特使
「楼楠様御一行が参られました」
(火を炊かなければ)
空もとうに闇に堕ちた頃に来たその知らせで、鳥樺は潔く起き上がると、寝間着を解いて身支度を始めた。
碌な服も飾りもないと思っていたが、西都で買った新品があったのは運が良かった。
淡い赤色だが派手ではなく丁度よいくらいの娘衣装を身に纏い、買った練り香水を首元と袖口に軽く塗り、羊笙に貰った長簪で簡単に髪を結った。
遊牧民の一端なのだから汚いのは仕方がないことだが、それでもできる限り身だしなみは整える。
鳥樺は何度も身だしなみを確認すると、天幕を出て客人等の方へ向かう。
丁度客人用の天幕から鳥赦が出てくる。挨拶を終えたらしい。鳥樺も様子を窺いつつ入れ違いで入室する。
(ここまで綺麗に蒼を着こなせる女性はいるのか?)
楼楠の金髪碧眼は、深い藍色の衣装を派手に着こなしていた。
「お久しゅうございます、楼楠様。お食事は如何でしょうか?」
「あら、まあ。ありがとう。お願いするわ。ごめんなさいね、こんな夜更けに」
「滅相もございません」
鳥樺は頭をあげないようにして身を引く。
しかし、楼楠は鳥樺をすぐに帰す気はなかったらしい。
「久しぶりね。いつぶりかしら?」
楼楠は明るく微笑んだ。若く美しく見えるが、確かこれで三十路なのである。驚きだ。
「十一年ぶりです」
「あら、まあ、覚えているの?確か貴方は七歳だったわね。私のことなんて忘れていると思っていたのだけど、記憶力が良いのね」
「恐縮です」
栄鴉から西都までは砂漠を通るほうが近いが、その分過酷となるため、安全策をとって迂回する形で草原を横断するのだ。それでも長い草原をより安全健康に超えるため、通り道にある村に寄って数日間滞在する。
栄鴉と蓉の交流は毎年行われる。蓉から栄鴉へ特使が送られ、翌年は栄鴉から蓉へ送られ、そのまだ翌年にはまた蓉から栄鴉へ特使を送られる、といった繰り返しだ。
鳥樺の部族に特使が滞在したのは十一年前。
それからは他の一族が特使を受け入れていたが、今年は鳥樺らの村が通り道に近かったらしい。
鳥樺は己の記憶力は自負している。
十一年前の記憶どころか生まれた瞬間からの記憶が朧気ながらにあるのである。今は忘れていても、思い出そうと思えば大体は思い出せる。
楼楠の金髪や蒼眼といった独特の見た目は、鳥樺には初めてで衝撃であり、よく覚えていた。
「でも貴方、西都の宴に居なかった?」
「人違いではないですか?私のような下賎な身の者が、そのような高貴な催事に出れるわけもありません」
鳥樺は動揺を見せず笑って誤魔化す。流石特使、よく見ている。
宴の際は湯浴みをして化粧をし、背をかさ増しさせる底の厚い靴を履いていた。今の汚れた鳥樺とは並べてみるくらいしなければ同一人物であることもさすがに分からないだろうと思っていた。
このまま、勘違いで解釈してもらいたいが、それは都合が良すぎるだろうか。鳥樺の周りはすべて口止めしているし、鳥樺の周りは口が固く真面目なものが多いので大丈夫だと信じたい。
「そうね、居るわけないわね。ごめんなさいね」
「とんでもございません。では失礼します」
楼楠は人を油断させるのが上手いらしい。楼楠の緩い笑顔や話し方では、つい気が抜ける。生まれ持った人格だろう。
「もう戻るの?もう少しお話しましょう?」
楼楠は鋭い目をした笑顔で鳥樺を引き止めた。
鳥樺は内心身構える。
「深い意味はないわ。一人のご飯は寂しいから、お話相手になって頂戴」
「・・・私で宜しいのでしたら。ひとまず、食事の手配をしますので」
鳥樺はとりあえず食事を取りに行くことにして天幕を出る。
(何が目的だ?)
