暗躍
羊笙は軽く咳をしながら栄鴉関連の資料に目を通す。
それと同時に音繰から駐在武官長の死についての報告を聞いていた。
と言っても、聞き流しているだけだ。
話される内容は想定通りでしっかり聞くつもりもない、はずだった。
「鳥樺が解決させました」
「・・・鳥樺?誰だ、それは?」
聞いたことがあるような名前に反射的に反応する。
「今朝会っていたではありませんか」
「・・・ああ、あの娘か。神の民の巫女だな」
既に記憶から消えかけていた娘の名が脳裏に浮かぶ。
たしか、翡翠の瞳が特徴的な鷹揚な娘だった。
眼の色と“巫女”という名で覚えていたから、名前だけを聞いても分からなかった。
やはり他人を覚えるのは難しい。
「はい。駐在武官の死因は後天性に発病した过敏だと言うことです。人によっては食べると毒になる食べ物があるようです。事実かは分かりませんが、これから医官による検査が入りますので、そのうち分かるかと」
「そうか」
过敏といったら、数年前に栄鴉で発見され命名された病だ。
後天性で発病する場合がある。
まだ蓉国内世間には広まっていない。
なぜ鳥樺が知っているのだろうか。
短時間でこの事件をよく纏めたなと感心する。
さすが中央宮仕えで長い経験のある音繰である。
しかし、たかが遊牧民の娘がこの複雑な事件を解決させたというのは驚くべきことだ。
神の民のことを調べる手間を省くためにわざわざ音繰に同行させたのだが、実にいい情報が沢山手に入った。
今はそこまで詳しく聞けないが、後でまた聞かねばならない。
「ご苦労、持ち場にもどれ」
「はっ」
音繰が部屋を出たのを確認し、羊笙は椅子にもたれながらふう、とゆっくり息を吐いた。
やはり駐在武官長は死んだ。
音繰が部屋を出て入れ違いに、覆面をした中年の男が来る。
羊笙は咳をしながら資料に視線を落としたままだ。
「相変わらずの無愛想ですな。いらぬ恨みを買いますぞ。まあ、貴方さまならば当然の権利でしょうがねぇ」
羊笙は男に気づくと一瞬睨みを利かせ、顔を上げて美しくにこりと笑う。
「あまりにも静かで気が付きませんでした。無愛想だなんて言われるのは初めてですよ。我ながら私は人当たりがいいと自負してるんですから。それに、何を思っているのかは知りませんが、私はただの領主の副官ですよ、猛然殿。
ああ、そうだ、漢殿と呼びましょうか。なにせ、"猛然”は死んだことになっているのですから」
羊笙の含んだ言葉に、漢はなにやら疲れたようにため息をついた。
「はあ、どの口が・・・結局貴方の言う通り、駐在武官長の猛然は死んだ、いえ、殺されたのですね。で、ことが終わるまで私は隠居しろと」
「死んだわけではありませんよ。結果次第では、元に戻れますし。隠居の際はくれぐれも、表には顔を出さぬようにお願いしますね。余計な詮索もせぬように」
羊笙は目を細めて漢を見つめる。
漢は皮肉な笑みを浮かべて力なく笑った。
「はは、分かっておりますよ。変な好奇心を持った私の原因です。私は長生きしたいのでね。こんなことしなくても私は貴方様が危惧するようなことは致しませんよ。と、言ったところで、貴方さまはそう簡単には信用してくださりませんか。仕方がないので、部屋で碁や将棋でもしておきます。もしお暇ならば、たまには相手してくださいな」
羊笙に暇なんかないことも、羊笙は人付き合いが嫌いであることも、羊笙が誘いを断れないことも知っておきながら、あえてこうして面倒な絡み方をしてくる。
本当に面倒臭い男だ、と思いながらも羊笙は笑みを絶やさず頷く。
これでも西都でも一二を争うほどに頭の切れる天才なのだ。
「ははは、貴方相手となると、私でも勝てませんよ」
「私でも、とは、相変わらずですな。勝敗は五分五分といったところではありませんか?」
漢は長椅子に座って懐から将棋駒を取り出し、長椅子の前にある将棋盤が置かれた机に並べる。
人の部屋で遊んで帰る気らしい。
嫌がらせも甚だしい。
「おや、お忙しい?やりませんか?」
羊笙の眉間に微かなしわがよる。
いちいち腹の立つ言い方だ。
こちらの反応を楽しんでいる。
「・・・ではお手柔らかに」
羊笙は表情筋を固定して咳き込みながら漢の向かいに座る。
羊笙は基本笑っていれば何でも誤魔化せることを知っている。
我ながら便利な顔だ。
漢より、ぱちんと最初の一手が放たれる。
駐在武官長は殺される。
