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放牧の姫  作者: オキ
西都編
22/28

祭事

馬頭琴の緩やかで力強い音色が草原に広がる。

 大きく焚かれた火は夜の闇に明かりを灯した。


 豊作を祝う祭事は夜から翌朝までの二日間行われる。

 神に羊頭を捧げ、その後食事が振る舞われるのだ。


「宴か」

「祭事です。今年の繁栄を祝い、神に感謝するとともに、来年の繁栄を祈ります」


 と言っても、祭事となるのはほんの一部で、祭事の翌日には村の若者の婚礼が行われるしきたりがあったりする。


 年に一度きりの大振る舞いなので、村人も一日目の祭事以降は羽目を外して食事などを楽しむのだ。


 巫女はこういう祭事には必須で、そこそこ有名な鳥樺は、鳥樺の部族と同じ神を祀っている部族などから声がかかる。


 本来、年に一度しか楽しめない豪勢な食事の振る舞われる祭事を、たった一月のうちに数回ほど楽しめる。


 無料というわけでなく仕事もあるわけで大変なのだが、美味しいものが食べられるのでいくらでも我慢できる。


 最近は定住を始めたことで祀る風の神の信仰を辞める部族も多いため、それに比例して仕事も減りつつある。

 だがこのように、定住をしても風の神を祀り、これまで通り祭事を行う部族もいる。


 鳥樺にとっては嬉しく、ありがたいものだ。


 鳥樺は、よく焼かれて塩で味付けされた羊肉を頬張る。

 この辺りの水は塩を含むことが多いので、塩も簡単に取れる。

 塩とは万能調味料。

 何でも美味しくなる。


 そんな事を考えていると、羊笙に蒸留し忘れた水を出してしまったことを思い出す。

 あれは悪いことをした、かもしれない。


 羊笙を見れば、案の定、水差しの水と睨みあっていた。

 水が飲みたいが、塩水かもしれないので飲めないのだろう。


「その水は塩水ではありません。こちらの酒はどうですか?」

「そ、そうか。酒は遠慮しておく」


 羊笙は酒入りの洋杯ではなく水入りの洋杯を手にとって恐る恐る口にする。

 どうやらこの前の塩水はかなりの衝撃だったらしい。

 悪いことをした。


「大丈夫ですか?」

「ああ」


 水を飲んだだけで疲れたように返事をする。


(相変わらず頼りない)


 やれやれと思いつつ、鳥樺はぱくぱくと肉を食べる。

 美味しいご飯は食べられるときに食べておくことだ。


「農民の宴はどうです?西都の宴ほどではありませんが」

「まあまあだな」


 そう答えてはいるが、心なしか、羊笙の声が高い。

 祭事の雰囲気を楽しんでくれているようだ。


 羊笙は宴には参加できないだろうから、農民の祭事もそれなりに楽しいのだろう。

 鳥樺だって、この宴は楽しいものだ。


 鳥樺は新たに手に取った串焼きを口に放り込む。


(あ、これは・・・)


 硬さと苦み、見た目の苦しさ。

 間違いなく、それが肉ではない例のものだとに気がつく。

 暗くて見えてなかった。

 肉だと思って食べたので驚いたが、これはこれで香ばしくて美味しいものだ。

 だが、そんなにたくさん食べられないもの。

 とくに、西都などの都市部の人間は食べられないに違いない。


 鳥樺に悪戯心が生まれた。

 にまりと笑って、羊笙にぬめりと近づく。


「羊笙さま羊笙さま、串焼き食べます?」

「なんだいきなり。怪しいな」

「怪しくないです。すごく美味しかったもので」


 羊笙は目を細めて鳥樺を見ながらも差し出された串焼きを手に取る。

 羊笙は宴を楽しんでいるのだ。

 浮かれた気分でそこまで怪しまずに食べてくれるに違いない。


(よし、食え!)


