西都
鳥樺はその日のうちに支度を済ませた。
鳥樺が数日いなくなるのは珍しくない。
催事に間に合えばそれでいいし、その催事もひと月先である。
そのうえ鳥樺たちには鳥がいるため、いつでも連絡は可能だ。
そんなことより今は初めて西都に行けるという事実のほうが鳥樺のとっては重要で、うれしいこと限りない話だ。
「馬に乗っていきましょう」
馬が一番早い。
鳥樺は小屋から出した馬に飛び乗る。
この馬はよく懐いていて足も速い。
音繰の馬も用意した。
音繰は歩いてきたので馬を貸すしかないが、どうにかして返してもらう予定だ。
当然のことながら馬も立派な財産である。
だが、音繰は馬を前にして固まっていた。
「どうしました?」
「昨日は疲れで気づかなかったが、この地域では女も馬に乗っているのか」
「そりゃ乗りますよ。中央や西都では珍しいかもしれませんが、草原では馬に乗れなくてはいざというときに生きていけませんから。目立つというなら、一緒に乗りますか?」
一緒に乗れば目立つまい。
鳥樺はこの地域では珍しくかなり小柄なほうだ。大柄な音繰なら簡単に隠せよう。
「いや、馬に乗るのは自由だが、顔は隠しておけ」
音繰は慣れた手つきで馬に飛び乗り、面紗を鳥樺に投げた。
それは見事な絹製だった。
――――――――――――
(ほええぇ――)
西都というのは初めて来たが、あまりの迫力に目が回る。
こんなに人がいるのを見るのは初めてだ。
西都とは、その名の通り、西の都。
西側の隣国”栄鴉”、北側の属国”亜北”に加え、南の港を通して、栄鴉よりも西の”哥淑”といった国々との交易で栄える、中央の都に次ぐ大都市だ。
西の中でも北寄りの草原よりも砂漠に近い南寄りだが水も豊富で、小帆一隻が通れるほどの幅を持つ河まで流れている。
河の裾では椰子や広葉樹が数本生えている。
砂を固めた煉瓦をつんで作るここらの伝統的な建物だけではなく、水が少ないがゆえに贅沢であるはずの木を使った木造建築や、哥淑あたりの技術なのか、どのようにして作ったのか見当もつかぬ精巧な石煉瓦を巧妙に積んで建てられた石造建築といった、多種多様な建物があちこちにみられる。
大通りでは露店が立ち並び、見たこともないような商品があちらこちらで売られている。
好奇心がくすぐられる。
例の栄鴉の特使が来るのが近いからか、それとも普段と変わらないのかは分からないが、服装や髪肌瞳の色から、栄鴉の者だと思われる人間が若干多い気もする。
といっても、鳥樺は哥淑の人間を見たことがないので割合的なことは正確的には分からないが、亜北の人間は全体的に人は少ないらしい。
とにかく街は賑やか華やかで、活気で満ちていた。
鳥樺だって、それなりの人口の郊外の村になら訪れたことがあるが、活気が違う。
迫力が違う。
規模が違う。
数が違う。
常識が違う。
すべてが違う。
鳥樺とて年頃の娘だ。
露店に興味がないわけない。
金はなくとも、見るだけで満足だ。
それに実は、こういうこともあろうかと鳥樺の隠していた貯金がある。
服が一着買えるぐらいの量はあった。
(さっそくなにかを・・・!)
鳥樺の普段の落ち着きはどこかへ消え失せ、極度の興奮状態になっていた。
残念なことに、田舎者の鳥樺は都会慣れしていなかった。
人に酔った鳥樺は人ごみに流されながらも浮足で露店に向かうが、音繰に襟を捕まれなんとか留まる。
「破廉恥ですよ。人の服の襟をつかむのは」
(服が剥けてしまうだろう)
蓉の西方の人間は外国の血が多いせいか、背丈がある。
女性も中央の都に比べてもかなり発育がいいらしい。
しかし鳥樺は例外なようで、背も小さく、そのほかも、悪いわけではないが他と比べれば何かと小さい。
そのため服の大きさも合っておらず、いつも若干大きいのをぶかっと着ている。
だから余計小さく見えるし、何より引っ張られると脱げやすいのだ。
音繰の粗暴によって我に返った鳥樺は乱れた襟を直しつつ音繰を睨む。
音繰は呆れつつ鳥樺を一瞥して、そして鼻で笑った。
(こいつ、礼儀と遠慮がなくなってきてないか?!)
