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放牧の姫  作者: オキ
西都編
19/28

農村

 父の誤解が解けるのにはかなり時間がかかってしまった。


 日はとっくに傾き、気温も下がってきている。

 この地域の夜は西都よりもさらに下がるので、着込まなくてはいけない。


 夕餉は山羊の肉を山羊の乳で煮た汁と、同じく山羊の乳と雑穀の粥である。

 ここらでは定番の料理で、肉が入っている地点で贅沢な高級粥であるが、西都の贅沢な暮らしをする羊笙らの口には合わなかったらしく、微妙な顔をされた。


 仕方がないので塩を渡してみると、多少良くなったようで、追加の塩を注文された。

 伝統ある民族料理に口を出すのはどうかと思う。

 少なくとも鳥樺は少し腹が立った。


 それでも心の広い鳥樺が塩を持ってきたら次は黒酢はないかと言われたが、そんなものがあるわけない。

 そもそも黒酢なんて鳥樺は食べたことがない。

 生まれつき贅沢な人間はこうだから困るのだ。


 対して李武官は少し塩をかけてあとは黙々と食べていた。

 あれが見習うべき姿である。


「水はないのか」

「水ならありますよ、どうぞ」


 鳥樺は毒見したあと、羊笙に向かって差し出す。

 羊笙は水を口に含み、直ぐに吐き出してしまった。


「羊笙さま!?」


 李武官は慌てて羊笙に駆け寄る。


(ああ、そうか)


 鳥樺は特に驚くこともなく古衣の切れ端を何十にも重ねて濡れた床を吹く。人が吐き出した水に触れるのは嫌だ。


「な、何なのだ、これは?!」

「水ですが」

「毒水か?」


(んな物騒な)


 目の前で毒見したのにも関わらず、酷い言い分である。


「なんですか、それ。そんな物騒なものではありませんよ。強いて言うなら、塩が入ってますが」

「塩水だと!?」

「この地域では真水は貴重なんですよ。飲み水以外は塩が混じったものを使います。しっかりと塩は抜いていたはずなんですが、容器にでも塩が残っていたのかもしれませんね。普段から飲むものですから、気づきませんでした」


 もともと水が硬く岩塩が産出されるので、飲み水にも塩が混じることもよくあることだ。慣れてしまって気にしなくなってしまっていた。


 羊笙の方から、馬鹿舌か、と言うような言葉が聞こえたような気もしたが、気の所為ということにしておく。


 この辺りは気温が低いし、塩水には低体温防止の効果もある。悪いことだけではない。


「普通の水をよこせ」

「はい」


 羊笙は不機嫌になってしまった。

 李武官の目つきもなんだか怖い。


(き、気をつけよう)


 鳥樺には本当に悪気はなかったのだ。

 事故である。


 故郷に帰ってきて気が緩んでいたのかもしれない。


 鳥樺は真水を持ってきて入念に確かめる。

 たぶん大丈夫だ。

 鳥樺は環境故、冗談抜きで他人より舌が鈍感だ。

 本人は認めていないが、馬鹿舌というのは本当のことである。

 そもそも草原で暮らす人間の半分以上は馬鹿舌だろう。


 鳥樺は器に水を注ぐと、怒られる前にさっさと自分の天幕に戻ることにした。



●●●



 数日後、早速近隣の村に行くことになった。


 行く先は、鳥の民と交流が深く、度々連絡を取り合っている部族である。

 数年前に定住したと聞いている。


 その村には数日後にちょうど祭事をしに行く予定があったので、それを早めてもらうように鳩を使って連絡した。


 そろそろ鳩も向こうについているだろう。


 そのことを伝えると、羊笙は見事話に食いついた。


「連絡は鳩なのか」

「ええ。鳩は生まれ育った場所に戻る習性があるので、それを利用します。ちょうど数日前に連絡を取っていたようなので、鳩が使えます」

「ほう、それは便利だな。西都でも使えるのか?」


 羊笙は興味深そうに聞いてくる。

 確かに、使えたら便利であろう。


 鳥使いは鳥樺ら鳥の民の特権でもある。

 あまり言いたくないが、断れない。


「西都からここになら使えますが、西都から中央は不可能ですよ。使うには中央で鳩を育てて、その鳩を中央に持っていく必要があります」

「それさえ出来ればいいのだな」

「一応言っておきますが―――」

「分かっている。広めるなと言いたいのだろう?安心しろ。私とて、鳥を使う伝達方法が広まっても面白いことはなにもないのだから」


(それもそうだ)