そのことは外交官が死んで、栄鴉と繋がりのある男が代わりに来た地点で羊笙はすでに予想していた。
だからわざわざ、猛然に似た体格の罪人を駐在武官長の身代わりとして配置した。
相手の動きを見て落花生の过敏による殺人を予想。
しかしそれでは時間がかかるうえに、発病するのはいつかもわからずそもそも発病しないかもしれない。
完全なる運であった。
だから身代わりの男が牛肉の过敏を持っているのは確認済みであったことから、牛肉を食べさせて殺し、栄鴉から見れば後天性に落花生の过敏を発生させて殺したと錯覚さることにした。
そのうえ発見者を羊笙の手の者にして、覆面も被らせることで死体の顔を誰にも見せないように細工し、あえて野次馬を全て栄鴉の人間にしていたのだ。
身代りは殺されてくれた。
野次馬たちはきっと、喜々と特使に駐在武官長は死んだ、と伝え、栄鴉の特使は駐在武官長は殺したものだと思い込む。
これでもし、次期駐在武官長が栄鴉と関わりのある人間ならば、栄鴉はほぼ間違いなく黒である。
そうなれば羊笙の予想も絞れてくる。
栄鴉の思惑は何なのか。
西都の政事に干渉したいのか、自国が有利になるようにしたいのか、それとも更に大きななにかがあるのか。
未だ読めないが、こちら側の人間に対する明確な殺意が見えるのは確かなことだ。
火種は消しておくに越したことはない。
それに、今回の事件を企ててくれた人間には感謝するところもあるのだ。
おかげさまで、猛然を拘束することに成功したのだから。
猛然は知らなくて良いことを知ってしまった。
私情ながら、拘束するしかなかったのだ。
そこでちょうどいい事件があったので利用できた。
だから、事件を企てた黒幕には敬意を持って沈めさせてもらうつもりだ。
今のところ、ほぼ計算通りだ。
急遽神の民の調査の依頼が入り、その時はどうしようかと考えたが、あれは使える。
神の民の巫女を音繰に同行させたことで神の民の巫女の知恵をどれほどか知ることもできた。
だがそれは誤算もある。
間者である可能性もある遊牧民の巫女が事件に対してどう出るのかを見るために同行させたのに、まさか解決させるとは思ってもいなかった。
过敏の存在を知っていることがまず問題だ。
普通は知らないはずだ。
しかも後天性の过敏を利用したことまで気づいたという。
それを易々と解決させて、そのうえ、面白みがないとまで言ってのけたという。
誰が予想できただろうか。
知識があっても、現場では案外思い出せずに役に立たない。
多くの人間がそれだ。
だが、その巫女はそうではないらしい。
行動力、知識量、発想力、思慮深さ、それらは評価に値する。
栄鴉は性格が悪いらしく、一見毒殺と思い込ませることで、後から浮上する过敏による事故の可能性に信憑性をもたせて、まさか殺人である可能性を忘れさせる。
卑屈で狡猾な殺り方だ。
杞憂かもしれないが、巫女は駐在武官が事故死ではないことに気がついている可能性も出来てしまった。
なんなら、死んだのが猛然ですらないことにまで気づいているかもしれない。
それは大きな誤算から生まれた失態だ。
鳥樺という巫女は栄鴉よりの地域に住む娘で、外見も栄鴉の血が伺えた。
そもそも間者である可能性も大いに考えられる。
何なら今回の件で間者である可能性は更に深まった。
もし鳥樺が特使に余計なことを言えば、聡い栄鴉の特使ならば駐在武官長の死を怪しむだろう。
鳥樺の動きが鍵である。
もし本当に栄鴉の手足となっているのならば手遅れだ。
なにも気づいていないことを祈るしかない。
口止め料は大量に、しかしそれも気休め程度にしかならない。
(巻き込むか)
殺すのが手っ取り早い。
だが、鳥樺の知恵も立場も使い勝手はいい。
ならもう泳がせて裏切れない立場にすればいい。
鳥樺は神の民の巫女であり、知識も十分で頭もきれるようだ。
利用価値は十分に高い。
どんな計画を立てるのにも知識が必要だ。
その点でも鳥樺は役に立ちそうである。
間者であろうとそうでなかろうと、こちら側に取り込んでみせる。
強い駒は増やすのに越したことはない。
多少歩を失ったところで、炮が一つ手に入るならそれでもいい。
「ほう、そうきますか、大胆ですな。さすが羊の者」
「そうですかね?」
羊笙は我儘で、駒に対して貪欲なのだ。
羊笙は漢の放った痛い一手に頭を抱える。
手加減する気を感じない。
炮が取られて怒っているらしい。
羊笙はいつも通り咳を鳴らしながら、また一手を打った。