帰省
鳥樺は懐からいくつかの紙袋を取り出す。
「火はありますか?」
「それならそこにある燭台を使ってかまわない。油がいるなら用意させよう」
「では油のかわりに蒸留酒を少し」
「ああ、蒸留酒ならそこに置いてあるから、使ってくれて構わない」
羊笙は空いた右手で棚の上を指差す。
確かにそこには酒瓶が置かれていた。
体が弱い癖に、酒は飲むらしい。
しかも蒸留酒とは、かなり強めである。
鳥樺は酒瓶を手に取りながらちらりと羊笙を見る。
「消毒に使うものから、飲める酒じゃないぞ?そもそも私は酒は飲めないし」
羊笙は鳥樺の目線に気がついたのか、軽く弁明をした。
鳥樺も強く蒸留した酒の消毒の効能は知っているのでさらりと納得する。
ただ、消毒を部屋に用意しているとは珍しい。
医者みたいな人だ。
強い蒸留酒には火がつく。
燭台の火を近づけると蒸留酒を入れた小皿には火が灯った。
炎は碧く燃える。
火を消した燭台に、その碧い火を灯すとまた元の朱い炎に変わる。
懐から出した小さな紙袋の中身を火に入れた。
朱の炎が赤く変わる。
違う袋の中身をいれると、青緑色に変わった。
また違う袋の中身を入れると黄色に変わる。
「こ、これは一体?」
驚いた様子で白鶯が聞いた。
「燃やすものによって、色が変わるだけです。都にあるらしい、花火というものが同じ原理のようですね」
師匠から聞いたが、花火というのは夜空に咲く火の花で、とても美しいらしい。
一度見てみたいと思い、作ろうとしたら爆発したので制作は断念した。
あのときは普段は怒らない師匠にまで酷く怒られたのを覚えている。
ちなみに、鳥樺が今話したのは中央の花火職人にとっては命と同じぐらい大切な門外不出の秘技なのだが、そんなことをこの場の誰も知るわけがない。
「ちなみに、この話は広めないで頂ますようお願いします」
鳥樺にとってはこの話はあまり広まってほしくないものだ。
仕事が関わっている。
特にこの技については求婚してくる悪漢共を追い払うために日常的に使っているものだ。
原理を知られたら巫女の地位はなくなり、たちまち拐われて無理矢理にでも好きでもない相手の妻にされてしまう。
「分かっているよ」
羊笙は天上の微笑みを浮かべる。
白鶯も頷く。
この人たちは立場上言えるものではないだろう。
「いやはや、面白い。さて、そろそろ戻らねば妻に怪しがられるな。またな、巫女、羊笙」
白鶯は満足げに頷くと部屋を去り、また、くらりと視界が揺れてしまいそうな美しい天女と二人きりとなってしまった。
時折咳の音がする以外、話も何も存在しない。
居心地も悪いので鳥樺も部屋を出ようとしたのだが、羊笙から待ったがかかる。
「まさか、このまま挨拶もなく村に帰るつもりではなかろう?」
「・・・帰るなと?」
鳥樺は恐る恐る問う。
信用してくれていたのではないのか。
「いや、私もそこまで鬼畜じゃあないからな。帰るなとは言わない」
「では私は失礼します。お世話になりました。お金のことなのでしたら、また何回かに分けて返済させて頂きますのでご安心を」
なんだよ、と思いながらもしっかりと礼儀正しく挨拶をする。
羊笙は机から立ち、てちてちと資料の積まれた棚に向かってなにやら資料を漁る。
その瞬間、目尻に光が宿ったのを鳥樺は見逃さない。
思わず身構える。
「おや、そういえばこういう報告があるのだ」
出してきたのはなにやら数字の並んだ紙数枚である。
「・・・それが何か?」
「最近、定住する放牧民が増えたそうだ。だが、税収がどのくらい進んでいるのかがわからない状態だ」
「・・・」
(嫌な予感しかしない)
税とは小麦のことだ。
定住すれば畑をし、畑をするなら小麦を税として納めるのだ。
税といえば政。
政といえば因果と思惑。
面倒だ。
早急に立ち去りたいのに。