先日まで滞在していた西都で知った外交官、駐在武官の死はどうもきな臭かった。
あくまで憶測に過ぎない話であるが、あれは栄鴉側の思惑が絡んでいるのではないだろうか。
この時期の外交官の類の死というのは、栄鴉にとって都合がいい可能性が高い。
西都の主要な外交官がいなくなるというのは、蓉の外交面での前衛が弱ることを意味する。羊笙らの動きを見ていればなんとなく分かるが、中央から大きく離れた西都では、直ぐに代わりの外交官をというのも難しい可能性がある。栄鴉にとっては蓉が大国故の大きな隙であり、好都合なことだろう。
毎年交互に互いの地で、両国の外交官が話し合うのだが、蓉側で行う直前に重要な外交官の死。疑うなと言うほうが難しいくらいだ。
鳥樺が食事を持っていくと、楼楠は神に祈りを捧げてから食べ始める。
鳥樺たちが風の神を信仰するように、彼女もまた女神を信仰している。女神を信仰する人々はこのように、食事の際に祈りを捧げる。
食事を取り始めて暫くして、楼楠が口を開く。
「そう言えば、栄鴉と蓉の間に、とても厳しい検問が置かれていた時期があったの。十年ほど前かしらね。知ってる?」
「ええ、父から聞き及んでおります。それ以来、栄鴉と蓉の交易は制限が厳しくなった、と」
現在、蓉と栄鴉間の交易は盛んに見えるが、それこそ二十年前と比べれば随分と制限されているらしい。
検問は緩和されたとはいえ現在も残っているし、輸入品に対する関税も昔に比べれば上がっているそうだ。
(それがなんなんだ?)
鳥樺は訝しんで身を引く。
「なんでも、蓉の大罪人が姿を消したらしいわ。西都で拘束されていたのが逃げたみたいで、白の一族は中央からの要請もあってそれに対してかなり厳しい検問を設けていたわ。それでもね、その大罪人が検問に引っかかることはなかった。それらの理由で今でも貿易は制限されているのよ」
普通に有益な話に聞こえた。
知識は力。情報知識で生きる鳥樺にとって新しい知識はとても貴重で大切なことであった。
それにしても、検問に引っかからないとは不思議な話であるが、そもそも栄鴉に逃げたとは限らない。西都で息を潜めて、機会を見て北や南に逃げられる。蓉の国は広大なのだから。
だが、話しぶりからすると栄鴉に逃げた確信はありそうだ。
どう逃げたか、気になるところではあるが、そこは踏み込まぬほうが良さげだろう。
「私はねぇ、交易は自由であるべきだと思うのよ。交易がこうも制限されると、私は欲しいものが手に入らないし、貴方達だって欲しいものが手に入らないでしょう?」
その瞬間、穏やかな笑顔の裏に激しい憎悪のようなものがあるように感じられたが、気のせいだろうか。
貿易が制限されたのはその大罪人のせいだとしたら、自由貿易を求める楼楠にとってはその大罪人は許しがたいものなのかもしれない。
商人でもない鳥樺からすれば、自由貿易と保護貿易の差は正直よくわからないしどうでもよい。商人がたまに来て、麦や肉をいつも通り買ってくれさえすれば、それで良い。だからあえて反応しない。
「これから、季節が回り始めるわ。右も左も分からないような荒れる時代が来るかもしれない。だから、私はあなたにこれを渡すわ。受け取ってくれるかしら?」
楼楠は薄く微笑むと、鳥樺の手に簪を握らせた。
何をしようとしているかは分からない。だが、確かな決意と不安を感じた。
鳥樺は簪を見つめた。蒼い宝石のついた高価な簪を。
勧誘だろう。部下か侍女への勧誘。それこそ、間者にならないかという誘いだ。
信じがたいが、眼の前には確かな簪。この蒼い宝石は間違いなく本物で、鳥樺の一年分の稼ぎを上げても買えない代物に違いない。
これを頭に挿せば、了承。
腰元に挿せば、拒否となる。
鳥樺は間を開けた末、簪を腰元に挿した。
鳥樺は草原の民である。草原の中和を守る巫女だ。
楼楠は残念そうであるが、鳥樺の頭元を見て、納得したようなため息を付く。
「はあ、そうなのね。貴方にはもう飼主がいるのね。分かったわ。ごめんなさいね、忘れて頂戴」
楼楠はそれだけ言うとまた粥を食べ始める。
(終わったのか?)