 高位の役人にそんな悪戯をするなど、本来断罪されても仕方がないが、羊笙に限ってそれはない。

 西都に滞在した間で、羊笙は寛大であることはある程度証明された。


 鳥樺の期待の眼差しが最高峰に達し、串焼きが羊笙の覆面の下から口に入りかけたが、その時、要らぬ横やりが入る。


 李武官が羊笙から串焼きを奪い取った。


「鳥樺さま、これは一体なんの串焼きですか?」

「ああ、李恭じゃないか」

「ちょっ!」


(余計な邪魔をっ)


 鳥樺は李武官を睨む。

 李武官は柄にもなく微笑むと鳥樺を見る。


「それで、これはなんなんです?」


 鳥樺はさっと顔をそらす。

 たらりと汗が頬を伝う。


 李武官を舐めていた。

 今まで主張がなく空気のような感じだったので、まさかこんなところで出てくるとは思っていなかった。

 李武官はしっかり仕事をしているらしい。


 よくよく考えれば、音繰が適当な奴をつけるわけがない。


「・・・(イナゴ)・・・です」

「蝗―――飛蝗(バッタ)か!?」


 羊笙が顎が外れそうなぐらいに口を開いて固まる。

 李武官も言葉を失う。


「飛蝗じゃありません。蝗です」

「飛蝗だろう!」

「蝗と飛蝗は全く違います。飛蝗は美味しくありません。一緒にしないでください」


 鳥樺は蝗を李武官から奪い取って口に放り込む。


 李武官は口元を手で覆って目をそらし、羊笙はおえっ、と下品な声を上げながら人外を見るような失礼な目で見てくる。


(本当に美味しいんだけど)


 見た目は確かにあれかもしれないが、小さな頃から食ってきた鳥樺に抵抗はない。

 不味いものでもなく、栄養価も高いのもまた事実だ。


「それで、お前はそれを私に食べさせようとしたのか」

「・・・栄養価が高いんです。羊笙さまにもっと筋肉をつけていただきたくて!」


 必死に言い訳したが、羊笙は怒りを通り越して呆れたらしく、長くため息を付いてどこかへ行ってしまった。


 水といい食べ物といい、鳥樺は全く反省していなかった。



●●●



 羊笙は天幕の中で目を覚ます。

 どうやら寝てしまっていたらしい。


 起き上がると酷い咳が出て止まらず、そのまままた仰向けに倒れる。


 羊笙は懐から薬を取り出して、なんとか半身起こして水とともに嚥下する。


 決して美味いわけではない人工的なような不味い甘みをほんのり感じる。

 もう十数年間飲み続けている。

 最初は奇妙な甘みに眉をひそめたが、さすがに慣れた。


 唯一私を見てくれた医者は薬の作り方を教えて、それを毎日飲めと言ったっきり姿を消し、それっきりどうなったかは分からない。

 今もつてを使って国中を探しているが、見当たらない。


 言う通り毎日飲んでいるが、飲んだあと少しだけ楽になるだけで、この体自体に効き目があるとは思えない。

 しかし、他にすがるものもなく、医者が言うことを聞くしかなかった。


 治らないではないか!


 そう罵倒を浴びせてやりたいのに、当の薬師本人は居ないし、罵声を上げるだけの体力も気力もない。


 それらの苛立ちを世話をしてくれる音繰に向けてしまい、最後には我に返って、唯一の救いとも言える存在であるはずの音繰に当たった罪悪感と、一向に治らぬ体への焦燥と恐怖と不安と諦めとが頭の中で飽和して、溢れる涙を抑えられずに泣く毎日。


 そして墜ちに墜ちれば最後、涙すらも出なくなる。


 もう散々で、何度も死のうとするも、常に付く()()のせいでそれも出来ない。

 今も天幕の前には李恭がいて、少しでも動けば駆けつけてくるだろう。


 音繰はそんな羊笙を見かねたのか、羊笙に代わって羊笙の伯父に頼み込み、領主の副官といった職を用意してくれた。


 この職は病弱であり世間についても何も知らない羊笙にとっては過酷であったが、仕事をするうちは病の辛さを忘れられた。

 悪いものではなかった。


 特に最近では、栄鴉の関係で忙しく、苦労も多いが気分も楽である。


 そして鳥樺という巫女がやって来て、羊笙の病は呪いではないと否定した。

 それは羊笙にとって救いであった。


 鳥樺は羊笙に塩水を渡したり飛蝗を食べさせようとしたりと失礼なやつだが、このような扱いをされたことがなかったがゆえ新鮮で、それなりに楽しかった。


 それだからか、少し体調がいい日が続いていた。


 それもあってか、久々の酷い咳はかなり体力が消耗された。

 実を言えば、気分も少し悪い。


 あの不味い薬のせいもあるだろうが、環境が変わったのもあるし、昨日少し食べすぎたせいなのかもしれない。

 

