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放牧の姫  作者: オキ
西都編
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訪問者

 清々しい早朝。


 西都の夜中から朝にかけての時間帯は、昼間とは反転して寒いとまでいえる。

 実際は草原の夕方と大差なく、むしろ草原の夜中のほうがよっぽど寒いのだが、西都は日中ものすごく暑くなる分、寒暖差で余計に寒く感じられてしまう。


 しかし鳥樺はこの早朝で薄着、尚且つ汗を服の裾で拭っていた。


 羊笙から貰った服だが、暑い気候の西都に合わせて汗もよく吸う麻製でありながらきめが細かく大変肌触りがいい。

 風通しもいいが、温かさもある。

 とてもいい服だ。


 西都に来てはや十日。

 栄鴉の特使が来るのはまだ先らしい。


 鳥樺は羊笙のはからいで領主の邸宅の離れにある部屋を使わせてもらうことになった。


 昔ここらを治めていた一族の建物で今は使われておらず建物自体も古いと聞いていたが、建物は古さを感じさせないほどしっかり管理されているし、柱も色落ちはあるものの腐敗はなく立派である。

 気になるところは特に無かった。


 むしろ、丁寧に天蓋付きの寝台、可愛らしい装飾の机、窓には透かし模様の入った桃色の反物が掛けられ、壁は唐草と鳥の模様の入った挂毯(タペストリー)がかかっている。

 今はそちらのほうが気になって仕方がない。


 もはや使われていなかった痕跡など残っていない。

 鳥樺とは趣味の合わないお嬢様のお部屋である。


 女はこういうものが好きだろう、という、これも羊笙のはからいだった。

 酷い偏見であって、余計なお世話である。


 鳥樺だって綺麗なもの可愛いものは嫌いじゃないが、これはなにか違った。

 こういう華美なものよりももう少し落ち着いた空気感が好みだ。


 ただ、挂毯に関してはかなり気に入った。

 そこだけは趣味が合うらしい。


 ここ数日は、とくに何もない日ばかりである。西都の雰囲気にも慣れてきて、贅沢な暮らしにかなり寛いでいた。


 朝餉(アサゲ)の時間までまだ時間もある。

 少し寝ようと柔らかな寝台に飛び込もうとしたとき、戸を叩く音が部屋に響いた。


(誰だよ、こんな早朝に)


 鳥樺はすこし腹を立てながらも軽く身嗜みを整える。

 汗臭いので湯浴みしたいが、そんな時間もない。


 仕方がなく、羊笙からもらった練り香水をつける。


 羊笙に貰ったのは女無天(ミント)という栄鴉の植物の香りの珍しい品らしいが、癖が強くてあまり好みじゃなかった。

 だが、せめて西都ではそれを付けてないと失礼に当たるだろう。


 ちらかった部屋をたったの数秒で整理し終え扉を開ける。


「なんでしょうか」

「音繰の部下、李恭(リキョウ)と申します」


 鳥樺が面倒くさい気持ちを隠す気もなく(ダル)そうに問うと、李恭という、見たことのない男が恭しく頭を下げた。

 鳥樺は眠気も相まって混乱する。


 たしか、初めて羊笙に会ったときに護衛でいた官だ。

 武官なのだろうが、なぜ元武官とはいえ現在は文官の音繰の下にいるのだろうか。


 それに音繰は西都に来てから間もないと言っていたが、“後輩”ではなく、“部下”を持つほど既に位が高いらしい。

 西都の政治も昇級制度も知らないのでどうこう言える訳では無いが、新入りというものは基本、最下層からの始まるのではないのだろうか。

 後輩はできても、部下ができるほどの地位にまで登るのは時間がかかるはずだ。


 だが鳥樺は人の経歴になど興味はない。

 必要がない限りは知ろうとすることもない。

 重要性があるならまだしも、知人の知人に当たる男の名を覚える必要はないだろう。


 李恭、という名も忘れるだろう。

 一応念のため李武官と覚えることにする。


「どのような要件ですか?」

「羊笙さまから、呼び出しを仰せつかっております」


(こんな早朝になんのようだ)


 鳥樺は苛立ちながらも平静を装う。


 李武官は悪くない。

 むしろ、朝からこき使われて可哀想である。


 羊笙も、鳥樺に衣食住を提供してくれているいい人である。

 この程度では文句は言えまい。


「少々お待ち下さい」


 鳥樺は大きくため息を付きたいのを我慢して、軽く支度をして部屋を出た。



●●●



「すまないな、こんな早朝に」


(なら呼ぶなよ)