鳥樺は少しずつ入口まで下がっていく。
楼楠が何をするのか。それは分からない。しかしあの目は、何か大切なものを守る決意の目だった。先日の、明普も似た目をしていた。
楼楠は何を守ろうとしているのだろうか。鳥樺には分からない。しかし唯一言えることがある。
「楼楠さま、私はこの一族、この国が大切です。何かあれば命をかけて守るでしょう。たとえ、親を裏切り、恨みを買うことになったとしても。ですから、貴方様の御心察し、心からの健闘をお祈りしております」
鳥樺は深々とそれだけ言って部屋を出る。
楼楠は目を見開く。
鳥樺はすぐさま天幕を出た。
その後、中から微かながら嗚咽が聞こえたような気もするが、きっと冷めた夜風の音だろう。
●●●
栄鴉の特使が滞在して数日。明日の早朝に一行は出発する。
「助かったわ。ありがとう」
「滅相もございません!大した持て成しもろくにできず、申し訳ありませんでした。一同、旅の大安をお祈りしております」
鳥赦は持ち前の社交性で、怖気づくこともなく丁寧ながら堅すぎない対応して見せる。
蓉では目下の者は如何なる時も指示なしでは動かないのが礼儀であるが、栄鴉ではむしろ逆で、命令なくとも気を利かせて動く者こそ出世してゆく。
栄鴉の文化的に、堅すぎる挨拶は相手に気を使わせる。
此度は鳥赦らが宿を貸す側であるため、相手もこちらにそれなりの誠意を払う。だからこちらもそれに応えなければならないわけで、蓉国風の対応は好ましくないのだ。
鳥赦はとっくにそのことを理解して、所作言動も敢えて栄鴉の形式に合わせている。そういう細かなところは、まだ鳥樺は未熟だ。
鳥樺は鳥赦が特使の天幕から出てきたのを見てから入れ違いで天幕に入る。
よく乾燥するこの地域では水瓶は大切だ。よって、新しく水瓶を持ってきたのだ。
「鳥樺」
「何でしょう?」
いつになく穏やかな楼楠は鳥樺を引き止める。先日残した言葉について何か言われると思ったが、どうやら違った。
「気をつけなさいね」
(はて?)
はっきり意味がわからないが、意味深である。
鳥樺は返答の仕方がわからないことの誤魔化しも含めて深々と頭を下げ、去りゆく特使を見送った。その姿に迷いはなく、国の名を背負った者のものに相応しかった。
●●●
特使が去り三日。朝が肌寒さから本格的な寒さに変わりつつある。そんな時、文が返ってきた。誰からかといえば、それは羊笙である。
内容は主に例の商人のことだった。
劉楼という名は北に多いこと。
州の境目に検問が設置されたこと。
他の州でも麦の流通は減っており、それ以外で目立ったことはないこと。
劉楼という商人や、大量の麦が検問を通った記録はまだ無いこと。
やはり西都の役場であるからして、情報は細かく多い。それに加えて羊笙は達筆なようで見やすいうえに、書き方も分かりやすいように工夫してくれていた。
(まだ検問にも引っかかっていないとは、意外だな)
鷹に商人を付けさせたことで、商人が西都に入ったのは分かった。
だが、それ以降の記録がない。西都を抜けて他の州に行こうも、検問があるはずで、そこで引っかかるはずなのだ。引っかからなかったとしても、何処の麦の流通量にも変化がないのも奇妙な点だろう。てっきり北の方に流れているものだと思っていた。
鳥樺は眉をひそめる。麦が何処かへ流れているのは事実だ。だが、肝心な何処へ流れているかが分からない。
これでは、麦が何処かへ消えていっているだけである。
鳥樺は顎に手を当て思考する。
(消えた麦、消えた商人―――消えた・・・)
鳥樺はその瞬間、栄鴉の特使、楼楠の話を思い出す。
―――昔、蓉の大罪人が姿を消したらしいわ―――
(消えた大罪人!)
たしか、その大罪人も、どういうわけか検問を掻い潜ったのだ。厳重な検問にも引っかかることなく国内から姿を消した。
楼楠はなぜ鳥樺にあの話をしたのか。十年前の出来事など、理由もなく出すことでもなかろう。西都で感じた栄鴉関連のきな臭さ。そしてあの意味ありげな言葉。
―――気をつけなさいね―――
何に気をつけるのか。それは未だにわからないが、少なくともその罪人のことは調べるべきな気がする。
麦の件は、栄鴉が絡んでいる。栄鴉の思惑が動いている。確かな証拠はないが、鳥樺の直感はそう言っていた。そして鳥樺の直感は当たる。
(あと少しで何かが繋がりそうなのに)
何かが足りない。
圧倒的な情報不足だろうか。それとも見逃しか。
どちらにせよ、羊笙には伝えるべきだろう。
栄鴉の特使が鳥樺の民族を訪れたことは、羊笙たちも知らないはずだ。特使の言葉も意味ありげであるうえに、特使の訪れがあとから分かって変な繋がりを疑われたくもない。
手遅れになる前に手は打ちたい。もしかしたら既に手遅れかもしれないが、それでもやれることはしたい。
鳥樺がそれだけする必要はない。これは羊笙たちの仕事だ。しかし、ここまで足を踏み入れてしまって、今更抜けという方が鳥樺にとっては難しい話だった。
それに、情報提供はうまく行けば報酬がもらえるかもしれない。
鳥樺は天幕を出て留守を昌鐙に伝えると、昌鐙の問い詰める声を聞く隙もなく、西都に向かって真っ直ぐ馬を走らせた。




