子の顔を見る。あー嘘じゃない。
血の気が引く、という感覚を生まれて初めて知った。一気に目が覚める。
ど、ど、どうしようか。誤魔化すか?でも、もう思い切ってちゃんと伝えるか?
「わ、私のこと、好きなの?」
透子がおずおずと聞いてきた。かわいい。あーこれはもう、言おう。切腹の覚悟を決めて。
「好き。透子が好き」
ただでさえ赤かった顔がもっと赤くなる。でも、きっとオレも人のこと、言えないだろう。
透子は唇を震わせたかと思えば、こちらに走ってきて、抱きついた。
「え、ちょっ」
「私も好き!大好き!」
「え、まじ?ほんとに?嘘じゃない?」
「うん、孝が好き!結婚しよ?」
「それはまだ早い!」
これが、幼馴染のオレ達が付き合う日の話である。