 それなら、言いふらすこともないだろう。

 むしろ、鳥の民の売り込みどきだ。

 うちで鳥を買ってくれるならこちらも儲かる。


「そうだな、もし鳥を使うようになるならば、お前たちから鳥を借りる契約としよう」

「それは助かります」


 羊笙も分かっているようで、好条件を出してくれた。

 西都の領主相手となれば信用できるうえに、こちら側のおおきな収入にもなろう。


 そういう話をしつつ村のある方向に向かって草原を進む。


「羊笙さまは馬を好んでいらっしゃるようですが、馬にはよく乗られるのですか?」

「知っての通り、こんな体なのでな。西都に来てからはよく乗っているし乗馬も好きだが、これまでは馬に乗ることは滅多に無かった。今も馬で移動することはあっても、馬に乗って走ったことはない」

「そうでしたか。では、少し走りますか」

「何故そうなる!?」


 鳥樺が走り出そうと手綱を引こうとしたのを、羊笙が慌てて止める。

 己の馬に乗りながら他人の馬の手綱を取るなど、なんて危ないことをするのだろうか。

 最悪馬から落ちて死ぬ案件だ。


「走ったことがないのでしょう?なら一度走ってみるべきですよ」


 馬に乗って草原を駆けるのはとても気分がいいものだ。

 部屋にこもりがちな羊笙にとってはさらに気分がいいはずだ。


「馬の乗り方を知ってさえいれば死にやしません。人の手綱を取るなんていう危ないことができるのですから、走ることぐらい容易いものですよ」

「それとこれは別だろう」


 鳥樺は手綱を奪い返すと、羊笙を無視して馬を走らせた。


「ついてこないと、迷子になりますよ」

「あっ、おい!待て!」


 羊笙の静止の声は届かなかった。

 李武官は羊笙につくと思ったが、意外なことに羊笙は置き去りにして鳥樺についてくる。


「羊笙さまも、そろそろ馬で走ることぐらいできるようになっていただかなければ、と、音繰さまが仰っていたので」


 李武官は結局は音繰の部下らしい。

 音繰だったら、羊笙について、ゆっくりついてきただろう。


 羊笙も流石に頑張るだろう。


 しばらくして広がる地平線の先に、村が見えた。

 鳥樺の合図で馬はスピードを落とす。

 

 ちょくちょく後ろも確認していたが、羊笙は速さはまだまだ遅いものの、ちゃんと付いてこれていた。 


(やればできるじゃないか)


 強引だったが、効果はあったらしい。

 馬に乗る楽しさは、走ってこそ堪能できる。


 流石に怒るかと思ったが、羊笙は静かに走ってきた草原を眺めていた。


 鳥樺たちが村に近づくと、村の村長がでてくる。

 鳥樺は馬から降りて村長に近づく。


「お久しぶりです。感謝します、祭事の時期を早めていただいて。助かりました」

「いえいえ、祭事を行って頂けるだけでも光栄ですから。そちらの方々が?」

「ええ、私の客人です。どうも、定住を始めた村の調査をしたいとのことでして」

「それはそれは、西都のお役人様でしたか。どうぞごゆっくり。なにかあれば言ってくださいませ」

「感謝する」


 李武官が羊笙に変わって返事をする。

 他人行儀で無愛想で高圧的。

 子供なら恐れて親の影から出てこないかもしれない。


 だが田舎の農民にはこれくらいがいい。

 舐められては後々困るものだ。


 この村とは半年に一度ほどの付き合いがあり、以前来たときよりも村は繁栄しているように感じられた。


 麦畑が増え、建物も多くなっている。

 村が大きくなるのはとてもいいことである。


 日が昇っているうちに準備を勧めておくとしよう。

 祭事までそんなに余裕はない。


「では私は祭事の準備を―――」

「待て」


 羊笙は鳥樺の肩を抑え込む。

 意外と力かあるらしい。


「お前も一緒に付いてくるよな?」


 一応疑問形になってはいるが、意味をなしていない。

 薄々こうなることは予想していた。

 もう開き直っている。


「・・・御意に」


 鳥樺は手を払い除けながら、分かっていた未来にため息を付いた。

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