「で、この数字を見れば分かるように、確かに集まる税は増えたのだが、街に出回る麦の量は減って価値が上がっている。麦を作る人間が増えたのに、何故出回る麦が高くなると思う?」
「不作では?」
「なら集まる税も減るはずだろう」
この国での税収は収穫の何割といったもので決まっている。
その辺、鳥樺は詳しくない。
だが、収穫が減れば集まる税も減るのは事実だ。
なんとなく、羊笙の言いたいことが分かった。
思わず顔をしかめそうになるのを必死に抑える。
仕事は終わったはずなのに。
「要するに、調べてこいと?」
「いや、私も一緒に行きたいと思って」
「はあ?」
(何言ってんんだ、こいつ)
予想の斜め上。
我慢できずに顔をしかめて声が出てしまった。
己の体の弱さを知ってのことだろうか。
この間見かけたのだが、廊下を少し歩いただけで残息奄々の状態になっていたことはまだ忘れていない。
「死にますよ?」
「そんな簡単に人を死なせるな」
羊笙は笑いながらそう言うが、本気で死ぬぞ、という話である。
死なれたら鳥樺はどうなるか。
鳥樺のせいではないが、少なくとも白鶯には一生恨まれるに違いない。
「私も偶には外出したい」
「白鶯さまと狩りに行かれたとお聞きしましたが?」
「あれとこれは別だ」
いきなりそんなに外出をして倒れられては困る一方だ。
(ていうか、こんなの連れていったら一族の連中がだめになりそうだ)
男であろうとも羊笙は関係ない。
すぐに草の丈が高いところに連れ去られてしまいそうだ。
「どちらにせよ私が行かねばならんのだよ。音繰は前行ってもらったし、何が起こっているのかこの目で確かめたい。ならば現地人と一緒に行ったほうが安全だろう?」
「それもそうですが・・・」
そう容易く首を縦に振れる話じゃない。
「では、私からも頼もうじゃないか」
鳥樺が即座に振り向くと、なんと白鶯が立ち塞がっていた。
一回部屋を出たはずなのに、外で聞き耳でも立てていたらしい。本当に気持ち悪、いや、こちらを気にかけてくれていた優しい人だ。
「なぜ白鶯さままで・・・」
鳥樺は恨みがましく白鶯を見る。
「なに、可愛い子には旅をさせよと言うであろう?」
「白鶯さま、それは、外見が可愛い子のことを言いませんよ」
「ははは、それは知っているぞ。羊笙は私の可愛い子のようなのではないか」
鳥樺は尋常ではない悪寒を感じる。
白鶯は羊笙をどう見ているのか。
「分かりました」
「随分とあっさりだな?私の説得ではごねていたというのに」
羊笙は白鶯の言うことで鳥樺があっさり納得したのが気に入らないらしい。
だが単純に、これ以上白鶯の迷言を聞きたくないだけである。
面倒なので羊笙の嫌味は軽く流す。
「明日出発で構いませんか?」
「構わんが、随分と早いな」
「五日後に隣村で祭事がありますので」
鳥樺の巫女としての仕事だ。そもそもこんな長居する予定はなかったのだ。早めに帰って早急に用意せねばならない。
「そうか。では任せたぞ」
「お任せを」
あまり乗り気ではないが、面倒くさいというその心境が悟られぬよう、鳥樺はやうやうしく頭を下げた。
―――
鳥樺はせっせと荷物をまとめる。
行きはほぼ手ぶらであったのにも関わらず、何故か帰りは荷物が増えてしまうものである。
昨日までに街で羊笙がくれたお小遣いで服と小物と生薬、そしてあの月餅を買った。
服は古着の中でもきれいなものを二着、普段着と、好みの娘衣装だ。生薬はなんだかんだいっても必須である。
風邪薬、軟膏その他諸々を作るために必要な分を買っておいた。
例の月餅は傷みやすい食べ物なので、そこまでたくさんではないが、なるべくたくさん買った。
それでも金は余ったので、あとは貯金する。
そしてそれらの荷物は馬車に積む。
(ああ、寒っ)
鳥樺が用意を終えて肌寒さを感じながら出てきた頃には、まだ日も昇っていない早朝にも関わらず、既に纏めておいた荷物が馬車に積まれ、鳥樺の愛馬も馬小屋から出されて水を飲んでいた。