 羊笙は薬の味を無くすためにさらに水を飲み込むと、あたりを確認する。

 塩水かどうかなど、警戒している力もない。

 こうして起きているのも辛い。


 まだ外は暗く、天幕には篝火の炎のゆらめきが映し出されていた。


 そしてぼんやりと人の影が写っていた。影が動くとともに、しゃらんと鈴の音もする。


 彼岸から迎えでも来たのかと羊笙は思わず身構える。


 同じく映っていた李恭の影は何事もないように天膜の外に立っていた。


 李恭は優秀だ。周りの状況を瞬時に理解するに優れている。本来はあの駐在武官長の部下で、音繰が選んだ男なのだから当然だろう。


 李恭は天幕周りのことは理解している。

 たとえ村人であっても天幕に近づけさせたりしない。


 ならば、この人影は何だというのか。

 本当に彼岸からの迎えだというのか。


 羊笙は辛さを忘れ、近くに置いていた簪を手にとって軽く髪を結い、模様入りの麻の布を肩にかけて天幕から出る。

 西都よりもさらに冷える空気は、羊笙としては呼吸がしやすく助かった。


「どうされましたか?何かありましたか?」

「いや・・・」


 李恭は驚いた様子で羊笙を心配する。

 そんな李恭を振りほどいて、思い一歩ずつ前に出して天幕の裏に回り、羊笙は呼吸を忘れた。



 美しかった。



 美しき月下の精がそこにいた。

 この間見た火の精とは対照的のようで類似した、力強さと凛とした姿。


「あれは・・・?」

「鳥樺さまです」


 そんなことは分かっている。


「いつから舞っていた?」

「数時間前からです。どうやらこの祭事は、巫女の娘が日が昇るまで舞い続けるというものが真髄であったようです」


 西都にいたとき、鳥樺が自室で舞をしていたのを思い出す。

 朝から何をやっているのかと怪しんだが、もしかすれば前の日の晩からずっと舞っていたのかもしれない。

 だとすると、あの日呼んだのは悪いことをした。


 やがて地平線の向こうが白くなり、篝火の光がわからなくなるほどの眩しい琥珀の陽が辺りに差し込む。


 光を受けた月の精は、力強さを増して美しく輝き、やがて日の精へと変わってゆく。


 この草原の一姫は、月の精のみならず日の精にすらなるらしい。


 それは神の奇跡そのものに違いなかった。


 天上より舞い降りた、美しき神の使い。


 羊笙はひたすらに魅入っていた。

 呼吸も病も、夜の闇とともに忘れ去られた。


 鳥樺はやがてゆっくりと止まる。


 そのときふと見えたその痛々しく残る頬の傷が、これが人間であることを思い出させた。


「鳥樺さま、おはようございます」

「李武官、おはようございます。夜間ずっと起きていましたね。早く眠ったほうがいいですよ」

「そうですね。有事がないとは限りませんから、備えとして少し眠らせてもらいます」


 李武官は羊笙に一言告げて、天幕に向かう。

 その一言すら耳に入らず呆然と立ち尽くした羊笙に、鳥樺は首を傾げる。


「羊笙さま、起きていらしたのですか。李武官にも言いましたが、睡眠は大切で―――羊笙さま?」

「あ、ああ、そうだな」

「・・・寝てくださいね?」


 鳥樺は不満気な顔を浮かべつつ、己の天幕の方へ向かう。


「待て」


 鳥樺が振り返るよりも先に、羊笙は己の簪を抜いて鳥樺の髪に挿す。

 鳥樺は驚いたように頭を触る。


 羊笙は髪を下ろした後ろ姿のまま、心なしか軽い足取りで鳥樺より先を歩く。

 なんとなく、顔を見られたくない。


 それを鳥樺は静かに眺め、その様子を見ていた李恭は驚くように鳥樺にかけ寄る。


 羊笙はそれを背中に天幕に帰った。

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