まだあって二日だ。
失礼にもほどがある。
鳥樺は一応客人なのだが。
「浮ついたお前が悪いな。そんなことより先に俺の上司に会ってもらうぞ」
「・・・」
抗議も軽くいなされた鳥樺は抗うすべもなく、今度は服の袖を捕まれてずりずりと引きずられるように大通りの先の丘の上の屋敷に連行された。
――――――――――
先ほどよりはましなもののまたもや乱れた服を直しながらあたりを見回す。
広くしっかりとした建物にひたすら感嘆を覚えながらも、音繰に続いて外交用の笑顔を浮かべながら堂々と歩く。
音繰に引っ張られて行った先は、青々とした木が所々に生えた、いわば上流階級の人々の区間だった。
その中でもひと際大きい建物の中が、今鳥樺らが歩いているところである。
価値も基準も分からない鳥樺でも、置かれているもの一つ一つが大変高級であることが理解できる。
たったひとつの調度品でも、鳥樺が真面目に一生働いて金を貯めても買えるか分からない。
廊下を歩いていくと何人かにすれ違ったが、皆音繰を見ると軽く頭を下げるので音繰の位の高さが伺えた。
ついていていくがままに長い廊下を進み、ようやく目当てのところにたどり着く。
どうやらこの扉の先に音繰の上司というお偉い方がいるらしい。
しかし、その部屋からは咳の音がかすかに聞こえた。
病人なのかもしれない。
そしてその病を治せ、と言われるのかもしれない。
聞いている要件はそれではないので、病を治せと言われることはないと祈るしかない。
病を治せと言われても、無理なものは無理である。
仮に可能としても、病を治すにも時間がかかる。
瞬間的な治癒を求めるならそれは鳥樺にはできない。
そういう依頼なら断っている。
「失礼します」
いろいろと妄想している間に、音繰が部屋の戸を開けた。
強すぎないほど良い香が香る部屋で鳥樺を迎えたのは、恐ろしいまでの美人だった。
天女というのが正しいか。
絵巻物からそのまま出てきたかのような美しさと神々しさ。
しかし耐えなく咳をして辛そうであった。
日の下に出ていないのか肌は真っ白で血色もよくない。
移る病の咳ではなさそうである。
もし遊牧一族なんかで産まれれば間違いなく足手まといとなり捨てられそうなか弱さを感じる。
生まれたての子羊のようだ。
そんな貴人はまるでこちらを見ようとしない。
上質な紙に書かれた資料か何かを呼んでいた。
(感じ悪いな)
無視されているのかと腹が立ったが、音繰の咳払いに驚いたらしく持っていた資料すべてを床に落としたことから、ただ単に気づいてなかったことが理解できた。
だからといって客人を無下にしたことに変わりはないが。
相手は貴人で鳥樺は庶民だ。
仕方あるまいし、突っ込むものでもない。
「音繰、帰ったのか」
「ええ、帰っていました」
音繰は過去形を強調する。
美人は資料を拾いながら、悪かったな、と不貞腐れたような目線を向けると、また咳をする。
「羊笙さま、体調も優れないようですし、少しお休みになってはいかがです?」
「必要ない。これくらいよくあることだし、仕事も終わってないし。それより、神の民はどうなった?」
激しい息切れを整え、羊笙と呼ばれた美人はふわりと笑って見た目に見合う美しい声を発した。
絹髪は一つの軽い三つ編みにまとめて流している。
服も普通の官服ながら、質の良さが伺えた。
顔立ちはほぼ女で、体つきも肉のないやせた女だが、音繰の上司となれば西都の副官。
蓉において、重要な官職持ちが女であるとは考えにくい。
だが、男でよかっただろう。
女であれば今頃国が傾いていたかもしれない。
羊笙は温かくなっているであろう水を飲みながら鳥樺を一瞥する。
「お前が神の民の巫女か」
「はい」
鳥樺はぱっと頭を下げ、慌てることなく答えてみせる。
実際はそれなりに緊張しているのだが、虚栄を張るのは得意だ。
それに度胸だけは人一倍ある自信がある。
羊笙はそんな鳥樺に感心したのか、ほう、と声を漏らして興味深そうに切れ長の美しい目で鳥樺を見据えた。
「神の民の巫女の話は聞いている。あらゆる奇跡を生むそうだな」
「滅相もありません」
神の民はやはり鳥樺の部族を示しているようだが、草原では鳥の一族と呼ばれる。
なにがどうねじれて神の民なんて大層な名になったんだろうか。
(変な誤解が生まれていないといいが)
そんなことを考えていると、音繰に肘でつつかれる。
話を聞けとのことらしい。
「それで、巫女のお前は火浣布があると思うか?」
羊笙はふわりと微笑み、垂れた前髪の隙間から上目遣いで鳥樺を見る。
まさしく女神のようだ。
所作の一つ一つ、いちいち面倒くさいほどに魅惑をまき散らしてくる。
(本当に男だろうか?)
鳥樺が性別を疑う一方で音繰のやや後ろに立つ護衛は天を仰いだ。
鳥樺にはまったくもって問題ないが、やはり羊笙の顔の破壊力はかなりのものらしい。
耐えている護衛はすごいだろう。
音繰は慣れているのか反応はないが、普通の男なら理性が飛びかねない。
(顔いいのは得だよなぁ)
鳥樺もそれなりなのだが、鳥樺は童顔で肉も少なく背も小さすぎる。
この地域で美人だといわれるのは上背があって大人びた発育のいい女性だ。
気を取り直して、羊笙の質問に答える。
「半分は存在するといえるでしょう」
「そうか。その前に、李恭、席を外してくれ」
「え、しかし・・・」
「さあ、はやく」
羊笙はあまり聞かれたくないらしく、護衛を追い出す。
李恭と呼ばれた護衛は心なしかしょんぼりしながら部屋を出る。
音繰も鳥樺のもとには変装をしてきたのだ、極力周りには知られたくなさそうだ。
鳥樺としても貴重な知識はあまり周りに教えたくない。
漢三人うち一人は傾国美人とはいえ、漢三人に囲まれるのは怖いとまではいかなくとも暑苦しいし居心地もいいわけではなかった。
李恭には悪いがちょうどよかった。
「それで、半分とはどういうことだ?」
「火浣布は実在しません。しかし、火浣布に準するものならば実在します」
火浣布。
火鼠の皮衣。
それは実在しない代物で、要求するというのは、無茶ぶりも甚だしい。
だがしかし、それらを実現させるのが鳥樺の仕事で、得意分野だ。
「お任せください」
(久々に面白い話だ)
心が躍る。
鳥樺は気持ちを切り替え、ふわりと笑ってみせた。