 鳥樺は舌打ちしたいところを抑えて平静を装い、誤魔化すように口角を上げる。

 李武官は護衛に残ること無くその間にさっさと部屋を出ていった。

 ずるい話である。


「なにか言ったか?」

「いえ何もございません」


 鳥樺は抑揚のない声調で否定する。

 声に出ていたかもしれない。

 気をつけなければ。


 朝からかの天女のご尊顔を拝めることができるのは幸運だろう。

 男だと思うと、神聖さが八割失われてしまっているような気もするが。

 それでも本来は嬉しすぎる話であるはずだ。


 やはり気分が声に表れていたのか、それとも別件か、羊笙は不服そうな表情を見せる。


「どうなさいました?」

「ああ、いや。こんな早朝から香をつけて、お前は一体何をしていたんだ?」


 探るような目線。


 間者(スパイ)か何かにでも疑われているのだろうか。

 だがしかし、残念ながら鳥樺は間者などという立派なお役目は無く、単なる遊牧民の娘である。

 間者なんて恐ろしい仕事はしたくない。


 疑われているのも気に食わないが、羊笙の立場上、疑わざる終えないだろう。

 鳥樺も自分自身の怪しさは十分理解している。

 傍から見れば単なる遊牧民には見えないだろう。


 だからこそ、ここ数日はおとなしくしていた。

 鳥樺は間者ではない。

 口で言ったところで疑いが晴れるわけがない。


 羊笙に従い協力して、行動で示すしかないのだ。

 今も嘘をついたところで損しか無いので、誠実かつ正直に答える。


「舞の練習ですよ」


 なぜ舞の練習かといえば、火浣布を披露する西都の宴、そしてもうすぐ行われるであろう遊牧民の祭事に向けてである。


「そうか」


 羊笙は天上の笑みを浮かべた。


(これで誤魔化せるとでも思っているのだろうか?)


 疑われていたのはもう分かっているし、仕方のないことだ。

 疑いが晴れたとも思っていない。


 普通の者に対しては誤魔化せるだろうが、鳥樺も同じ方法で事を誤魔化すがために、鳥樺自身も誤魔化されることはない。

 舐められたものだ。


「それで、何のようですか?」

「ああ、面白い話を持ってきた」


 怪しい。

 まだ探りを入れてくるつもりだろうか。


 余計なことを言ってしまう自信がある。

 絶対に面白くない。

 いや、面白いかもしれないが、絶対に罠である。

 よって、白を切る作戦に出る。


「まあ、それは面白い話ですね」

「まだ何も言っていないだろう」


 羊笙は口をとがらせるが、仕方がないのだ。

 鳥樺としては身の安全のためにもはやく部屋に戻りたい。


 駐在武官の件で分かったことだが、貴人の社会は思ったより怖いものだ。

 一つのなにげない出来事や言葉に信じられない程深い思惑が含まれている。

 そんなことをいちいち考えていてはろくに話も動くのもできない。


 できればもうこれ以上関わりたくないものだ。


 知らぬが仏。

 さっさと特使に火浣布を見せて、草原に帰りたい。


「是非とも、お前に聞いてもらいたい話が――」

「ああ、今日は暑くなりそうですね」

「おい」


 羊笙は(ガン)を飛ばすように美しい笑みを浮かべた。


 この男は腹の中に蛇を飼っているに違いない。

 蛇は周囲に同化するように身を隠し、または獲物が他に気を散らしているうちにそっと近寄り、獲物側は食われるまで隣に迫った蛇の存在にも気づかない。


 そうして蛇は時に鷹をも丸飲みにする。


 羊笙はその笑みで一体何人食ってきたのだろう。


 鳥樺は後ずさり、部屋を退出しようとしたが時すでに遅し。


 羊笙は勝手に語りだす。

 羊笙に語りだされては無闇に退出できない。


「今朝に中央の知人から早馬で来た話だ。宴より葡萄酒を飲んだところ、多くの者が体調不良を訴えたそうだ」

「葡萄酒が腐っていたのか毒でも入れられたのでしょう」


 鳥樺は早口で答え、話を終わらせようとする。

 しかし羊笙はとまらない。


 空に君臨する鷹も、地に落ちれば蛇よりも遅い獲物だ。


「葡萄酒はすべて未開封、盃は銀製だが変化もなく、毒見役が飲んでも異常はなかった。だから呪いと騒がれているそうだ」


(呪い?)


 鳥樺は微かに反応して身を止めた。


 羊笙は当然それを見逃さない。

 小馬鹿にするように目を細めてにやりと笑うと、鳥樺に詰め寄る。


「なんだ、興味なかったんじゃないのか?」

「・・・聞くだけです」


 興味を持ってしまったのだから仕方がない。

 つい先ほどまでは何としてでも帰る気でいたというのに、これである。

 鳥樺の悪い癖だ。


 鳥樺は自分に呆れるしかなかった。


 気を抜かなければ、蛇もそう簡単に鷹は襲わない。


 女無天(ミント)の香を付けていてよかった。

 癖のある苦手な匂いが鳥樺の目を覚ます。


 刺激あるその香りがあるかぎり、蛇の存在は忘れないでいられよう。

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