荷物は音繰が悪態をつきながらも乗せてくれたらしい。しかしこの場に音繰はいない。
また羊笙の分の仕事をするのだろう。
音繰のかわりに護衛としてついた李武官がそう教えてくれた。
李武官の下の名前は案の定忘れてしまった。そして李武官の新たな情報として、元は駐在武官長の副官で、上司が死んだのを期に、音繰に引き抜かれたらしい。
鳥樺が改めて荷物を確認し終わった頃、羊笙は顔を半分隠す覆面をして現れた。
言ったように上着は着てきたようだ。
西都では昼は大変暑いかもしれないが、向こうは昼になってもかなり冷涼なのだ。西都の薄手の格好では羊笙みたいな人間はすぐに体調を崩す。
今は寒いぐらいなのでちょうど良さそうだ。
しかし、覆面までとはやり過ぎでは無かろうか。
羊笙は大変苦しそうである。
「暑そうですね」
「そうだな。今は大丈夫だが、昼になっては暑さでのぼせる。でもしてないと音繰が怒る」
(音繰、良い判断だ)
鳥樺は今忙しいであろう音繰に対して親指を立てる。
たしかに、こんなのが街を歩いて地方に行けば、それはもう大変なことになる。
音繰はそれの危険性をよく理解していて、かなり良い働きをしているようだ。
「では行きますよ」
鳥樺は用意された馬に手をかける。
それを羊笙は呆れた目で見た。
「お前は馬でいくつもりなのか?」
「私は案内役ですし、馬車に乗るわけにはいきませんので」
馬車を使えば盗賊が心配だが、鳥樺が見えれば誰も近寄ってこないだろう。
ここらの遊牧民族の中で鳥樺はそれだけ有名で、恐れられているのだ。
「街中では目立つ。草原に出るまでは馬車に乗れ」
(羊笙と同じのに乗るのか?)
そんなに大きな馬車じゃない。
暑苦しいだろう。
何より鳥樺が気を使わねばならない。
「乗れ。私は馬に乗るから。調度、そんな気分だったしな」
「大丈夫なのですか?」
「・・・馬鹿にするなよ」
流石に失礼だった。
この間狩りに行っていたし、官職を持つ者として乗馬は最低限の教養だ。
鳥樺は反省しつつ馬車に乗りこむ。
馬車の中は思っていたよりも快適だった。外よりも幾分暖かく、揺れも小さく、柔らかな座布団も聞かれているおかげで腰も痛くない。
(高貴な人たちは羨ましい)
西都の副官はあくまで仕える側の人間。
それでもこれほど貴人らしいそれなりの生活ができるのは、羊笙の血筋がそれなりには尊いものであるからに他ならない。
一体何者なのか、しかしそれはどうでもいいことだ。
少し進めばやがて街を抜け、草原に出る。
町が見えなくなった頃、鳥樺はようやく馬車から降りられたので羊笙と交代する。
羊笙は不服そうだったが、羊笙が乗っていた馬は鳥樺の愛馬なので、鳥樺が我慢して羊笙が乗る資格はない。
空を見上げて、首元に下げた笛を吹く。
それに答えるようにけたたましい鳥の鳴き声が響く。
滑空して鷹が鳥樺のもとに降りてきた。しばらく呼べていなかったから寂しかったのか、いつもよりも早く帰ってきた。
「お前は鷹使いだったのか!?」
羊笙が咳をしながら馬車から覗いて驚きの声を上げる。
李武官も鷹を見て少したじろき、羊笙の声を聞いた馬も驚いて少し暴れた。
(そこまで驚かなくてもいいのに)
鷹や鳥使いぐらい、鷹狩などでは見たくなくても見るものだと思うが。
「西都ではあまり主流じゃないようですが、草原では私たちは鳥の民と呼ばれます。私は鷹を使いますが、使う鳥は人それぞれです。」
「そうなのか」
羊笙はなにかを考えるように手を顎に当てる。
鳥樺は鷹に指示をする。鷹に民族の場所を示して案内してもらうのだ。鷹は賢いので、鳥樺の指示も簡単なものなら理解できる。
盗賊が来たら知らせるようにも指示しているのでそちらにおいても優秀だ。
迷うこともないので馬車があるとはいえ、そこまで長くはかからないだろう。精々三日程度であるはずだ。




